Gustav Mahler

     マーラーの略歴

     1860年     ユダヤ人商人ベルンハルト・マーラーとその妻マリーを父母としボヘミアのカリシュトに生まれる。12人兄弟姉妹の2番目。

     1875年     ウィーンの音楽院に入学。

     1881年     ライバッハ(現リューブリアーナ)の劇場常任指揮者に就任(〜1882年)

     1883年     オルミュッツ(現オロモウツ)の常任指揮者。4月、ウィーンのカール劇場の合唱指揮者。6月以降、カッセルの常任指揮者。

     1885年     8月 プラハの第二常任指揮者。(監督:アンジェロ・ノイマン)

     1886年     ライプチッヒの第二常任指揮者に就任。(第一常任指揮者:アルトゥール・ニキッシュ)

     1888年     9月 ブタペストのハンガリー王立歌劇場の監督に就任。

     1889年     両親の死。11月20日、ブタペストで「交響曲第1番”巨人”」初演。

     1891年     ブタペストを辞任。4月より、ハンブルグ市立劇場第一常任指揮者に就任。(監督:ベルンハウト・ポリーニ)

     1894年     ハンス・フォン・ビューロー死去。

     1895年     12月13日、ベルリンで「交響曲第2番”復活”」初演。

     1897年     3月、「交響曲第3番」の三つの楽章がベルリンで演奏される。4月、ハブルグを辞任。カトリックに改宗。

               10月、ウィーン宮廷歌劇場の監督に就任。

     1898年     ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会の指揮者となる(〜1902年)。

     1899年     ヴェルターゼー湖畔マイアーニックに土地購入。

     1901年     ウィーンで、「嘆きの歌」、ミュンヘンで、「交響曲第4番」をそれぞれ初演。11月、アルマ・シンドラーと知り合う。

     1902年     3月9日、アルマ・シンドラーと結婚。クレーフェルトで、「交響曲第3番」全曲初演。娘マリア・アンナ誕生。

     1904年     ケルンで、「交響曲第5番」初演。娘アンナ・ユスティーナ誕生。

     1905年     ウィーンで、「亡き子をしのぶ歌」初演。

     1906年     エッセンで、「交響曲第6番”悲劇的”」初演。

     1907年     娘マリア・アンナ死去。心臓病である事が判明にする。ウィーン宮廷歌劇場との契約を解除。

               12月9日、ウィーンを去る。招待を受けてアメリカに向かう。

     1908年     9月、プラハで、「交響曲第7番”夜の歌”」初演。

     1910年     ライデンにジークムント・フロイトを訪ねて診断を受ける。9月12日、ミュンヘンで、「交響曲第8番”千人の交響曲”」初演。

     1911年     2月21日、最後の演奏会。4月、重体で、ヨーロッパに戻る。パリで治療を受けるが快方に向かわず。5月、ウィーンに戻る。

               5月18日、死去。グリンツィング墓地の娘マリア・アンナの墓の隣に埋葬される。

               11月20日、ミュンヘンにて、ブルーノー・ワルターの指揮で、「大地の歌」初演。

     1912年     6月26日、ウィーンにて、ブルーノー・ワルターの指揮で、「交響曲第9番」初演。     

 

                     

 

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