「浅草へ」日本ベルギー現代美術交流展について



 この交流展は、〈異文化との出会いとコミュニケーション〉をテーマとするもので、日本展とベルギー展とが対になっていて、同一のメンバーが互いに双方の現地に赴き、現地滞在による作品制作を競うものでした。参加アーティストは、日本人12名とベルギー人11名で、美術館といった静的で制度的な場を離れて制作と展示を行うこと、アーティスト同士がコミュニケーションを取りながら活動することなど、極めて実験的なものでした。また、文化、歴史の異なった状況下で自らの作品制作がどの様に立ち上がってくるかといった問を、アーティスト自身がおおいなる冒険として引き受けた機会でもありました。
 91年4月に行われた日本展「浅草へ」は、浅草にある旧金竜小学校が会場となりました。これは、廃校となっていた旧校舎を美術展の為の会場として特別に開放したもので、行政や地域の協力により実現しました。両国の参加アーティストは、約1ヶ月間にわたり、この旧校舎をアトリエとして作品制作から発表、あるいは、シンポジウム開催など精力的な活動を行いました。歴史や文化、環境を具体的に体現するこうした場での制作は、アーティストにとって、ニュートラルな展示空間とは異なり、作品成立の困難さゆえに、多くの試行錯誤を強いる一方で、様々なインスピレーションを与えました。児童の歓喜が消えて久しい学舎で、ある者は、無人の教室に様々な小物を配したインスタレーションで、かっての授業風景を彷彿させました。また、古びた壁や床の表面を写し取り、実際の壁に重ね合わて時間と記憶とを視覚化した者もいれば、外光を遮断した教室を紫外線光ランプによって浮かび上がらせ、場の環境そのものを変容させた者もいました。こうして旧校舎全体が多彩な作品によって埋め尽くされ、大勢の来訪者によって賑わいを取り戻したのです。場が作品を生み、作品が場を蘇らせたました。
 半年後の10月に行われたベルギー展「Orientation 50゜Nord」は、ブリュッセルのサンカントネール凱旋門の回廊を舞台として、両国のアーティストは、再び作品制作を競いました。石柱が立ち並ぶ石造りの重厚な回廊に、巨大な石膏製の樹木を屹立させ、ヨーロッパ建築の幾何学性を異化した者。また、戦勝を記念の建物の一角に食卓をしつらい、バインダーで削られた多数のスプーンを壁面に吊り下げ、戦争で成り立つ国家の安寧を告発しようとした者もいれば、石柱に絡ませた沢山の蔦を天井まで届かせ、植物による有機的な空間を創り出した者もいました。多種多様な試みの中で、これまでの制作方針を固持した者もいれば、従来の作品傾向を捨て、新たな作品を創ろうと務めた者もいました。やがて、この石造りの重厚な回廊には、その場の歴史性 に拮抗する幾つもの独創的な作品が立ち並びました。
 浅草とブリッセル、双方の地で行われたこの交流展は、幸運にも、各方面より好評を博しました。しかし、そうした展覧会の評価とともに重要なのは、歴史や文化の異なる相手との滞在制作を通じての様々な体験が、双方の相互理解を深め、アーティスト自身に〈表現〉に関する多くの反省と収穫をもたらしたことです。それは、また単に作品展示に終始するといった外面性を遥かに越えた地点での営みであり、この交流展が目指した成果そのものでもありました。
 この交流展の全容は、カタログ「浅草へ/Orientation50゜Nord」(92年ICAEE発行)に 収められています。



戻る