![]() ねむちゃんと野々歩 |
10月は今日31日に1項目書くだけに終わってしまう。毎日、「灰皿町blog日記」を書くのと「BlosxomBlog」に花の写真を入れるだけで、精一杯だった。それで、「曲腰徒歩新聞」の記事を書く余裕が取れなかった。「灰皿町blog日記」には毎日同じようなことを書いているが、固有名が違う。つまり、わたしの場合、生活の形は同じでも、行くところや会う人が違うということになる。その会って話す人が違うということの堆積がわたしの生活なのだ。昨日まで、「My多摩美上野毛」という写真展を、澁谷のGallery Le DECOで、同僚の石井茂さんとやっていたが、今年来てくれた人は圧倒的に卒業生が多かった。毎日違う話し相手が学生だった彼ら彼女らなのだ。この二人でやる写真展も4年目。石井さんはそこで展示した写真から写真集を刊行した。わたしは、1年目は適当な大きさの写真を額に入れて展示していたが、昨年と今年は魚眼の円形の写真の直径を90センチにするようになった。そして、大きくしたことによって、魚眼写真は実は立体写真になっていることに気が付いたのだった。これは驚きだった。魚眼写真を始めたのは1960年代、最初の写真の個展は1975年だから40年ぐらい魚眼レンズに付き合っているが、その写真が立体に見えるというのは、人物を大きく伸ばした昨年のことだった。話は、blogの日記のことから始まったが、毎日の同じことが実は相手にする、あるいは出会う対象の「固有性」によって違うのだといいたかった。その違いが記憶の中では消えて行くので、言葉でそれと抗って行こうという気になる。その上、それを公開すると、負数の人の意識の中で生きてくる。
この10月は確かに忙しかった。前半は「山形ドキュメンタリー映画祭2005」に参加した。そして後半は写真展。また、初めて「メルマガneoneo」に4回続けて原稿を書いた。11月26日(土)、27日(日)には、7時間の『風の積分』を含むわたしの6作品が神田の「space NEO」で上映される。今年70歳、来年の3月定年退職、明らかに人生の曲がり角だ。わたしはかつて『角の辺り』という映画を作った。何のことはない、人は生きている間に家の中、また外に出て、廊下、階段、戸口、街角、などなどで何回角を曲がるだろうかとぶつぶつ言っているだけの作品だ。でも、人間は角を曲がる動物なのだ。逆に言えば、角を作る動物でもあるわけ。家の中や街の中は空間の角だが、入社とか定年とかは時間に角を作ってしまっているわけだ。つまり、角によって空間も時間も構成される。定年は構成の最後から一つ手前ということだろう。なんかスリルを感じる。
なんか、まとまりのない感想文でした。