2005年3月1日から31日まで


[ 総目次へ] to The Index Table]
「曲腰徒歩新聞」表紙へ戻る
現在: Document lastmodified:

2005年3月31日 渡辺洋さんのHPに掲載されている「詩を読む」を読む。

蘭の花
 次々に咲いた蘭の花。

 「詩を読む」は、渡辺洋さんが今年の1月1日から1編の詩に散文をつけるという形で掲載されていて、3月26日の現在、その86まで行っている。最初に掲載されたとき、渡辺さんの掲示板「f451_BBS」に、そこに掲載された北村太郎さんの詩についての感想を書いた。そして、2、3回遣り取りがあってそのままになった。それから3月になって、わたしの「灰皿町blog日記」のコメントに渡辺さんの「80編近くまで書いた」という書き込みがあったので、わたしは2、3の詩を読んでみて、うまく詩が読めないで逃げ出してしまい、「詩を読む」に対してやや批判的な態度を取った。その時、雑誌や詩集の詩が読めなくなっているわたしも、書いた当人を前にして詩を講評するという場でなら「詩が読める」ということから、「詩に対してアクションとして向かう」ということを思い付いた。そこから、渡辺さんの「詩を読む」を「そのアクションとして」積極的に読んでみようという気が起きたというわけ。そして、「詩を読む」の全ページをプリントして読み、「f451_BBS」に書き込みをして来たが、その過程でわたしの詩に対する考え方が少しドライブしてきたので、それをここに纏めてみようと思う。

 2、3年前から、いやもっと前から、わたしは詩が読めなくなった、というより読む気がしなくなったのだった。送られてくる詩集も、雑誌も、開いて読もうとして、そこに詩として印刷されている言葉を目にすると、その言葉の形が目について書かれていることの内容に入って行けない。たまたま目にした詩がつまらないというのではなく、印刷された詩というものに対してある種の拒絶反応が起きてしまう。書いた人を知っているとその気持ちは少し和らぎ何とか読んで、今彼はこういう詩を書いているのだ、と思ってそれで終わってしまう。しかし、「詩の講座」などで書いた当人が前にいるとそれなりに読めて、感想など述べることが出来る。詩として形式化されたものが詩という表現なのに、その形式から外れたところで付き合うという感じだ。これは、詩に限ったことではなく映画に対してもそういう感じだった。学生たちが作る一般的には見るに堪えないといわれるような作品を面白いと思い、映画館で上映されるような映画は、「ああ、映画だ」という思いになって、映画を統一体として見ないで、ばらばらな映像の集合体として見る、といった具合になってしまう。そして、映画を作る手つきだけが見えてしまう。映画だと一方的に受け身で観ていられるが、詩だとそうはいかないので、手つきだけ見て読むのでは嫌になってしまう。講座の参加者や学生だと、読んでから感想を述べるとか、混沌としている表現の筋道を考えるとか、要するに、積極的に作品に向かえるのだが、それが出来ない作品には向き合えない。読んで、それでどうなの?っていうことで、考えてみるとそういうことで読む気が殺がれていると思う。飛躍して言えば、「そういうことを書くのなら、こういうことも書けるよ」とか、「そういう書き方ができるのなら、こういう書き方もできるんじゃない」というような、作品を媒介して表現を先に進める運動が、わたしの場合出来なくなったということなんですね。というのが、わたしの「詩についての極私的状況」というわけです。

 先ず、この前提があって、渡辺洋さんの「詩を読む」を読んだ。何にでも解説を付けて渡すというのが、わたしたち社会のマスメディアのあり方で、その解説者というのが一つ上の位置にいて、意味やら価値やらを、ものの値段のように付けて見せる。受け止める方もそれがないと落ち着いて受け止められない、という風になっている。わたし自身、それに反発を感じながら、そういう値付けをやったりしていたし、受け止めてきた。そこで、「詩を読む」を読んだとき、渡辺さんもそういう構造を自分で担って立ち上げようとしているのかな、と思った。そして、反発した。反発の主な点は、「詩を読む」では、渡辺さんが作品を選んでいて、選んだことを公開すると、そこに「選ぶ選ばれる」の関係が生じて、それがマスメディアの構造と重なって選ぶ人を「権威化」するということになる。わたしとしては、出版社がやるような、詩の「作品」を「売り物」にするために一種のブランド化を計るやり方と、渡辺さんを並べて受け止めたというわけです。「名詩選」とか、「詩人シリーズ」というような出版の仕方が、詩を普及する方法であると同時に価値付けをすることにもなっている。出版社は商売だからそうするのは当たり前だ。しかし、それは詩の流通の一つの局面であって、詩の表現とは別のことだが、重なって受け止められてしまう。そこに落とし穴があって、わたしはその穴に落ちてしまっているのかも知れないと思えるのです。

 「f451_BBS」で、渡辺さんと遣り取りしているうちに、わたしは自分が誤解していることが分かった。渡辺さんは渡辺さんなりに詩に対して直接的に向かっていこうとしていて、その実行としての「詩を読む」だったのだと理解した。1月の末にブレヒトの詩集を読む機会があって、それは「読めない現代詩」とは違って、すんなりと読めた。どの詩も読者に向かう姿勢がはっきりしていて、人の声として聞こえてくる。ブレヒトの言葉についての考え方に、「身振り的言語」ということがあって、文章には身体的身振りが潜在しているということで、文章を読むとき符合した身体的行動を付けて読むとよく理解できるというのだ。このことが、書いた当人を前にして読む場合に重なるように思えた。目の前にいる当人が、礼儀とか怒りとか恐怖とか、そういうことを表情に表していなくても、当人の身体が目の前にあるというだけで、書かれた詩の言葉から声として聞こえてくるようになる。それを受け止めて当人に言えば、わたしの方がその声に応えたアクションをすることになる。そこで、「詩をアクションとして書く」とか、「詩をアクションとして受け止める」とかという考え方を思い付いた。そして、考えてみると「詩を読む」もアクションとして受け止め、こちらもアクションとして読むことができると思った。そして、はっきりとアクションにするために、先ず「詩を読む」の全ページをプリントして読むことにして、その読んだ結果を「f451_BBS」に書き込んだというわけです。

 今回の纏めはここまでにします。「f451_BBS」の遣り取りの経過と、読んだ結果、ちょっと展開した現在のわたしの考えを次に辿ってみたいと思います。




2005年3月16日 「極私的ラディカリズム」ということ。

チューリップの花が一つ
 チューリップの花が一つ咲いた。
チューリップの花が二つ
 チューリップの花が二つ咲いた。
チューリップの花が三つ
 チューリップの花が三つ咲いた。

 「曲腰徒歩新聞」は半月ほど開店休業になってしまった。3月に入って、「韓国インデペンデント映画2005」の作品を見に行ったり、続いて多摩美の入学試験があったりで連日出掛ける日が多く、その上「灰皿町blog」「BlosxomBlog」に毎日書き込むのに時間が取られて、「曲腰徒歩新聞」はお留守になってしまった。blogは別に毎日書く必要はないが、一つの試みとして、自分の日常をどれだけ「data化できるか」の挑戦と捉えることも出来るように思えてきて、中断したくないという気持ちが働くようになった。HPは「発信」といえるが、blogは「data化」だといえるのではないかということ。というのは、わたしはもう何年も自分がしたことをノートする「日録」を書いているが、それには後に「日付」と「その日したこと」を確かめるの、自分に取っての備忘録としての役割を持たせていた。そこでは日にちの連続性は欠かせないが、行動の連続性は余り意味を持たなかった。しかし、blogを書く始めたら、見知らぬ人も読むわけで、そうなると自分には分かっていて書く必要のないようなことも、ある程度書かなくてはならなくなる。ということは、事物や場所について名称など細かく書くことになる。最近ブレヒトの「転換の書 メ・ティ」を毎朝トイレで1、2ページ分読んでいるが、これを毎日書くので、その書名がWEB上で繰り返される名称になる。と、この書名をGoogleで検索すると

Minami-hatoba_1(Shirouyasu_Suzuki)
... 8日のトイレで読んだ「転換の書 メ・ティ」には、革命の展開と自然の変転の二つ
 の項目が「ものの流れについて」のという同じ題で ... 4日のトイレの「転換の書 メ・
ティ」は「暴力を見分けることのむずかしさ」ということ。貧しさで顔も身体も歪んで ...
www.haizara.net/~shimirin/nuc/shirouyasu.php - 48k - キャッシュ - 関連ページ
と出てくる。つまり、「転換の書 メ・ティ」をトイレで読んだというわたしの行為がdata化されたということであろう。なにもblogでなくてもHPでもそこに書いたことはdata化される。しかし、blogでは日記として書いたことがdata化されるということは、わたしが自分をdata化していくということだ。つまり、blogに日記を書き続けるということはわたしの生きている様を際限なくdata化していくということだ。それが何になるか。勿論、dataはdataとしてその意味を読み取られ使われ行くとこになるだろう。今のところ単にWeb検索でヒットするぐらいのことだが、dataを読み取るという方法がいろいろと開発発明されれば、そのdataの持つ意味は計り知れない。わたしたちはそういうdataの世界に足を踏み入れているといえよう。もっとも、このわたしというdataも、灰皿netのサーバとわたしのローカルのハードディスクがクラッシュすると一挙に消滅してしまう。なんか、その無が控えているというところも、活字媒体が宛もなく期待してる不滅とか永遠とかいう感情から遠く、気持ちがいいと感じる。

 さて、今回は「ラディカル」ということについて考えようと思っていたのだけれど、どうも考えがうまく進んでくれない。今作っている映像作品の「極私的に遂に古稀」のナレーションに使おうかと思う言葉をノートしていて、自分が年を取ったということを前提に、わたし自身が喋っているところから、画面を庭の水仙に繋いで、
「くどいですね。
この作品はこのくどさを濃縮して、
ラディカルにしようというのです。
ラディカルってなんだっていうことですが、
それは根元に帰るってことで、わたしという存在の根元は、
身体にあるっていうことですね。
身体でこの世に生まれ出て、
身体が焼かれて、灰になって、
わたしという存在は無くなるということです。
その根元である身体を69歳という年齢になって
ようやく自覚することになったわけです。」
といった具合に始めようと思いついた。先に「ラディカル」が来て、「極私的ラディカリズム」というものを考えようというわけなんです。3月の後半に作品の完成を目指すので、その考えを踏まえて作品を作っていこうと思います。「極私的に遂に古稀」です。  





  















1996年9月23日
1996年10月
1996年10月16日
1996年11月15日
1996年11月16日
1996年12月1日
1997年1月
1997年2月
1997年3月
1997年4月
1997年5月
1997年6月
1997年7月
1997年8月
1997年9月
1997年10月
1997年11月
1997年12月
1998年1月
1998年2月
1998年3月
1998年4月
1998年5月
1998年6月
1998年7月
1998年8月
1998年9月
1998年10月
1998年11月
1998年12月
1999年1月
1999年2月
1999年3月
1999年4月
1999年5月
1999年6月
1999年7月
1999年8月
1999年9月
1999年10月
1999年11月
1999年12月
2000年1月
2000年2月
2000年3月
2000年4月
2000年5月
2000年6月
2000年7月
2000年8月
2000年9月
2000年10月
2000年11月
2000年12月
2001年1月
2001年2月
2001年3月
2001年4月
2001年5月
2001年6月
2001年7月
2001年8月
2001年9月
2001年10月
2001年11月
2001年12月
2002年1月
2002年2月
2002年3月
2002年4月
2002年5月
2002年6月
2002年7月
2002年8月
2002年9月
2002年10月
2002年11月
2002年12月
2003年1月
2003年2月
2003年3月
2003年4月
2003年5月
2003年6月
2003年7月
2003年8月20日まで
2003年8月27日
2003年9月
2003年10月
2003年11月
2003年12月
2004年1月
2004年2月
2004年3月
2004年4月
2004年5月
2004年6月
2004年7月
2004年8月
2004年9月
2004年10月
2004年11月
2004年12月
2005年1月
2005年2月

 

 
 
 
 
 


|「曲 腰徒歩新聞」表紙へ戻る|

My Email address
クリックして、メールを送って下さい。
srys@m1.catnet.ne.jp


[総目次に戻る to the table]
  hh