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2005年7月23日 ひと月振り。「曲腰」が疎遠になったというか、いやはや、どうも。
        「新しい詩の書き方を探そう」という講座をやったんです。

庭の猫じゃらし
 庭の猫じゃらし

 「曲腰徒歩新聞」を一ヶ月も更新しないで過ぎてしまった。もっぱら「灰皿町blog日記」の方に掛かりっきりになっている。毎日更新するというBlogを始めてから半年経った。書く自分に取ってはその日か翌日は書くので、自分のやったことの記憶を補うというところでは、大いに役立っている。それを公開するというところは、わたしの存在を関係の結節点(node)にしている人にとっては、関係の動きを読むのに役立っていると思う。例えば、多摩美の映像演劇学科の4年生の名前は、わたしが担当している者がわたしとどういう接触をしているかが分かるように意識的に書いている。blogの面白さは、結節点から広がる関係性を読み取るところにあるように思う。わたしの氏名でblog検索を掛けたら、

2005-06-10
40日19時間23分 前 (2005-06-11 23:40:59 JST)
■ misc 名古屋第2日 栄の西原珈琲店でブランチ. ナイトウ先輩と再会.ハグ. 夜は ウザワさん,店主,ハジメ先生,ナヤタニ,コバヤシ隊長と「牡丹亭」. 鈴木志郎康の話でハジメ先生と盛り上がる. 「数学でこいつにはかなわないと思ったことはないけど, 詩ではこの人に到底かなわないと思った.憧れの人だった.」 帰りに駅でナミカワ先生,ナイトウ先輩と出会う.
というような記事に出会った。名古屋でわたしの知らない人達がわたしのことを話題にしていたというわけ。わたしが日常的に話題になっていることなど、インターネットとblogがなければ知るよしもないことだった。知ったからといってどうということもないが。でも、知れば知るで、「俺ってまだ話題になる存在なのだ」と若干嬉しくなる。不特定多数という存在がそれぞれ固有な存在として顔を現してきているということですね。

 メディアが表現の発表の場である限り、その表現の相手は不特定多数という存在になる。作者を知らない圧倒的多数の人類全部が相手というわけ。そこに通じることを普遍性という。先ずは世間が相手だ。そうの上に商品性ということも加わってくる。詩を書くというのは、作者が自分の言葉で、言葉の作品を実現することだが、作品の内容とは別に、その作品によって世間に認められたいという思いも込められている。ここでの作品と世間の関係をどう意識するかという問題がある。個人的に書かれた言葉が普遍性を獲得するというのはどういうことか、という問題だ。その問題意識が「詩人」や「作家」を作って行くと云える。今まで、また今でも、わたしは映像や言葉の表現を、端的に言って「指導する」ということをやって来てやっているが、それは人が表現の発想の時点から作品を実現して作家的意識を持つまで付き合うということだった。日常から意識を切断したところに言葉や映像の位置を定める仕方から始まって、それを世間に向き合わせるようにさせる。わたしとの付き合いで、何人かの詩を書き始めたばかりの人が詩人になったり、映像作品を作ったこともなかった人が映像作家になった。そこでは、もっぱら作品の実現と作品と世間との関係を問題にした。

 さて、ここで、では詩と、その実現ということと、言葉そのものとの関係というのは何だ、また、詩に使われる言葉と、その詩を受け止める世間、つまり不特定多数の人との関係は何だ、ということが問題になる。その辺りのことをちょっと考えてみたい。ただ言葉を書いただけででは詩にならない、じゃあ、どう書けば詩になるのか。詩を書いて発表したからといって世間で認められるわけではない、じゃあ、どうすれば世間で認められるのか。という問題ですね。

 多摩美の生涯学習講座で「詩の講座」を開くという話が来たので、5月から7月にかけて6回、「新しい詩の書き方を探そう」というタイトルの講座を開くことにした。その「新しい」ということの意味合いとして、不特定多数の人に向けるのではない仕方で、具体的なコミュニケーションのあり方を模索して、言葉の表現を考えることができないか、と思ったのだった。講座には、8人の全く詩を書いたことのない人達が参加した。参加者の一人を除いて、「現代詩」というものを読んだことがなかったので、先ず、現在書かれている詩がどういうものかを知って貰うために2回で様々な詩を解説して、比喩についても説明した。わたしが言っていることは余り理解できなかったかも知れないが、言葉が日常とは違う使われ方をすることがあるのだということは感じて貰えたと思う。それから、丁度その時読んでいた茂木健一郎さんの「脳とクオリア」に基づいて、脳内に生起している質感、つまりクオリアはいかなる記号によっても表現できないということと、言葉はそれ自体が脳内にクオリアを生起するということを話した。つまり、言葉を書くということは、脳内に生起した質感の中の一部を言葉に符合させているにしか過ぎないということを話した。そして、この講座の参加者が、互いに書いたものの受け手となる人間として知り合うために、近くのイタメシ屋で自己紹介をする会合を持った。その後、10行ぐらいの言葉を書いて貰い、そこに使われている言葉の発想の元になっているところを、わたしなりに読み込んでいくという作業をした。つまり、日常の会話やメールとは違うコミュニケーションの道筋があることを実践的に示した。次の回では、それぞれ書いて来たものを、互いに感想やそこに書いてあることについて述べ合って、わたしが道筋をつけた。それを2回やって6回が終わった。それぞれが書いた言葉は、非常に主観的で一般的には理解しがたいものだった。無意味なのではなく、意味が固有な意味合いになっているために、むしろ濃密すぎて、他者には受け止めることができない言葉のなっていた。だが、作者が目の前にいるので、その姿が言葉の集合体と重なって、確かな固有な存在感が生まれていた。

 作品を鑑賞するという仕方ではなく、固有な存在である作者と読者が共有できないそれぞれのクオリアを、少なくとも、互いにそれぞれがそういうものを持っているのだということを伝え合うコミュニケーションは成立したと思う。詩が言葉の作品という、まあ、芸術と言ってもいい、そういうものであるからには、そこに様式が求められる。その辺ですね。この講座、もうちょっと続けてみようかと思います。





  















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