![]() 風に揺れるのをよく眺めた。 |
![]() 眺めているうちに親しみを感じた。 |
![]() 鏡に映して撮影した。 |
12月31日はやはり一年を振り返ることになりますね。わたしには、七〇歳になったこと、多摩美勤務最後の年だったこと、Blog日記を初めて1年間休まずに書き続けたこと、思いがけずにブレヒトの芝居を沢山見たこと、劇団「小指値」の公演を何度も見たこと、「山形ドキュメンタリー国際映画祭2005」に個人映画作家として招待されシンポジウムに参加したこと、それから野々歩と由梨さんにわたしの孫のねむちゃんが生まれたこと、そうそう詩集を貰った詩人にインタビューするという「読詩アクション」というのも始めたこと、また茂木健一郎著『脳とクオリア』を読んだこと、mixiに入ったこと、などが主だったことといえます。詩集を出そうと思ったのでしたが、500行程書こうと思いながら書けませんでした。これは是非とも来年実現したいと思います。
来年といえば、3月に定年退職になりますが、映像演劇学科の主催でわたしの映像作品を5日間掛けて上映して下さるそうです。最後には、卒業生を集めて同窓会的パーティをやるということです。わたしの生涯のうちの多摩美のクールが一応終わるというわけですね。多摩美にはあと1年客員教授ということで一つ「ドキュメンタリー映画論」という講座を持ちます。イメージフォーラム付属映像研究所の講師は続けます。「詩人・映像作家」という肩書きで、その他非常勤講師もやれたらやります。多摩美で付き合っていた20歳前後の若い人たちとの付き合いがちょっと少なくなるのは寂しいですね。
先日、mixiで多摩美の卒業生の平竹君が今年見た映画のベストテンを書いていましたが、わたしはその中の一本も見てませんでした。劇場で見た映画はイメージフォーラムが主催した「韓国インデペンデント映画2005」で見た何本かの作品と「山形ドキュメンタリー国際映画祭2005」で見た何本かだけだった。商業ペースでつくられる映画を作る人たちに関心を引く人がいないということもあります。しかし、学生が作る映画はかなり見てます。多摩美と、イメージフォーラム付属映像研究所と、早稲田芸術学校の作品を合わせると200本は越えるように思います。その中で、早稲田芸術学校の 中根幸子さんの「カロパスカ!」には驚きました。全編ギリシャ語!日本語字幕つき、ダイナマイトを使う復活祭シーン、密輸取引、隠れ家生活などがあるマフィアものを、ギリシャ人の素人を使って、そつなく纏めた作品で、一人でギリシャにロケして撮ったということを聞いて驚いたのです。時代が変わったという印象を強く感じました。これは、フィギュアスケートの選手たちにも、若い女子ゴルファーたちにも、同様の印象を与えられます。先日テレビに浅田真央選手が出ていて、1日10時間ほど練習して、お母さんが送り迎えするので、電車の切符の買い方を知らないといっていましたが、子どもの育て方の差が歴然としてきたということでしょうか。まあ、片一方には、母親や父親に食べ物も与えられないで殺されてしまう子の存在が新聞の報道にありました。
その家庭ということが問題になる。わたしが見た200本余り作品の中の多くの作品は、作者自身が登場し、両親との関係、又は自分の家庭の中での位置を探るという内容が語られるものでした。多摩美の卒業作品、佃絵梨子さんの『つたえる話』は、自分の父親が実の父親には違いないが、戸籍を辿っていくと父親ではなかったということが判明するところを語り出す作品になっている。母が離婚した自分の父は在日韓国人二世なのだが、自分と父との関係を調べていくと、父が母と結婚したことを韓国の戸籍に登録してなかったために、父親は韓国籍では結婚もしてないことになっていて、自分たちの存在はない、というのです。自分の身体のかなには父の韓国人の血が流れているのに、韓国籍上では父親ではないことになり、日本で父は母は離婚して自分は母といるので、自分の中の韓国は存在を証明できないことになってしまい、彼女は割り切れないまま生きていくことになる、というわけです。生身と制度との矛盾ということでしょうね。家庭の問題は、制度が男女関係の現実に適合できなくなっていること、家庭を商品戦略の対象に置く市場社会の激変の中で、人の生身が露出してきているのですね。生身を生み出し、生身を維持して行くべき家庭のイメージが、だたひたすら受け身の体勢に置かれているというのが問題だと思います。
わたし自身の1年を振り返るというところから離れてしまいました。ブレヒトという存在はまだよく分からないことのままです。シアターXで『母アンナFとその子供たち』の公演に関わってから、今年東京で上演されたブレヒトの劇を6つも見ました。そして関連する本を2、3冊読みました。日本ではブレヒトは人気があるのですね。ブレヒトは「民衆という存在」が抱えている様々な問題を勧善懲悪的にかなり明快に描き出して見せるからでしょうか。『セチュアンの善人』は本で読んだのですが、「民衆」が抱えた「善」と「悪」とを巧みに描き出していました。ただ、その「民衆」というのが「貧しい人」、又は「財なき人」と固定されているように思いました。暮れに、一民さんに勧められて、H・アレントのブレヒト批判の文章を読みましたが、その中に革命家たちは貧しい人たちへの同情という善意から出発するが、「善でなくある」ことが求められる、というようなことが書いてあった。「善の実現」というようなことは、わたしは余り考えたことがなかったと、自分で思ったのでした。そういえば、見せるものとしてある「演劇」も「映画」もみな「善」と「悪」のスペクタクルですよね。そんなことに今更気がついたというわけです。わたしは教師として精一杯やっているから「善」といえるのか。でも、「大学教員」という身分は結構「悪」なんじゃないの、っていう気もする。
あと、クオリアと表現の問題は考えたいですね。それにはもっと茂木健一郎さん本を読んでみたい。認知ということ、ニューロンの発火、表現することって気持ちがいい、それはニューロンとどういう関係なのか、などなど、面白そうですね。脳はニューロンの繋がりの発火を、脳の外へと発射する、それが別の脳と繋がるのではないか。それが、形としてインターネットになる、そんな位置でblogを考えると、これも面白いように思える、というわけです。
結構沢山書いた。では、皆さん、よいお年をお迎え下さい。
![]() 自分で撮った。 |
昨日は急に風邪に罹った。新宿のヨドバシの雑踏から帰ってカレーを作り始めたら、熱が出てきて、馬鈴薯を洗う水道の水が腹に応えると思っているうちに、立っているのも辛くなって、熱を測ったら36.8度。ベッドに入って暫く経って計ると37.2度になっていた。わたしは熱に弱い。カレーは麻理が作ってくれたが、わたしは一口食べるのがやっとだった。しかし、薬を飲んで寝ていたら、夜の11時頃には熱が下がって、「灰皿町blog日記」を書くことができた。「灰皿町blog日記」は一日たりとも休みたくない。
今日、29日は昨日やるはずだった年賀状を作った。2006年の年賀状には、今まで余り書いたことない文章を書いた。来年は定年退職で区切りの年になる。ざっくばらんの感想として、人生という考えがどうもなじめない。今年の5月頃、つまり70歳になったときに、自分の人生を詩に書いてみようと、書肆山田の一民さんに言ってしまってから、ずっと考えてきた。最近は、「わたしは日本の人口の数値の一個数として存在してるわけ」というところまで考えた。日本国では、生まれる人間の数より死ぬ人間の数の方が多くなって、一年で一万人減ったと新聞に出でていた。一人一人の存在が個数の寄せ集めとして国の勢いを語るという考えが語られる。人を数えるって、数えられる人々より上の方に位置しなければならない。その位置で政策というものが考えられる。わたしは「生めよ増やせよ」の政策下で生まれたようなものだ。ちなみに、わたしは昭和10年生まれで、わたしの「1」が加わった日本の人口は126,925,843人(昭和12年国勢調査)。そんなことは意識せずに、受験とか入社とか稼ぎとかを知らず知らずに力を入れて渡ってきた気がする。それが国の勢いを作ってきたのだ。もう力の働く社会じゃなくなってきた。9月に「アップリンク・ファクトリー」で若い人たちの芝居を見て、ああ、もうノリの時代じゃなくなったなあと思った。
静かな気分で。喚くのではなく、黙って行動する。それって、どういうことになるの? 分からないけど気分がいい。