![]() 庭に咲いたすずらんの花 |
![]() たった一輪のバラの花 |
6月24日と25日を、多摩美映像演劇学科の「表現活動FT」という授業の、今年からわたしと海老塚さんが担当することになった「Bコース」の企画発表日にした。このコースを選んだ学生の希望は映像作品が作りたい、写真をやりたい、小説を書きたい、空間インスタレーションがやりたい、アニメーションがやりやいなどなどいろいろだ。そのやりたいことの実現に向かって出来るだけ相談に乗ってやることにしている。わたしは映像作品も作っているし、写真展もやっているし、詩も書いているし、小説も書いたことあるし、海老塚さんは空間に展示するというのはお手の物、というわけで、学生の創作に何か示唆できるだろうというわけ。そのために、個人的に、またはグループで面談して話し合うことにしている。授業時間は、月曜日と火曜日の合わせて4コマだが、それではとても時間が足りないので、このところ、毎日のように学校に行って、予約した時間に合わせて学生と話し合っている。
やりたいことがはっきりしている学生は、どんどん自分の表現に向かって進んで行くが、漠然と映像作品を作りたいと思っているが、内容が決められないという者もいて、そういう学生とは話し合いながら内容を詰めていくことにしている。更に、何かやりたいけど、何をやるのが自分に一番向いているか分からなくなっているという学生もいる。その事情はいろいろとか異なるから、今まで自分が得意なこととしてやってきたことをじっくりと聞いて、出来ることから表現を探すという話し合いをすることもある。場合によっては、いきなりやることを指示してしまうこともある。K.S君の場合、コース選択用紙の理由欄に「キネカリ」と四文字だけが書かれていたが、話を聞いて見るとそうでもない。しかし、K.S君は一つことに集中してやれる人と、わたしは見ていたので、手探りでその集中できることを探せればいいと思った。カメラを持っているかと聞いたら、父親が結婚したときに贈られて殆ど使ってないニコンが家にあるというので、それで明日学校に来る前に、家の近くに生えている草をどういう撮り方でもいいから撮って、夜の授業までに現像して密着プリントを持って来るように言ったのだった。明くる日、言われたように持ってきた密着プリントを見て驚いた。それまで意識して写真を撮ったことないと言っていたが、その通り、ファインダーの中の草の葉に当たってる光線を求めて、殆ど当てずっぽうにシャッターを切った写真は、草の葉の鋭い輪郭線を捉えたものとか、光芒をそのまま捉えたものとかがあって、すごく綺麗だった。そういうと、自信がなさそうに笑っていたが、さらに数本のフィルムを翌週までに撮ってくるように言うと、これがまた前の写真以上によかったので、その中から数枚の写真を大きく引き伸ばすように言った。その伸ばした写真を見て、K.S君はもっと沢山撮って、その写真をコマ撮りで撮影した映像作品を作ろうと思うようになったところまで、現在、来ている。その映像作品がどういうものになるか、わたしはわくわくした気持ちで期待している。
先日、今年の三月に卒業して、四国の寒村の農協に就職したと聞いていた菊池史香さんから、この「曲腰徒歩新聞」を見て
、懐かしくなったとメールが来た。四国から東京の美大を出て、また四国に戻って就職したという彼女のメールは、彼女の人柄を伝えてほのぼのとしたものを感じさせられた。実はわたしは彼女の入学試験の時の面接をしたのだったが、その時、彼女は四国公演の劇団のスタッフの熱の入った働きぶりを見て、舞台美術をやりたいと思って入学を希望したと話していたのを覚えている。しかし、入学してからは映像作品をグループ制作して、そのグループを彼女の郷里の四国に連れて行ってロケをして、自然が横溢する作品になって、わたしはいいなあと思っていた。メールを公開してもいいかと聞いたら、いいというので紹介します。
志郎康先生、お久しぶりです。菊池です。この春、多摩美を卒業した、あの菊池です。この日記を見る限り、お元気そうですね。学校を卒業してから早、二か月が経としている今日、久しぶりに先生のホームページでも読んでみようかと思って、それから、メールでもしてみようかと思って今に至っています。四国の山の中に行って「芸術」を考えるというのがいいですね。昨年「越後妻有アートトリエンナーレ2003」に行って、農村の山や田んぼに置かれている芸術作品を沢山見たので、それと考え合わせて、若い菊池さんの感性が生かされた表現がいろいろと生まれてくるんだろうなという気がする。
先生、学校の方はどうですか。面白い作品と出会えそうですか。やはり毎日、楽しい発見があるのでしょうか。
私のことを少し書きます。私は、卒業式が終わって直に東京を離れ、高知へ引っ越しました。高知とはいっても実家のある西の中村市ではなく、東の安芸郡馬路(うまじ)村という小さな小さな村にいます。実家からは4、5時間かかるので、高知へ帰ってきたという感覚は全くありません。この馬路村は柚子と魚梁瀬杉で有名な人口1200人の、ちょうど、上野毛校舎くらいの人数の山間の村です。コンビニも塾も電車も美容室も本屋も衣料品屋も電気屋も高校もありません。夕方6時に閉まるAコープが唯一のスーパーです。車で40分、川沿いの道をくねくね下った所に少しひらけた、安芸市という街があります。
そんな村で私は何をしているのかというと、馬路村農協の職員として働いています。小さな村の農協には間違いないのですが、全国各地に20万人もの顧客を抱える通信販売もしています。おかげで、村民1200人中、約70人もの雇用を確保できているという現実や、村には村のやりかたがある!という強気の姿勢で、単独自立宣言をし市町村合併もしない道をどうどうと歩む姿、農協を軸とした街おこしを展開させている村を見に、全国各地から多くの視察バスが訪れ、財政難や少子高齢化の叫ばれるこの世の中で馬路村はどうしてそんなに元気なのか、という取材や問い合わせの殺到している村です。そんな中、村民はいたって穏やかに、そんな評判はまるで他人のことのように思って暮らしているのです。
そして、なぜ私は馬路に来たのか、ですが、おおまかにいうと「芸術」という事を考えたかったから。とてもチープな表現ですが、やはりこれからは地方の時代じゃないかといわれている世の中で、それが具体的にどうゆう事なのか、どう進んで行くべきなのか、その時「芸術」という哲学がどうやって在るのか、という事を探ってみたくて、もしかしたら小さな村が都会に向かって発信しているこの大きなエネルギーが何か深く繋がっているのかもしれない、などと全く具体性を持たぬまま、可能性だけを抱いてふらふらふらふらしていた時に、ちょうど、馬路農協職員募集の情報を耳に入れ、受験してみたところ、美大というのが珍しかったのかなんなのか、運良く合格してしまい、今に至っている次第です。どう?おめでたいでしょ。
それで主な仕事内容は村の新聞を作ったり、チラシや箱のデザインをしたりと、まぁ、それなりに美大卒のような事をまかされたりして、楽しくすごしています。時には農協の職員らしく、村中の農家を回って稲や苗を配ったり、共済の保険の勧誘に夜、家を訪ねていったり。村の人にもすっかり顔を覚えられ、会う人あう人と挨拶を交わす、そんな日々です。この前青年団で餅をついた時、私は金魚屋の係だったのですが、次の日から子供たちには「金魚やのおばちゃん」と呼ばれて人気も上がってきています。
書いたら切りがないくらいにこんな出来事が沢山あって、少し書くつもりが一気にながくなっていて、まぁ、とにかく、元気でやっていますので、皆様にもよろしくお伝え下さい、気が向けば村にも遊びにお越し下さい、ということでした。おやすみなさい。
![]() 庭に咲いた芍薬の花 |
![]() 庭に咲いた芍薬の花アップ |
去年、大輪を三つも咲かせた牡丹が今年は一輪も咲かなかった。代わりに去年咲かなかった芍薬の花が一つ開いた。茎が細いので花を支えられるか心配で支えをつけたが、5日の雨では首を垂れていた。
一週続いた連休も終わった。その連休の間、わたしは「イメージフォーラム・フェスティバル2004」が開催されていた西新宿の「パークタワーホール」に殆ど連日、脚が痛いのでタクシーで通って、一日に2プログラムか、3プログラム見た。今年は「特集」にイギリスの60年代の実験映画が組まれていて、かなりの作品を見た。日本でも、60年代から70年代に掛けて「アンダーグラウンド映画」と呼ばれて、同じような作品が作られていた。アメリカからの影響をまともに受けて作られるようになったのだったが、イギリスでも同じようなことが起こっていたわけ。産業としての映画とは違う映画だ。でも、16ミリフィルムの作品が多く、お金のかけ方は日本よりも裕福だったのだという印象を受けた。多様なところと思いっきりの良さは似ている。そして、自由にやっていたという印象が強かった。わたしも60年代から映画を作り始めたが、あのころは今よりももっと自由な気持ちだった。自分がお金を出して作るんだから、やりたいように自由にやった方がいい。その気持ちを改めて思い出した。特に、ヒルサイドプラザで見たマルチスクリーンの作品とか、ディヴィッド・ラーチャーという人の「メアズ・テール(MARE'S TAIL)」という143分の作品にはそういう自由感が横溢していた。
奥山順市さんの作品は一つのスクリーンに左右の目で別々に見る映像が上映され、眼球を動かして二つの映像を重ねると立体になるという、裸眼で見る3D実験映画で、「OMEGA HERO ME」という題だった。映画が始まると、左右の目の見方の説明があるが、その通りにしても、わたしには飛び出してくるイメージは見えなかった。「おめめが疲労」で終わってしまった。かわなかのぶひろさんの作品「酔中日記」はこの数年間日常的にとり続けてきた「映像」の中から、人の顔に絞って、過去を語るという作品だった。膨大な数の人の顔が出てくる。かわなかさんの付き合いの広さに依るが、それが「関係の束」となって迫ってくる、都市という空間の中でのそういう人間のあり方が露わになってくるところが面白かった。中島崇さんの「公園に来る人々」は、犬の散歩で来る人もいるが、ジョギングする人たち、モデル撮影会に来る人たち、就職のための待ち合わせに来る人たちもいる。そういう人たちを淡々と撮っているように見せて、仕掛けを入れて、実はエピソードをでっち上げていくというもの。物語性ということの批判的展開を試みている作品と見た。大賞受賞作品は、文学を映像でやろうとしていると思わせるもので、20、30代に小説を読みまくったわたしには「文学」は通り過ぎてきたものという感じがするが、若い人には文学が珍しいものに感じられるのだろうな、と思った。わたしの作品の上映が終わった後に、見知らぬ数人の若い人から「よかった」と声を掛けられたのが嬉しかった。
7 日の夕方からイメージフォーラムのシネマテークで、フェスティバルの東京・横浜会場のクロージングパーティーがあって、出品作家や「ヤング・パースペクティヴ」出品作家たちが集まった。2,3の人以外は、殆ど初対面だった。どうもわたしは見知らぬ人たちと気軽に話せない。で、言葉は交わしたことはないが、今回一つのプログラムで、新作旧作を含めて8作品が上映され、その作品を見た五島一浩さんのところに行って、作品の感想を述べていろいろと話をした。五島さんの作品は3DCGを使って、モノクロで都市空間を作り出して、そこに生きる人間の孤独感を描き出したもので、「FADE into WHITE #2」が「イメージフォーラム・フェスティバル2001」で大賞を受賞している。今回の8作品の中に、学生時代に作ったという8ミリフィルムの作品「snap」があって、家が建て込んだ狭い路地で若い男がテニスボールを手品風に弄ぶというものだった。それは実写の作品だったが、それが原型になって、3DCGの作品に発展していったというように思った。先ずはそのことを話して、それからいろいろと質問したり、自分のコンピュータ好きを自慢したりしたのだった。
わたしとしては、どういうソフトを使っているのかというところに関心があったので、聞いてみると、「STRATA 3D Pro」を使っているということだった。作品は大体10分から20分ぐらいの長さだが、一つの作品を作るのに1日18時間ぐらい掛けて2ヶ月は掛かるという。やはり、CG作品は時間と労力が要るのだ。それから、作品には必ずボールが出てくることや、階段を地下へ地下へと下りていくシーンが印象的だったなどを話した。五島さんは都市の地下に興味があるということだった。わたしも地下鉄が好きなので、何か気心が通じるような感じもあった。そして、ボールが弾むとか、手の中で消えるとか、という話をしていて、わたし自身最近興味を抱くようになった「波動」から、わたしもよく分からない「量子力学」についてちらっと触れたら、それにも応じてくれて、若いCGを使う映像作家って、そういうことも考えているんだと、改めて感心した。
今年の「イメージフォーラム・フェスティバル2004」の日本の作家の作品では、フィルム作品はほぼ5分の1で、ビデオ作品が多かった。そして、わたしを始めとしてビデオの編集にはコンピュータが使われている。コンピュータの普及から言って、当たり前と言えば当たり前だが、その辺りの映像とコンピュータの関係が気になるところ、と思えてくるのですね。