![]() 今年も薦田さんから贈られた朝顔 |
5日に二子玉川で転んでから10日経った。病院では、歳を取っていると後からじわっと脳内に出血するっていうこともあるといわれたが、現在時点で何ともないので、9日の診察ではもう少し様子見と言うことだったが、もう異常なし、と勝手に思っている。でも、膝も痛いので、12日、13日の映像演劇学科の「FT前期発表会」には、タクシーで行った。
病院も多摩美の近くだったから、10日間で5回も同じ方向に向かってタクシーに乗った。代々木上原から上野毛まで乗ると、行き方によっては1000円近くの差が出ることが分かって、乗るたびに運転手さんに問いかけて最短距離を探ったみた。地図で見ると、代々木上原から茶沢通りで三軒茶屋に出て、国道246を駒沢公園通りを左折して、駒沢通りに出て、環八の交差したところが多摩美上野毛キャンパスだ。すんなり、すいすい行くと3000円余り。ところが、246はよく渋滞する。で、246を避けるとなると、どこで環七を渡るかということになり、淡島通りの若林陸橋か、駒沢通りの駒沢陸橋かということになる。
以前は、分かりやすい行き方として、代々木上原から山手通りに出て、アートコーヒー前で右折して野沢通りには入り、蛇崩れから、駒沢通りに出て、環七を駒沢陸橋で潜ってまっすぐに行くという行き方だった。しかし、これは一番遠い道順で4000円も掛かる。運転手さんに聞くと、淡島通りで若林陸橋を渡り、世田谷区役所のところから世田谷通りに出て駒沢公園通りに出た方が近いということだった。わたしとしては、世田谷区役所は遠いところにあって、そんな方まで行っちゃうのか、という気持ちだったが、言うとおりに行って貰った。ところが、若林陸橋が工事中で、昼頃なのに、淡島通りが、滅多にないというが、渋滞していた。仕方なく、車がぎっしり詰まった環七に入り、のろのろ運転で、駒留陸橋下の六差路から弦巻三丁目の交差点まで行って、左折して桜新町に出て、深沢八丁目で246を渡り、日体大の脇で駒沢通りにでるということになってしまった。これだと3500円を越えた料金だった。こちらの方が近いことは確かのようだ。地図を見ると、向天神橋で左折していれば駒沢公園通りに行けたのに、それがわたしには分からなかったのだ。でも、弦巻三丁目辺りを走って、webネットでお付き合いしている詩人の清水鱗造さんはこの辺に住んでいるんだろうな、などと思ったりしていた。
「FT前期発表会」には、2、3年生のインスタレーション作品、映像作品、上演作品、写真作品、展示作品と、合わせて40作品が発表された。展示作品の中には、5つの小説と漫画本や絵本があった。わたしは12日に16本の映像作品と写真など展示されているものを見て、13日に上演作品とインスタレーションなど作品を見て、連日午後の2時から夜の10時頃まで掛けて全部の作品を見た。今年から、この発表会を運営する「プロデュースコース」の発案で、「交流プログラム」ということで上映や上演が終わった後、教員や非常勤講師やゲストとして招かれた先輩が批評をするということも行われ、それにはわたしも加わった。ちょうど、造形表現学部の「オープンキャンパス」に合わせての発表会だったので、高校生やその父兄など見に来た人も多く、上映会では補助席を用意しなければならなかった。作品自体も、わたしには見応えのあるものが沢山あった。
わたしにとっての見応えというのは、作品の完成度ということではなく、発想が独創的で、素材に迫る力を持っていたということなのだ。中でも、印象に残った作品は、映像作品では福村桃子「乳房の丘で夕日がみたい」(8ミリ)、佃絵梨子「よごれ足りない手」(8ミリ)、小林由美子「正太郎」(16ミリ)、井上弥那子「金狼神(アニュビス)」(16ミリ)、インスタレーションでは寳樂圭「感じるプリン」、小説では田中友海「海へ行くつもりじゃなかった」だった。
福村桃子さんと佃絵梨子さんの作品は、共に離婚した両親を扱っていた。福村桃子さんは、両親が離婚して一緒に住んでいた家を売って別々に暮らしている現在、自分が嘗て育って今は他人が住んでいる家にこだわって、その家を撮影し、子どもの頃撮った8ミリビデオの映像と重ねて作品にしていた。疑いもなく暮らしていた小学生の頃の自分の姿が、他人が住んでいる家にカットされて映し出される。佃絵梨子さんは、母親が離婚後も父と住んでいた家から引っ越していくところを主に撮影して、いわば崩壊していく家族の中で、娘の自分と両親の関係を問いかけるという形で作品にしていた。子どもにとっては永遠である筈の関係がそうでなくなったとき、自分をどう位置づけるかということが切実に伝わってくるのだった。
小林由美子さんの作品は、農家の跡取り問題と自分の若い男の子を求める気持ちを重ねて語る作品で、廃墟となった農家の映像、自分の家の座敷や廊下の映像、そしてウエディングドレスを着た作者自身が高校生、中学生、小学生、幼稚園児に向かって次々に求婚して追い回す映像で展開していくのだった。わたしには、若い女性の心の奥に潜む子孫を残そうという生殖本能の素直な現れと感じられた。こういう小林さんの作品に出会うと、いきなり生命の深いところに引き込まれる感じになる。
井上弥那子さんの作品は、自分が小さいときから一緒に育てられてきた飼い犬が、父親の高価な子犬を飼育するという意向で、老いているために処理されることになったということ聞いて、動物愛護センターで処理される犬の実情を見に行き、愛犬の死に、冥福を祈るという作品だった。愛護センターの犬舎で蹲って処理を待つ犬たちの姿が、作者の思いの籠もった撮影によって、強い印象を与えるシーンになっていた。
寳樂圭君の「感じるプリン」は、四方鏡の部屋の中に置かれた100個のプリンが、ウーファーの低周波音でプルプルと震えるというもの。田中友海さんの「海へ行くつもりじゃなかった」は、海浜のホテルの一室で、夜明け前にセックスをして、その後、夜が明けていく砂浜に出て行くところを、女性が自分の内面を見つめる視線で描いた短編だった。その瑞々しい文章に、心を打たれた。
さていよいよ夏休みにはいるが、この8月21日22日には、共同研究の「自来也」の公演があるので、わたしは連日上野毛キャンパス通いになる。
![]() 終わりが近いあじさいの花 |
それがですね、最近は、書くことがどんどん身近なことになっていって、人が読んでも興味ないことだろうな、と思い、どう説明するか、書くのがむずかしいという気になっているんですね。
まだ「中野クリーム上映会」で見た門脇君の作品から抜けられないでいる。あそこで流された「終戦ノ詔書」の最後は
「神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」となっているんですが、この「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」が、参議院選が始まって、現在も生きているように思えて、力が抜けていくように感じてしまう。「国なんか、 何でえ。個人個人が第一なんだ」と思ってきた意識が、思い込みというものだったのかしら、なんて気になってしまう。わたしとしてはやばいんですよ。「個人的な詩」「個人映画」っていうのをずっとやってきたんですから。で、あの蒸し暑い会場に仲間の作品を見ようと6、70人も集まっているのはいいなあ、と思った。知人や友人であっても、人が集まるのは「映像という現象自体」が彼らにとってリアルだからではないか、と思った。
![]() 加納豊美著「舞台衣装の仕事」 |
私は、コンセプトが見つからないとデザイン作業に移れません。と書いてあった。「リアリティ」についての詳しい説明は「リアリティ探し」という章で語られたいるが、「リアリティ」の土台になるところを自分を取り囲む客観的な現実に求めるのではなく、自分という存在に求めるという考え方をしている。自分にとって「手ごたえのある、つかみ所のある手触り感のある何か。つまり実感できる何か」ということですね。確かに、「中野クリーム上映会」にはそういうものがあった。クソ蒸し暑いところに6,70人も集まったということには実感はあったが、ではそこで上映された作品に「実感」があったかというと、それはちょっと疑問だ、と言いたい。というのは、わたしには、見てから数日してもう内容を思い出せない作品がいくつもあったからだ。しかし、わたしにとって門脇君の「続・戦争」がリアルだったというのも、わたしに小学生の時の戦災と終戦の記憶があって、クソ蒸し暑い会場で見ることになったということで、作品の内容に感心したと言うわけではない。いや、そう簡単に、作品の内容を飛ばしていけない。とにかく、戦災と終戦を思い出させるものはあったのだから。そして、わたしが忘れてしまった作品でも、誰かの記憶に鮮明に残ったということもあり得る。こう考えると、加納さんが述べているのは、作り手にとっての「リアリティ」のあり方についてで、見る方つまり受け手にとっての「リアリティ」はまた別のことかも知れない。「中野クリーム上映会」には、受け手としてのわたしには「リアリティ」があった。それは、あそこに集まった作者たちが自分たちの作品を見せたいという気持ちが収斂したところに生まれた「実感」だったといえよう。
デザイン作業の後には、デザイン画という紙切れが実物化され、 俳優の肉体を包み、演劇となるまでを見届ける作業があります。
なぜこの演劇の創造に私が関わり、どこに向かって創ろうとする のかという「私の熱い意識」が私には必要です。
「熟い意講」、つまり「なぜやるのか」というコンセプトをつか む作業、これを「衣裳プラン」と呼ぶことにします。
コンセプトに対してリアリティーを持った衣服の造形を決定する 作業を「衣裳デザイン」と呼ぶことにします。
その後の作業は「実物化」と呼ぶことにします。
(1)衣裳プランが生まれるところ
創造の現場で頻繁に使われる言葉に「コンセプト」や「リアリ ティー」があります。演劇の世界でもそうです。今も使ったばかり ですね。
非常に傲慢な感覚であることを自認しつつ言い放てば、「私が実 感できること、私が納得できること」それが私にとっての「コンセ プト」であり「リアリティー」の土台です。いずれも私という人間 の固有な経験と知溝と感覚から生まれてくるものだからです。手ご たえのある、つかみ所のある手触り感のある何か。つまり実感できる何かです。生きていることの総体をひきうけるような感覚です。
自分自身の感受性が主体となり、同時にそれを客観視する理性が 一方にあれば素晴らしい状態です。それを私は常に求めています。
○ じゃあ、その「リアル」をどう考えて行けばいいのかということは問題になる。リアルって、先ず作者の側からいうと、「実感でき、納得する」ということは、そこに生きているということ、つまり「何を現実と捉える」ということではないか。これは、作り手にとっての「現実」というものを単純に分けてみたに過ぎない。ここにあげたことを元に作品にして、受け手に圧倒的な「リアリティを感じさせる」ためには、それを「実感でき、納得する」ところまで持って行かなければならないわけ。つまり、わたしにとってリアルだった、そうそう出会えないクソ暑かった「中野光座」のようなものを作品自体が実現しなければならないのだ。役者が稽古するのは他の者が出来ないことをやってみせるためだ。詩人がことばについての感性を磨くのは、他の者には書けないことばを書くためだ。他の者ができないことをやったとき、作り手は「実感でき、納得する」のだ。この「他の者ができないことをやる」という話しになったとき、学生たちは驚くほど熱心に聞いてくれた。
それは、
1, 作者が生きている現実 → 日常性
2. 作者が選んだ内容となる素材 → 歴史とか、物語とか、オブジェとか、非日常のこと
3. 作者が選んだ事物としての媒体 → 言葉、フィルム、舞台
というように考えられないか。そのどれに自分が生きる重点を置くかで、作品の内容とスタイルが決まってくる。実験映画とストーリー映画の違いなど。
○ 作品の受け手にとっての「リアリティということ」は、受け手自身が「感受」出来るものの上に成立する。「事物としての媒体」ということを感受できないと、ストーリーのないイメージ主体の映像作品などは理解されない。