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2004年2月29日 水仙と椿の花が咲いた。

水仙の花
 水仙の花
椿の花
 椿の花

 今、新作の映像作品『極私的に臨界2003』の編集の真っ最中。PowerBookG4は快適に動いている。「Final Cut Pro 4」の操作にも慣れてきて、全体の構成を五つのシーンに分けて、その一つ一つをそれぞれシーケンスで編集して、それをマスターのシーケンスに纏めるという方式を取っている。タイムライン上でファイルを重ねて、ペンツールを使って画像の「不透明度」を変えるだけで多重露光の効果が出せるのがいい。ファイルを入れ替えたりして、これをいろいろとやっているうちに、タイムラインのウインドウが突然消えて慌てたこともあったが、これも、「ウインドウの整頓」の「ウインドウレイアウトの復元」で即座に元に戻せた。ただ、PowerBookG4のディスプレイ画面が横長のせいか、わたしが接続しているソニーのDV-1000というデッキだと画像の両サイドがちょっと切られてしまうの気になる。でも、編集して、それが無事にテープに出せれば満足というところ。

 今度の作品の内容の半分はわたしの家の庭に咲いた花なので、昨年の庭の四季の変化を反芻するということになっている。冒頭は、昨年の一月の庭で、蔓に残っていた朝顔の種をしつっこく撮るカットにしたが、次にあじさいの芽から水仙の花へと展開する。その水仙の花が、今年はちょうど昨日から咲き始めた。外に出て、デジカメで撮影したら、そのすぐ脇に椿の花が咲いているの気が付いた。家の中からではよく見えなかった。そこで、椿の鉢をよく見えるところに移したが、ついでに枯れた蔦を切って朝顔の鉢を退けたり、小一時間あまり庭いじりをした。土のない庭だが、プランターや鉢植えを置いて、季節の花を楽しんでいる。毎日見る庭なので思い入れが重なるので、その思いも作品の中で語りたいと思うが、それが何処まで伝わるか、狭い個人の心の空間が無関係な他人に意味を持ち得るのか、というところまで持って行きたい。来週中に編集を終えて、次に語りと音楽をつける。多摩美の造形表現学部の入試が重なり、完成は三月の末になるでしょうね。

 この記事は、2月29日に書いてアップしようとしたら、Catnetのサーバーがダウンしていてアップできなかったので、アップするのは3月1日になってしまった。

2004年2月17日 新作映像作品『極私的に臨界2003』の編集を始める。

編集中のPowerBookG4
 今年は、PowerBookG4でFinal Cut Proを使う

 作品の題名に使った言葉が、昨年は「衰退」、今年は遂に「臨界」となった。「衰退」から「臨界」に来た、そんな気持ちです。わたしの全くの個人的な表現に対する思い入れにしか過ぎないけど、「臨界点に達したなあ」という思いが働くのです。昨年の今頃は「越後妻有アートトリエンナーレ」の「短編ビデオ・フェスティバル」の応募作品を見ながら、自分の「衰退いろいろ2002」を作っていた。わたしは国外国内から応募してきた400余りの全作品を見た。3週間余りで、この数に出会った。先ずはこの数が問題なのです。思いめぐらせば、この地球上で現在夥しい数の人が「映像表現」を行っているわけですね。わたしが昨年接したものだけでも、イメージフォーラム付属映像研究所や多摩美の映像演劇学科の学生たちの作品を合わせると、700を越える数になる。もっとも、30年前に「現代詩手帖」の投稿詩の選者をしていた時は、毎月600篇余りの詩を読んいた。当時は、送られてくる詩集にもかなり目を通していたから、詩は年間で10000篇以上は読んでいたことになるだろうか。数の上では当時読んでいた詩の数の方がずっと多いけど、その当時、多くの詩を読んだということと、最近多くの映像作品に接したということとは、わたしにと取って意味が違ってきた。ちなみに昨年読んだ詩は50にも満たないだろう。詩は余り読む気がしなくなったが、若い人たちの映像作品はもっと見たいと思う。詩は面白くないが、若い人たちが作る映像は面白い。もっともっと見たい。その見たい気持ちの中に、「今、のうのうと従来の表現をやっている連中はひっくり返されるぞ」という思いがもぞもぞと湧いてくる。そこが「極私的に臨界2004」なのです。実際、こう言っちゃ、差し障りがあるかもしれませんが、50代、40代、30代のおじさんおばさんの、保守化というか、退嬰現象というか、閉じられた自己中心主義はひどいものですね。60歳代は問題外です。わたしは今年69歳になります。わたし自身、勿論、当然問題外です。「臨界」じゃなく、「臨終」かもね。でも、そこを生き抜かなくては、という気持ちがあるんです。

 こう言い切ってしまって、わたしにとって二つにして一つの問題があります。その辺を考えてみたい。30年前の詩に対したときの意識と、今の映像作品対している意識とに違いある。投稿詩では選者として、選んでいた。「面白い、面白くない」「上手い、下手」「優れている、駄目な」等々のランクをつけて「入選落選」を決めていた。勿論、現在でも応募作品に対して自分なりに評価基準を作って「入選落選」を決めている。学生の作品に対しても評価する。実は、いずれにしろ「評価する者」の立場にないと、500も600もの作品にチャンスはなかなか持てませんし、そういうチャンスを自分から持とうとする人もいないでしょう。教員の中にも数が多すぎるとぼやいている人もいます。イメージフォーラム付属映像研究所と映像演劇学科の作品は公開されていますから、それを全部見れば200本余りの作品を見ることが出来ますが、敢えて見ようとする人は多分いないでしょう。わたしは、投稿詩は全部読むべきだ、学生の作品は全部見るべきだ、などという主張をしようとは決して思いません。見られようと見られまいと、また読まれようと読まれまいと、映像作品は無数に作られ、詩は無数に書かれている、ということですね。そこには「入選」とか「受賞」とかのベクトルは働いていますが、そういうことには関わりなく、作品は表現としてそこにあるということですね。入選を目指して作られた作品は入選しなかったら、作者から捨てられてしまうこともあるでしょう。しかし、作者とは関係なく作品は何らかの表現としてそこにあったということです。まあ、当たり前のことなんですが、その作品を受け止めるとなるとちょっと意味合いが変わって来るように思えます。一方では「評価基準」ということがあり、つまり表現には普遍性が求められるということであり、一方ではひたすら作られる、つまり表現の個別性があるということです。普遍性に目を向けると捨ててしまうわけですが、個別性に目を向けると、どんどん個人的事情に埋没して、表現の在処が見えなくなってくる。その表現の在処が見えなくなってくる境界が、わたしには面白いということです。詩という言語表現だとその境界の辺りにはなかなか立ち会えないのですが、映像作品だと、まざまざと立ち会わされてしまう。見慣れてないと、訳が分からないただ眠くなる映像の連続が、作者にとって、現実との接点として捨てがたくそこにあるということなのですが、間違いなく作者はそこで生きていたということなんですね。そこに触れる。それを肯定しすると、「作品」という枠はばらばらと崩れてくる。「評価する自分」と「生きている自分」がそこでぶつかる。作品は必ずそういうところを持っていて、わたしの中にはそういう体験が積み重なってきているということなんですね。こういうところで、今年の作品は作ろうとしているわけです。

 言葉の表現ではどうしてそういう、わくわくしたところに立ち会うことが起こらないのか、それは考えてみなければなりませんね。でも、ここではそれはひとまず置くことにします。今回の作品はその臨界点という思い込みを持って、わたしの家の庭の風景と昨夏に何度か行った「越後妻有アートトリエンナーレ」で撮った映像をもとに纏めようと思っています。庭の主役は、詩人の薦田愛さんから戴いた朝顔で、それと海老塚耕一さんの彫刻の設置のシーンが主な内容になります。DVカメラで撮った60分テープが20本ほどあって、そこからPowerBookG4に繋いだHDDに取り込み、「Final Cut Pro 4」で編集しています。昨年までは、Windows2000 Proの「Premiere」で編集していたので、ちょっと勝手が違って戸惑っています。昨日、昨年の12月の多摩美上野毛キャンパスの銀杏の黄葉と卒制発表を準備する学生たちを撮ったテープから、「2003年上野毛キャンパス晩秋」という10分ほどの短編を、タイトル作成、スーパーインポーズ、ディゾルブ、ワイプなどのトランジション効果を使って、彼ら彼女らももう卒業かと、いささか感傷的になりながら編集してみました。「Final Cut Pro 4」を使いこなすところまでは行ってませんが、大きなトラブルがない限り、何とか出来そうです。新作「極私的に臨界2003」はイメージフォーラムフェスティバル」のエントリーをパスすれば、4月5月の連休に公開されます。ご期待下さい。



2004年2月7日 多摩美映像演劇学科の2003年度の発表会と授業が全部終わった。

上映会場入り口
 1年「表現基礎」企画制作発表会が終わっての記念撮影

 1月31日と2月1日の1年生の「企画制作」の作品発表会で、多摩美の映像演劇学科2003年度の発表会は全部終了して、3日の講評会で授業も全部終わった。卒制、2,3年生の発表会と合わせて、後期は116作品の発表があった。わたしはそれぞれだいたい2回見て、いろいろと考えさせられて面白かった。「企画制作」というのは、1年生の「表現基礎」という授業の締めくくりとして、73人を10班に分けて、それぞれの班が話し合って、映像作品を作るか、上演をするか、展示をするかを決めて、ほぼ一ヶ月半で制作するという演習で、互いに競って作品作りに励むことになる。今年は、映像4作品、身体パフォーマンスが4つ、展示が2つだった。出来不出来はともかく、皆熱を入れてやるからその熱が伝わってくる。まだ作品制作の経験の浅い1年生なので、2,3年生の作品以上に、「表現意識」と「日常意識」の境目が薄く、そこに一層スリルを感じさせられた。そして、「日常意識」を「作品」という枠で囲って、表現を突き進めていった結果として、舞台上の仕草やイメージの中での演技に幼児退行的な側面が出てきているところに特色があった。これは、ちょっと飛躍するが、最近の理解を越えた少年の犯罪心理と通じるところがあるのではないかという気がしないでもなかった。この辺りのことも考えてみたいと思う。

 「僕を娘さんにください」(佐藤千穂、鷹野朋子、馬場 雅子、田谷野 歩 青山 寛)という題名の映像作品と「Drops-a ripple in drops-」というタイトルのダンスと映像のパフォーマンスに特にそういう傾向を感じた。「僕を娘さんにください」という題の意味はよく分からないが、作品の内容は、自分たちで憲法を作った「国家」というものに属しているという幻想を持った若者数人が共同生活してる一室の内部で起こったことをDVカメラで記録したという形を取っていた。一緒に食事したり、仮面を付けた者の前で輪になって踊ったり、布袋に入れた栗を床にぶちまけたり、憲法を唱えて一斉にテーブルをたたいたり、感情的になって言い争ったりするシーンが展開していく。一種異様な雰囲気と緊張感が画面から伝わってくる。これは何だろうと思いながら、途中解らなくなって眠気に誘われるところもあったが、最後までその解らなさの混沌とした中で引きずられて行く。制作者たちに聞くと、ウイクリーマンションを借りて、一週間実際に共同生活して撮影したということだった。時期も正月だったので、子どもに返ったような解放された気分だった、という話を聞いて、なるほどと思った。確かに、画面に映された彼らの姿は、何か目的に向かって共同生活をしているとは見えなかったし、遊び戯れているとも見えなかった。とにかく一緒にやっている、それがこどもが遊ぶ、またはこどもが感情的に言い争うという姿に見えた。カメラの前で何か一緒にやろうというというとき、「国家」に属すという仮の枠を作っても、その行為に限定された意味を求めてないから、即興的な行為に、無心に遊んでいた子どものころの行為や感情が出てくるということが、実験的に示されたというなのだろう。

 もう一つ、「Drops-a ripple in drops-」(神谷知里、福島千尋、大高絵理、辻村優子、阿部 彩香、相馬千春、権藤花子、溝口寛子)は、スタジオの天井から垂らした白い布で三方を囲ったアクティングエーリアで、床の白い布と背景にアニメーションなどのビデオ映像を映写して、3人の若い女性が身体パフォーマンスを行うというものだった。その一人は中央表面に向かって床に座り、大きな料理用のボウルを持って、泡立て具で生クリームをかき混ぜては嘗めている。後の二人は上手後方のソファで、一人は絵本を見て、一人は口紅を気にしている。最初は、ビデオ映像が背景に映写される。映像はアニメーションで、ブルーの地に白い線で浜辺の椰子の木が描かれて、その椰子の実が落ちて波にさらわれ、それが実写の高波にもまれて次いで漂う、というところで、身体パフォーマンスが始まる。口紅を気にしていた子が次々に他の女の子に抱きつき、跳ねとばされ、起きあがって両足をじたんだ踏むように踏み、それから3人で縄跳びの真似、ラジオ体操の真似と思われるアクションをしてダンスに移っていく。ダンスする3人に赤や青のまだらな映像が左右のプロジェクターから映写され、その後、背景の幕が開いて、床に敷き詰められたグリーンのカイワレの芽の背後から一条の光線が投射されて終わるという展開になっていた。椰子の実が波にもまれるというイメージの雰囲気の中で、若い女の子が足をばたつかせたり、縄跳びしたり、体操したりするところからダンスへと移っていくこのパフォーマンスを、わたしは子どもから成人になる過程にいる彼女たちの心の揺れ直裁に表現したものと受け止めたのだった。ボウルを抱えてクリームを泡立て、それを嘗めてみせる行為を、そのまま表現としてやってしまうというのに驚いたが、そして日常と表現の意識の境が薄さを改めて感じたが、足踏みや縄跳びや体操のアクションに彼女たちの幼児退行の現れをはっきりと見ることが出来た。やっていることが子供じみている、と切り捨てることは簡単だ。しかし、彼女たちの「表現して自分を見せたい」という気持ちの方を優先して受け止めると、いろいろなことが曖昧になっている現在の「表現」ということの現実がそこに露呈しているように思えてくる。人に見せる「芸術的表現」といえば、先ずはそれぞれの表現様式の形ということを意識するという考え方とは違い、表現したい気持ちが優先して、それに突き進むから、身体的記憶を辿っての幼児退行が起こったと言えよう。あらゆる表現には幼児性が潜んでいるいえるが、その幼児性が形式を勘案することなく、直截に露呈してくるというところに特色がある。日常と表現の境が薄くなって、形式が持つ力が弱くなっている。つまり、社会性が弱まって幼児性が露出してきている、というわけ。そして、その空間に出現したものが「偶然なオブジェ」として、まっさらな意味空間を生み出していたと言えよう。彼女たちの無償のアクションが、家に帰ってもイメージとして脳裏に浮かび上がってくるのだった。形を持たない身体行為はある意味で新鮮だった。その新鮮さを失わずに形というものを体得できれば独自な表現になると思う。飛躍した言い方をすれば、彼ら彼女らなりの「社会」を生み出さなければならない筈だ。

 実際、彼ら彼女らの表現の中には社会との接点を持とうとするものが出てきている。卒制の矢後君の「無限の自由」もそうだったが、1年生の作品では「たんざわ」(鈴木洋平、山本祐輔、阿部慎也、伊藤 文、田中裕貴子、武岡里実、河村若菜)という作品がそうしたものと受け止めることが出来た。ストーリーのある作品というと、面白さの受けを狙って、そのストーリーが荒唐無稽になりがちな作品が多い中で、「たんざわ」は現実に密着したところでストーリーを組み立てて行っている。主人公たちは、調理場で働く地味で積極性のない「たんざわ」と呼ばれる暗い男とその高校の同窓生たち。調理場で怒鳴られるたんざわ君が、クリスマス近い街の出て、ポラロイドカメラの街頭宣伝嬢に写真を撮って貰い、ゲームセンターでちょっと遊び、イラク派兵反対のキャンドルデモを横目に、同窓生の合コンに行く。そこで、一人張り切る同窓生山本から、自己紹介させられるが、隣の男が早稲田の学生というので、いじけてしまってはっきりとものも言えない。山本は会を盛り上げるが、たんざわはついて行けずに、終電が無くなると帰る。しかし、新宿駅は人が一杯で電車に乗れず、ホームに取り残さされるが、やがて、駅員にホームからも追い出される。合コンの女の子たちはカラオケで盛り上がるが、その雰囲気になじめない子もいる。早大生は怒って帰る。山本は地下街に跪いて謝るが、早大生は振り切って立ち去る。電車に乗り遅れたたんざわと山本ともう一人は、携帯で連絡を取り合って、人気無いシャッターを下ろした商店街を彷徨う。山本はどこかから見つけてきたマネキンの頭の髪の毛に火をつけて振り回し、蹴飛ばす。たんざわは山本に近づけず遠くから見ている。そして、たんざわと山本は、終夜営業の未来小説風の構造の漫画喫茶に行き、スパゲッティを食べたりして夜を明かし、早朝の新宿駅に行って、始発を待って電車に乗る。車窓から見える日の出、交錯する電車、というところで終わり、約一時間の作品だった。

 こういう風に文章で書くとわかりやすいストーリーに聞こえるが、実は、撮影は普通のストリー映画のカメラを固定してカットで切って行く撮影からしたら、全くのめちゃくちゃで、その場で演じている彼らが互いにカメラを交換して手持ち撮影し、また合コンの場面では、一台は手持ち、一台は置きぱなっしカメラで撮影するといった具合で、映画は三脚を立てて撮影するもの、手持ちでも狙いを定めて撮影して、やたらにパンしたり歩いたりはしないもの、と思っている人には、とても見続けることが出来ない代物だった。その上、DVの映像に8ミリフィルムで撮った映像が混合される。わたしも、始めのところでは、何がねらい目なのか解らない映像に苛立ったが、見続けているうちに、この映像で何処で連れて行かれるのかとスリルを感じるようになった。合コンで乗りに乗って歌う女の子の声と身体の生々しさや、シャッターが降りた商店街でマネキンの頭に火をつける悪ふざけの心理の生々しさにぞくぞくっと感じるものがあった。その生々しさは「社会」を見失っている生身の生々しさではないか。一方で、漫画喫茶の書棚の間の狭い通路で動き回り、汚らしくスパゲッティを食べ、見知らぬものとの視線のやりとりの無言のシーンでは、生々しさとは正反対の人間がたちまちのうちに抽象化されてしまう空間が出現していて、息をのむ思いにさせられた。ここでは、生身が視線に還元されてしまっている。怖い、という感じ。その後に、始発を待つ待合室のモノクロっぽい8ミリフィルムの長いワンカットのシーンが来て、電車に乗り車窓の日の出になって音楽は入ってくると、思わずじーんと来てしまった。若い制作者たちの、世の中に身体をぶつけたい気持ちが伝わってきたということ。わたしは、彼らのルーズで流動物的な映像でなければ、ここにある身体は描けなかっただろうと納得した。「撮影の違反」によってようやく現実の表面に触れられたということか。それにしても、その「違反の意志」が感じられない。だらだらと続く映像は見づらい。何とかなんないものか。

 わたしは、12月の卒制発表会での上映・上演・展示の44作品、1月半ばの2、3年生の発表会での62作品、そして1月末の1年生の発表会での10作品と百を越えた作品を見た。映像、演劇、パフォーマンス、写真展示と20歳前後の若い人たちの多彩な表現に触れて、刺激されたり、作品の内容をどう受け止めるかということでいろいろ考えたりして、表現ということについて考え方を自分なりにちょっと進めることが出来た、という思いが残った。それは、感じとして、ふわっと身体が浮いているという感じですね。自分が思いこんできた表現というものが解体して行くのを感じて、不安ながらも気持ちがいい、と言えば言えますね。この実感は、なかなか解って貰えそうもないという気もします。

 解って貰えそうもないないなら、それでいいとちょっと居直って、最近のわたしの頭の中を言ったり来たりした言葉を辿ってみることにします。まずは、表現のあり方が限定されたメディアによる「一対多数」から「多数対多数」に移って行きつつあるということですね。卒制の発表会の運営では、「ジャッジメント委員会」というのが出来て、委員たちは発表会を見に来た人に入場するとき、直径15センチ位の、押すと点灯して音を出すプラスティックのスイッチを配り、作品を見終わった直ぐ後にジャッジメントタイムを儲け、アナウンスして面白くなかった作品に対してブーイングの代わりにスイッチを押して貰うことにしたのだった。実際にスイッチを押す人は少なかったが、制作者たちの直ぐに反応を見たい聞きたいという気持ちの端的な表れと思う。最近は、演劇の上演や映像の上映会などで入るときにアンケート用紙が配られることが多くなったが、もっと直接的に反応を求めようというわけだ。そして、若い人たちは実際アンケート用紙に実によく書き込んでる。これは、少数の権威のある批評家の反応ではなく、見に来た個々の人と接点を持とうという意識だ。つまり、表現する者の数が増え、彼らが一律な価値観による評価を求めるのでなく、多様な価値観に対する多様な評価を求めるということになってきたといえよう。勿論、メディアを介しての「一対多数」という関係はあるが、それが唯一ではなく「多数対多数」という関係が実質的に機能するようになってきたといえよう。作品は「多数対多数」の関係の中に位置づけられ、そこでは出会いが生まれることが求められている。作品は出会った瞬間に光る。夜空に多く星が光っているように、作品が出会いによって光っている。強く光るものもあるが、弱い光のものもある。また、直ぐ消えてしまうものもある。作品を作るということの意味もそこでは変わってくると思う。そういう変化が起こりつつあるのですね。





  















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