2004年12月1日から31日まで


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2004年12月31日 2004年は雪で終わりですね。

31日、大晦日の雪
 庭に積もった大晦日の雪

 昨日30日が晴れで、亀戸にある祖先の墓参りをした。毎年、兄の家にお歳暮を持って行って、四方山話をして、墓参りするというのが恒例になっている。お墓の日当たりの悪いところにはまだ一昨日の雪が残っていて、昨日その残雪を踏んで、今日の大晦日はまた雪になった。地震、津波のニュースを見続けてきて、東京では珍しい雪に見舞われた。台風の数も多かった。気流と地殻がちょっと変わった動きをしているのかも。何事も、変化というと直ぐに心が動いてしまう悪い癖がある。社会も、そういう変わり目が来ているのかも知れないですね。

 昨日、いよいよ清水鱗造さん「灰皿ネット」に「Minam-hatoba_1(Shirouyasu_Suzuki)」というブログを開いて貰いました。ログインして書き込んでクリック一つで日記がどんどん進んで行く、それを誰でも読めるというのですから、自分がすけすけになっていくわけですね。でも、この「日記」は日記とは云っても事実を書くかどうか当人の考え一つですから、連続小説にしてもいいわけです。昨夜、開設したら、次々に書きたい気持ちが湧いてくるのですね。妙な感じです。まあ、見に行って下さい。

 さて、今年も終わりです。もう数時間したらやって来る来年もよろしく。皆さんの来年がよい年でありますように。





2004年12月30日 東京は初雪、そして今年も終わります。

30日、東京は初雪
 年の瀬の初雪

 29日、東京は初雪でした。目が覚めた9時頃はまだ積もってなかったけど、昼近くには屋根や樹木は白くなった。外には出ないで、窓から降る雪をDVカメラで撮影した。窓の外は雪、室内では下着一枚でストレッチ体操という自分の姿も撮影した。「灰皿ネット」のゲストブックを見ると、清水哲男さんが「どこにも出かける予定のない日の雪は嬉しい。もっと降れ(笑)。」なんて書き込んでいる。鱗造さんの「灰皿町富士見3の家」には世田谷の雪の眺めが載っていた。天候の挨拶をネット上ですることになったわけですね。わたしも、もっと降れ、と思い、雪の映像を撮った。共感するものがあったので、ちょっと気分がいい。テレビのニュースは多数の死者を出したインド洋巨大津波の被害を報じている。この初雪の景観を楽しむ安穏は、津波に襲われる前の人々の安穏と、安穏のということでは同じだったろうと思う。天災は何時来るかわからない。でも、それに備えようとも余り思わない。自分の人生がそれで終わるか、そこからまた別の人生が始まると覚悟しようと思う。そうそう、来年の5月で、わたしは70歳になります。70なんて20代では他人事でしたね。つまり、今のわたしはその他人事をやってるというわけです。

 今年、わたし自身のことで目新しかったことは、多摩美の共同研究で行った演劇「自来也」の台本制作から上演まで、結構身を入れて学生たちと付き合ったこと、それもあってのことか、卒制指導で演劇を二つも担当したこと、それからFlashを始めたこと、Web接続をヘルメットの女性の広告に吊られて「tepcoひかり」にしたことなどですね。演劇に関わったことで、多摩美での学生に取ってのわたしのイメージが変わって、1年生から「先生、Bolexのフィルムの詰め方、わかる?」といわれてしまった。もう25年前とはいえ、職業的に毎日16ミリ映画カメラにフィルムを詰めていたわたしだったのだが。わたしのことをてっきり演劇の教員だと思っていたというのだっだ。詩人ということでは、彼ら彼女らには通用しない。「先生って、詩も書いていたんだ」ということ。学生からじゃなくても、「詩を書いていますか」と聞かれる。そうですね、年に二つか三つ書いたくらいじゃ、詩人じゃないですね。来年は、もっと詩を書こうと思います。

 書いた当人を目の前にしなければ詩を読むことが出来ないという「詩意識」はまだ続いている。当人を目の前にすると、この人がこういう言葉を書くのかと感動してしまうが、当人が目の前にいないと、これは詩だ、で止まって、その言葉を通して作者に到達できないで、面白くない。詩集はまだ送られてくる。封を切って詩集を取り出して、読んでみると詩が印刷されていて、これは詩だ、で止まって先に行けない。つくずく「詩じゃない詩」が読みたいと思う。そんな感じいて、玉野真一君の映画を見て、彼のアクション映像から、「これは比喩を脱ぎ捨てた映像だ」と思った。そして、自分が詩を読めないのは詩の言葉が「比喩に汚れている」からだと勝手に結論した。じゃあ、比喩に汚れてない言葉をつかった詩をどうやって書くかとなると、今のところまだ解ってないのですね。

 こんなところで、わたしの2004年は暮れていきます。さっき、灰皿町の「ゲストブック」を見たら、清水鱗造さんが「志郎康さんのblog、明日にでも作っておきます」と書いていた。鱗造さんが「灰皿ネット」で使っているblogは「nucleus blog」。どんなことが出来るのちょっと楽しみ。「曲腰徒歩新聞」の他に「blog」もやるとなると、わたしは益々抽象的な存在になっていきますね。そういえば、多摩美の4年の竹内仁美さんが、「卒業したら、先生の死亡をどうやって知らせて貰えるのかしら」と云っていたけど、Webで日記を始めると、その日記が途絶えたところで死んだということになるわけですね。皆さん、今年もご愛読、ありがとうございました。来年もご愛読下さい。



2004年12月23日 映像演劇学科の卒制発表会も終わった。

冬の日差し
 部屋に差し込む冬の日差し

 映像演劇学科の卒制発表会「誰に会いに行く」は、12月3日から14日まで、吉祥寺の櫂スタジオ、西荻窪のWENZスタジオ、下北沢のシネマアートン、上野毛の多摩美上野毛キャンパス、横浜のBankArt1929の五カ所で上演、上映、展示があり、全部で41の作品が発表された。演劇が5、映像が14、展示が22、この展示にはモニターやプロジェクターを使って見せる映像が7つ含まれていた。わたしは、上演や上映時間に合わせて、毎日のようにそれぞれの会場を巡って、楽しい日々を過ごすことができた。わたしの指導担当は9作品だったが、締め切りギリギリまで作業をしている学生もいてはらはらさせられたが、全員が提出することができてほっとした。担当作品はそれぞれ2回見て、他の作品も全部見た。それぞれの作品を見る度に、刺激され、表現ということについて考えさせられた。

 今年度は演劇を2つも担当して、夏には「自来也」の公演もあったから、演劇付いた年になった。3つの舞台の稽古に立ち会ったというのは嘗てないことだった。映像はフィルムとかテープが残って、後からいつでも見ることができるが、演劇は公演が終わると消えてなくなる。記録しても、それは記録で、記憶に残るということでしかない。終わった後、日が経って、公演が行われていた時間に、今頃、舞台であれやってたんだ、なんて思い出すことがあって、もう二度と無いと思うと感傷的になれる、ということがあるのを知った。舞台に立った人は、そういうとき、また舞台に立ちたいと思うにのだろうな。演劇って、後ろ髪を引かれる思いが先へ向かう気持ちを起こさせるのかも知れない、と思った。

 わたしが担当した演劇は「烏枢沙摩(うすさま)」と「顔よ、勃ったら1m」という題の作品だった。「烏枢沙摩」は、仕事に一生懸命な余り家庭を顧みないうちに妻が死んでしまったという父親と娘、また家出して帰らない夫と長男を待っている女と次男、この二組の家庭を重ねて、男のエゴイズムを、娘の誕生日の、駅のホームと電車内のこととして、人物たちの会話を通して描いた作品。お互いに通じ合えない人間関係の寂しさを描き出していた。シーンをイメージで展開する演出でコンパクトに纏まっていた。ホームの娘と次男の子供グループと、車内の座席の母親と夫の大人グループの演じ方が対称的であるのが、娘が死んだ母から貰った白い曼珠沙華と次男の思いで出てくる赤い曼珠沙華の花の色の対称的なのが重なって、印象に残った。これは、穐田裕樹君、川崎 草君、小杉友子さん、島田安津子さん、戸田なつこさんたちの作品。

 「顔よ、勃ったら1m」は、日本とアメリカ合衆国との間に生まれた巨大な男根を持つ奇形児「ジョージ」が話しの主人公。彼をアメリカのテレビ番組で見せ物にしようとする女「アメリカ時計のケイト」に、彼が閉じこめられた部屋から出してくれとせがむと、彼女は「世界で一番不幸な動物は何か」という問いを出し、それに正解したら出してやると応じる。そこで様々な不幸な動物が登場してくる。蟻が変身した鼻女メアリー、象が変身した黒人のおかま、むかし巨根のジョージに犯され、その後様々な動物と性交して淋病でエイズになってしまった女ターザン、人間だが女の前では猿になる男ちょびなどが登場し、更にジョージのことを気遣う、ネズミを演じる女優の日本の母も日本からはせ参じて、幕開きでは君が代の伴奏で「我が眼球は国旗であります」と叫んでいたジョージが、最後には自由になるためにアメリカ女ケイトと結婚して「ジョージ・ブッシュ」と名を変えて、合衆国国家で終わるという作品。

 脚本の、巨大な男根を持つ奇形児をショウビジネスの売り物にしようとする設定に意表付かれた。そして奇形児を登場させたことで生じてくる身体性や性に関するいろいろな問題を、あからさまな言葉で率直に語り出して、それがアメリカ文化に対する毒舌をまじえて柔らかい批判になっているところが面白かった。表現が世界に向かっている感じが出ていた。役柄が二重になっているところから生まれるユーモアも捨てがたい気がした。そうそう、スタジオの三分の二を占めていた舞台が、合わせ鏡の奥に拡がっていく空間になっていたのも面白かった。役者たちのノリがよく、迫力があった。もうちょっと心に響かせるには工夫が要るとも感じた。これは、北川 陽子さん、天野 史朗君、小森まりさん、佐々木 文美さん、佐藤すずみさん、篠田 千明さん、鈴木彬子さん、大道寺 梨乃さん、中林 舞さん、野上絹代さん、藤谷 香子さん、山崎晧司君たちの作品。

 卒制作品については、まだまだ書きたいことがあるが、一応、此処でアップしておくことにします。



2004年12月6日  清水鱗造さんの「灰皿ネット」に新規HPを開設。

灰皿町地図
 「灰皿町の地図」
灰皿町の我が家
 まだ地図には載ってません。

 先月の末に、詩人のパソコン仲間の忘年会があって、いろいろと話しているうちに、清水鱗造さんがLinuxのDebianがいいとしきりに話していた。話しを聞いていると、またLinuxをやってみたい気になって来るのでした。わたしのところの中古パソコンの一つにTurbolinuxがインストールしてあるが、最近は殆ど起動したことがない。perlやcコンパイラのために使おうと思ったのだが、それからも気持ちが離れてしまっている。鱗造さんはLinuxを使って、自宅サーバーでWebサイトを開いるので、Linuxの話しになったというわけ。

 その自宅サーバーでWebサイトが「灰皿ネット・灰皿町」なのだ。友人たちや知人がHPを作って「灰皿町」の町民になっている。話しが進んだところで、わたしも町民に加わることになったというわけです。で、早速、「南波止場1番地」に「鈴木志郎康の家」を作ってもらった。ということは、鱗造さんの自宅サーバーにアクセスしてデータを送れるようになったということです。わたしとしては、四つ目のHPになる。此処は此処で、鱗造さんのサーバーということで、いろいろと遊べるのではないかと思うのです。先ずは、最近やり始めたFlashを存分に使ってみたいと思ってます。

 Flashといっても、「DZIEWCZYNY MOJEGO DZIADKA」というよなサイトを見ると度肝を抜かれてます。薄い紙のページをめくる感じが何とも言えませんね。画像処理とActionScriptを駆使しているのですね。夢が拡がっていきます。始めてから一ヶ月経って、パソコンで絵が描けないと面白くならないような気がしてきて、「Illustrator」をおさらいしようかと思ったりしてます。もともと絵を描くのが得意ではないのでどういうことになりますか。わたしなりに描き方を見つければいいとは思いますが。言葉と絵を組み合わせてエキサイティングなサイトを作る、というのを目標にしましょう。



 

2004年12月5日  自己推薦入試、社会人入試、そして卒制発表会。

スズランの実
 スズランの実

 いよいよ来年度の入試が始まった。11月20日、21日に多摩美の造形表現学部では、社会人入試があって、わたしが勤める映像演劇学科は、「生き方入試」と称して今年初めて自己推薦入試を同時に実施した。社会人入試は「創作」「作文」「面接」、自己推薦入試は「自己推薦文」「自分史ファイル」「課題作品」「面接」という科目の試験。社会人入試は試験会場での当日の試験ということになるが、自己推薦入試の方は、「自己推薦文」「自分史ファイル」「課題作品」を予め「ゆーぱっく」の箱で送ってもらって採点するということだった。その場の一発勝負でなく、じっくりと受験生の資質を見て採用を決める考え方をした。特に、英語国語の学科試験をなくしたのは、才能の方を買おうというわけでなんですね。送って貰ったものを見た限りでは、それがはっきりしたように見えた。

 「自分史ファイル」は、小さいときからの表現活動を現す写真や発表会のプログラムや作品をクリアファイルに入れて送って貰ったが、その纏め方とか作り方が丁寧で、見ていて引き込まれて行くものもあった。ポップアップ絵本になっていたり、自分を突き放して漫画に描いているものもあって、44人の応募者のものを読むのに4日掛けたが、採点していて楽しめたとも言える。大学で映像や演劇をやろうという子は、幼稚園で劇をやって、小学校中学と続けているというのが多かった。まあ、褒められて、それでやみつきになったというわけでしょう。後は、家庭の事情も絡んで、否応なしに自分の存在に意識が向いて表現欲が生まれて来ている様子が見えた。今年の大学受験生は1986年生まれだ。自分という意識が強い。また、社会ということより、個人的な人間関係を引き受けて育って来ているということが強く感じられた。ちなみに、自分の育った過程を社会の出来事と並記していたのは一人しかいなかった。

 この秋の入試の後に、卒業制作の発表会が今月の3日から15日まで「誰に会いに行く」のタイトルで開催され、映像作品、演劇、展示作品が西荻窪、吉祥寺、下北沢、上野毛、横浜の五カ所で発表される。映像が14、演劇が5、展示が22、パフォーマンスが1つ。全部見るにはかなり時間がいる。論文などだと指導を担当した分を読めばいいが、発表して見せるものだと、見るのが楽しいから全部見たいという気になる。3日には、西荻窪の「櫂スタジオ」で公演があった演劇「3cm」を見て、4日には、下北沢の「シネマアートン」で上映された9本の映像作品を見た。これは、午後の1時から夜の11時までで結構疲れました。作品の善し悪しを超えて、そこに表明されている考え方などを辿ろうと、スリルを感じました。いろいろと考えてみたいところです。  





  















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