2003年9月1日から30日まで


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2003年9月21日 小沢和史君の生き方。


「人さらいが来ればいいのに」のシーンその1
 小沢和史監督作品
「人さらいが来ればいいのに」のシーン。
主役の少女キワ・中野衣美さん
「人さらいが来ればいいのに」のシーンその2
 「人さらいが来ればいいのに」のシーン。
ダメな青年一樹・小沢和史君と少女キワ

 14日15日と山中湖近くにある多摩美の富士山麓セミナーハウス(純林苑)に1年生を連れて行って、「人生についての本を作る」という課題で、合宿をした。昼間はペアになって、互いの話を聞く、夜は先輩の作品を見て話し合う。教員とも話す。そして、今月一杯掛けて、本の形態とは限らず、様々な形の「人生の本」を作って提出するという演習。目的は、映像作家とか演出家とか演技者とか、表現活動を目指す学生達に、先ずは自分自身という存在を自覚し、仲間の存在を知るというところにある。そして、それぞれが作った「人生の本」を見ると、一人一人がどういう人間か分かって、親しみが湧いてくる。表現する人の集まりでは、それが大切だと思っている。今年の1年生はどういうもの作ってくれるか、楽しみ。今回来て貰った先輩は「夜明け」の監督の坪田義史君だったが、昨年は映像作家の小沢和史君と歌川恵子さんだった。

 合宿から帰った翌日、その小沢和史君からメールが来て、「第7回水戸短編映像祭 コンペティション」で、彼の作品「人さらいが来ればいいのに」が「準グランプリ」に選ばれたということだった。合宿で坪田君と、最近人さらいが流行っているけど、小沢君は予感していたのかなあ、などと話していた。しかし、小沢君の「人さらいが来ればいいのに」は、ダメな男と女子中学生とのちょっとした心のふれあいを描いた作品だが、その男が人さらいにもなれないという内容だ。作品では、世間的にいうと「ダメな男」というところに自分を位置づけておこうという小沢君の生き方が語られている。彼は大学を卒業してから勤めないで、インドやネパールに旅行したり、ロックバンドのイベントの美術を引き受けたりして生活する傍ら映像作品を作っている。表現者として自分を押し立てて生きていこうとしている、大げさに言うと未踏の道を歩いている、とわたしは見ている。小沢君のメールには、その生き方の感じがあった。掲載許可を得たので、ちょっと読んでみて下さい。受賞の興奮が冷めやらないで、乗りの気分で書いているところがいいですね。

「人さらいが来ればいいのに」が水戸短編映画祭で準グランプリをいただきまし た。当日は出演の津ヶ谷伸子さん、撮影の金子雅和君なども水戸で集まり、皆で受賞 することができました。(富山にいる木下寛子さんは来られませんでしたが。)  会場となった水戸芸術館は100メートルもある巨大な銀色の鉄塔が建っていて、 印象的でした。そのせいもあって芸術館内はプールで水浴びしている子供やらパント マイムしてるお姉さんやら結婚式をあげる家族やらと、とても平穏で茨木住民に芸術 が根づき始めているのを感じました。審査員は、映画監督の松岡錠司さん、社会学者 の宮台真司さんなどでした。会場に足を運んでくれた観客さんにもしっかりと届いて くれたのでは?、特に高校生の青年二人組が感動して声をかけてくれて、多摩美に入 りたいなあなどと言ってくれてました。今回の上映は、初心に帰れたたインディアン サマーな日でした。

 上映当日の朝、泊まったサウナのテレビのニュースに「30近くの無職の男が少女 を誘拐して、自宅に連れて行って、父親に見つかって逮捕された」事件が報道されて いて、何だか因果なものを感じたりしてました。捕まった青年は、少女に何もしてい ない分、罪悪感が無いのか、顔を一切隠そうともせず、のほほんとしている印象を受 けました。連れてきてしまった「高校生」としての「生物」を目の前に、あの青年 は、ひとつ自分なりの儀式を完了したように感じました。青年は少女に指一本触れて いないと思う。触れられなかったと思う。そして、直に見つかるだろう父親のいる自 宅に連れて行ったという、事件性を感じない本人の自覚の無さは、何となく最近の青 年の闇を物語っていると思う。

 この上映が終わって、僕は大きな滝のある町に降りて野宿をしたりして、とにかく 歩いています。今日もバックパックを背負って都内を色々と歩きました。体が汗で臭 くなる、靴底が擦り切れる、鞄が汚くなっていく、そして休憩に映画館に立ち寄る、 というのが僕の生きてる実感です。体が汚いからと言って、臭いからと言って、満員 電車で気を配るなんて暇もないのだなあと思っていたら、先日まで感じていた心臓が 苦しくなることも無くなった…電車から降りた地下では、ギターを持った中年男が警 官相手に暴れていた。自爆自棄に陥ったその男はやがて自らのギターを床に叩き付け て完全に壊してしまった。現場では、その事件の当人も僕ら野次馬達も、東京の地下 で何だかふわりと実感が無いように浮いてました。
 だから僕はこのまま、ぶっ倒れるくらい歩きたいです。道に迷って深夜を生きる散 歩者です。
 坪田からは「頭のおかしな人だ」と笑われますが、まあどうでもいいか。
 それでは、また会える日を楽しみにしています。
自分の存在を膨らまさないで、凹んだところでしぶとく生きていこうとしているのを感じさせられて、わたしも「この散歩者」の視線を追い続けたいという気持ちになった。



2003年9月13日 猛烈な残暑。


朝顔の種
 まだ花は咲いているけど、種ができた。

 このところ連日猛烈な残暑が続いている。今日、台風14号が朝鮮半島から日本海に抜けて行ったが、その影響らしい。今年一番の暑さが秋になってやってきた。残暑って、堪える。今週、わたしは左脚が、力を入れると痛んで、階段を上るのが辛い。座っていればいいのだが、座っていると立つ時に痛む。気持ちに纏まりがなく、テレビを見たり、新聞を読んだりする時間が長くなる。

 新聞には連日、自民党の総裁選の記事が載っていて、小泉純一郎が有利だと書かれている。派閥の崩壊、なんていうことも書かれている。わたしには関係ないが、政治上の利害のあり方が変わってきているということなのだろう。税金の使われ方が変わる。土建業に使われた分が、何処に向けられるのか。安全な国家という標語から、警官の増員が決められて行くようだ。わたしが危惧するのは、少年犯罪の増加と「愛国心という標語」が、国際情勢をベースにして結びついて行くのではないかということ。わたしが生きている間に「軍隊」というものの登場になって欲しくないと思う。新聞とテレビに多く接していると、どうも考えることが自分の生活から離れていく。世の中は確かに動いている。その流れのどの辺りに自分が身を置いているのか、ちょっと掴み難くなっているのを感じるのが最近のこと。




2003年9月5日 ぼーっとして9月が始まる。


ヒメジオンの種
 種を飛ばすヒメジオン。

 8月の末は、わたしとしては珍しく毎日違う人と会って、話をしたり、お茶を飲んだり、お酒を飲んだりした。会って、個々に言葉を交わした人の数は、一週間で十人を越えた。25日の夕方など、渋谷に出たらおよそ30分の間に偶然に3人の知り合いとばったり顔を合わせた。東急本店前に自転車を置いて、歩いていったら向こうから手を挙げられ、言葉を交わして別れて、信号を渡ったら、後ろから声を掛けられ、それから「Loft」のエスカレーターを降りていたら、見知った顔を見つけたので声を掛けた。彼は古い友人で、1年半振りの邂逅だったので喫茶店に行って一緒にコーヒーを飲んで話をした。その日から31日までに十人以上の人と言葉を交わしたということになる。

 話をするのは、何か確かめて先のことを見定めようとすることだ。話す相手によって、その局面が違ってくる。いろいろな関係の中で生きているから、先のことも複雑だ。話は個人的な事情になってくるから、お互い同士の間ではそれなりに分かっても、これを第三者に説明するとなると、結構厄介なことになる。個人的な事情を客観的な視点に曝す社会というものの共通する認識が曖昧になって、自分の態度というか、考え方を表明することがうまくできない。確かに、経済の不況とか、IT環境の広まりとか、世界的には戦争の危機感に覆われているところがあり、日本の社会は敵意をでっち上げて知らず知らずのうちに右傾化して行っているとか、そういうことがあるのは分かっていても、それと日常的な自分の関心事とどう結んでいけばいいのか、なかなか掴めない。北朝鮮の女性の応援団の映像をテレビで見て、またテレビで北朝鮮核問題の6カ国協議のニュースを見て、同じテレビで世界陸上の200メートルで銅メダルを取った日本人選手の姿を見て、国家イメージに感情が動いてしまったりする。いずれもそれらの事柄は、わたしの生活からは凄くかけ離れているけど、テレビを前にしてわたしの感情は動いてしまう。そういう感情だけの存在で、つまり感情という個人的な事情が社会の動きに連れ添って行ってしまう。こういうのって、いい感じじゃないですね。

 最近、秋になって戻ってきたような夏の午後は、まあ、ぼーっとして、寝転がってテレビの再放ドラマを見ながら過ごしていました。それから、3年前に麻理さんが使っていて、その後野々歩が使っていたPowerMacG4が、野々歩が自分のMacを買って誰も使わなくなったので、わたしのPowerMac8500からデータを引越をして、今度はわたしが使うようにした。カスタマイズするって、結構時間が掛かった。9月4日の夕方、凄い雷雨になったので、DVカメラで撮ったのでした。





4日の夕立
 4日の雷。





 
 















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