2003年7月1日から31日まで


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2003年7月29日

 多摩美・映像演劇学科の卒制合宿に参加。


多摩美・富士山麓セミナーハウス(純林苑)
 多摩美・富士山麓セミナーハウス(純林苑)。

 25日から28日まで山中湖の近くのハリモミ樹林の中にある多摩美の富士山麓セミナーハウス(純林苑)で、映像演劇学科の卒制合宿があって、それに参加した。映像演劇学科の4年生は卒業制作とその発表会の運営に参加しなければ卒業できないことになっているんですね。映像作品を作るか、演劇を上演するか、又はその他の何らかの表現活動をするということです。映像や演劇ばかりでなく、漫画を描いてもいいし、パフォーマンスをやってもいい。中には小説とかエッセイ集を一冊の本にするという者もいます。その企画から制作に移る最終的な詰めを、学生が教員の指導の下に行うというのが、「卒制合宿」なんです。25日の午後から28日の午前中まで、食事時間を除いて、30分おきの時間割を組んで、学生は自分の希望する教員と面接して指導を受けたり、学生間で話し合ったり、シナリオを書いたりする。その間に、近くの温泉に行ったり観光したりしてもいい。そして、夜の9時から毎夜、その日自分が何をやり、どういう成果を得たかを報告するというわけです。教員は面接が殺到すると、次から次へ面接をしなければならなくなり、きついですね。わたしは、4日間で23人と面接しました。面接がない時間は、持っていったVAIOノートでJavaScriptをやって遊ぶことも出来ましたが、疲れました。

 今年の卒制の映像作品では、アニメと自分を撮るというものが目立ちました。アニメもストーリーを追うというより、自分の内面にあるイメージを展開するというもので、自分へのこだわりを映像化しようとしている。また、自分を撮るといっても、カメラを自分に向けることで、現在の自分を越えて行こうという企てになっている。ストーリーを作っていても、登場人物に自分を仮託しているところが見られました。描く対象として、自分自身しかないという感じ。映像って、対象となるものは現実的存在ですから、そこに自分の身体なり言葉を置くと、自分自身の存在が意味的に変貌する。その変貌を現実の自分が引き受ける、というところにスリルを感じるんでしょうね。一人の学生は、カトリック信者と自分を並べて描きたいと言っていたが、彼は他人が信じられなくなったということがあるので、その信じるということはどういうことなのか、神を信じ切っている信者と接触することで確かめたいと言っていました。信じられなくなったのは、貸したお金を返して貰えなかったり、友人と会おうと約束したのに、その友人は他の事の方に行ってしまって来なかったというような些細なことから始まったということ。わたしは、彼が人間関係の基本を、素手で正面から考えようとしていると受け止めました。わたしの若い頃だったら、先ず本を読んで見るという道筋を辿るところを、彼はカメラを持って現実に向かい合おうとしているというわけです。他の学生と話した時、本を読むことは読むが、それは流行の単語を手に入れる事が主目的で、書いてある内容についてはあまり信用しないということでした。若い人たちは、素手で考えを作り上げていかなければならいところに立たされているのか、と思った次第です。とにかく、三夜も徹夜状態で過ごして、まだ元気でいる彼らの姿に、若さをまざまざと感じさせられた4日間でした。そして、これから夏休み。






2003年7月24日

 新潟・妻有・津南町へ、10日間に三度も行った。


海老塚さんの彫刻の設置
  海老塚さんの彫刻の設置。
彫刻を配置する海老塚さん
  彫刻を配置する海老塚さん。
海老塚さんの彫刻
  海老塚さんの彫刻。
海老塚さんの彫刻、別の方向から
  海老塚さんの彫刻、別の方向から。

 23日の朝は久し振りにゆっくりした。朝ゆっくりしたというのは、七時頃目覚めてベッドでテレビ小説を見て、起きてからマグカップで三杯ぐらいの紅茶を飲みながら、時間を掛けて新聞を読み、それからトイレに行き、日録を書き終えるともう11時近くなっている、という過ごし方のこと。13日から22日まで、「越後妻有アートトリエンナーレ2003」へ出品した海老塚耕一さんの彫刻を撮影するためと、そのオープニングイベントに参加するために、新潟県の越後妻有へ十日間で三度も往復した。近来にないことだった。

 13日には朝5時起き、迎えに来た彫刻家の海老塚さんの車で、新潟県魚沼郡津南町へ、9時頃着いて、手伝いの若い人たちと、直ぐに運送会社のトラックで運ばれてきた彫刻の設置に取りかかり、わたしはそれを撮影した。その晩は近くの温泉に泊まって、翌日、朝8時半出発で現場へ。わたしは午前中撮影して、昼頃のバスで湯沢に出て東京へ。その足で多摩美の上野毛キャンパスで前期の発表会を夜の10時過ぎまで見た。15日は午後から夜まで発表会を見たが、見切れなかった。16日は、11時頃の新幹線で湯沢に行き、そこからバスで津南町へ、更にタクシーで現場へ行って、彫刻のモジュールを配置するところからその設定が終わるまで撮影した。17日は、水を流すところを撮影して、夕方、すべての設置が完了してビールで乾杯。それから、海老塚さんの車に乗って、家に着いたのは夜の9時を回っていた。

 18日は、翌日の新幹線の切符を買って、撮影したテープを整理。夜は多摩美の発表会の学生プロデューサーたちの打ち上げに参加して夜中に戻った。そして、19日、7時46分発のとき307号の切符がなかったので、7時発になって、6時に家を出た。そして、10時ほくほく線十日町駅集合に間に合って、「妻有アートトリエンナーレ2003」のオープニング行事のバスによる作品見物ツァーに参加した。作品は、越後妻有地区の6市町村のあちこちに設置されているからバスでないと見て歩けない。中里村、津南町、松之山町の作品を巡って、夕方松代町に着いて、そこの新しくできた「農舞台」という建物で開かれた前夜祭のパーティーに参加、引き続き上演された「真実のリア王」という土地の老人たちが出演して、自分たちの人生を語るという、オランダ人演出家の野外演劇を見て、夜10時近く30分ぐらい旅館のバスで運ばれて、津南町の綿屋という旅館に泊まることになった。

 20日は旅館を8時15分に出て、松之山町に新たに出来た「アボリジニ現代美術館」の開館式に立ち会った。それから、またバスによる作品見物ツァーに出発。途中、前回作られた蔡國強の登り窯を、「ドラゴン美術館」としてキキ・スミスの作品を展示して開館するという儀式に立ち会った。中国人の蔡國強が館長ということで、テープカットの後、トランク一杯の爆竹が爆ぜまくったのには驚いた。暗い登り窯の中に、石膏の少女が座っているという美術館だ。夕方まで、廃校になった小学校の教室を使ったボルタンスキーの作品などを見て回り、6時からこれまた十日町に新しくできた「越後妻有交流館・キナーレ」という建物で行われた開会式に出た。上から見るとカタカナの「ロ」の字の3階建てぐらいのコンクリートの大きな建物で、その中庭に当たる部分が水をたたえたプールになっている。そのプールの中央に舞台を作って、そこで県知事や市長が挨拶をしたが、音が反響して聞き取れなかった。500人か、600人以上はいると思われる人々の参加、という印象だった。わたしが知っている人は、海老塚さんと美術評論家の中原佑介さんだけだった。会が終わって、夜の10時頃までその中原さんと海老塚さんと彼らの知り合いの人と、そばを食べ、お酒を飲んだ。宿のご飯も、昼の握り飯も、そばもとても美味しかった。

 21日は雨だったが、午前中はバスツァーで日比野克彦など作品巡り。午後は、「クロステン」というところで、「越後妻有アート・シンポジウム」というのがあった。「ロング・マーチ・プロジェクト」の企画キュレーターの中国人のルウ・ジェという人、大英美術館現代美術部門キュレーターのジェームス・パトナムという人、ニュー・サウス・ウエールズ美術館キュレーターのアンソニー・ボンドという人、それにこのトリエンナーレの総合ディレクターの北川フラムさんの基調スピーチがあって、それから北川さんと中原佑介さんの司会で「ラウンド・テーブル・ディスカッション」というのがあった。中国人の人の「ロング・マーチ・プロジェクト」というのは、「長征」の跡をアーチストたちが歩いて、現地の人たちと交流して様々な芸術的表現をするという企画で、もう既に半分以上歩いたということだった。スライドを使った報告は面白かった。このシンポジウムで話されていたのは、「住民との協働」、「アートの社会的な役割」、「アートと場の関わり」とかいったテーマに沿ったことだった。英語と日本語の同時通訳で話し合いがなされていた。わたしは余り考えたことがなかったことだったので、珍しいことに出会ったような気分で聞いていた。とにかく、この「越後妻有アートトリエンナーレ」というのは、県と国の地域振興事業として県と地元から出された三億円の財源を使ってやっているということだから、それなりに成果を生まなければならないのだろうし、考え方も纏めておかなければならないことなのだろう。そしてまた、北川さんがバスの中でしばしば言っていたように、芸術家たちの欲求が膨れあがって美術館から出て行こうとする時、表現の場として地域との結びつきを考えなければならなくって来ているということのように感じられた。

 シンポジウムの後、夕方、十日町の町中に出て、駅の待合室や電気店の店先など、短編ビデオフェスティバルの作品が上映されているところに行って、上映の様子を見た。駅では、腰を痛めたという老人が一人、見るともなくビデオのモニターを見ていた。丁度、詩吟をやる母親を主人公にした若い女性の作品をやっていて、内容に引き込まれるように見ていたが、次の芸術的なアニメーションが始まると席を立っていった。電気店の店先では「アートトリエンナーレ」に来たとおぼしきリュックを背負った青年がマルチ映像の作品とユーモラスなアニメ作品を見て立ち去った。翌22日の午前中の審査会で、わたしは外国から来た五人の審査員と中原さんと、上映されている入選の28の作品の中から大賞と審査員賞を選んだ。これは8月24日に発表になる。

 その午後、秋山郷に行く途中の山の中にある廃校の小学校のプールを使った作品と、もう一度海老塚さんの作品を、タクシーで見に行って、そのまま越後湯沢に出た。途中、兼業農家という運転手さんから、コシヒカリのことやいろいろと話を聞いた。農機具の返済に追われて兼業を辞められないといっていた。一家で5台も車を持っている家もあるらしい。湯沢から新幹線で東京に戻った。今回この「越後妻有アートトリエンナーレ2003」のビデオの審査員をやったことと、野外に置かれた幾つもの造型作品などを見て、芸術的表現の現在的なあり方に触れて、自分の中にそれらについて考えてみたいという欲求が生まれてきているのを感じている。



2003年7月8日

 再び、三度、Javascriptに挑戦。


庭に咲いたヒメジオン
  庭に咲いたヒメジオン。

 何でこんなに時間が経つのが速いのかなあ、という感じですね。この十日余り、何度目かのJavascriptに挑戦していました。多摩美の授業で「ホームページの作り方」のサイトを立ち上げてから、それを使っているうちに、いろんなことが出てくるんですね。前に、「背景色を試す」ページを作って、「背景色の色の決め方は、"#ff5522"というような16進の数値でこうやるんだよ」と教えると、学生たちは、それでいろいろとやって、即座に色hが変わるから、声を上げて面白がった。ところが、次に、「その背景色に合うフォントの色は?」ということになって、それを追加して「背景色とフォントの色を試す」というページに手直しした。それから、Web用の画像を作る場合でも、ブラウザのウインドウでの大きさのあたりをつける道具があってもいいんじゃないかと思い、Webを探し回ったが見つからなかった。知っている人がいたら教えてほしいものですが。見つからなかった代わりに、縦横の直線が交差して、その交差点がマウスに追従するというサンプルページが公開されていたので、そのスクリプトを貰ってきて、ちょっと改造を加えて、ブラウザ上のおおよその位置が分かる「スクリーン・メジャー」を作ってみた。しかし、これは「インターネット・エクスプローラー」の5.0以降のバージョンだと有効なのだが、「Netscape」や「Safari」では使い物にならない。ブラウザによって使えるスクリプトが違うなんてことになると、もうわたしの手には負えないのです。もっと、勉強しきゃ、という気になります。こんなことをやっていると、たちまち時間が経ってしまうんですね。というわけで、ここのところ、何度目かのJavascriptの挑戦となったわけです。





 
 















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