![]() 花を咲かせたカニ仙人掌 |
![]() 冬の日差しを楽しむママニ |
年の瀬には、毎年、亀戸の兄の家にお歳暮を持って行き、近くの寺の祖先の墓参りをする。今年は30日の昨日行ってきた。墓の前では、鳥の鳴き声が聞こえるほど静かで、しばらく佇んでいると、いろいろと記憶が蘇って来そうになったが、その気持ちを押しとどめた。帰りは天神様に参拝、太鼓橋を渡り、蔵前通りの天神橋を渡って、十間川の水面を見た。それから錦糸公園を抜けてJRで秋葉原に行き、最近手をつたDTMのソフトを見ようと思ったら、DTMソフトの専門店だったその店がアニメDVDの店に変わっていた。秋葉原は、もうパソコンのパーツを売る店が軒を並べる街から、ゲームソフトとDVDとフィギュールを売る街に変貌していた。駅も山手線のホームの階段の位置が変わっていて戸惑った。時代が変わりつつあるんだ、と勝手に思った。DVDを売る店に入ってみたが、わたしが知っている映画の題名は見当たらなかった。わたしが知らないカルチャーがそこにあるということだった。末広町から地下鉄に乗って帰宅した。DVDやゲームソフトを求めて雑踏している若い人たちの中を抜けて、地下鉄に乗ると、車内の人たちもわたしとは別のカルチャーを生きてい人たちのように感じられた。夜遅く、NHKテレビで「映像の世紀」と題して、明治時代からテレビ放送開始までの100年余りの日本と日本人が撮影された映像が年代順に放映されていたが、そこには、時代によって異なるカルチャーを生きていた日本人が写し出されていて、それぞれの時代で一律なところが見受けられたが、今は、そういう時代による一律なところは見えない。人々は生活意識によってまちまちなカルチャーを生きていると云えるのかもしれないですね。
話は変わって、DTMの話になります。歌も歌えなければ何一つ楽器も弾けないわたしでも、パソコンなら音楽で遊べるのではないかと、以前から、「めちゃらく作曲名人」やら「らくらく作曲名人」というソフトを買って来てやってたんですが、「めちゃらく」の方は直ぐに飽きてしまい、「らくらく」の方は操作が出来ないでそのままになっていたのでした。で、去年、もうちょっと本格的やろうと思って、研究室の内野君から使わなくなったRolandのMIDI音源「SC−Pro88」を貰って、それを古いPowerMac8500に接続してみようと試みたのでしたが、うまく行かず、そのままになっていた。ちょっと、諦めかけていたわけですね。
ところが、この11月ごろからまたパソコンで音楽をやってみたいという気持ちが湧いて来たんです。今度は、その古いPowerMac8500が使い物にならなくなってきたので、麻理と野乃歩が使っていたPowerMacG4を主に使ってやってみようというわけです。
12月のはじめにPowerMacG4にSC-Pro88を接続するところから始めました。SC-Pro88はMacとの接続はシリアルポートなんですね。ところが、PowerMacG4にはシリアルポートがない。PowerMacG4との接続は、USBかFireWire、で、シリアルポートとUSBの変換ケーブルを買って来て繋いだけど駄目。インターネットで調べると、SC-Pro88のインターフェースのことは出てなかったけど、同じシリーズのSC-8820やSC-8850だと「UM-2」というインターフェースを使えば接続できることが分かった。そこで、それと一緒にMIDIキーボードも買ってきた。しかし、「UM-2」とMacとはUSBで接続できたが、何の知識もないわたしには、そのUM-2とSC-Pro88とをMIDIケーブルで繋ぐのに、どちらを「IN」にして、どちらを「OUT」にすればいいのかさえ分からなかった。まあ、試行錯誤の連続となったわけです。
それから、パソコンで音楽をやるのは「シーケンサーソフト」というものが必要なのだが、これも一番安い「SingerSongWriterLite3.0」というのを買ってきた。これをインストールしても、OMS(Open Music System)というMIDI音源とアプリケーションを結ぶソフトをインストールして、その設定をしなければ音が出ない。この接続と設定で、また何度か失敗してやり直し。そして今、ようやく、デスクトップの鍵盤をマウスでクリックしても、UM-2に繋いだMIDIキーボードを指で押しても、音が出せるようになった。ここまで来るのに、ほぼ一ヶ月かかってしまったということです。この間に、田上博司という人が書いた「デジタルサウンドプロセッシング」という本を読んだ。この本の終わりのところに自動作曲ソフトのことが書いてあって、「めちゃらく作曲名人」はそういうソフトの一つだということが分かった。DTMでは、いろいろな言葉がたくさん出てきます。「音程」と「音階」とどう違うの?辞典には
と書いてあるけど、知っている人には自明のことなのだろうが、知らないわたしはどうやってこれを実際の音と結びつけたらいいのかっていうことです。おんてい【音程】 二つの音の高さのへだたり。西洋音楽では,全音階の 7 音の位置関係を基準と して,「度(ど)」という単位で音程を表す。また,同じ数値の度で表示される 音程も,完全,長・短,増・減の別によって大きさを区別する。例えば,完全 1 度(同音),短 2 度(半音),長 2 度(全音)など。
おんかい【音階】 音楽で使われる音を,一定の基準に従って高さの順に配列したもの。 (1)全音階,半音階のように,素材となる諸音の基本的な音程関係を示すもの。 (2)五音音階,七音音階など,オクターブ内での音の数によって分類したもの。 (3)長音階や短音階のように,全音・半音の配置の相違によって区別するもの など,分類基準や民族によって多種多様な種類があり,特に(3)はしばしば 「旋法」と混同される。スケール。 三省堂 『ハイブリッド新辞林』
![]() 銀杏の落ち葉が一面に散った 多摩美上野毛キャンパスの庭 |
![]() 銀杏の落ち葉に長い人の影 |
その月のページを20日過ぎて初めて更新するというのは、「曲腰徒歩新聞」始まって以来無いことだった。12月の上旬は多摩美の映像演劇学科の卒業作品の発表会があって連日見に行っていたので、更新する時間を持てなかった。それから、何やかやと出掛ける日が続いて、更新できなかった。とは言っても、「曲腰徒歩新聞」に込める気持ちがちょっと薄らいでいるということでしょうね。読者の皆さんには申し訳ない気持ちです。
実は、その多摩美の卒業作品について書こうと思っていて、その作品数が上映・上演を合わせて48作品もあったので、それを全部見ることは見たのですが、どういう風に扱うか考えあぐねていたということもあるのです。印象に残った作品について書くというのであれば、直ぐに書くことは出来たのですが、それでは自分の考えの中に起こりつつあることと違ってしまうように思え、だからといって網羅的に書くことにも躊躇してしまうところがあったのです。ということは、若い人たちの表現にちょっと身を入れすぎてしまって、客観的に語れなくなっているということなんですね。実は、そんな自分の心情を一番語りたいと思っているということなんでしょうね。
映像演劇学科の卒制発表会は、今回は全部学内での発表にして、2週間、11月30日から12月2日の週と、12月7日から10日までとに分けて、前半を「内覧会」として4年生が自分たちで互いの作品を見る週として、後半を外部の人に公開するということだった。発表の仕方は学生達が自分たちで考えて、最近壊された渋谷の東急文化会館の映画館の椅子を300席近く貰ってきて映像スタジオに設置してミニ映画館を作ったり、各作品の上映後に評価タイムという時間を設けて、そこで実際は無料なのだが、もし700円だったら高いと思う観客には灯りが点灯してブザーが鳴るスイッチを押して貰うとか、アンケートの回答をプラスティックのファイルに入れて校庭に吊すとか、様々な工夫を凝らしていた。わたしは、この2週間連日午後から学校に行って上映・上演・展示の作品を夜の10時頃まで見て歩いていた。6つの上演作品の間を縫って、上映作品をそれぞれ2度見るつもりだったが、重なってしまって、一度しか見られない作品もあった。上映作品はおおむね2度見ると、1度目とは印象が違っていた。2度目に「そうだったのかあ」ということになる。一般的には、作品が未熟で表現し切れてない、ということになるわけだが、わたしには今回そういって済まされないものがあったのです。そこが、わたしの映像に対する考え方がぐらぐらしてきたところが、わたしにとっては非常に面白かった。
「テロメア」という作品は、故郷に戻ってきた20歳代の姉と中学生の妹を主軸にした作品だったが、1度目に見た時は当たり前にこの姉妹の話と思って見ていたので、その話がさっぱり解らない妙な作品だなあと思った。しかし、2度目に見たら、16ミリで撮影されたこの映画にとって、その姉妹はロケ地の四国の小さな町の中を彷徨うカメラの水先案内人で、映画が描き出そうとしているのはこの町の土地柄だということに気がついたのだった。映画は普通一番多く出てくる人物を中心に見てしまう。だから、人物中心で見ていけば姉妹の話を描いた映画だと思って、それにしては話がよく分からないということになる。しかし、2度目に見た時は、もう話が分からないから、彼女たちが歩き回る場所を見ていくことになった。そうすると、話なんかどうでもよくなって、その町のいろいろな場所の情景が浮かび上がってくるのだ。作者の安藤広樹君、田中雅弘君、菊池史香さんに聞いてみると、実際そうで、町そのものが描きたっかという。映画の作り方として、観客が人物に気を取られて町の情景を直接追えないというのはまずかったと思う。しかし、彼女たちを登場させないで、町の風景をスナップとして撮影したのだったら、それは撮影者が見た町になってしまう。そうではなく、町の情景そのものを主人公にしたかった、つまり情景を自立したものとして虚構的に立ち上がらせたかった、というわけだろう。強引に難しいことをやってるなあ、と思った。しかし、雨の夜の花火とか、姉が庭の雑草を動力鎌で刈るシーンとか、記憶に残った。
ここで情景を立ち上がらせる、ということは、映像の意味の持ち方の構造に関わってくることなのです。映像は、スクリーンやモニターの上にイメージとして現れるわけだが、そのイメージは人が現実の事物を撮影したか直接描いたものかのいずれかで、その撮影者か描き手がイメージの主体となるわけです。従って、現実の情景を写した映像はその情景に対する主体の視野の表明になるわけですね。父親が運動会で子どもを撮った映像は父親の視線の表明になるわけです。ところが、その子どもを対象にして、普通は父親が入れないような位置から、例えば、トラックに入って走る子どもを正面から撮影した映像となると、その映像は現実的なものではなくなり、その子どもを主軸にした情景として、誰のもでもない視野の表明となって、イメージはその現実から切り離されて自立するというわけです。つまり、主人公がいる普通のストーリー映画の映像は、誰のものでもない視野として虚構の世界を表すことになる、といえるのでしょう。その場合は、風景は主人公たちの背景か、または主人公たちが見た眺めかとういうことになるわけです。安藤君たちの「テロメア」は、その逆、つまり風景の中に人物がいるものとして、情景を自立させようと試みたものと思えるのです。普通のストーリー映画の映像の組み立てから云えば、一種倒錯した映像のあり方ということになるのでしょう。その倒錯した面白さが一度見ただけでは伝わって来なかったのです。
この映像の組み立ての問題をどう考えるかということが、若い人たちの映画を見る楽しみの一つなのです。矢後智之君の「無限の自由」はその点で新しい挑戦をした作品と受け止めた。作品は、作者が友達にカメラを渡して自分を撮って貰うという構造になっていて、その自分の行動で「無限の自由」を獲得していこうというもので、五つの行動から成り立っている。その一つは作品の構成の枠組みとして、作者自身が、部屋を飾って、テレビの番組司会者風に勿体を付けて、24分割されたモニターの画面の中からこれから始まるエピソードを選んで、リモコンでスタートさせる、といった具合に展開する。最初のエピソードは、町の交番に行って、最近交番に貼ってある、犯人に懸賞金を掛けた「WANTED」のビラについて、巡査に質問するところを友人に撮影して貰うという行動。巡査は、詳しいことは判らないから警視庁の広報に行って聞いてくれと応対する。この同じ行動をまた別の交番に行ってやる。映像から察して、午後から夜まで飯田橋辺りの交番からお台場辺りの交番まで幾つもの交番を渡り歩いて行く。巡査の応対は一様で、おしなべて警視庁に行くようにと言う。しかし、幾つかの交番の巡査の応対から、警察のOBの組織が懸賞金を出しているのが判って来る。といって、作者は懸賞金について詳しく調べるというのではない。交番に行ってお巡りに言葉を掛けるには、ちょっとびびるところがあるから、それをやってみようというだけのこと。実際、当人より撮影する友人の方がびびって、それが画面の揺れとなって現れていた。第2のエピソードは、多摩川の河川敷で凧を揚げて、その凧を高圧送電線に引っかけ、東京電力に電話を掛けて、凧を取り外して貰おうという行動。昼頃から凧揚げに掛かるが、風が無くてなかなか揚がらない。汗だくでようやく揚げて引っかけたのが既に夕方。夕日の中を東電の職員が鉄塔に登っていくというところは、撮影している友人の資質もあってか、詩情が感じられた。第3のエピソードは、交通の激しい道路上の陸橋などに掲げられた「(何とか何とか)命は一つ」という標語を、全く同じに自分で大きな巻紙に墨書して持って行って、その上に被せて見せるという行動。これは、女の友人が撮影しているが、彼女の辺りの風景に向けられた関心と、作者の緊張感が微妙にずれているところが面白い。最後のエピソードは、ラブホテルの浴室で自分のヌードを女性のクラスメートに撮影して貰うという行動。撮影者は、最初は全裸の男を目の前にしてちょっと戸惑っているが、同じ映像作家を目指す者として、だんだんと大胆になって行き、撮影される方が圧倒されて来るという結末になる。男性が全裸で、撮影者が女性というシチュエーションで、二人が撮影するされるという関係にあって、絶えずそのことを言葉にしながら撮影が展開されるということが面白かった。つまり、撮影する方は目の前にあるクラスメートの全裸の姿を、撮影対象という抽象的な存在に置き換え、撮影される方もそれに合わせて自分の身体をカメラの対象物に限定していくという意識操作をする。言葉によって、互いの生々しい姿を消して行くと言う具合なんですね。そういう互いの心理作用がまざまざと見えて来るという映像だった。矢後君はカメラがあるから出来るということをやった。つまり、映像は行動の証拠になっている。そしてそれが彼自身に返ってくるわけですね。でも、ここには空白の自己を他者に向かうところにその接点として実現していくという道筋が現れてきていると思うのです。
今年の映像演劇学科の卒業制作の映像作品は28作品あったのが、それぞれが映像の意味合いというものの変化を語っているように思えた。それは、映像がデジタル化されて来て、劇場のスクリーンという場の意味合いが変わり、テレビのモニターの画面の意味合いが変わっていくのと呼応しているのだと思う。その意味合いの変化とはどういうことなのか、来年は考えてみたいと思います。