23日、24日と越後妻有に行って、その後の海老塚さんの彫刻「水と風の皮膚」を見て、それからこの「アートトリエンナーレ2003」のビデオフェスティバルの授賞式に出席した。丁度同じ時期に行くことになった山之内優子さんが借りたレンタカーで移動できたので、大助かりだった。山之内さん、ありがとう。海老塚さんの彫刻は一ヶ月余り経っていくらか様変わりしていた。作品の上に枝を広げた樹木に花が咲いて、白い花びらが降りしきって積もっていて、抹茶を塗したようになっていた。設置されて、2、3日の頃は乾いたさびの赤が視線をはじき返すような印象だったが、今は、周りの植物の緑に馴染んで落ち着いた姿をしていた。
![]() 一ヶ月経って、やや様変わりした海老塚耕一さんの彫刻 |
![]() 水の皮膚が出来ていた。 |
![]() 誰かが鉄塊のモジュールを重ねていた。 |
![]() 散り積もった花びら。 |
![]() 思わぬところに、水が流れ出ていた。 |
自然の中に置かれた作品が様変わりしていくというの当然のことだし、これは美術館に置かれた場合には起こらない。作品の姿というのは、一般的には作者が「これで完成」と区切りをつけたところで止まるものということになっている。従って、作品を受け止める者はその姿を作品として受け止めればいいが、変化する作品は見る時点で異なる姿を受け止めることになる。それが面白いといえば面白い。しかし、その姿の変化を許容したものとして作られているとなると、ある程度、その変化を見て、そこに持続しているものを見通さなければ、作品と深い関係は持てない。実際、海老塚さんはガイドブックに付された短い文章で、
「作家は、置く作業と視る作業を意識した作品を展開し、ものを素材と素材の交わりから捉えてきた。水と風の里、津南のこの地に残る『石垣の庭』に無数の穴の開いた鉄板を敷き、その上に鉄の彫刻を置く、鉄板の上には水が流れ、水の『皮膚』がつくられる。『水』と『風』を感受することにより、姿を消しつつある生きた時間を一層の強度を持って構築する。」と書いている。この文章から察して、作者の意図は、「姿を消しつつある」という言葉の意味合いは状況論的なものと受け止めて、「生きた時間を構築する強度」にあるということになるのであろう。作品の姿は変わっても、作者がそこに置いた物の存在が持続して、そこに行った者に語りかけて来ればいいというわけであろう。海老塚さんは「風景を作る」というようなことを言っていたのを思い出す。確かに、花びらがはらはらと散る中にある鉄板と鉄塊は、意志を感じさせる風景をなしていた。もっと時間を置いてまた見に来たいという気を起こさせる。傍らに、穴の開いた鉄板を被せた井戸が三つ置いてあって、穴を覗くと水面に穴が光の点となって映っているのが見えるのだが、その水と鉄板の表面に流れる水とを繋げるのはちょっと難しい感じでもあった。信濃川流域のこの土地は、地下に豊富な水量を流しているわけで、井戸がそれを端的に示唆してもよかったのではないか、とも思った。自然の中に極めて意図的な芸術作品を置くことで、芸術家の感性や思考が語られるだけでなく、その自然が内包している姿が見えてくるところがいいなあ、と思った。
地球環境の危機と肥大する文明への不安、 行き先の見えない国のなかにある今、地域は もう一度都市との交換・共存を模索します。 都市の時代であった20世紀近代ではないプロ グラムを地域はつくっていかねばなりません。 20世紀の<都市の美術>もまた新しい世紀の 美術を模索しています。「20世紀の<都市の美術>もまた新しい世紀の美術を模索しています」という。その「模索」の一つが「大地の芸術祭」として「地方振興」と結びついたいうわけ。北川さんは「アートフロント」という画廊を経営している人だ。この文章には、単に画廊を経営するだけでなく、文化運動を起こしていこうという意欲が感じられる。しかし、これは作り手と受け手の中間に位置するキューレーターの考え方だと思う。40作品を見て、この土地で作ろうと発想したというよりも、この土地だからこういう作品にしようと発想したものが多かったように感じた。アーティストに取っては、その場を与えられ、それを最善に生かしたということだ。アーティストとしては、場を与えられなくてはことが始まらない。つまり、誰でもということではない。そこで、そういう場を得るための条件が問題なる。キューレーターの北川さんが、「共同性の回路」とか、「市民概念の出発」とかいうと、それがその条件の基準になって来てしまうように思える。アートに取って、「共同性」とか、「市民概念」とは何かということが問われることになる。
大地の芸術祭で展開されたアートは新しい 美術の可能性を開いてくれました。それはま さに協働というしかない、<過疎の><農業 地の><お年寄りが多い>という属性をもつ 地域に対して、ほとんど正反対の都市(ある いは外国)から来た芸術家が相対した結果の 産物でした。<人の土地に作品をつくる>と いう行為が引き起こすさまぎまな葛藤が、異 質なものの出会いによる新しいエネルギーを 産んだといえます。またここには、異なった 領域がかかわることによる共同性の回路が見 えはじめてきました。それは<公(お上)>と< 私>しかなかったこの国にあって、<公共性 >という関係が生まれる予感すら感じさせる ものです。市民概念の出発ともいえるでしょう。
![]() 水面に映る美人林。 | |
![]() 「美人林」と呼ばれるブナ林。 |
![]() その美人の素肌。 |
24日の夕方にはビデオフェスティバルの受賞作品の発表と授賞式があった。その前に、会期中地域の温泉施設や食堂や駅の待合室などで上映されている入選作28作品が一挙に上映されたので、わたしは全部をもう一度見た。それらの作品について、もう少し考えたいと思ったからだった。このビデオ作品の審査をして、401本の作品のほとんど全部を見たが、作品の構造のあり方として、ストーリーやイメージで作品が完結している、いわゆる閉じた作品と、現実のと関わり方によって、内容が現実に拡散していく、開いた作品と、この二つの傾向があることが分かった。このフェスティバルでは、作品は暗くした室内で上映されるのでなく、公共の場で上映される。そういう上映のされ方で、作品はどういう印象になるか、それは興味のあることだった。わたしは、駅の待合室、街中の食堂、それに電気店のショウウインドウで上映されている現場を見たが、はっきりと場所にそぐわないと思えるものもあった。つまり、画面に意識を集中し続けなければ見られない作品と、思わず画面に引き込まれてしまう作品とがあるということで、人々の出入りのあるところでは、それが顕著に表れてしまうのだ。大賞になった、ヤン・ジェンジョン(揚振忠)作品「私は死にます」は、東京の街中で、いろいろな階層職業の老若男女に、「私は死にます」と言わせて、それをDVカメラで撮影したにすぎないものだったが、その言葉を言った瞬間に言った当人の表情を変わってしまうところで、心の姿がちらりと見える、というのものだ。これなどは「開かれた作品」の代表といえよう。わたしは、宰務希大作品「婆車」をわたしの審査員賞とした。「婆車」は、夜中に浴衣を着た老婆が太い紐で乗用車を引っ張って歩き回り、また家に戻って来るという内容だ。その老婆がどういうわけで車を引っ張って歩き回るのか、というようなことは一切説明無し。老婆は力を発揮する謎の存在となっていた。わたしには、老婆が「閉じられた作品」と「開かれた作品」の境界を歩いているように思えて、それが気に入ったのだった。
野外の置かれている芸術作品を見るために、車で谷間や田圃の中を走り廻り、様々な人や表現に触れて、この現象をどういう風に受け止めるか、考えてみたいと思いながら、自分の言葉が追いついていけない、というもどかしさを久し振りに感じた夏だった。