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Image Forum Festival 2004『極私的に臨界2003』上映


鈴木志郎康作品『極私的に臨界2003』(36分)2004年制作






   臨界は限界に来たということ。


  朝顔の種
  種って、ギリギリの臨界点ですね。


  「越後妻有アートトリエンナーレ」の
  ビデオ上映会場の下見で
  新潟の十日町周辺に行った。


  ジェームズ・タレル作品
  「光の家」(2000年制作)


  この庭は、言ってみれば
  わたしの心の在処といえる。


  水仙の花は
  花であって花でない。


  庭に咲いた牡丹の花。


  わたしの顔。


  紫陽花の花。


  薦田愛さんから
  送られてきた朝顔の鉢。


  海老塚さんの彫刻の
  セッティングを撮影しに越後妻有へ行く。


  セッティングする農家の庭。


  設置の作業。


  出来上がった作品。


  伸びる朝顔の蔓。


  「越後妻有アートトリエンナーレ」の
  参加作品「ポスト・インダストリアル・
  ディテーション」。


  「かささぎたちの家」。


  「銀の蝶々」。


  「透けてみえる目」。


  朝顔の花。


  1月経った
  海老塚さんの彫刻。


  十日町市の、街中の
  ビデオ作品の上映会場。


  秋の朝顔の花。


  草も枯れ始める。


  朝顔が種をつける。


  10月の末に、
  石井茂さんと写真展を開く。


  晩秋の暗い庭。
  「終わりだなあ」という気持ち。


  紫陽花に新芽が出ている。


  低い太陽。


  若い人たちの表現に、
  気持ちを入れ込む。


『極私的に臨界2003』の紹介


 この作品は、わたしが過ごした2003年という年を、ビデオカメラで撮影した映像で纏めたものです。その一年がわたしに取って「臨界にきたなあ」という印象でした。それは、夏に開かれた「越後妻有アートトリエンナーレ」の「ビデオフェスティバル」の審査員を引き受けて、世界の各地から応募してきた400本余りの作品を見て、更に実際に新潟県の十日町市周辺の6市町村の、自然の中や農家の庭などに設置された芸術作品を見たりして、表現についてのわたし自身の考えがあやふやなものになってきたということでもあります。その上に、この数年来の腰の痛みもちょっとつらくなって、70歳も後2年という意識も手伝って、身体的にも限界かと思うようになったということです。
 この老いを迎えた気持ちの上に立って、やはりこれを切り抜けていかなければ、わたしは自分の命を全うできないと思うのです。ある意味で意識は明晰であるのに、感情に翳りがある。その翳りに軸足を置いて居直って行こうという思いがあって、それが、この映像作品では、わたしの家の植物が雑然と生え、夏には薦田さんが送ってくれた朝顔が次々に咲いた「庭」なのです。この庭に戻っては、越後妻有に4回往復したというのが2003年という年でした。越後妻有では、冬はビデオの上映会場を下見し、夏には海老塚耕一さんの彫刻のセッティングを撮影したり、また沢山の芸術作品を見て歩いたりしました。そして、秋には例によって魚眼写真の写真展を開きました。晩秋の花のない庭の映像を、テープを再生して見ると、あの日々はこんな風に過ぎていったんだという思いになり、胸に迫るものがありました。この個人的な感情は映像でどれくらい伝わるものかという思いが残っています。


■『極私的に臨界2003』
 鈴木志郎康作品
 ( The critical  point of personal reason 2003   ) 
 :miniDV color  36min.

■スタッフ・キャスト
 監督・編集・構成・ナレーション:鈴木志郎康
 撮影:鈴木志郎康 音楽:見木久ヲ
 出演:海老塚耕一、その他






「イメージフォーラム・フェスティバル2004」での
鈴木志郎康作品『極私的に臨界2003』の上映。


Dプログラム 東京・パークタワーホール    :5月1日(土)19時30分、5月5日(水/祝)14時30分     横浜・横浜美術館レクチャーホール    :5月4日(火/祝)15時30分     京都・関西ドイツ文化センター京都    :5月14日(金)14時

フェスティバルの詳しい内容は
IMAGE FORUM FESTIVAL 2004
でご覧下さい。
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