詩の電子図書室 別館5





解題:小長谷清実・宮園洋『東京、あっちこち』──Eテキスト化によせて

 『東京、あっちこち』(1991・れんが書房新社)は小長谷清実さん(こながや・きよみ、れっきとした男子です、1936─  )の詩36編と、宮園洋さん(関係者約2名によると、1942くらい─2001)の50点弱のイラストを組み合わせた、挿絵のついた詩集と言うよりは、ボリューム的にも質的にも共著の詩画集である。
 まず宮園洋さんについて紹介しておくと、ご自分でも「あとがき」で語っているが、思潮社の編集制作を担当された後、「百鬼界」の名前で独立し、主にれんが書房新社と連携しながら、小長谷さんのほか、伊藤聚さん、堀川正美さん、三木卓さんら、主に詩誌「氾」の同人だった詩人たちの詩集を編集制作した。現在は岡山で、手帖舎などを活動の拠点にして、編集者、デザイナーとして活躍されている(その後、2001年に交通事故死された)。記憶ちがいだったら申し訳ないが、ちょうどこの本に収められたイラストを描かれていた頃、一枚描くのにロットリングの先を(こういう言い方でいいのかな?)一本つぶすんですよと楽しそうに目を細めて語られていたのを思い出す。作品については、鈴木志郎康さんによるプロ級のデジタル化で、どうぞごゆっくりお楽しみください。
 宮園さんと小長谷さんの関係は古く、小長谷さんの第一詩集『希望の始まり』(1970・思潮社)の制作を当時、思潮社にいた宮園さんが担当したことに始まり、独立した後も、第二詩集『小航海26』(1976・百鬼界、増刷以降はれんが書房新社)、『玉ネギが走る』(1979)、『ナフタリンの臭う場所』(1981)、『スクラップ、集まれ』(1983・以上いずれも、れんが書房新社)と続けて編集制作をになってきたということで、この『東京、あっちこち』はそうした長い交流が生み出した一書と言える。
 さて、小長谷清実さんの詩についてだが、60年代前半までの作品を中心にした『希望の始まり』で、堀川正美さん流のややヒロイックな言葉遣いに、後の作品の性格となる軽妙な柔らかさを加えた作風を提示した後、『小航海26』でそうしたヒロイックな部分を削ぎ落とした作風に転じた。それぞれの詩集から引こう。

  途方もないおおきな都市が
  少しの悩みも悲しみも必要とせず
  ゆっくりゆっくり沈んでいくのを
  その透きとおった壁を通して眺めるとき
  どれほどの時代が経ったなら慣れるだろうかと
  わたしたちは時どき思う
   (「花ある青春」前半の一節、『希望の始まり』所収)

  大きな籠の危機 大きな籠の危機
  海はますます卑小に不毛に

  たよりなさ そのたよりなさが土用波を呼び
  大きな籠を日曜の方へぐらり傾け

  子供とネコ わたしたち レタスのように
  ごろごろ転がり転がり転がって

  いっせいに籠のへりにシッカとつかまる
  人間は指で ネコは指から爪をだして
   (「小航海時代」のラスト四節、『小航海26』所収)

 これ以降の作品の性格は、作品それぞれの表情があり、ひとつかみに言うのは危険なのを承知で言うと、政治的なロマンにせよ、叙情的な歌いあげにせよ、言葉に腰かけることの気持ちよさを否定する、あるいは椅子としての言葉をはずす、脱臼させるという性格がある。安楽に言葉に腰かけないことで、読者も作者自身もどこか居心地の決まらない宙ぶらりんに耐えさせる作風であると言えると思う。それを「ユーモア」と呼ぶ人もあるが、確かにそう取れるオチのついた作品もあるが、作品にただよう叙情を裏返しにしたような気持ちの悪さ、垣間見られる怒りは、「ユーモア」では片付けられない。近作の「目ぐすり一滴!」の後半を引く。

  (詩のようなものも
  ウワゴトみたいなものも
  やがて時きて
  ひからびて
  老人の血管みたいに、)
  しっくいの壁に
  しがみつく

  這い まといつき
  しがみつくものらを見あげ
  閉じたり開いたりしている目のなかに
  降ってくる
  目ぐすり一滴!
  (あわれみに
  似て)
   (『目ぐすり一滴!』所収・1994・書肆山田)

 こうした小長谷さんの作品史の中で『東京、あっちこち』の詩は宮園さんの挿絵(本に収めたものとは別のものとのこと)をそえた、しかも詩をあまり読まない読者の多い雑誌の連載だったせいか、詩を読まない人にもわかりやすい、さらりとした文体で書かれた異色の作品だ。ただよく読んでいくと、嘘かまことかわからない空間を作りながら(「7」「10」「25」ほか)、そこに「死」や「病」が個人史をともなって、いつもの小長谷さんの作品では見られないほど率直に取り込まれていることがわかる。

  それで、と
  声はちょっと途切れて
  小石川のあそこで
  ね、とそう言う
  死んだ当時のままの声で (「4」)

  腹の突きでた中年の男が
  紀尾井町にある大きなホテルの
  プールサイドに立って
  三十五年前の夏をのぞいている
  水は青く澄んでいるのに
  ぶよぶよの屍体ひとつ見ることができない (「8」)

  ニンギョウチョウー その駅のアナウンスに
  時にふっと心をよぎるものがある、
  ベッドの上で雛人形をむさぼり食っている
  ちいさな女のちいさな背なか (「29」)

 こうした戦後の時間をかかえた一人の人間の姿が、小長谷さんの詩の作風と合体して、もう一度、大きな文体の変化が生まれるときが来るのだろうか。もしその日が来るとしたらと、筆者はひそかに楽しみにしているのだが。

  何かがいきなり始まるのを
  待っているのだった (「2」)

付記・現在、書店で手に入れられると思える、小長谷清実さんの主な著書を以下に紹介します。
詩集
『現代詩文庫 83 小長谷清実詩集』(1985・思潮社、詩集『希望の始まり』『小航海26』各全編ほかの詩、エッセーほか)
『脱けがら狩り』(1989・思潮社)
『目ぐすり一滴!』(1994・書肆山田)
『藁科、その他』(1997・書肆山田)


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