詩を読む

その1 北村太郎「出口」
その2 ぱくきょんみ「わたしは、しない」
その3 関口涼子「熱帯植物園」(導入部)
その4 石垣りん「杖突峠」
その5 鶴見俊輔「対話」
その6 宋敏鎬「ブルックリン橋」
その7 江代充「兄の梯子」
その8 森崎和江「海」
その9 武田百合子「夜」
その10 福間健二「ミスキャスト」

その11 片桐ユズル「ふつうの女の子に」
その12 長谷川龍生「虎」(抜粋)
その13 小池昌代「悲鳴」
その14 尹東柱「たやすく書かれた詩」
その15 佐々木浩「抽象的な世界」
その16 建畠晢「余白のランナー」
その17 坂輪綾子「最後の日」
その18 元山舞「今日」
その19 氷見敦子「日原鐘乳洞の「地獄谷」へ降りていく」
その20 井上弘治「美的生活のはじまり」

その21 ネイティブ・アメリカンの詩「夜明けでつくられた家」
その22 ボリース・パステルナーク「二月だ インクをとって泣け!」
その23 W. H. オーデン「もうひとつの時間」
その24 川田絢音「グエル公園」
その25 高橋睦郎「「旅する男」のための素描」(部分)
その26 寺山修司「ヘアー」(部分)
その27 中上哲夫「再発」
その28 岡田隆彦「街」
その29 吉増剛造「帰ろうよ」
その30 ダムタイプ「COMING OUT 「世界」という「イメージの方法」からの解放」

その31 安東次男「みぞれ」
その32 永瀬清子「あけがたにくる人よ」
その33 木村迪夫「思い出すなあ」
その34 山崎佳代子「木の葉」
その35 鈴木志郎康「石榴」
その36 谷川俊太郎「なんでもおまんこ」
その37 清水哲男「はらから」
その38 北島「きみが言う」
その39 如月小春「都市」
その40 佐藤信「夜と夜の夜」

その41 石原吉郎「若い人よ」
その42 小長谷清実「水が少量」
その43 飯島耕一「カンシャク玉と雷鳴」
その44 ジェニー・ホルツァー「扇動的なエッセイ」(部分)
その45 ウンベルト・サバ「三つの道」
その46 辻征夫「沈黙」
その47 高橋順子「子どもの時間」
その48 宮河蕗子「都市の旋律」
その49 齋藤恵美子「夜勤」
その50 白石かずこ「生霊」

その51 伊藤聚「世界の終り」
その52 TOMO「もしも穏やかな退屈を、ありふれた平和と呼ぶならば……」
その53 須永紀子「西日のあたる部屋」
その54 井坂洋子「うじ」
その55 伊藤比呂美「ナシテ、モーネン」
その56 吉岡実「叙景」
その57 富岡多恵子「don't explain」
その58 清岡卓行「石膏」
その59 奥野雅子「話をきいてる?」
その60 藤井貞和「坂」

その61 金時鐘「化石の夏」
その62 菅原克己「げんげの花について」
その63 山之口貘「生活の柄」
その64 田村隆一「もう一つの世界」
その65 鮎川信夫「ジョン・レノンの死に」
その66 岡真史「ぼくはしなない」
その67 せきぐち ひでひこ「けっこん」
その68 黒田三郎「紙風船」
その69 瀧口修造「LINES」
その70 ガートルード・スタイン「やさしい釦」(部分)

その71 老子「老子 第78章」
その72 中桐雅夫「やせた心」
その73 吉本隆明「涙が涸れる」
その74 阿部岩夫「月の山」(導入部)
その75 李良枝「木蓮に寄せて」(導入部)
その76 ジョナス・メカス「古きものは、雨の音」
その77 サム・シェパード「81/11/1 シアトル、ワシントン」
その78 金子光晴「愛情13」
その79 平田俊子「再放送」
その80 小林泰子「手紙」

その81 フェルナンド・ペソア「1.12.1931」
その82 北村想「DUCK SOAP」(部分)
その83 ウィリアム・S・バロウズ「遠い手が上がる」(前文)
その84 諏訪優「太郎湯」
その85 柴田千晶「空室」
その86 松下育男「顔」
その87 芒克「死してなお老いさらばえることがある」
その88 橋本治「人生が通り過ぎてしまう前に」(部分)
その89 チャールズ・ブコウスキー「ガッツのあるラジオ」
その90 荒川洋治「美代子、石を投げなさい」

その91 天沢退二郎「湾岸に沿って」
その92 ジャン=リュック・ゴダール「右側に気をつけろ」
その93 エマ・サントス「去勢されない女」
その94 リチャード・ブローティガン「1942」
その95 まど・みちお 詩2編
その96 ゲーリー・スナイダー「パイユート・クリーク」
その97 山尾三省「聖老人」
その98 三里塚芝山連合空港反対同盟「徳政をもって一新を発せ」
その99 石牟礼道子「死民たちの春」

ノート1 石牟礼道子詩集『はにかみの国』
ノート2 飯島耕一詩集『アメリカ』
ノート3 須永紀子詩集『中空前夜』
ノート4 清水哲男詩集『黄燐と投げ縄』
ノート5 福間健二詩集『侵入し、通過してゆく』
ノート6 江代充詩集『隅角 ものかくひと』
ノート7 関口涼子詩集『熱帯植物園』
ノート8 藤井貞和詩集『神の子犬』
ノート9 小池昌代詩集『地上を渡る声』
ノート10 荒川洋治詩集『心理』

ノート11 鈴木志郎康詩集『声の生地』
ノート12 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』
ノート13 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』(その2)
ノート14 鈴木志郎康詩集『攻勢の姿勢 1958-1971』(その3)
ノート15 須永紀子詩集『空の庭、時の径』
ノート16 金時鐘四時詩集『失くした季節』
ノート17 唐作桂子詩集『断食の月』
ノート18 福間健二詩集『青い家』
ノート19 今井義行詩集『時刻(とき)の、いのり』

参考作品 『二十才の恋』WH1986 (未校正)


詩の引用は、あくまでも詩の鑑賞のためであり、作者、著作権者の利益を侵害する意図はまったくありません。問題のある場合はご連絡ください。 渡辺洋




<1>

  出口              北村太郎 (1922−92)


冬の
ある日の、夜
まだ、世界があるのに気づく
とどめを刺される
というのは個人、にかぎられるから
まだ、は
いつまでもつづくだろう
きっと
寒い、ちいさい、たくさんの家の、部屋のどこかには
針箱

はいるのは
どこから、だったろう
出口は
見えないようだけれど、はっきりしてるよ、そこは
うす青い氷、ふさいでるから

両手を
洗面器の、湯にひたしながら
つらぬく、のが
欲望なのか
運なのか、わからないで

冬の
ある日の、夜
新聞を敷いたフロアに、ずーっと、立っていて、そして
ガラス窓は、はめ殺し

・詩集『路上の影』(1991・思潮社)所収
 引用は『現代詩文庫 118 続・北村太郎詩集』(1994・思潮社)より


 すでに崩壊に瀕したような自己を抱いて、それでも日常の些事にまぎれ、自分や世界の困難について思いをめぐらせてばかりもいられないのだが、いまさらのように、冬のある夜、世界がまだ存在していることに驚愕する。世界は個人によって「とどめを刺され」て存在をやめるということはない。存在の「とどめを刺される」のはいつも「個人」のほうなのだ。そして、多くの個人は家の部屋の片隅に「針箱」を置くことで生きながらえている。

 そんな「家」のささやかな温かさへの入り方も忘れてしまった。出口のイメージは自分にとってははっきりしている。「うす青い氷」が「ふさいでる」あの、死だ。

 冬の夜に、両手を湯に深くひたすのは、自己にとっての快楽とも言えるし、偶然の所産として生き延びた者のただの行為とも言える。生は自己によって決定されるものではない。

 冬の夜、水がこぼれて濡れないように、新聞紙を敷いたフロアで、しばらく立っていた。ガラス窓は、入ることも出ることもできない「はめ殺し」だ、「殺し」だ。

 一瞬の情景詩、心境詩のように見えながら、空白を強いられるかのような長い時間に耐えつづけてきた、詩人の思考が凝縮していることに思いを馳せたい。



初稿 2005.1.1 まだ書き方がよく分かりませんが。




<2>

  わたしは、しない              ぱくきょんみ (1956−  )


きょうの空に
一点の曇りも見つけないで
冬枯れの前に
あばれ枝を整理しないで
木の実いっこに
木の葉いちまいに
木の枝先いっぽんに
賢しげな眼をあげないで
ことばに詰まらないで
わたしは、しない

ひとの嘘に
じぶんを見透かされないで
ふつふつと噴き出した
妬みやそねみに惑わされないで
ほら
映像に終始する「伝達」だから
爆音やとどろきはここまで届かない
ここまで、どこまで
薄い笑いが蔓延して
世界の軸が外れていく
平たい調和にくちびる舐めないで
わたしは、しない

・詩集『そのコ』(2003・書肆山田)所収
 原文は「賢しげ」の「賢」に「さか」のルビあり


 「見つけない」「整理しない」「眼をあげない」と、否定文が続いています。しかし、読者に感じられるのは、「一点の曇りを見つけた」「あばれ枝を整理した」そして木の細部に「賢しげな眼をあげて」「ことばに詰まっている」、作者らしい「わたし」の存在ではないでしょうか。だとすれば、その「わたし」は、「ひとの嘘に自分を見透かされ」「妬みやそねみに惑わされ」ながらも、「ここまで」届いた「爆音やとどろき」を真正面から受け止めているのではないでしょうか。「蔓延」する「薄い笑い」が世界をその軸で受け止めることを遠ざけようとしている社会。「平たい調和」で「くちびる舐め」てしまう社会である、日本語社会に対する違和をさりげなく提出しているのは、繰り返される「わたしは、しない」という、日本語としてはちょっと引っかかる行でしょう。「わたしは、しない」の「しない」は先行する動詞の代動詞、つまり繰り返しを避けた言い換えの「しない」ではなくて、それまでに出てきた「見つける」「整理する」「眼をあげる」といった動詞を後ろにしたがえた(省略した)、英語で言えば I don't なのでしょう。「わたしは、しない」の「、」の部分に動詞が隠されているのでしょう。この行が日本語で書かれたことが批評しているものに耳を澄ませたいと思います。

 これは余談ですが、この詩のことを考えているとき、ジョン・レノンさんの "God" という歌を思い出しました。I don't believe in の後にさまざまな権威の名前を持ってきて、聖書もケネディもエルヴィスも何もかも信じないと延々と歌っていく歌。そんな残響を聞いたのは私だけかもしれませんが。



初稿 2005.1.3




<3>

  熱帯植物園(導入部)              関口涼子 (1970−  )


植物のさまざまな学名と、それが
背をもたせかけるものによって支
えられている発音の連続体がある。
左側でつなぐ構造が許すある一定
の長さと、間違えば「それが含む
もの」と呼ばれてしまうかもしれ
ない事象、その細微な傾きを、荷
重はかけないままこれ以上はない
程明瞭に流れるようにしたいとい
うことがひたすらに思われていた。
態の区別がまず厳格に禁止され、
三番目の方へと目を向ければすで
にFの文字が現れてきていて、そ
れを発音し私達もまたそうされた。

・詩集『熱帯植物園』(2004・書肆山田)長編詩の冒頭の1ページ


 植物の学名であるラテン語、その言語構造によって支えられている、発音、またその左側でそろえる横書きの表記の前に(言語によっては横書きでも右始まりになる)、私達は植物を、名に含まれるものと考えてしまうかもしれない。しかし、植物そのもの、そしてその名前との関係とは何だろう。植物そのものを感知すること。能動態も受動態も禁止し、見るもの、呼ぶものという特権を、また植物に見られている自分といったロマンチックな想像も廃したとき、ラテン名、現地語名に続いて書かれた、私達のよく知るところのフランス語(F? ここはまったくの誤読かもしれません)による名の表記があり、私達はそれを発音したが、それはまた私達が発音されることでもあった。

 『熱帯植物園』という長編詩集の導入部です。詩集全体は詩人によれば、ポルトガルの熱帯植物園めぐり、亡くなった彫刻家、若林奮氏との書簡などに端を発し、中世アンダルスの詩人達の詩形式に応答したものとのことですが、そこまで読者として辿り着くにはまだ時間がかかりそうです。しかし、この冒頭部分だけを読んでも、作者の人間存在のゆらぎ、言葉と付いたり離れたりを繰り返す、体感と言語の表現の冒険が、日本語の詩の言葉の伝統に閉じ込められない、作者自身のリアルな言葉によって繰り出されているのが感じられます。



初稿 2005.1.3




<4>

  杖突峠              石垣りん (1920−2004)


信州諏訪湖の近くに
遠い親類をたずねた。

久しぶりで逢った老女は病み
言葉を失い
静かに横たわっていた。

八人の子を育てた
長い歳月の起伏をみせて
そのちいさい稜線の終るところ
まるい尻のくぼみから
生き生きと湯気の立つ形を落した。

杖突峠という高みに登ると
八ヶ岳連峯が一望にひらけ
雪をまとった山が
はるかに横たわっていた。

冬が着せ更えた白い襦袢の冷たさ、
衿もとにのぞく肌のあたたかさを
なぜか手は信じていた。
うぶ毛のようにホウホウと生えている裸木
谷間から湧き立つ雲。

私は二つの自然をみはらす
展望台のような場所に立たされていた。
晴天の下
鼻をつまんで大きく美しいものに耐えた。

・詩集『表札など』(1968・思潮社)所収
 引用は『現代の詩人 5 石垣りん』(1983・中央公論社)より
 原文の「着せ更えた」の「更」に「か」のルビあり

[参考]英訳 Norma Field "From My Grandmother's Bedside--Sketches of Postwar Tokyo" (1997, University of California Press) より、同著者自身による翻訳

  WALKING-STICK PASS

I called on distant relatives
near Lake Suwa in Shinshu.

The old woman I was seeing after a long absence
had taken ill, grown speechless
and was resting quietly.

Showing the undulation of the years
of raising eight children,
the small ridge ended there
where, from the hollow of a round rump,
she dropped a form steaming with life.

When I climbed the height known as Walking-stick Pass,
the entire Yatsugatake Range opened up before my eyes
  snow-draped mountains
  resting in the distance.

Somehow my hand was sure of the chill
of the white under-robe brought by winter,
of the warmth of flesh just showing at the collar.
The bare trees like downy fuzz,
the clouds billowing from the valleys.

I had been made to stand in a place like a lookout
with a view of two instances of nature.
Under the clear sky
I held my nose and endured
that which was large and beautiful.


 昨年(2004年)亡くなった、石垣りんさんの佳編です。年代的には40代の作品でしょうか。信州の遠い親類をたずねると、その家のおばあさんは、老衰のためか、言葉もなく寝たきりになっており、(家族に介護されて)排泄していた。「ちいさい稜線」という背骨を指した表現が、次に出てくる峠からの山の風景につながっていきます。

 峠から見える連峯は雪をまとっています。その次の連の「なぜか手は信じていた」という1行はさらっと読めてしまいそうでいて意外と難しい。この1行がなければ、この連はただの風景描写となってしまうでしょう。雪の冷たさ、そこから覗いている地肌のあたたかさ(それは遠く離れた風景なのですが)、おそらく「私」は寒さや風景の美しさにふっと手を衿もとにあてるような仕草をしたのではないでしょうか。この「なぜか手は信じていた」という1行があることで、風景描写が、人の温もりを「なぜか」「信じ」る気持ちの表現と重なったのだと思います。

 最後は、もう老女の元は去っているわけですが(と言っても「展望台のような場所」の「ような場所」という表現は二重性を示唆した曲者です)、広大な風景のなかで、あらためて「鼻をつまん」だとフィクションを入れながら、大きな自然と、人間のちいさな生の営みとをならべて、ユーモラスにしめくくっています。



初稿 2005.1.5、 修正 1.22




<5>

  対話              鶴見俊輔 (1922−  )


今は昔
親しい編集者がいて
火をつけた煙草を私にさしだし
「これをつかんでごらんなさい」
と言う
私はそれをつかんだ
てのひらが焼けた

「それがあなたの
一番悪いところです」
と彼は言った

彼は退社し
しばらくして
なくなった

それから何年
テレビに日本人が
うつった
アフガニスタンにしのびこみ
スパイとうたがわれて
つかまった
カメラひとつもっていない
それが彼の救いとなった

ある日の新聞に彼の顔がうつり
現地まで行った義兄に
頭をこずかれ
「すみません」
とあやまっていた

その名は柳田大元
父である編集者柳田邦夫に
よく似ていた

前のはなしとこのはなしは
どこかつながっている
誰に語りようもないこのつながりを
八十歳に手のとどく私は
自分の中で見ている

・詩集『もうろくの春』(2003・編集グループ<SURE>)所収


 今さら「哲学者の」と説明するのも気がひける鶴見俊輔さんの、八十歳を過ぎての初めての詩集の1編。昔、親しい編集者がさしだした火をつけた煙草を「私」はつかんでやけどし、「それがあなたの/一番悪いところです」と言われた(さしだした方もどうかと筆者は思いますが)。
 それから彼もなくなり、さらに何年もたってから、彼によく似た若者がアフガニスタンで拘束されたニュースがテレビでも新聞でも報じられた。その編集者の息子だった。日常の枠から踏み出すことを誘いながら、本当に踏み出す者を諭す、そんな関係が彼の息子にも反映している(現実には「彼」はもうなくなっていて、諭したのは、「彼」の義理の息子だったが)。そんな語りようもない思いを自分の中に「私」は見ている。

 ところで詩を書くこと、読むことは、踏み出すことだろうか。たぶん違うだろう。詩が、踏み出すことのきっかけや記録になったとしても。大学の職を捨て市民運動家にはなっても、詩の専門家になることのなかった鶴見さんはその違いをふまえながら、控え目な文体で、しかし厳しさをもって語っているようだ。

[付記]柳田邦夫さんは元中央公論の編集者で、『書き言葉のシェルパ』などの著書を持つジャーナリスト(1988年に死去)。詩中の「義兄」は野村進さんで、『コリアン世界の旅』などの著書を持つノンフィクション作家。タリバンによるフリージャーナリスト柳田大元さんの拘束は2001年10月のこと。それぞれの仕事の呼称の違いはインターネットでの調べによるもの。



初稿 2005.1.6




<6>

  ブルックリン橋              宋敏鎬 (1963−  )


あの黒人やあのヒスパニックにも子供はいて
このアジア人にも足はある
霞がかったB電車の歯科医のような安息も
ブルックリンの黄昏に乗っかり
ブライアント公園に向かう遠い紐解き
そして
この離れがたい
個人的な糾明
個人的な批判
花弁を識別するような脳天気はここになく
河を下り 写真を撮り 車に乗る
手元を離れたコップが瞬時に氷片に輝く破壊の気持ちで
脚を組み替え
彫刻を巡り
光線を
浴びているような 浴びていないような
深い芝の碧さに対抗する
禅の

の数々
を手放す勢いで
電車は 船は ダムに沈み
また 上がり
本線に 本流に 戻る
肩を脱臼しながら
目撃を撃ちながら
癒すものもなく
ブルックリン橋を
行くこの黄色い脚たち

・詩集『ブルックリン』(1998・青土社)所収


 宋敏鎬(ソン・ミンホ)さんの詩はいつ読んでも落ちつかない気持ちになります。気持ちを引かれる2、3行のパーツが読む側が意味づけできる展開に納まっていかない。要するに「落ち」が「つかない」わけで、その感想はこの詩の収められた第1詩集(前年に私家版で出した、その新版とも聞いていますが)を初めて読んだときから今に至るまで変わりません。こんな読者にとっては、どの詩がどの詩よりいいと言える根拠もなく、かなり恣意的に選んだ1編です。

 ニューヨーク、黒人やヒスパニックやアジア人があふれている。黄昏どきのB電車に乗ると乗り物に乗った安心感からあれこれの、たとえば人種的なこだわりも紐のように細く伸びていく。(在日という)こだわり、アジア人をさらに国別に識別する(アジア人にとってはまだ乗り越えられない)こだわりもここでは問題とされない。船、カメラ、車。さっきまで持っていたコップに浮かんでいる氷片のような、私のこだわり(破壊衝動)。いかにも合州国的な芝生に対抗する、自分に染み付いた墨絵のような感性も捨てていく、そんなスピード感で、アジア人のあふれるニューヨークの本流に戻っていく。(日本で在日として育った自分の)「肩を脱臼し」「目撃を撃ち」「癒すものもなく」、黄色い脚の一人になって、私も橋を渡る。

 こう書いてしまうと物語になってしまいますが、たとえば「脚を組み替え/彫刻を巡り」という2行はどうしましょうか。(在日という自分のこだわりから)スタンスを変えて、アートは至高だというかのような、この合州国の都市のペースにまみれて、とでも読んでおきましょうか(実際にニューヨークは彫刻、モニュメントには事欠かないようですが)。説明しすぎでしょうか、読み違いばかりでしょうか。もう一度、詩そのものを読んでみてください。



初稿 2005.1.8




<7>

  兄の梯子              江代充 (1952−  )


兄は寄せかけた梯子にのぼり
めくれ上がった屋根のうえに姿を消している
兄はわたしのいる土の上に
気持ちのよい強いなじみをかんじはじめた
そこに立つ二本の脚から
上方へとかけられた木梯子の何段かが
わたしの視野に収まっている
たよりになる仕事をなしおえ
その足どりで降り立とうとするまでは
どこへも行かず
手に取ってささえることも
梯子の先端を見つめなおす必要もかんじられない
わたしは木梯子と共に
ここにいつづけることができる
このすでに癒えた病いとともに卑屈にならず
よわり果てることもなく
わたしは徐徐に
わたしの姿を取ることになるだろう

・詩集『白V字 セルの小径』(1995・書肆山田)所収


 夢のような描写です。

 「兄」は梯子をのぼって、今は屋根のうえで姿が見えない。「わたしのいる土の上」に「強いなじみをかんじはじめた」「兄」は「わたし」の「かんじ」方と入れ替わっているかのようです。その「わたし」は梯子の「二本の脚」「上方へとかけられた木梯子の何段か」を「視野」に収めている「わたし」でもあり、「わたし」でもあるような「兄」がなすべき仕事をなしおえ、「その足どりで降り立とう」とするまでは、梯子をささえることも、その先端を見つめなおす必要も、心には浮かんできません。こうした夢のような見方、感じ方が「わたし」が把握しうる「わたし」のすべてであり、そのことを「わたし」はすでに「病い」と感じることもなくなったのですが、その「わたし」が「病い」のように置かれた生き方と、「わたし」はずっとともに「いつづけ」ながら、それが「わたし」であるということに徐徐になっていくのでしょう。

 エリック・クラプトンというギタリストが、指の動きが速すぎてかえってゆっくり弾いているように見えることから「スロー・ハンド」と仇名されたエピソードを聞いたことがありますが、江代充さんの詩は気が遠くなるほどの時間をかけて書くことによって、逆に視線の移動、体感の移動が短い詩のなかに凝縮され、そのことによって激しい分裂に詩が耐えている印象があります。その原因を作者の人格、トラウマに求めるよりは、今は作者の詩が何をどこまで把握するのか、その持続を追い続けていきたいと筆者は考えます。



初稿 2005.1.8




<8>

                森崎和江 (1927−  )


港に碇泊している船のむれ
わたしらが待っているベンチ
船へつづく石の廊下
ここをねじろにする浮棧橋のうえの
とびはねる浮浪児の
すばやい略奪にきずついている

しおざいは波をすべり
わたしらをふきさる
わたしたちにとって
なぜいつもはじまりであるのか
きのう自殺したおとうとの
この出発をせおって
わたしは死を終焉へはこぶことができない

さむくないとはありがたい
これっぽっちのしあわせにくるまり波止場に立つ
履歴書に似てとぶかもめ
かるいわたしらの重量が落ちるところ
はるかなブイも浮きしずみ
潮騒
ああおにぎりがほしかったおまえ
借り着の服もろとも傷ついていたおまえ
わたしらの選択は散りいそぐ旗にのまれ
かもめの舞うはとば
くりかえす出発のなかの
孤児と孤児と

朝日にすけてみえなくなるおまえの遺体
わたしらのつぶやきのように
しおかぜに消えるおまえの青春
浮浪児の散弾がとぶ
わたしらは船にのるのか
船は行くのか
海は……

おまえ
生きかえれわたしのまえに
およごう おまえとともに
海のないはとば
はとばのない海へ ああ

・詩集『さわやかな欠如』(1964・国文社)所収
 引用は『日本現代詩文庫 12 森崎和江詩集』(1984・土曜美術社)より


 わたしたちは港のベンチで出発を待っている。浮浪児の略奪にきずつきながら。激しいしおざい。わたしたちはいつも、これで終わり、と安堵したことがない。おとうとの自殺も出発であり、何かの終わりとは呼べないものとして、わたしはそれを抱えつづけるだろう。朝鮮から引き揚げ、ともに朝鮮のことを語り合ってきたわたしとおとうと。さまざまな政治運動、朝鮮戦争、時代に翻弄されてきたわたしたちの、きちんとした重さを与えられたことのない人生の履歴書のようにとぶかもめ。貧しさのなかで闘いながらおまえは死んだ。何度もくりかえさねばならない出発。(両親も故郷朝鮮も失った)わたしたちも寄る辺のない「孤児」なのだ。

 終わってしまったおまえの青春をきずつけるように、浮浪児の散弾がとぶ。また出発するのか。おとうとよ生きかえれ。出発を強いられることのない、「海のないはとば/はとばのない海へ」と、ともにおよごう。

 弟さんの自殺(1953)ほか、作者の年譜を参考に補いながら読んでみました。



初稿 2005.1.9




<9>

                武田百合子 (1925−93)


どこかの醸造やの酒ぐらで
酒が凍ることがあると
だれかがいつた。
美しい酒が凍るのは
きつとこんな夜かもしれない

山はねてしまつた
もし ひとつの星が杉の森に
深くおちたとしても
だれも目をさますものはあるまい
風だつて今夜は岩かげに眠るらしかつた
動くものは宿のランプの灯のかげ。

今こそ
峡のすい晶はきびしい音をたてて
結晶をはじめるかもしれぬ

すゝむちやん

今夜あたりは
星の熟柿が自分のおもみに
たへかねて
川におちこむかもしれない

生れて始めてのやうな
しづかさだね

・同人誌『かひがら』(1943、号数不明)所収
 引用は村松友視『百合子さんは何色』(1994初版; 1997・ちくま文庫)より(「友視」の「視」は正しくは偏が「示」)


 晩年に文章家として人気を集めた武田さんの、戦争中、10代のときの作品です(当時は鈴木百合子さん)。

 兄弟あるいは家族で旅をする機会でもあったのでしょうか、それとも所用のための移動かもしれません(「すゝむちやん」とは弟の進さんのことと考えて)。旅先の宿で、あわただしい日々の束の間のしずかな夜を感じ取っている。その情景を、自分の感性で受け止めて表現にしている見事さ、自由さは、同時代に多くの文学青年が乏しい外国文学の情報にしがみついて、たとえば日本語の暗喩表現を模索していたことを考えると、後年の独自の文章の輝きをすでにこの時点で把握していたと言えるのかもしれません。

 「美しい酒が凍る」「ひとつの星が杉の森に/深くおちたとしても/だれも目をさますものはあるまい」「風だつて今夜は岩かげに眠るらしかつた」「峡のすい晶はきびしい音をたてて/結晶をはじめる」「星の熟柿が自分のおもみに/たへかねて/川におちこむ」、どれも「生れて始めてのような/しづか」な夜を形容しているのですが、分かりやすいようでいて、なかなか書けるものではない描写が光っています。「美しい酒」、「結晶をはじめる」「すい晶」、「星の熟柿」、こんな確かで明晰に飛躍する言葉を、戦争中の10代後半の作者がすでに持っていたことに、驚くとともに幸せな気持ちになれるのは筆者だけでしょうか、「すゝむちやん」と自分が語りかけられたかのように。



初稿 2005.1.9




<10>

  ミスキャスト              福間健二 (1949−  )


まちを歩く
たくさんの人とすれちがう
だれも「たすけてくれ」とはいわないが
ぼくも「苦しいか」とはきかないが

すべりおちてゆくしかない
大きな斜面
それから
知らない生き物の
やわらかい体の動きを感じて

バレているのに
バレてないふりをされているのか
心が死にかけて
川べりの曲がった道にいるのだ
気を失いそうになるが
なにかいわなくてはならないとあせるが
機械の指にいじられて別人になる

自分の役を信じられるかどうかの瀬戸際で
爪のきたない指
コイルを巻いた指が
通信を受けとった
思い出せるはずのなかった
はじまりの場所からの

いくつもの
いままでの失敗を思い出してしまう
ここからまた失敗することを覚悟して
曇り空を見る

・詩集『秋の理由』(2000・思潮社)所収


 まちですれちがうたくさんの人。「たすけてくれ」とか「苦しいか」とか、声をかけあうこともないが、何かが聞こえてくる、何かを話したくなる。私たちが置かれているのはすべりおちてゆくしかない大きな斜面、そこでも、自分では忘れているやわらかい心のようなものを身体で感じる。「心が死にかけて」「川べりの曲がった道」で「気を失いそうに」なり、「なにかいわなくては」とあせっている、そんな心を持っていることを、お互いに知らないふりをしているのか、「機械の指」にいじられて「別人」になって生きる「自分の役」を「役」として信じようとするが、爪のきたない指(自然性)が、コイルを巻いた指(現代の都市文化にそまった存在、あるいはローテクか)が、受けとった「通信」で思い出す。こんなふうになってしまう前の自分、自分が重ねてきたいくつもの失敗。自分が「ミスキャスト」かも、なんて疑う心を持ってしまう以上、この「斜面」で、自分はまた失敗するのだろう、それでいい。

 長い詩の多い作者の、比較的短い詩で、その分、構成が分かりやすくなっていますが、「心が死にかけて/川べりの曲がった道にいる」といった、一見生々しい言葉が、「斜面」「機械の指」「コイル」といった、日常の言語空間に閉じ込もらないイメージの膨らみに支えられ、単なる自己吐露になってしまわずに、言葉の展開のなかで、読者と共有できる表現になっているところが、作品の力になっています。



初稿 2005.1.9




<11>

  ふつうの女の子に              片桐ユズル (1931−  )


ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたが そこまで おもいつめたとは
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ボストンバッグに きものをつめて
退学とどけ と 片道キップ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

ぼくは あなたに なにもしてあげれない
ぼくには かねもなく コネもない
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ただ がんばれと 声をかけるだけ
ただ 花束とキスをおくるだけ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

つめたい風がふきはじめ 窓にあかりがつくと
しらないひとたちのなかにいる
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ときどき がんばれの声がきこえてくると
そこにも 仲間がいる と知る
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

・片桐ユズル・中村哲・中山容編『ほんやら洞の詩人たち 自前の文化をもとめて』(1979・晶文社)より


 ときどき岡林信康さんの「友よ」という歌を思い出して、小声で歌うことがあります。この詩も「友よ」のように、時々不意に記憶の底からよみがえってくる60年代の詩です。フォークソング運動の盛んだった当時に、おそらく初めから朗読を意識して書かれた詩だと思います。

 学生運動やさまざまな表現が盛んになったものの、若い女性たちはまだまだ親の監視下に置かれ窮屈な思いをしていることが多かった頃、ある女性が(運動で知り合った人、それとも教師だった作者の教え子?)が学校をやめて家出します。仲間である「ぼく」には(詩には、歌には、という響きも筆者には聞こえます)、「あなた」を具体的に助ける力はなく、「がんばれ」と声をかけ「花束とキス」を送ることしかできません。家を出て知らないひとたちのなかに飛び出した「あなたの こどくが ぼくのみにしみる」。ときどき「がんばれの声」がきこえてくると、同じような境遇にいるひとたちがいるのを知る、「ひとり たたかうしかない」「あなたの こどくが ぼくのみにしみる」。

 作者の言葉を借りると、関西フォークソング運動がはじまったころの、ふつうのひとに感じられた無限の可能性に対する連帯感で書いたものとのことですが、運動はあるところから先へは行けなかった、ただし「挫折」をうまく表現して「挫折それ自体がいいことだ」みたいに思ってしまうのも違っている、と。その後も手作りの運動にこだわり続けている作者同様、この詩も単なる過去の作品にとどまらず、今に届くものを持っていると思います。



初稿 2005.1.12




<12>

  虎(抜粋)              長谷川龍生 (1928−  )




泪もろい
ああ、泪もろい
はらはらと泪がこぼれる。
路をあるいている時
電車にのっている時
ひとり、ベンチにねそべっている時。

おれは、恐怖王
ああ、どうして、
単純、残忍、無償殺人者、
夜の路をすれちがっていった人
電車の連結器にのっかっている人
なんでもなく平凡に生きている人
おれは殺す。



虎よ。
恐怖王の使者の中の
たった一匹の勇者。
赤外線の虎よ。
てれくさくねむっていた内気な心臓。
よごれたむしろをかぶっていたニヒルな毛皮、
牙ばかりをみがいていた自虐の名誉。
その虎が、いま、おれを喰いやぶり
獲ものをめがけて、太陽への道をはしる。
虎、はしる。
虎、はしる。
すべての色あせた獲ものの世界
虎、はしる。

10

バタ屋になりたい
バタ屋になりたい

だがバタ屋の世界には
バタ屋の縄ばりがめぐらされている。
メカニズム、蟻を見たら殺せ。
どんなに落ちたって自由の歌はない。
君の自由は精神病院に
入院許可証をもらうことだ。
正常な社会から
遮断されている場所に
そこに自由がある。

ところが、入院して思った
こんな不自由な世界は、またとない。

ところが、退院して思った
まだ精神病院の方がましかもしれない。

メシ屋になりたい
メシ屋になりたい
メカニズム、蟻を見たら蠅をほどこせ

朝から、大学生たちが食堂におしかけ
大口をあけてメシを喰っているところ
料理場の湯気がたなびいているところ
赤くはれた女の子の足、楽しい。



・詩集『虎』(1960・飯塚書店)所収
 引用は『現代詩文庫 18 長谷川龍生詩集』(1969・思潮社)より


 長編詩からの抜粋です。実際の作品は18のパートと、この作品が作者が記憶を失くした1958年秋の3日間に走り書きされていたものだという趣旨の前書きからなっています。

 「泪もろい」自分はどこか精神のバランスを逸しているようです。日常の風景のなかで泪をはらはらとこぼす「おれ」は「恐怖王」で「単純」で「残忍」で、平凡な人を殺す「無償殺人者」なのに泪をこぼす者でもあります。その「恐怖王」の「たった一匹の勇者」である「使者」、それが「虎」なのですが、「虎」は同時に「内気」で「ニヒル」で「自虐」的なのです。つまり「虎」は「おれ」の内部に潜む殺意なのでしょうか。その「虎」は「おれを喰いやぶり」「色あせた獲ものの世界」へはしって行きます(パート4で「虎」は「見える」が「見えない」といった記述がありますが、それは「おれ」の内部の存在であると同時に、外部化されうる存在だということでしょう)。「おれ」は精神病院に入っては後悔し、出ては後悔し、で、メシ屋になりたいと思ったりしますが、生き方の答えなど出ず、これ以降の詩でも、銀行で不審尋問されそうになったり、バスの走り方が遅いので都庁に脅迫電話をかけたり、そして最後になっても「虎」ははしり続けて詩は終わります。

 ほぼ同時期の深沢七郎さんの「風流夢譚」(1960)を思い出させるようなアナーキーさ、明解さ、党派的な一元的思考に納まらない飛躍。この詩の強靭さは、その「泪もろい/ああ、泪もろい」という冒頭部分だけで呼んだ者の記憶に焼きつくのではないでしょうか

初稿 2005.1.13




<13>

  悲鳴              小池昌代 (1959−  )


 葡萄を手にもつと、くだもののおもみは、てのひらから腕を伝
い、やがて乳房へと届けられる。
 秋、女たちが葡萄にとくに親しいのは、どちらもゆれる水分と、
やぶれやすいまくをもっているからだ。
 鈴を鳴らすように房を揺すれば、ひとつひとつの実のなかに宿
る、静かな思念も左右に揺れて、空気をふるわせ幽かな音をたて
る。それはとおくの山道から、なつかしい人が駆けてくる音だ。
 引力に従って垂れ下がったまま。水をもつものの、それは習い
だが、どんな悲鳴をあげているのか。いかなるものとも接点をも
たない吊り下げられたしずかな世界で。
 足元には、落ちるよりほかない深い闇がある。無数にはられた
みえない糸が、葡萄と地面をまっすぐにつないでいる。たるませ
てはならない金の弦である。
 鳴り出す前の、おそろしいほどの静けさのなかで、秋のひかり
だけが、たわんでゆれていた。
 葡萄棚の下を傷ついた人がいく。背広の背中を木漏れ日があた
ためる。光に選ばれていることも知らない。

・詩集『もっとも官能的な部屋』(1999・書肆山田)所収


 手にもった葡萄のおもみが乳房へと届く。女たちも葡萄も「ゆれる水分」と「やぶれやすいまく」をもった存在だ。揺すられた房のひとつひとつの実のなかの、(葡萄の)思いも揺れて「幽かな音をたてる」。「なつかしいひとが駆けてくる音」というのは、「山道」をやってきた「葡萄」の音であると同時に、日頃忘れている自分の生がたてる音だということでしょうか。「引力に従って」「いかなるものとも接点」をもたずに吊り下げられた「葡萄」(「乳房」そして「なつかしい人」)の「悲鳴」。
 自分の足元には「落ちるよりほかない」、生きるしかない「深い闇」があり、その垂直な方向と平行して「無数にはられた」「葡萄と地面」をつなぐ「みえない糸」、はりつめた「金の弦」が、秋のひかりに包まれて、「悲鳴」をあげるように「鳴り出す」前の静かな緊張を生んでいる。
 「葡萄棚の下」をいく「傷ついた」男よ、あなたを私は見つめているのですが、あなたは私(葡萄)に見つめられながら、秋の光のなかを歩んでいることに気づかないのですね。

 四連から六連めまで、重なりながら少しずつずれていく言葉と視点の運動、「悲鳴」はすでに聞こえているのでしょうか、やがて「金の弦」は鳴り出すのでしょうか。もう「幽か」に聞こえてもいるようなのですが、それは葡萄と男女のいる風景とともに読む者の胸に手渡された音なのかもしれません。



初稿 2005.1.14




<14>

  たやすく書かれた詩              尹東柱 (1917−45)


窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、

詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、

汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受けとり

大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。

かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い

わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?

人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、

灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。

・尹一柱編・伊吹郷訳『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』(1984・影書房)より
 「他人」には「ひと」、「灯火」には「あかり」のルビあり。


 夜の雨の音が聞こえる、朝鮮を支配する日本の六畳下宿、禁じられた朝鮮語の詩人とは運命の皮肉だが、わたしは詩を書こう、家族の気持ちと苦労のこもった仕送りを受け、大学に通うわたしは。幼友達を失ってきたわたしが、今、詩に託す願いとは。思いとは? 人生にくらべて詩はたやすすぎ、恥ずかしい。友達を失い、最後のひとりとしてわたしは、時代の夜明けを待つ。たやすく詩を書いて、仕送りで学生生活を送るわたしだが、そんなわたしに、わたしは手をさしのべ、涙ぐみながら慰める。

 尹東柱(ゆん・どんぢゅ)さんは戦時中に日本人によって投獄され虐殺された。薬殺と言われているが、その獄中の最後の叫びを看守は訳の分からない叫びと聞いたと言う。朝鮮語だということも分からなかったらしい。



初稿 2005.1.15




<15>

  抽象的な世界              佐々木浩 (1970−  )


君との待ち合わせに
何度も利用した喫茶店の壁に
何枚もの抽象絵画が飾られていた。
白と黒がぶつかりあったり
赤と青が飛びちっていたりした。
君の美言うなれば
君の瞳や仕草に見とれていた頃には
抽象絵画を分かるゆとりは僕にはなかった。
君と気まずくなる事件がおきて
君が遅刻をくりかえすようになってからは
僕は抽象絵画にじっくりと付き合うようになった。
つまり君の美以外の美を
そいつを認めてみたくなったのだ。

君はついに来なかった。
コーヒーをおかわりしてもまだ来なかった。
コーヒーはおかわりすればするほど
抽象的な味わいがした。
苦さと酸っぱさだけで成りたっていて
温もりと香りは省かれていた。
コーヒーのおかわりに飽きると
抽象絵画を眺める以外にすべきことがなくなった。
抽象絵画はこれ以外にない結論をもたらしてくれた。
僕は抽象絵画を好きになれたけど
君は抽象絵画を好きになれなかったのだ。

・詩集『アップルパイが大好きな女の子』(1999・書肆山田)所収


 説明を必要としない詩なのかもしれません。「君」との恋の破綻というストーリーを抽象絵画との付き合いと並行させて語っています。若い男はとかく抽象的です。若い女性もそうなのかもしれませんが、もっと身体的なのかしら。会いたいという気持ちが彼女になくなっていくのと同時に、「僕」は「抽象」に目覚めていきます。コーヒーが「抽象的な味わい」がするというあたりから、作者の茶目っ気のある詩が始まっていきます。「君の美以外の美」、つまり日常世界以外の観念の甘やかさに、失恋を通して気づいていくというのは男子の成長としては遅いと思えますが、つまりは失恋体験を元に、ひとつ分かりやすい(抽象的でない)、かっこいい詩をものしてやろうという作者の遊びなのでしょう。

 「抽象絵画を好きになれなかった」「君」はその後どうしたんでしょうね。きっと素敵な女性だったのではないでしょうか。



初稿 2005.1.15




<16>

  余白のランナー              建畠晢 (1947−  )


 ピカソより後のフットボール。走ればいいというものでもな
いが、俺たちの場合は、訳もなく白いフィールドをさまよって
いる。あのポール。あのバー。あのライン。横目で見れば、な
お白い夢のようなものだ。欲部の所在がわからないという、手
記に残すことすらためらわれる俺たちの欠陥。バロック風の居
間で一人の妻と笑いあうことすらできないであろう、余白のラ
ンナー。だがその靄のような光は「振動している」と打ち明け
られた。さまよえばそれは「秘められた記憶の現在的な体験」
であるとも。まずは震えよ。すると欲望はおのずと輪郭を現す
であろう……
 ピカソより後のフットボール。あのポール、あのバー、あの
ライン。遠い喚声をアルパカのコートにしみこませた叔父も居
間を横切って行くが、伏し目がちに見送る俺たちには、それも
白い夢のようなものだ。
 そう、俺たちは余白のランナーである。
「この美しいフィールドに掲げられる歴史的身体というものが
ある。」
 俺たちは振動する余白のランナーである。
「蜜蜂の羽音は花の欲望の形象である。」

・詩集『余白のランナー』(1991・思潮社)所収


 人は、美術とか美術館とか美術の秋とか言うけれど、ピカソより後は実は訳が分からなくなっている。ピカソ以前の画家たちのように、生前に認められないまでも、絵画と格闘した、妻と自分を認めない世界を笑いあったりする手記を残すことも、最早意味を持たない美術の余白の時代、これからのキーワードは「振動」だと言われて、取りあえず走ってみるしかない。
 叔父たちの時代は美術も楽しかったろう、どんなに抽象的でも、抽象なりの具体があった。「俺たち」は美術表現の歴史のなかで余白に位置づけられた表現者だ。「振動」してみよう、蜜蜂の羽音のように。欲望がよみがえってくるかもしれない。

 この詩集が発表された時には、すごく先端的な詩と思えたものですが、さらに十余年経ってみると、当たり前の評論のようにも読める詩です。「余白」はさらに追い詰められているのでしょう。

初稿 2005.1.15




<17>

  最後の日              坂輪綾子 (19??−  )


諦めであたたかくなった制服を
頭からかぶる
私の形に訓練されている
芸をみっつくらい覚えた犬みたい

終わらせることだけ考えていたから
その日だけがいつも
最後の日だった

曇った日には
体の継ぎ目という継ぎ目が
いっせいにうめき出す
やわらかい枝
折れたところに不透明な液がにじむと
曲がったままくっついて
しかたなく伸びていった

いくつも
水気をふくんだ言葉は
いくつも
内臓に冷凍される

明日をつなぎとめておく
かすかな熱で
とろけ出ないよう
顎に力を入れて
吐くのを我慢するみたいに
水分だけぱりぱりと
私の通ったあとに散りしく

眼を閉じてやり過ごすだけ
何度も心だけ
行き来していた

振り返ればまるで
1/4のヴァイオリンを挟んだまま
歩いているようだ

・詩集『かんぺきな椅子』(1996・東京美術)所収


 うんざりする学校、その制服、「私の形」になる「芸」を「みっつくらい覚えた犬みたい」。生きることも学校に行くことも嫌で、毎日が「最後の日」のよう。折れた枝が「不透明な液」をにじませながら「曲がったままくっついて」「しかたなく伸びて」いくような日々。自分らしさをふくんだ言葉はお腹のなかに「冷凍」して、明日ひょっとしたらいいことがあるかもしれないという思いを表に出さないように「吐くのを我慢するみたいに」「顎に力を入れて」、ただ期待という「水分」だけを(意味抜きで)乾いたら捨てていきながら何度もやり過ごす、そんな鳴らない「1/4のヴァイオリン」を体に挟んで歩いてきている、毎日が「最後」のような日々。

 「内臓に冷凍され」た言葉が発酵したのでしょうか。おそらく高校時代も過ぎて、自分を少しだけ突き放して表現しはじめる、そんな始まりの初々しさが伝わってきます。「芸をみっつくらい覚えた犬」や「1/4のヴァイオリン」のような、頭ではひねり出せない表現、その新鮮さと醸し出されているユーモアがすごい。



初稿 2005.1.15




<18>

  今日              元山舞 (1984−  )


暖かい春の陽射しをうけながら
物静かな体育館に 先生の声が響く。

今日はこれから 友達と遊ぶ予定
公園に行って 海を眺めて
何をしようかなぁ・・・

ぽぉっとそんなことばかり考えていられるのは
少しの間。

非常口のドアは開けっ放し

空とグラウンドは いつもより無表情になって

規則正しく並んだ先生も
きっと心の中は おかしいほど乱れてらっしゃるんだろう


見渡して 紺色の海の中

ああ・・・私も水なんだなぁ。

時計をちらちら気にしながら かごの中での背比べ

潮のにおいを持ってやってくる風は まだ遠いけど
かすかに感じる夏の予感


おかしいな 今 春になったばかりなのに

・詩集『青い空の下で』(2001・ミッドナイト・プレス)所収


 高校の始業式でしょうか。春の体育館で整列しながら、終わった後の遊び方を想像している「私」。開けっ放しの非常口から見える空とグラウンドは、学期中の慣れた表情もまだ持たず、先生方もまだ休み明けの焦点の定まらない気持ちで並んでいるのでしょう。制服の紺色の似たり寄ったりの集団の中で私も海の中の水、お互いを比べても仕方がない。こんな式は早く終わればいいのになぁ。
 風は春になったばかりなのに、もう夏の潮のにおいがする。

 ふうっと風景が再現される、詩に過大な期待を込めない若い作者ならではのささやきが、詩に定着しています。



初稿 2005.1.15




<19>

  日原鐘乳洞の「地獄谷」へ降りていく         氷見敦子 (1955−85)


その日を境に
急速に体調が悪化していった

明け方、喉の奥が締めつけられるように苦しく
口に溜まった唾液を吐き出す
胃を撫ぜさすりながら
視線が、白み始めた窓の外へさまよっていく

八月、千石からレンタカーをとばし
奥多摩の陽射しをぬって(井上さんといっしょに)
日原鐘乳洞に入った
見学料金
大人・500円 中人・350円 小人・250円
入洞時間
午前8時〜午後5時

蛇行する道を
引き込まれるようにして進む
左右から鐘乳石が不思議な形で迫って来て
躯を小さく沈めるようにして歩く

一晩中、鈍い腹の痛みが続いた
何度も寝返りを打ち
躯を眠りの穴へ追い落とすようにするのだが
痛みに引きもどされ
呻くしかない
まどろみながら夢のない夜を渡っていく

冷気が洞穴に満ちているので
思考する温度が急速に下がり始める
かつて、狭くて暗い道を通って来たことがある
という記憶が
脳の奥で微かにうづくようだが
恐怖はなく
本能だけがわたしの内部をぼんやり照らし出している
柔らかい胎児の足が
濡れた道をこすって穴の奥へ這い寄っていく

下腹部が張り
死児がとり憑いたように腹が脹らんでいる
胃と腸が引きしぼられるように傷み
躯をおこすこともできず
前かがみになってのろのろと移動する

鐘乳石の壁を伝って地下水がしたたり
足元に水溜りを作っていた

「格天井」「船底岩」を過ぎ
「天井知れず」の下で頭上をながめる
重なり合った鐘乳石の割れ目にぽっかりあいた穴の果ては
見きわめることもできず
目を凝らすうちに
とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく
わたしの足には
もう鎖のあともないが
数百年前、ひとりの男であったわたしは
このような地の底の牢獄に閉じ込められていたような気がする

便が出なくなり下剤を常用する
午前八時に便器にすわり
一時間近くにわたってどろどろに溶けた便を何度も出す
トイレットペーパーが大量に消費され
汚水が滝のように下の階へ流される

「三途の川」を渡って「地獄谷」に降りる
地の底の深い所に立つわたしを見降ろしている井上さんの顔が
見知らぬ男のようになり
鐘乳石の間にはさまっている
ここが
わたしにとって最終的な場所なのだ
という記憶が
静かに脳の底に横たわっている
今では記憶は黒々とした冷えた岩のようだ
見上げるもの
すべてが
はるかかなたである

九月、大阪にある「健康再生会館」の門をくぐる
ひた隠しにされていた病名が明らかにされる
再発と転移、たぶんそんなところだ
整体指圧とミルク断食療法を試みるが
体質に合わず急激に容体が悪化する

夜、周期的に胃が激しく傷み
眠ることができない
繰り返し胃液と血を吐く、吐きながら
便をたれ流す

翌日、新幹線で東京へもどる

<未完>

・詩集『氷見敦子詩集』(1986・思潮社)所収
 「躯」の「区」の部分の「メ」は、正しくは「品」。


 死を意識した作者の自己ドキュメンタリー詩でしょうか。未完に終わった「遺作」と言ってよい作品だと思います。それでも、日常の記述に終わらない、宇宙的な広がりを持っているところが、この作者らしい、また痛々しい作品になっています。

 「蛇行する道」「左右から鐘乳石が不思議な形で迫って来て」「かつて、狭くて暗い道を通って来たことがある/という記憶」といった、「鐘乳洞」(地獄谷)を行く記述が、生の奥底に触るような思考の比喩になって、「躯を眠りの穴へ追い落とすようにする」「死児がとり憑いたように腹が脹らんでいる」といった闘病生活の記述と響きあい、さらに「とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく」「ここが/わたしにとって最終的な場所なのだ/という記憶」といった表現で、自分が病人であること、そして恋人と束の間の鍾乳洞見学をしていることが、自分の生、そして自分の詩の世界と、詩の中でからみ合って、宇宙感を生み出しています、最後まで力を振り絞って。

 氷見さんの詩はもっと読まれなければいけない、どんどん閉ざされていく世界をこじ開けるように。



初稿 2005.1.15




<20>

  美的生活のはじまり              井上弘治 (1953−  )


(夏の日の終わり)
日盛りのおもて通りを、死者がゆっくり通っていった。
秘密めいた恋の真昼の物語りのなかで、
終わってしまった駆落ちに落ちていった完璧な、
匿名の愛の物語りのなかで、
そのひとは、
振りむいて、あどけなく、笑う。そのあと、
そのひとは、まぶしそうに、目を、細める。

影のない影を追った、
(過ぎてしまった)、白い腕が、
汗でぐしょぐしょに濡れているのが、わかった。
懐かしい汗で濡れたまま、
(今から、帰るよ……)
懐かしい汗で濡れる、
暗い室内を振りかえると、
やはり、そのひとは、立っていて、
こんどは、
にこり、ともしないで、くちびるだけをかすかにうごかし、
スタスタと、台所へ入ってゆく。
やがて、コップに水を満たしてくると、わたしをちらっと見て、
水をくちいっぱいに含み、
くちびるをまるくとがらせて、サボテンの鉢植の一つ一つに、
霧をふきかけていった。
そのひとのくちびると、
やわらかいサボテンのトゲとのあわいに、ちいさな虹がかかるのを、
わたしは見た。
それは、
(夏の日の終わり)
なにもかもが、とおくぼやけて見える日々の、
終わりに……。

はじまった、
わたしは、美しいものをたくさん見つづけることだけに、
人生のすべてを賭けても、
おしくはない、と思った。
わたしは、美しいものによって、生かされてゆくのだろう……。
(あるのだ、
世の中にはあの人たちの思いも及ばぬ不思議な美しいものが、ある
のだ、けれども、それを一目見たものは、たちまち自分のようにこ
んな地獄に落ちるのだ、 −太宰 治)

そのひとは、
向こうの微笑と、こちらの微笑とを自由に使いこなすことが、
できる。
わたしの胸に、朦朧とした夢の傷口を開ける。
傷口だけが、薄暗い室内にただよう。
思いだしたように、激しく、嗚咽することもある。
明かるい方に向かって、
花をかざす。乱れた花の現世的な秩序……
そのひとの命名した、向こう側の花は、
美しさの思い出である。
刺激的な美しさの、その理由をたずねるな!
もう、終わろうとしている、
夏の日の、
浮遊する坂の上の盗まれた恋の影の理由は、
花の美の、忌まわしい記憶である。
(ああ、今から、帰るよ……)
花の美の、仮説である、
散りゆくものの、狂乱した仮説である。
それにもかかわらず、散り終えたいのちの枝々に、
花の美がたわわで、
痕跡のように、
そのひとと、わたしとの花の幻が、
(夏の日の終わり)
熱い泪のように、
ハラハラと、散り。
散ったのちの、泪ののちの、
帰ることのできない、遠い日々の涯に、
ハラハラと、散り……

・詩集『月光懺悔』(1990・ミッドナイト・プレス)所収


 言葉をぶつけ合うことによって感情的高まりを表現することの多い作者の、比較的辿りやすい詩です。

 夏の日の終わり、死んだ人がおもて通りを通っていく。駆落ちとなった愛の終わった物語り。死んだそのひとは、「物語り」のなかで振りむいて笑う。影のないそのひとの面影を追うと、腕は懐かしい汗で濡れていた。そうそれも夏の日の話。いつもそのひとに「今から、帰るよ……」と連絡していた二人の生活、そのひとがくちにふくんだ水でサボテンの鉢植にかけた霧がつくった虹の思い出。そうしてはじまった、「美しいものをたくさん見つづけることだけに、/人生のすべてを賭けても、/おしくはない、と思った」生活、それは太宰が小説に書きとめたように「地獄」へともつながる体験だったが。そのひとは思い出と目の前の世界とをまだ自由に行き来して、「わたし」の胸に「夢の傷口」を開ける。そのひとが名前をつけた、「向こう側の花」の美しさの思い出、その美しさの理由、それは、誰に対しても説明することのできない、散りゆくものの美の「仮説」だが、「散り終えたいのちの枝々」には、痕跡のような「花の幻」が、「泪」のようにハラハラと散っている、今も、そして「遠い日々の涯」にも。

 はじまった「美的生活」は「わたし」を「地獄」に落としながらも、「わたし」を生かしつづけているのでしょう。



初稿 2005.1.19




<21>

  夜明けでつくられた家        ネイティブ・アメリカンの詩


夜明けでつくられた家
たそがれでつくられた家
黒い雲でつくられた家
男の雨でつくられた家
暗い霧でつくられた家
女の雨でつくられた家
花粉でつくられた家
きりぎりすでつくられた家
そこでは暗い霧のカーテンが入口をかくし
そこへつづく道は虹の道
ジグザグの稲妻が上空に立ちはだかり
男の雨も上空に立ちはだかる
ああ 男神よ! あなたの
その黒雲のモカシンをはいた足で
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲のすね当てをつけた足で
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲の頭飾りをつけて
わたしたちのところへ来て下さい
その黒雲に包まれた心をもって
わたしたちのところへ来て下さい
頭に雷をのせて わたしたちのところへ来て下さい
黒雲から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
男の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
暗い霧から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
女の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
空の高みに飛び交うジグザグの稲妻とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの頭上に高くかかる虹とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端に湧く黒雲から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端に集る男の雨から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
あなたの翼の先端にかかる黒い霧から生れた遠い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
………
あなたの翼の先端に高くかかる虹とともに
わたしたちのところへ来て下さい
黒雲と男の雨と黒い霧と女の雨から生れた近い暗闇とともに
わたしたちのところへ来て下さい
この地上の暗闇とともに わたしたちのところへ来て下さい
これらすべてのものによって
わたしたちの素晴らしいトウモロコシの根元が
流れる水をたっぷり吸いこみますように!
(以下省略)

・金関寿夫『アメリカ・インディアンの詩』(1977・中公新書)より
 「すね当て」に「レギンズ」、初出の「翼」に「つばさ」、「湧く」の「湧」に「わ」のルビあり。「………」「(以下省略)」は引用書ママ


 仮に、ネイティブ・アメリカンの「詩」としましたが、読んでいただければ分かるように、「詩」というより、口承で語り伝えられた「歌」「祈り」でしょう。そうした「歌」「祈り」が、研究者たちによって収集され、英語で紹介されたものを(タイトルもおそらくその際に付けられたもの)、金関寿夫さん(1918−96)が日本語に訳して紹介したのは30年近く前、日本ではかなり先駆的な本だったと思います。ちなみに、現在では「インディアン」というより「ネイティブ・アメリカン」というのが一般的です。

 ここに引用したのはナヴァホ族の、内容から言って雨乞いの歌、祈りでしょう。「夜明け」や「たそがれ」「きりぎりす」などでつくられた、「虹の道」の向こうの神々の家。神よ、雨をもたらす「黒雲」を身にまとって、「わたしたちのところへ来て下さい」。雨雲がもたらす「暗闇」や「ジグザグの稲妻」と、雨の後で訪れる「虹」とともにやって来て、トウモロコシに雨をもたらして下さい。

 繰り返す言葉のなかでじわじわと、「遠い暗闇」「近い暗闇」「地上の暗闇」と、翼をはやした神と雲をおびき寄せている楽しさ(と言って悪ければ「わざ」でしょうか)があります。日本の人間が読んでも、ふと何かを思い出させられるような気になるのではないでしょうか。このアニミズムを、私たちは(現代の)大人になってもどこかで覚えているのではないでしょうか。


初稿 2005.1.21




<22>

  二月だ インクをとって泣け!         ボリース・パステルナーク (1890−1960)


二月だ インクをとって泣け!
泣きじゃくりながら二月について書け
ざんざめく霙の雨が
黒い春となって燃えているあいだに

疾走する辻馬車をつかまえよ 60カペイカで
教会のミサの刻をつげる鐘の音 車輪の叫びをくぐりぬけ
そこ どしゃぶり雨がインクよりも涙よりも
もっとざんざめく場末へ駆けつけよ

そこでは焼け焦げた梨のように
無数のミヤマガラスたちが
木々から一斉に水溜りたちへ落下し
乾いた寂寥を眼底に浴びせるのだ

その寂寥によって雪解け箇所は黒ずむ
風は叫喚によって引っかき回される
そして 偶然であればあるほど忠実に
泣きじゃくりながら一篇の詩はできていく


・工藤正廣訳『初期1912-1914 あるいは処女詩集から』(2002・未知谷)所収
 ロシア語原詩は無題


 ロシアの厳しい冬が終わろうとする二月。霙にも春への期待が感じられる季節に、インクをとって泣きじゃくりながら詩を書こう。雪ではなくどしゃぶり雨が降る季節、人々の期待があふれる場末へ駆けつけよう。雪解けという自然の恵みの中で、活発に動き始めるミヤマガラスたちが、寂寥と冬の終わりを眼に焼きつけてくれる。雪解け箇所は黒ずみ、風は季節の変化を告げるように吹き荒れる。この胸騒ぎを泣きじゃくりながら書きつければ、率直な詩が、自ずと生まれるのだ。

 後にノーベル賞作家となる作者の最初期(20代)の作品です。ノーベル賞に関しては辞退することになるのですが、その間の経緯、ソ連国家との確執については伝記や、今後のさらなる研究にお任せするしかないとして、この詩ではソ連誕生以前の青年詩人の誕生が告げられています。工藤正廣さん(1943−  )による日本語訳が素晴らしいので、日本語で元々書かれた詩だと錯覚しそうになりますが、ロシアの春を遠く想像すると、詩人固有の風土、空気が詩の世界に拡がっているのが感じられます。そしてこんな初々しさを詩はなくしてはいけないのだとも。



初稿 2005.1.22




<23>

  もうひとつの時間              W. H. オーデン (1907−73)


われわれには、生きているきょうが問題なのだ、
ほかの逃亡者たちとおなじだ、
数をかぞえられぬかぞえきれぬ花や
記憶する必要のないけだものとおなじだ。

多くの人が「いまじゃなく」といおうと努めている、
多くの人が「われ在り」といういい方を
忘れてしまった、そしてできることなら、
歴史に没頭したがった。

たとえば、旧世界のすてきな優雅さで、
然るべき場所の然るべき旗に頭をさげる、
よたよた二階へあがる老人のようにぶつくさいう、
「おれのもの」「あいつのもの」また「おれたちのもの」「あいつらのもの」のことで。

まるで、まだ時間に財産があったときに
いつも自分たちが遺贈していたのが時間であるかのように、
まるで、これ以上時間に属したくないと思うことが
自分たちの過ちであるかのように。

だから、多くの人が悲しみがもとで死に、
死ぬときには実に孤独なのも少しも不思議じゃない。
だれもまだ嘘を信じたり好んだりしたものはない、
もうひとつの時間には別の生き方があるのだ。

・中桐雅夫訳・福間健二編『双書・20世紀の詩人 7 オーデン詩集』(1993・小沢書店)より


 オーデンさんについては、翻訳詩集を3冊、英語の選集を1冊読んだのですが、なかなかに「分かった」とは言わせてくれない詩人です。日本では深瀬基寛さんの訳(1950年代)から「見るまえに跳べ」といったフレーズが一人歩きし、政治倫理的なメッセージ詩人というイメージが強いと思われますが、そういう面は否定できないとしても、もっと多面的な世界を持った詩人だと考えられます。この詩はナチスが力を振るい始め、新たな大戦を呼び起こしているにもかかわらず、まだヨーロッパ世界はそれぞれ自らの国家の利害で動いていた頃の作品でしょうか。

 「きょう」を問題にする、安住場所を追われた逃亡者や花やけだもののような「われわれ」は、現在を敏感に受け止め、「歴史」的に保障された既得権、所有権の確保に埋没できない存在だ。「多くの人」は過去が未来を保障するものだとして、変化を認めようとしない。そうして、今の現実に直面できずに、悲しみがもとで孤独な死を迎えていく。それは好きこのんで嘘を信じ、現実から目をそらしているわけではない。この新しい変化の時代には新しい生き方がある、そのことに多くの人がまだ向き合えていないのだ。

 比較的辿りやすい詩のようですが、読み間違えているかもしれません。ご意見をうかがいたいところです。



初稿 2005.1.22




<24>

  グエル公園              川田絢音 (1940−  )


わっと泣いていて
夢からさめた

夏の列車
知らない人に寄りかかって
眠っていた

汗をかいて
グエル公園に登ると
りゅうぜつらんのとがったところで
鉄の棒をもった少年たちが
コツコツ 洞窟のモザイクをはがしている

青空に 近い場所で
好きな人を
ひとりづつ 広場に立たせるように思い浮かべていて
酢みたいなものが
こみあげた
ここで みんなに 犯されたい

・詩集『ピサ通り』(1976・青土社)所収
 引用は『現代詩文庫 122 川田絢音詩集』(1994・思潮社)より


 長く外国で、しかも安易な仕事で生活できればよしといった妥協を自分に許さず、自分の感受性に沿った生き方を模索し続けているとされる詩人の短い詩。読者を説得することよりも、自分にとってのリアリティの記述を優先した作品です。

 夏の列車で知らない人に寄りかかりながら、叫ぶように泣いて夢からさめる。グエル公園では、鉄の棒をもった少年たちがモザイクをはがしている。それが怖いというのではなく、その若い暴力性に惹かれる。青空のもと、好きな人をひとりずつ思い浮かべていると、自分の今までの生が酢のような味わいでこみあげてくる。この広場で好きな人々に犯されたい。暴力的に充実してみたい。

 もう少し書き込むと物語のように安定してしまう、その手前できっぱりと終わっています。これは想像力の遊びではないのですよと言うかのように。



初稿 2005.1.22




<25>

  「旅する男」のための素描(部分)              高橋睦郎 (1937−  )


つねにつねにきみは渇いている
水に渇くだけでなく 塩に渇いている
きみは水を求め 塩を求めて さまよう
だが 水が欠け塩が亡びた時代 きみは
何処の瓦礫の下に それらを捜せばいい?
きみは行きずりの少年を捉え 物陰に押す
その日焼けした脚に析出した塩を舐め
その青臭い勃起から青臭い水を呑む
だが きみが両腿を掴んで見上げる少年は
痙攣する首の上で 世界ほども老いている
きみは激しく吐きながら さまよいつづける
以前よりいっそう渇いた者として

・詩集『兎の庭』(1987; 1989・新装版第2刷・書肆山田)所収
 原文の「掴んで」の「掴」の「玉」は「或」


 作品数の多い作者ですが、比較的最近の作品から、瞬間的な力を感じさせてくれるものを選びました。元々は9つのパートからなる長詩のパート5にあたる部分です。

 水と塩が亡びた時代に水と塩を求める行為。「水」「塩」とは何でしょう。それは「水」と「塩」に癒された者しか答えられない問いではあります。そんな時代に「水」と「塩」の代わりに「行きずり」の少年を捉えて、彼の「塩」や「水」で渇きを充たそうとするのですが、「少年」は少年としての若ささえすでに持っていないのです。少年が、「水」や「塩」を亡ぼした「世界」と同じくらい、渇いて老いてしまった時代に「きみ」は激しく吐く。生きる、表現する、といった希望、欲望が、自然に対象を見出しえない、希望や欲望が、自分の嫌らしさだけになって振り返ってくる、そんな恐ろしさがわずか12行に結晶しています。



初稿 2005.1.22




<26>

  ヘアー(部分)              寺山修司 (1935−83)


バーガー はじめに愛があった。愛! おれの名前は(本名を言う)だが、この舞台じゃ、バーガーってアメリカ人をやることになってる。どうだい? 結構似合うだろう、この長い髪。(客に)おれにゃ、あんた方のキモチがちゃんとわかってるよ。「まあ、ずいぶんへんな髪だけど、男かしら、女かしら?」「あのカツラ、いくら位したんでしょうね?」(ロープにつかまってターザンのように観客席におりて)奥さん、いいハンドバッグ持ってますね、少しオカネない? 聖徳太子でなくてもいいからさ、ギザギザのある丸いやつ、一枚……だめ?

………………

クロード どこへ行こう 風に誘われ
どこへ行こう 心よ

ぼくは自分の手を見つめる
何も持てない 空っぽ
(全員とかけあいで)
なぜ (なぜ)
生きるのだろう (なぜ)

なぜ
死ぬのだろう (なぜ)

教えて なぜか (幸福)
教えて なぜか (祈り)
教えて なぜか (ひなげし)
教えて なぜか (自由)

(時代の暗黒のなかに立ちつくす蛮族ヒッピーたち。彼らは「何も持っていない手」を祈るように高く高くさしあげながらうたいつづけている。……暗転)

・幻の上演台本「ヘアー」(1969)より
 引用は『毎日グラフ別冊 寺山修司』(1993・毎日新聞社)より


 1969年、寺山修司さんの上演台本によるロック・ミュージカル「ヘアー」日本版の上演は、原作者の意向という理由で却下されました。理由に関してはMr. President(大統領)を「天皇陛下」と翻訳したためとも言われています。ヒッピー・ムーブメントから生まれた演劇が大ヒットしたため、日本でもメジャーの興行会社(松竹)が、寺山さんに台本を依頼して上演を企画したのですが、日本の現実にふれるような脚色は困る、つまり翻訳赤毛ものでやってほしかったということなのでしょう。

 結局、寺山さんの台本は全否定され、日本人がアメリカ人を演じるといった要素も従来の翻訳劇の枠に収められた台本で、歌も、あとちょっとHなこともあるかもという劇として上演されたようです(それでも、後にミュージシャンとして名をあげるような、数々の才能が無名の俳優として参加したとのことです)。「聖徳太子」って1000円でしたっけ、「ギザギザのある丸いやつ」って、500円玉はまだない時代ですから100円でしょう。後半のクロードの歌は "Where Do I Go?" の日本語版です。これが実際に上演され、歌われていたら、今にいたるまで残る歌になっていたかもしれません。

 歴史的に大切な資料という視点も含めてとりあげました。



初稿 2005.1.23




<27>

  再発   高橋睦郎さんに    中上哲夫 (1939−  )


へんてこな所がほとんどないわたしに
妻と娘が熱心にすすめる病院は
港町の丘のてっぺんにあって
もう十年も前のことだけど
月に一度
息をきらしきらし
ながい坂をのぼっていった
そして老医師と雑談し
白い粉をもらって帰ってくるのだが
話すのはもっぱらわたしの方で
先生はうんうんとうなずいているだけだったが
ある日こんなことをいった
人間はなんて弱い生きものなのだと嘆くひとがいるけれども
人間ほど岩乗なものはいないと思うね
電気製品だったらとっくの昔に壊れているよ
また べつのある日はこんなことをいった
なぜ人間はくりかえし病気になるのかとわたしに問うひとがいるけれども
人間ほどすばらしい生きものはいないと思うね
そのたびに立ち直るのだから


・詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』(2003・書肆山田)所収


 「へんてこな所がほとんどない」という表現が心の「へんてこな」病を乗り越えた余裕から来る遊びだと受け止められれば、後はひたすら作者の行を運んでいく歯切れのよさに乗って、何度でも読める佳編です。

 「人間ほど岩乗なものはいないと思うね/電気製品だったらとっくの昔に壊れているよ」「人間ほどすばらしい生きものはいないと思うね/そのたびに立ち直るのだから」という行は作者が実際に言われたことを、きりっと短く響きあうようにまとめたのでしょうか。病にかからなくても、こんなことを温かく言われてみたい、そんな気持ちをこの詩は充たしてくれます。いや、書けそうで書けないんですよ、こういう詩こそ。



初稿 2005.1.23




<28>

                岡田隆彦 (1939−97)


なんという なんという
街だろうここは。
あとにつづく形容は
平たく頑なな一個のネームプレイト
になって車に突きとばされ消え去る。
身をちぢめて
横断歩道をゆっくり歩こう。
ここで おれとおまえの心は
もう燃えない 溶けない。
笑いころげる二人
を驚いて見ていた卵売りのおやじ
が今日も立っている。
ネオンサインがあいかわらずきらめき
たくさんの女のほほも濡れていて
車のむれも大きいけれど
あいかわらず冷い空気。
人の心はどこへ行ってしまった。
うらがなしい街
というのはあくまでおれのなかの思い。
あいかわらず おれのそとで
修飾されない街のかたち
酔っぱらいの喧嘩が二件
どぶ川は臭い
どこまでつづくとも
この汚水の流れは
けして地球の上から離れない。
この冷い石だたみ この冷いおまえの鼻頭
この煙草の煙ったさ
も影なのか。
影のなかで影のおれとおまえが喋る
残忍な事実
を張りめぐらして
じっくり煙草でもすおう。
今日は土曜日だというのにことさら寒いし
おまえとおれのネバネバしたミクロコスモス
を巷に転がして
それを眺めながら歩くことしかできない。
雨のなか
おれとおまえは濡れながら
あのコーヒーやから駅まで走っていった。
あの日と同じように
今日も街は
無数の宇宙線に射られて 潰れる寸前で
べったり地べたにへばりついている。
おまえもおれも変った。
かすかに感じる地球の回転
デズモンドのアルトサクス
あとおれに残るのはわずかに音楽。
あそこの馬券売場の前まで歩いたら
誰かに逢える 誰かに逢える。
二人で男だけのバーへ行き
おまえのことを
またおもいかえしてみるつもりだ。
さよなら またいつか
いい野郎を紹介しよう。
あのバーテンに今日はまた殴られて
鼻血がでるかもしれない。

・詩集『われらのちから19』(1963・思潮社)所収
 引用は『現代詩文庫 30 岡田隆彦詩集』(1970・思潮社)より


 1959年か60年、つまり作者20歳くらいの作品ですが、早熟だったのでしょう、今の同年齢の詩人たちの作品よりも老成しつつ、同時にはるかにフレッシュな印象を受けます。ついでに言うと、私が街を意識しだしたのは、60年代後半ですが、新宿も今では想像できないほど汚く(地下道も工事中で、いつもじめじめしていました)、今は伝説の日活名画座も初めて行ったときに、席を探していたら若い男性か女性だったかに、おそらく「ゲイジュツ」の邪魔者ということで蹴飛ばされたのが思い出で、要するに「街」はまだまだハンドメイドの余地を残して、怖くて面白い「場」だったと思います。

 それからさらに10年くらい前の詩ですが、すでに作者は「平たく頑なな一個のネームプレイト」になり果てようとしている街にぶつかっています。そしてその「街」の変化と並行して語られる「おまえ」との別れ。この二つの要素(「おれのなかの思い」と「おれのそとで/修飾されない街」)を、「卵売りのおやじ」や「ネオンサイン」「酔っぱらいの喧嘩」「どぶ川」など、外的要素を繰り込んで、心情吐露の記述に陥らせずに語っていきます。「影」に追いやられてしまった心情を持ちながらも、それを目の前の「街」に叩きつけて眺めなおすように。そして、なお「わずかに」感じられるものを手がかりに、また歩き続けるだろう、また「鼻血」を流すかもしれない自分にも、もう気がついてしまっているのです。



初稿 2005.1.23




<29>

  帰ろうよ              吉増剛造 (1939−  )


歓びは日に日に遠ざかる
おまえが一生のあいだに見た歓びをかぞえあげてみるがよい
歓びはとうてい誤解と見あやまりのかげに咲く花であった
どす黒くなった畳のうえで
一個のドンブリの縁をそっとさすりながら
見も知らぬ神の横顔を予想したりして
数年が過ぎさり
無数の言葉の集積に過ぎない私の形影は出来あがったようだ
人々は野菊のように私を見てくれることはない
もはや 言葉にたのむのはやめよう
真に荒野と呼べる単純なひろがりを見わたすことなど出来ようはずもない
人間という文明物に火を貸してくれといっても
とうてい無駄なことだ
もし帰ることが出来るならば
もうとうにくたびれはてた魂の中から丸太棒をさがしだして
荒海を横断し 夜空に吊られた星々をかきわけて進む一本の櫂にけずりあげて
帰ろうよ
獅子やメダカが生身をよせあってささやきあう
遠い天空へ
帰ろうよ

・詩集『出発』(1964・新芸術社)所収
 引用は『吉増剛造詩集』(1999・ハルキ文庫)より


 第一詩集に収められた1編。この後に続く詩集『黄金詩篇』(1970)、『頭脳の塔』(1971)などの、当時の時代的な雰囲気を抜きに読むと、言葉が飛び散って崩壊してしまいそうな作品群に比べると、話しかけるような文体の平明さに驚かされます。しかし、この詩に現れる、根源的(超越的?)空間への帰巣願望は、後に『螺旋歌』(1990)の「(もっと啼きたい、……)、(もっと啼きたい、……)」や、『死の舟』(1992)の「土」や「根」へのこだわりとしてもまた登場しています。

「どす黒くなった畳のうえで/一個のドンブリの縁をそっとさすりながら/見も知らぬ神の横顔を予想したりして」過ごした数年間とは、詩を書き始めて悪戦苦闘してきた詩人の20歳前後の日々でしょうか。そこで出来あがったのは「無数の言葉の集積に過ぎない私」「野菊のように」見てもらえない「私」だった。「荒野」も「火」も得られない文明空間を越えて、「魂」の中からさがしだした「丸太棒」を櫂にして「遠い天空」へ帰ろう、もし帰ることが出来るなら。

当時、同じ同人誌「ドラムカン」の仲間として活動していた、前出の岡田隆彦さんの作品と、若くキラキラした悲しさのような印象でつながり合っているように感じられます。



初稿 2005.1.26




<30>

  COMING OUT 「世界」という「イメージの方法」からの解放   ダムタイプ




あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。

私はあなたの愛に依存しない。あなたとの愛を発明するのだ。

これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。



あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。

私はあなたの性に依存しない。あなたとの性を発明するのだ。

これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。



あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。

私はあなたの死に依存しない。自分の死を発明するのだ。

これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。



あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。

私はあなたの生に依存しない。自分の生を発明するのだ。

これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。



あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。

これは、世の中のコードに合わせるためのディシプリン。私の目に映るシグナルの暴力。

あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで。
私たちを繋ぎ合わせるイマジネーションを、ちょうだい。

私の体のなかを流れるノイズ・読解されないままのものたち。

今まであなたが発する音声によって課せられた私のノイズ。

今、やっと解放します。

・上演台本「S/N」(1993, 94)より
 引用は「シアターアーツ 1」(1994・晩成書房)より


 パフォーマンス集団ダムタイプの上演台本より。激しい音楽やめまぐるしい映像と組み合わされたダンス、対話。その対話に出てくるのは実際のゲイ、ブラック、聾者、セックスワーカー、エイズ患者たちで、彼らの対差別観、セックス観などが語られます。引用したのは最後の方の場面で、ここに記されたせりふが英訳とともにスクリーンに映し出される前で、聾者の青年が、このセリフを語ります。

 「あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。」と語るのは聾者の青年でしたが、言葉は彼の身体を通過しながら、痛切な比喩に転換していきます。世界は「私」にとって「シグナルの暴力」であり、「読解されない」「ノイズ」を押し付けてくるが、そこで、「私」は「世の中のコードに合わせ」ながらも、自分の生き方・死に方を「発明」していく、そして、「抽象的存在」に閉じ込められることから、自分を解放する。「あなた」のイマジネーションも必要だよ。

当時ダムタイプの中心にいて、「S/N」にも出演し、作品を作る上でも重要な役割を占めていたと思われる古橋悌二さん(1960−95)は、この「S/N」の初演の翌年、エイズによる敗血症で亡くなりました。この引用では、彼と仲間たちが織り上げた、芸術の枠内にとどまらない表現への意志がメッセージとなって現れています。



初稿 2005.1.26




<31>

  みぞれ              安東次男 (1919−2002)


地上にとどくまえに
予感の
折返し点があつて
そこから
ふらんした死んだ時間たちが
はじまる
風がそこにあまがわを張ると
太陽はこの擬卵をあたためる
空のなかへ逃げてゆく水と
その水からこぼれおちる魚たち
はぼくの神経痛だ
通行どめの柵をやぶつた魚たちは
収拾のつかない白骨となつて
世界に散らばる
そのときひとは



泪にちかい字を無数におもいだすが
けつして泪にはならない

・詩集『CALENDRIER』(1960・書肆ユリイカ)所収
 引用は『現代詩文庫 36 安東次男詩集』(1970・思潮社)より
 (二月)と付記あり


 30年くらい前、安東さんの作品を初めて読んだ時は、その良さが理解できませんでした。「同時代」とか「現代」といった気分にとらわれていて、「新しさ」のない、地味な詩人、と通り過ぎていました。若気の至りです。

 この詩はカレンダーになぞらえた連作の1編です。「みぞれ」は地面に着地する前に折返してしまう。安住とか安定とかとは無縁の「死んだ時間たち」が「ふらん」する世界。太陽の光もこの「ふらん」をあたためる。そして「みぞれ」は蒸発する水分と「こぼれおちる魚たち」に分離する、「ぼくの神経痛」として。「通行どめ」という、課せられた日常の枠を越えて、「魚たち」は「収拾のつかない白骨となつて/世界に散らばる」。そのとき日常に着地した、帰り着くことのできたひとは(できなかったひとも)「泪にちかい字」をおもいだすが「泪」にいたることはない。

 この「泪にちかい字」というのは詩でしかできない表現でしょう。傷を負った精神は、泣き笑うといった直接性に帰れない、傷を自覚しない精神もまた、どんなに泣き笑ったとしてもどこかで自分を裏切っている(折返している)、そこを「泪にちかい字を無数におもいだすが/けつして泪にはならない」という2行で突いてくる、詩の怖さを噛みしめたいです。



初稿 2005.1.29




<32>

  あけがたにくる人よ              永瀬清子 (1906−95)


あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ

・詩集『あけがたにくる人よ』(1987・思潮社)所収


 あけがた、老いてしまった私の思いに去来するひと。農家の嫁として一生は過ぎてしまった。でも若い日に、白樺派の門を叩き、詩をずっと続けてきた私。若い日に期待を込めた人生があった。家出しようとした。あなたの来るのを待っていたが、あなたは来なかった。そんなあなたの思い出が、あけがたに訪れてくる。私に涙を流させるためだけに。

 「ててっぽっぽうの声」とは、山鳩の声と説明している人もいますが、その声が聞こえる方から、作者をめぐる山野がひろがっていきます。そこで作者は老いた者の悲哀を歌うのですが、全体を通して響いてくるのは、必ずしも悲しさではありません。あきらめでも、その反対の自足でもないようです。感じられるのは、人生を振り返り味わう、透き通ったまなざしです。



初稿 2005.1.29




<33>

  思い出すなあ              木村迪夫 (1935−  )


ミチオ
おまえはプロ野球の選手になって
銭取ってこい。
アキオ
おまえは農家にのこって
大工になれ。
テルオ
おまえは左官屋だ。
ほしたら
雨漏りしたこの家建て替えられる。
兄弟の力あわせて
建て替えられる。

おれは、お袋の期待にこたえて
毎日素振りをくり返した。
大好きな阪神タイガースからも
何処からもスカウトは来なかった。
上の弟は大工になる気配もなく
おれと殴りあいの大喧嘩をし
独り東京へ出て行ってしまった。
下の弟も
左官屋になどなろうはずもなく
アルバイトをしながら
地元の大学にすすんだ。

あれから、五十年経った。
甲斐性のない野郎べらばっかりだ
親不孝ぞろいよ≠ニ
いまも悔やんでいんべな。
いやいや
男親が無くとも、なんとか一丁前になったな≠ニ
少しは褒めてくれんべな
刈り上げのあとの、わが家の
三回忌の
膳の語らいは、尽きることがなく。

・エッセイ集『百姓がまん記』(2002・新宿書房)所収
 「迪夫」の「迪」はしんにょうの点が二つ
 原文の「農家」に「うづ」、「左官屋」に「かべや」、「何処」に「どこ」、「野郎」に「やろ」のルビあり


 木村さんはいろいろな顔を持った人です。山形で農業を営みながら、ゴミ収集もやりゴミ問題に一家言ある人。出稼ぎしなければならなかった、そして今も減反や作物の選択など、行政の都合に振り回され続ける農民の怒りを歌い上げる詩人。ドキュメンタリー映画の小川プロを山形に招き、日本のドキュメンタリー映画の水準を上げるのに貢献した人、などなど。

 木村さんの詩はそうした多面性を含んで、日本の農民の眼を通して訴える詩が多いのですが、ここではお母さんの三回忌を歌った平明な詩を取り上げました。息子たちを牛耳る強いお母さん。その期待にそむいて、それぞれの道を歩いた息子たち。殴りあいの大喧嘩をした彼らも相応の年齢になり、自分たちの成しえたことの小ささをお母さんの思いに照らしながら、それでも何とかやってきたという思いを交わしているようです。日本の農家の大きな家の縁側に流れる、忙しく苦しい日々の束の間の安らぎ。そんな時間があることを忘れたくないと思います。



初稿 2005.1.29




<34>

  木の葉              山崎佳代子 (1956−  )


木の葉が鳥の死骸のように落ちてくる
少年は帰らない 季節風のせいではない
汚れてしまった空のせいだ

木の葉には 床屋 駄菓子屋
墓地 肉屋 豆腐屋 鳥居 裏通り
少年の手書きの地図が書き込まれている

雨の中を重い足取りの男が帰って来る
靴底に踏みしめられると
木の葉は遠い土の香を放つ

木の葉は落ちて来る
季節の記憶を
きみの足音に取り戻すために

少年の消えた季節はずれの空から

・詩集『鳥のために』(1995・書肆山田)所収


 少年は消えてしまった。季節風に乗って移動する鳥のようにではなく、空をも汚すような災禍によって。鳥の死骸のように落ちてくる木の葉には、少年が暮らした街の記憶の地図が手書きで(血のように?)書き込まれている。木の葉は帰って来る男に踏みしめられ、木の葉が生まれた土地の土の香を放つ。木の葉が落ちて来るのは、今も生きて歩き続ける者に、記憶を取り戻すためだ。

 作者は旧ユーゴで大学に勤務し、今も同地にとどまり続けています。今なお、何が正しかったのか、何のために人々が殺され、犯され、家を追われなければならなかったのか、ひとつの答えを出せない、あの惨禍を、消えた少年と落ち葉に託して切り詰めた言葉で語っています。日本の風景である「豆腐屋」「鳥居」が書き込まれることによって、単なる情況詩ではない、静かな広がりが、「足音」とともに生まれていることに耳を澄ましたいです。



初稿 2005.1.30




<35>

  石榴              鈴木志郎康 (1935−  )


気分が高いその日の午後
死んだ人は、まさか、死ぬとは思っていなかっただろう
まさか、そんな大きな石榴が売っていたなんて
真っ赤の固まり
生まれたばかりの赤ちゃんには、何が起こっても、まさか
まさか、まさか、で大きくなる
死ぬ前の老人には、もう、まさかは起きない
それを「まさか率」とすると100%から0%までの
わたしの率はまだかなり高かったってわけ
女に待ち伏せされていた
思い込まれた
ほら、まさか、だろう
二の腕を掴んだら、道端にしゃがみこんで、尻餅ついて、動かない
ずるずると引き摺って行った
女にも、わたしにも、まさか、まさか、だったよ
雨上がりの道で
耳飾りきらめかせて
女は、泣いて、喚いて
「まさか」と「まさか」が二人の身体の中でのたうちまわっていたんだろうね
紅蓮の「まさか」だ
思い
苦しい
といっても、解きようもない謎
石榴って、そう割れるもんじゃない
駅の階段を昇る足がふらついて
気が張り詰める
何事もない
真っ赤な石榴を撫でて
午後は秋の午後で狭い部屋の中で機器に取り囲まれている
そうゆうのって
切るしかない
気軽にいう
坂道の上に雲がある、よ
女関係に国家意識を目覚めさせるという魂胆だ
乳房の上に手紙を並べて
涙を流していたんだ
もっと!
声に出さない声は
からだを裂かなければならなかった
枝についたまま裂けた石榴

・詩集『遠い人の声に振り向く』(1992・書肆山田)所収
 「掴んだ」の「玉」は「或」


 詩の展開が問題になっています。「その日の午後/死んだ人」は「まさか」死ぬとは思っていなかった。「まさか」つながりで「大きな石榴が売っていた」という、その次の行は、「真っ赤の固まり」、石榴が「真っ赤」であると同時に「真っ赤」な嘘の話をしますよという、詩人の読者への挑戦でしょうか? その後は「まさか率」の話をして、「女」と「わたし」の話に展開します。えっ、まさか、何、この展開は、と読者は思うのですが、これは実話だと思ってしまいましょう、いたずらな作者の意志にいたずらで応えて。「紅蓮」とは、皮膚や肉が裂けて紅い蓮のようになる地獄を指す言葉とのこと、いやあ、もてる作者は大変だ。でも、「石榴って、そう割れるもんじゃない」、困るなあ、もう遊びまくりですか。「真っ赤な石榴を撫でて/午後は秋の午後で狭い部屋の中で機器に取り囲まれている」と、いかにも日常の風景の説明的な行を書いておいて「切るしかない」と、自ら切り返します。「坂道の上に雲がある」「女関係に国家意識を目覚めさせる」という辺りは、司馬遼太郎さんの大河ドラマ的な国家意識をイメージしているのでしょうか。司馬さんはもっと深いところのある作家だと思いますが、とりあえず作者は、NHK的ということで、からかって切り捨てます。「乳房の上に手紙を並べて/涙を流していたんだ」は、作者の企みに乗って、そのまま作者の恋人が泣いていたと理解しておきましょう。「まさか」「まさか」の世界ですから。

 そして、「声に出さない声は/からだを裂かなければならなかった」という2行が読者の記憶にこびりつくように残されます。これは「石榴」の話だったのか、それとも人間が何かを語る、その「思い」「苦しい」の話だったのか。作者の掌の上には「枝についたまま裂けた石榴」が乗っているようですが。



初稿 2005.1.30




<36>

  なんでもおまんこ              谷川俊太郎 (1931−  )


なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

・詩集『夜のミッキー・マウス』(2003・新潮社)所収


 語っているのは、ちょっと不良っぽいけれど率直な青年に一見思えますが、やはり老いて自分を取り巻く自然のあれこれが、性的に感じられる、そのことを良しとして遊ぶように語ることのできる境地に至った作者なのでしょう。別に、作者個人の気持ちの吐露であるとする必然性はどこにもないんですが。

 「空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ」「ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお」「おれのからだ/おれの気持ち/溶けてなくなっちゃいそうだよ」といった詩行に、自然に溶けるように死んでいく願望を歌いながら、「笑っちゃうよ/おれ死にてえのかなあ」と自分で言い返しています。究極の快感は死につながるのかもしれない、でもそれを快感を求める自分が言っても仕方のないこと、そこまで遊ぶように語れる境地に作者は達したのでしょうか。



初稿 2005.1.30




<37>

  はらから   岡田隆彦の死に      清水哲男 (1938−  )


熱いもので腹を圧していないと
何事にも集中できなくなってきた
満足に窓から外も見られなくなった
女の熱い腹の下でもがいていたころの
いい加減な世界の見方のほうが
むしろ正確だったということに
でも 気がつきたくないのだよ 俺はね
しずかに冷たく死んでいきたいのだよ
と言いたいけれど恐いのだよ 俺はね

腹が冷える
くやしいほどに腹がつめたい
圧したい 熱いもので
熱ければ それだけでよい
「夏をはかるくちびる」がついに
詩人によって発見された時代のざわめきが懐しいよ
いまやその種の熱さを喚起できるのは
遠い南半球の革命運動だけだというのは
たぶん俺の思い上がりでしかないだろう
情熱に取り残されるってことは
実際 誰にでも起きることなのだね
結婚するときに 唯一腹をくくって公言したこと
「いつか俺は市街戦で死ぬ 死ぬ人間も必要なのだ」
嘘じゃなかったが
それが嘘みたいになりつつある腹のつめたさ

恐いのだよ 俺はね
このはらわたの冷えがね
もはや逆転できない人生にしたがって
生きつづけていくことがね
女の腹よりももっと熱いものの存在を
忘れて生きるなんてことが
俺にはできないはずだったのに
しかし今 そんなことは実践できもしないくせに
それをなんとか可能にしていかないと
きっちりと死ぬこともならない腹具合が
恐いんだよ 俺には
ほらね たとえば
むこうを走っていく同胞の自転車の
サドルが弾く淡くて小さくて寒い雷にさえたちまち
おびえてすくんでしまう俺というひとりの男の腹から出る言葉などが。

・詩集『緑の小函』(1997・書肆山田)所収


 若い日々、岡田隆彦さんが「夏をはかるくちびる」(「夏を はかる唇」)を発表した60年代半ば、「女の熱い腹の下で」もがきながらも、腹に力の入った姿勢で「俺」は世界を見ていた。世界の変化の波に揺られて、俺は「腹がつめたい」生き方を身に付けてしまったが、「いつか俺は市街戦で死ぬ 死ぬ人間も必要なのだ」と結婚するときに公言した自分の情熱に、他の誰にでも起きるように取り残されてしまったのか。「逆転できない人生」にしたがって生きていくのか。逆転できないとは分かっているが、できなければ「きっちり死ぬこともならない」。何でもない死に方におびえてくだらないことを口走ってしまいそうな自分が恐い。

 亡くなった詩人を同胞(「はらから」)として意識しながら、自分の「腹(はら)」が都合よく身に付けてしまった弱さをさらけ出す。そのことが伝わる世界ももはや希薄になっている、あるいは上辺だけはいつも同意する「腹のつめたい」世界になってしまっている。詩人の怒りはぶつける相手さえ失いながら(「いまやその種の熱さを喚起できるのは/遠い南半球の革命運動だけだというのは/たぶん俺の思い上がりでしかないだろう」)、自分に突きつけるしかなくなっているのでしょうか。



初稿 2005.1.30




<38>

  きみが言う              北島 (1949−  )


わたしは暗号でドアをノックする
するときみが言う、春よ お入り
わたしはゆっくりと帽子をとる
鬢が霜や雪に濡れそぼっている

きみを抱きしめようとすると
きみが言う、あわてないで、おバカさん
体をびくつかせている一匹の小鹿が
きみの瞳の中を駆け抜ける

誕生日のその日
きみが言う、いや、贈り物なんていらないわ
そしてわたしのカシオペアが
早くもきみの頭上にまたたく

十字路で
きみが言う、離れないで 永遠に
あかあかと光るヘッドライトが幾筋も
二人の間をつきぬけていく

・詩集『北島詩選』(1986・新世紀出版社)所収
 引用は是永駿編訳『世界現代詩文庫 13 北島詩集』(1988・土曜美術社)より
 「鬢」に「びん」のルビ


 中国の新しい詩の時代をもたらしながら、現在は「実質的」亡命を強いられている詩人、北島(ペイ・タオとも、ベイダオとも)の詩です。

 詩人の履歴から「わたしは暗号でドアをノックする/するときみが言う、春よ お入り」という2行は、秘密結社めいたものかとも思いましたが、若い恋人たちのたわむれととってよいのでしょう。「体をびくつかせている一匹の小鹿が/きみの瞳の中を駆け抜ける」「わたしのカシオペアが/早くもきみの頭上にまたたく」といった率直な初々しい表現の背後にある社会の厳しさは、市場開放へ向かっている現在の中国にあっても消えてはいないと思われます。ちょうど合州国が左翼的な発言・活動に対しては「非米」という観点から今もその厳しさをゆるめていないように。「二人の間をつきぬけていく」幾筋ものヘッドライトとは、経済的成長を続けるかに見える世界が持つ、ぞっとするような冷たさかもしれません。



初稿 2005.1.30




<39>

  都市              如月小春 (1956−2000)


都市
ソレハ ユルギナキ全体
絶体的ナ広ガリヲ持チ 把握ヲ許サズ 息ヅキ 疲レ 蹴オトシ
ソコデハ 全テが 置キ去リニサレテ 関ワリアウコトナシニ ブヨブヨト 共存スルノミ
個ハ 辺境ニアリ
タダ 辺境ニアリ
楽シミハ アマリニ稚ナクテ ザワメキノミガ タユタイ続ケル
コンナ夜ニ 正シイナンテコトガ 何ニナルノサ

・戯曲「家、世の果ての……」(1980, 81)より。後に高橋悠治さんによって作曲され、作者の演劇集団NOISEや高橋さんの属した水牛楽団によって歌われた。
 新宿書房ホームページ中の記事より引用
 


 急逝した劇作家、如月小春さんの劇中のセリフであり、後に歌にもなった「都市」が書かれたのは80年代初め。学生運動もピークを完全に過ぎて、人々のシンパシーも冷えきっていました。まだ小劇場演劇は元気を保っていたものの(赤テント、黒テント、天井桟敷、転形劇場や、急速に人気を集めていた夢の遊眠社など)、世の趨勢は消費と、テニス、海外旅行といったレジャーへと向かっていました。消費化がまだ飽和点を想像することもないまま、都市は変容していきました。その「絶対的ナ広ガリ」は思想的な言葉や直感で把握できるものではなく、「個」はあふれていく商品の選択肢の広がりに「豊かさ」を味わいながらも(西武百貨店の「おいしい生活」といったイメージ広告は1977年くらいから。ちなみにチケットぴあは1984年スタート))、個別の趣味、好みという「辺境」に追いやられていくことになります。そうした個別化した生がたてる「ザワメキ」、「正シイナンテコトガ」何にもならない夜。

 如月さんの演劇の特徴は時代のコードをつかんでの思いきった一般化・単純化にあったのではないかと思います。女子高生の自殺とか、壊れていく家庭とか、その一般化の仕方が風俗的な切り取りすれすれであることに、首をかしげたこともあったのですが、その思い切りのよさが、人々を引きつけていたのかもしれないと、今では考えます。



初稿 2005.2.1




<40>

  夜と夜の夜              佐藤信 (1943−  )


雨あがりの午後 土埃のにおい
ひんやりとした風 揺れるかげろう
それはぼくの知らないタオのまちだ
ぼくはまだ生まれていなかった

日照りのまちにぼくは生まれた
ひと目見ただけで ぼくには解った
ぼくの生まれたタオのまちは
夜を待ち望む真夜中のまちだ

明るさが闇のしるしのまちで
ぼくは道には迷わなかった
いつもつきまとう短い影が
足もとを照らす灯火だった

まちがぼくを怖れぬように
ぼくもまちを怖れなかった
けれどもまちがぼくを拒むようには
ぼくはまちを拒めなかった

ぼくはまちに質問した
大抵は答える声もなかった
時おり嘲る百万の声が
ぼくの問いそのものを打ち消した

たとえばぼくはまちに尋ねた
ぼくには賢さが必要だろうか?
自然の愚かさをまちは模倣する
それがまちの答だった

ぼくには強さが必要だろうか?
せせら笑いがひとしきり聞こえ
取り繕ったいかめしさでまちが答えた
強さは弱さの隠れ蓑にはならない

ぼくにはずるさが必要だろうか?
今度はまちは大笑いだ
君の質問は充分にずるい
しかしわれわれはその手には乗らぬ

ジャングルに生まれた獣のようには
このまちで生きることができなかった
賢さでも強さでもずるさでもない
まちの悪意をぼくは知った

ぼくは飢えても渇いてもいたが
ただ歩きつづけるほかはなかった
行く先々で出会うぼく以上の飢えや渇きを
ぼくは顔をそむけて通り過ぎた

憐みや同情は求められていなかった
足をとめない理由はほかにもあった
立ち止った人々の妬みや優越が
まちの悪意の理由だったからだ

もちろん 好意や友情もあった
いたわりの言葉や握手のかわりに
ささやかな暴力が証しにされた
無一物のぼくから盗もうとした友人さえいた

ぼくが学んだ暴力は
どれもはにかみながら途方に暮れていた
ぼくを産み捨てた母親は
素早く忘れることでその罪を償った

暗闇とガソリンのにおい
金メッキと硝煙のにおい
モーター・サイクルとどぶ泥のにおい
嘘とナフタリン ホルマリンのにおい

ぼくは次第に答を求めなくなった
譬え話と現実とはしばしば容易に入れ替り
無価値な死はたちまち比喩の餌食となった
死者は死者であることを許されなかった

暴力を真似る必要はなかった
ただ暴力の仕組を見透すだけで
ぼくはまちと折り合いをつけた
かくしてまちの悪意の第二の根拠が明らかとなる

意味はそれ自体暴力であり
暴力はそれ自体意味である
自然への遁走は自由だったが
それとて比喩の詐術の罠が仕掛けられていた

奪われてはいたが孤独ではなかった
そのようにしてぼくはまちになじんでいった
飢えの苦痛も耐えられなくはなかった
それがまちに生きる資格ならば

知識はいつの間にか身についた
知識は生きる術を教えたが
生きる術そのものとはならなかった
知識を忘れるためには努力が必要だった

ぼくは自分の地図をつくった
タオのまちはいくつかの点であらわされた
ひとつの点がひとつの暴力を意味した
ぼくのタオには輪郭がなかった

地図を歩くぼくの中で
青ぐろい魚がゆっくりと泳ぐ
ぼくの足もとから影が消えて
真夜中のまちで いつかぼく自身が夜になった

雨あがりの午後 土埃のにおい
ひんやりとした風 揺れるかげろう
それはぼくの知らないタオのまちだ
ぼくはとうの昔に死んでしまっていた

・戯曲「夜と夜の夜」(1981)より
 引用は戯曲集『夜と夜の夜』(1981・晶文社)より
 戯曲からの引用につき、ト書きを一行省略させていただきました。


  前出の如月小春さんの「都市」と同時期のやはり戯曲から。佐藤信さんの所属する劇団黒テントは、日本の都市に閉じ込められずに、アジアの都市へも通じる旅と演劇を模索し始めていました。この戯曲では、「タオ」という架空の街で「ぼく」が生まれてから死んでいくまで(それとも行方不明?)をたった一日のドラマとして、描ききっていきます。引用は、そのラスト近くで「ぼく」が語る長いセリフです。

 「ぼく」の生まれたのは「日照りのまち」であり「夜を待ち望む真夜中のまち」、「ぼく」は「まち」を怖れなかったが、「まち」は「ぼく」を拒むことができた。「まち」への質問「ぼくには賢さが必要だろうか?」「ぼくには強さが必要だろうか?」「ぼくにはずるさが必要だろうか?」は「まち」の「笑い」によってはぐらかされます。そして「賢さでも強さでもずるさでもない/まちの悪意」とは「人々の妬みや優越」によるものだと語られます。「好意や友情」があってもそれは「はにかみながら途方に暮れ」る「ささやかな暴力」に通じています。「譬え話と現実とはしばしば容易に入れ替り」「意味はそれ自体暴力であり/暴力はそれ自体意味である」ような「まち」になじんで生きるには「知識を忘れる」「努力」が必要になります。「輪郭」のない「まち」で「ぼく」は老い、「ぼく自身」が「夜」になる、そして「ぼくはとうの昔に死んでしまっていた」。なかなか読み込みきれない論理の展開と、「青ぐろい魚」のようなイメージがからみ合って、印象に残る「セリフ」です。

 20年以上前の観劇の記憶ですが、アジア(あるいはアジア風の)仮面が多用されていました。「ぼく」は「ぼく」であると同時に、演じる人間であり、見る人間であり、世界のどこにでもある「まち」だったのだと思います。



初稿 2005.2.1




<41>

  若い人よ              石原吉郎 (1915−77)


私はちがうのだ若い人よ
私はちがうのだ
私の断念において
私はちがうのだ断念への
私の自由において
堤防はそのままに
堤防であり
空はそのままに空であることが
私の断念のすべてだが
しかしちがうのだ
通過することが生きることの
はげしい保証である爪先は
私にはとどかないのだ
若い人よ

・詩集『北條』(1975・花神社)所収
 引用は『現代詩文庫 120 続・石原吉郎詩集』(1994・思潮社)より


 学生だった70年代、石原さんの詩は、詩という枠を越えて読まれていたと思います。当時、感覚的に「分かった」と思えた詩が今はまた、読者である私にとって謎の中に沈んでいくようです。何を書いても間違えそうですが試みてみましょう。

 若い人よ、あなたは私を「詩人」だとか「文化人」だといった目で見て、いろいろなことを尋ねてくるが、私はそうしたことに応えられるような存在ではない。「私はちがうのだ」。私は私でしかない存在だ。「私の断念において」「断念への/私の自由において」。自然とそれに接する人為のみを認める「私の断念」、だがそれだけでは説明できない。生きて時間を通過していくという過ぎこし方が、歩んでいく「爪先」によってはげしく「保証」される、というそのことが私にはないのだ。私にとって生は歩みを止めてしまっているのだ。

 現在、石原さんは戦後のシベリア収容所体験という、歴史的、散文的文脈で語られることが多いように思えます。そしてそのことを、石原さんが残した詩は、静かな目で見つめ返しているように感じられます。



初稿 2005.2.2




<42>

  水が少量              小長谷清実 (1936−  )


冷蔵庫の中にかくれることは可能だろうか
部屋のすみの冷蔵庫を見ながら時々思う

冷蔵庫は白い
白くて銀色の把手がある

その把手に指をかけてひっぱると
扉がひらく

その扉がひらくと
わたしは

わたしは
何を言ってるだろう 言おうとしているのか

白い冷蔵庫のことなんか
ぶつぶつ言って 何かを思いだそうとして

白い冷蔵庫のことなんか
忘れてしまえ

かくれる場所なんて
どこにもないのだ

冷蔵庫の中はからっぽでいっぱい
背後は壁

かくれる場所なんてどこにもないのだ
防空壕は空腹でいっぱい

防火用水は屍体でいっぱい
そして 水が少量

白い冷蔵庫の中にも
水が少しはあるだろうか

イザというとき
わたしたちがその中に首をつっこんで死ねるほどの

・詩集『小航海26』(1976・百鬼界)所収
 引用は『現代詩文庫 83 小長谷清実詩集』(1985・思潮社)より


 まったくの雑談のように始まる詩です。「冷蔵庫の中にかくれる」なんて冗談のような、いたずらのような。その把手をひっぱると、扉がひらき、と当たり前のような話。「わたしは/何を言ってるだろう 言おうとしているのか」「冷蔵庫のことなんか/忘れてしまえ」。自分の雑念を振り払うように言葉が繰り出されるのですが、その雑念には「何かを思いだそう」とする気持ちの動きがからんでいるようです。「かくれる場所なんて/どこにもないのだ」。えっ、何の話? と読者が思った途端に、「防空壕は空腹でいっぱい//防火用水は屍体でいっぱい」と詩は続けられるのです。「思いだそう」とした「何か」とは、作者の空襲体験だったのでしょう。

 「白い冷蔵庫の中にも/水が少しはあるだろうか//イザというとき/わたしたちがその中に首をつっこんで死ねるほどの」。空襲による炎や煙、熱を避けて、防火用水の「少量」の「水」に首をつっこんで死んでいった人々の記憶、それを目の辺りにした少年時の恐怖感。それが、さりげない、難しい言葉や理屈づけを廃した言葉の展開によって、読者に手渡されるのです。



初稿 2005.2.3




<43>

  カンシャク玉と雷鳴              飯島耕一 (1930−  )


老年のラファエル・アルベルティは
壇上にあがると
ポケットから
カンシャク玉をとり出し

バン と床に叩きつけてから
旧友ロルカを偲ぶ 詩を読んだ
あの日から もう十七年

みるに値するもの
きくに値するものが
ますます少なくなってくる

あのカンシャク玉の音
いつまでも
忘れられない バンと

フェデリコと呼びかける
ほとんど泣いているかの 老いた詩人の声

故国へなかなか帰ることのできなかった人

わたしは林をみに行くところであり
実際に 林の中に坐って
風を感じてみたのだが
なぜ われわれは

林をみに行く朝も
林から出て来たあとも
みたくもない政治家の顔や姿の
映像をみずには
すまないようになっているのか

アメリカの女の政治家の大きな顔
ふとい足
日本の政治家の 分厚い皮膚 横柄な心
なぜ あのまやかしを餌に 前面へと成長する者は
優しげで いやな顔を しているのだろう

夏の雷鳴はすてきでした
と一人の美貌の女の詩人が手紙に書いてきた

きくに値する
怖れるに値するのは
雷鳴ぐらいになってしまった

あの雷鳴を 餌に
詩人は ますます孤独に
うしろへ うしろへと 成長しなければ
この国の言語は
近々 死ぬことになるだろう

・『飯島耕一・詩と散文 5』(2001・みすず書房)所収


 ラファエル・アルベルティさんは、フェデリコ・ガルシア・ロルカさんと親交のあったスペインの詩人で、1999年に96歳に亡くなっています。長い亡命生活を経てスペインに戻ったのが77年と言いますから、作者はスペインで詩人の朗読を見たのでしょうか。詩人が朗読の前に床に叩きつけた、カンシャク玉の「バン」という音。記憶に焼きついて、いつまでも忘れられない乾いた音、その詩人の声。

 林を訪れたり風を感じたり、自らを慰めても、政治家たちの、まやかしによって「前面」に成長する姿が映像となってつきまとって離れない時代。「みるに値するもの/きくに値するもの」「きくに値する/怖れるに値する」ものは、もはや「雷鳴」ぐらいになってしまった。その「雷鳴を 餌に」詩人は「孤独に」「うしろへ」成長しなければならない。

 シンプルな言葉とその展開で印象に残る佳編です。惜しむらくは、「この国の言語」という問題が、作者によって「詩人」の問題にされてしまっているということでしょうか。



初稿 2005.2.3




<44>

  扇動的なエッセイ(部分)              ジェニー・ホルツァー (1950−  )


支配は無上の喜びである。
たとえようもないその感覚。
精神的な感動は肉体のそれにまさる。
おまえは権力をもっていると知ることこそ、
無上の心地であり最大の慰めである。
それは完璧な安全と庇護である。
おまえが支配するとき
おまえは支配される者の願いも聞き入れる。
そのものは誰かが自分を支配し、
悩みを取り除いてもらうことを祈る。
おまえは自分自身を救うことで彼をも救っている。
意地悪をしようがその者はありがたがる。
ときには、腹を立て、
はむかって来ることもあるが
うまくおさえることは可能だ。
その者は自分の要求を忘れない。
おまえは欲しいものは必ず手に入れる。

・作品集『ジェニー・ホルツァー  ことばの森で』(水戸芸術館現代美術センター監修・1994・淡交社)より、メディア・インスタレーションのための章句


 ジェニー・ホルツァーさんは合州国のアーティストで、引用のような章句を、美術館内のインスタレーションとして展示するだけでなく、街中の電光掲示板に映し出したり、電話ボックスや建物の壁に貼ったり、お店のレシートに刷り込んだり、シャツや帽子にプリントして配布(販売?)したりといった活動を続けています。

 「支配は無上の喜びである」「おまえは権力をもっていると知ることこそ、/無上の心地であり最大の慰めである」「ときには、腹を立て、/はむかって来ることもあるが/うまくおさえることは可能だ」といった、皮肉とも警告とも権力願望ともとれる章句と、街中で遭遇することによって生じるショック、それは印刷物での言葉の作品が持つ、作者から読者へのメッセージ性というあり方とは少しずれた世界を作り出しています。印刷物での詩作品は、現在、私たちが考える以上に、「作者」「読者」という世界に閉じ込められているのかもしれません。



初稿 2005.2.3




<45>

  三つの道              ウンベルト・サバ (1883−1957)


トリエステには
閉ざされた ながい悲しみの日々
ぼくが自分を映してみる道がある。
名は「旧ラザレト通り」。
どれもおなじ古い養老院に似た家並。
だが その中に ただひとつ 明るい調べが。
両側の家の盡きるところが 海なのだ。
ふと 薬やコルタルの匂いがし
店先に人影のない倉庫などが あり
船の ロープの類やら
網など売っている。 看板がわりに
旗を掲げた店もある。 中では たまにしか眼も
くれぬ通行人に背をむけ 血の気のない
顔で色とりどりの万国旗の上に身を屈めた女たち
が人生の罰を償っている。 無辜の女囚たちは
暗い顔で たのしげな旗を縫っている。

悲しみが いっぱいで
空と古い町並の 美しい トリエステには
「山の通り」という坂がある。
ユダヤ寺院に始まり
修道院で 行き止り。 なかほどには
小さな聖堂がある。 そこの芝生から眺めると
いのちの暗いひしめきが 船と岬を浮かべた 海が
露天市場のざわめきと 日覆とが見える。
坂のわきには 見棄てられた
墓地も。 絶えて葬式の入らぬ
記憶にあるかぎり もう誰も葬られたことのない
墓地。 ユダヤ人たちの
古い墓地。 ぼくの心にとっては
大切な その墓地に立ち
苦労を重ね 商いつづけた揚句の果てに
ここに葬られた 魂も
顔立ちも ぼくに似た なつかしい
先祖たちのことを ぼくは考える。

「山の通り」は 神聖な愛の道。
けれど 歓びと恋の通りは
何と言っても ドメニコ・ロセッティ街。
町はずれの この緑の大通りは
日ごと 日ごとに 色褪せ
町らしくなり 田園の香を失うが
まだ よき時代の
別荘が あちこちに残り まばらな
灌木の生垣も。
夏も終り近い 夕方
どの窓も 開け放たれ そのひとつ
ひとつが見晴らし台で 縫ったり
本を読んだりして 人を待っている。
ぼくは散歩しながら あれこれと考える。
ひょっとしたら 自分の恋する女が こんなところで……
ぼくを ぼくだけを愛して 昔ながらの
生きるよろこびを もう一度 花さかせてくれるのではないかと。
そして子供には もっとばらいろの運命を。

・引用は須賀敦子『イタリアの詩人たち』(1998・青土社)より
 「日覆」に「テント」、「恋する女」の「女」に「ひと」のルビあり


 「ぼく」の「ながい悲しみの日々」に、「ぼくが自分を映してみる」、トリエステの三つの道。「旧ラザレト通り」は「古い養老院に似た家並」の盡きるところで海がひらける。貧しい、人生に閉じ込められた女たちが「暗い顔で たのしげな」「万国旗」を縫っている。「山の通り」はユダヤ人の血を引く「ぼく」にとって、ユダヤ寺院と「ユダヤ人たちの/古い墓地」の通り。「苦労を重ね」た、忘れられた、なつかしい死者たちの通り。「ドメニコ・ロセッティ街」は「歓びと恋の通り」。この「緑の大通り」は「まだ よき時代の/別荘」の開け放たれた窓が出会いへの期待をかもし出す。その通りを「ぼく」は、「ぼくだけを愛して 昔ながらの/生きるよろこびを もう一度 花さかせてくれる」「子供には もっとばらいろの運命を」与えてくれる「恋する女」とばったり会うことを夢見ながら散歩する。

 須賀敦子さん(1929−98)のこの翻訳は比較的初期(1970年代末)のもので、その後、須賀さんはサバさんの詩を時間をかけて訳しなおしているようです。須賀さんが訳してまとめられた『ウンベルト・サバ詩集』(1998・みすず書房)版の訳と、いつかゆっくり比較してみたいものです(イタリア語が分かりませんので、その深みを増していく変化は理解できないかもしれませんが)。



初稿 2005.2.3




<46>

  沈黙             辻征夫 (1939−2000)


いきなり電話が鳴ったので
ぼくは目覚めてしまったのだ

夢の中でぼくは
一冊の詩集を読んでいたのだが
その中の一篇がすばらしかった
思わず
すばらしいとぼくは呟き
夢だなぞとは夢にも思っていなかった

だが 目覚めたとたんに
ぼくは忘れてしまったのだ
どんな詩であったか
だれの詩であったか
みんな なにもかも
ぼくは忘れてしまったのだ

電話の向うでは
友だちが言っている
もしもし もしもし
今日 会おうよ
一時に?
二時に?
三時に? もしもし

一時に 二時に 三時に
ぼくは友だちに会うだろう
そしてぼくらは語るだろう
夢のことでなく
現実のぼくらの生活について
ぼくらの今日と
明日の不安について
とめどもなく
ぼくらは語らねばならぬだろう

そして語ってもなお
ぼくは思い出せないだろう
あの美しい

いつまでも
ぼくは思い出せないだろう
そして書くこともできないだろう

ぼくは友だちに言う
すばらしいことはみんな夢の中で起った
ぼくらはそれを思い出せないで暮している
一篇の詩
ぼくらの苦しみでは創り出せない詩
それを思い出そうとしてぼくは歩いている
ぼくの沈黙を許したまえ と

・詩集『学校の思い出』(1962・思潮社)所収
 引用は『辻征夫詩集成 新版』(2003・書肆山田)より
 「辻」さんの「辻」はしんにょうの点が二つ

 夢の中で読んでいた「一冊の詩集」、その中の一篇に「ぼく」は「すばらしい」と呟いたのですが、電話で目覚めたとたんに、「どんな詩であったか/だれの詩であったか」「なにもかも」忘れてしまいます。「一時に 二時に 三時に」という時間の繰り返しに、「不安」な「ぼくら」のささやきが聞こえてくるようです。そして「ぼくら」が会ってどんなに語り合っても、「夢の中で起った」すばらしいことは思い出せないのでしょう。しかし「ぼくらの苦しみでは創り出せない」一篇の詩を思い出そうとして、「ぼく」は「沈黙」しながら歩いているのです。

 「ぼくらの苦しみでは創り出せない」一篇の詩とはどんな詩なのでしょうか。この詩が書かれたのは1960年前後の政治の季節、詩に関してもその流れの中にあったと思います。そうした時代に若い作者が思い描いた、すばらしい詩を、その後の作者の詩はどこまで「思い出した」のでしょうか。この詩は、自分の「苦しみ」の描写に寄りかからなかった作者の作品群を見直すための、指標になる詩だとは考えられないでしょうか。



初稿 2005.2.3




<47>

  子どもの時間              高橋順子 (1944−  )


子どものころって退屈だった
おとなになりたかったのに
すぐにはおとなになれそうもなかったから
あんまり長くて
あきあきして
退屈してしまった

でもふしぎだ
退屈しているはずの子どもの顔が
いきいきしていて
退屈していられないはずのおとなの顔が
くすんでいる
退屈って いいことだったのかもしれないんだ

ふしぎだ
おとなになるのに二十年
年寄りになるのにそれからまた四十年以上かかるのに
どうして子どものときのほうが
時間がゆるやかなのか
時間がつっ走ってゆかないのか

わたしたちの時間は
空の中に生まれた喜ばしい雨つぶ
のように始まるのではないか
だんだんスピードがついてきて
雨つぶの頬もこけて

新品のまんまるの雨つぶはまだ
きみの空に浮かんでいて落っこちそうもない
ゆらゆらしだすのは
きみが最後のスクールバスから降りるころだろう
きみはもう退屈していないだろう

・詩集『普通の女』(1993・書肆山田)所収


 「退屈」しているはずなのに「いきいきしている」「子どもの顔」。子どもを流れる、ゆるやかな時間、「つっ走ってゆかない」時間。筆者自身の子どもを見ていても、すごく単調な毎日のようでいながら、楽しさやさまざまな感情体験に充たされていると感じられます。すぐに「おとなになりたかった」のは、この詩の作者の早熟かもしれませんが(ですから「退屈」というキーワードで子どもの時間とおとなの時間の性格を一般論のように切り分けるのも、本当は作者一流のすれすれのテクニックなのですが)。

 「わたしたちの時間は/空の中に生まれた喜ばしい雨つぶ/のように始まるのではないか」から後は、言葉にふれる喜ばしさを味わえる展開です。頬がこける雨つぶ、「新品のまんまるの雨つぶ」、「まだ/きみの空に浮かんでいて落っこちそうもない」雨つぶが、「きみが最後のスクールバスから降りるころ」に「ゆらゆらしだす」。読んだあとで、甘酸っぱい、そして甘すぎない気持ちで、ふと空を見上げたくなるような佳編です。



初稿 2005.2.7




<48>

  都市の旋律              宮河蕗子 (19??−  )


「夕陽が沈むのを見るのはいやだ」
セントルイスブルースの歌詞である

蝶の羽の色を思い出す浅草のネオンサイン
大きなキャバレーのホールの中央の
くるくる色の変わるスポットライト
入浴ショーが始まった

小柄で妖精のような
なかよしのストリッパーがタオルを忘れて
ピアニストの私に助けを求める
かぶりつきの男たちよりも瞳孔を開き
若い私がきっぱりとさけぶ
−−ボーイさん、おしぼり!

かわいいスージーのために
めんめんと
きわどく
私は奏でる
だれも聴いていないセントルイスブルースを
男たちがつぶしにやってきた時間を
男たちのつぶすためにある時間を
正確に音楽は
最後のひとかけらまで
叩き潰す

こんな夜は
お伽の国ではない
枝で休む小鳥もいない
ただ私のちいさな
頭脳と感覚が
はなやかにうごめいただけだ

今では知っている
あの遠い
調べは
私を疲れさせないために
一瞬に消え去ったことを

・詩集『ジャズ』(1987・紫陽社)所収


 80年代の末にふと書店で見つけて買った詩集。作者のくわしい経歴も、その後も書かれているのかも、分かりません。ただ、書店での本のたたずまいが印象深かった。そんな偶然に出会った詩集の1編。

 「若い私」は浅草のキャバレーの入浴ショーでピアノを弾いている。タオルを忘れたストリッパーのためにさけぶ「私」は、「だれも聴いていないセントルイスブルースを」弾き続け、「男たちがつぶしにやってきた時間」「男たちのつぶすためにある時間を」「叩き潰す」。「お伽の国ではない」「こんな夜」、「私」の「ちいさな/頭脳と感覚が/はなやかにうごめいた」。そしてあのセントルイスブルースは、「私を疲れさせないために」夜の中へ「一瞬に消え去った」のだった。

 お勉強をしても書けない感覚をそなえた詩。こんな詩に出会えることを、筆者はまだあきらめたくありません。



初稿 2005.2.7




<49>

  夜勤              齋藤恵美子 (1960−  )


給湯室のくずかごへ
ひとりが
おしっこをしています
小暗いロビーの、午前四時の、時計をひとりは
見すえています
きのう、月がひかった窓に、今夜は
星が、こもっている
夜勤は人手が足りませんから、どうか
シーツに戻ってください
廊下を、ひとりが、ひとりの骨に、つかまりながら、歩いています
出向いたばかりの職員が、同じひとりに
呼ばれています
杖にすがって進むひとりは、きのうの月を、覚えていない
呼んでいるのは、名前ではなく
存在、ですらありません
みずからの手におえなくなった、自分と世界に
おびえながら
たりない記憶をおぎなうように
感情だけが、泣いています
談話室の、机のうえの、青い、ガラスのあきびんに
ほこりのつもったランの造花が
ゆわかれたまま挿さっている
この世の、すべてを後ろにまわして、深さを
覗いているだけの
その姿勢をつづけるだけの、背中が
ソファーに、座っています
他人にしか見えない自分を、ときどき
ひどく、遠ざけますが
針をにぎると、ひとりは、すっと、きもちの奥が
楽になります
オムツのなかで、湿り気のある、つめたい過去が、匂っていて
針山から、知らない女の、丈夫な髪が
はみでています
手すりをにぎったままのひとりが
きょうは、声で、話している
この耳にだけ、聞こえてしまう、遠い返事があるのです
寮母室では、針のほそさの
月も、火星もみえません
鳥が、夜明けをひきつれてくる、真夏の
せわしい、部屋の窓です

・詩集『緑豆』(2002・私家版)所収


 介護施設(「寮母」)のような場所でしょうか? 夜明け前の給湯室のくずかごへおしっこする人、時計を見すえている人、「骨」のようにやせた人につかまって歩く人。「名前ではなく/存在、ですら」ないものを呼ぶのは、「みずからの手におえなくなった、自分と世界に/おびえながら/たりない記憶をおぎなうように」泣いている「感情」? それともそれは別の声? 「ソファーに、座って」いる「この世の、すべてを後ろにまわして、深さを/覗いているだけの/その姿勢をつづけるだけの、背中」、「他人にしか見えない自分を、ときどき/ひどく、遠ざけ」る、オムツをつけた人、「この耳にだけ、聞こえてしまう、遠い返事」を聞く人。老いた人々の世話に追われる自分は、「針」に月や火星をみることもない。忙しさの中にもう真夏の夜が明けてくる。

 語り手の直接的な感情は語られていませんが、それぞれに「ひとり」(その表記の白さ)と呼ばれる老人たちの描写の向こうに、乾いた、しかしけして悲惨ではない、語り手の息遣いが聞こえてこないでしょうか。



初稿 2005.2.7




<50>

  生霊              白石かずこ (1931−  )


砂をおとす
暗闇の中に わずかに明りがもれてくる
おそらく全身についているらしい こまかい
キイロイ微粒子 を ゆっくりと
払いおとして 棺から
おきあがる わたしを みる
わたしは 昨日の方から 今
おきてくるようでもあり
数千年 おそらく五千年くらいむこうから
おきてくる クフ王の時代の
王そのものでもあるらしい

わたしが おきあがると
生霊も おきあがる
わたしの上を舞い わたしの中に降りる
わたし自身は
かすかな音をきいている
透明な景色を 感じている
かすかな羽音は
生霊が わたしのポエジーに語りかける翼の音であり
透明な景色は
この地球のどこか 沙漠のようでもあり
宇宙の空間に浮かぶ 透明な岩石でつくられた都市のようでもある
これらの景色が 今 わたしに
何を意味するのか知らないけれど
わたしは 生霊の空腹をイヤすために
沢山の エネルギーにみちた食物と愛と
叡知を用意しなければ と思う
そして 生霊こそは
わたしの叡知と愛と運命とエネルギーの
守護神で あるならば
日に数回 ときには
週に 月に 数回
棺から 砂を払い ゆっくりと
おきあがる わたしにあう
古代の王でもあると同時に
まぎれもない今日のわたしであるものが
棺から ゆっくりと おきあがり
こちらに やってくる

その時 こちらにいる わたしは
すでに 虚構である
わたし自身が脱皮した ぬけがらである
わたし自身が ずっと前に 脱出したのも知らず
わたしに似たものは食事をし 且つ 笑い
わたしの声で 時には 恋愛や
映画や 日常について語り
自分が永遠にも つかのまにも属さない
泡ですらもない 種族なのを知らない

かすかな 生霊の羽音は
美しい いたましくも美しい 音楽である
生きていることを 証かすための
音楽である
すべての景色は 生霊が かたちづくるのであろう
生霊が わたし及びわたしたちに
景色の存在の さみしさ
透明を 知らせるであろう

今 生霊が日に何度も わたしのところへ
おりてきて ポエジーの実をつつく
心臓の淵で 水浴びし
わたしの盲目の眼を 暗闇のかすかな光や
けはいにむかって せわしく案内するために
大きな呪文に似た声あげて
鳴く 合図をするのである

今日 わたしは わたしの中で 生霊と共に
あきらかに ゆっくりと砂を払い
まがうかたない五千年の未来から 未来へ むかって
おきあがるのである

・詩集『砂族』(1982・書肆山田)所収
 タイトルおよび本文中初出の「生霊」に「カア」、「案内」に「ガイド」のルビあり


 古代エジプトでは、人の「死」とはセト(肉体)とカア(幽体)が分離することで、「カア」は人の死後も生き続けるとされていたそうです。この詩の「カア」(以下「生霊」とします)は、棺からおきあがる「わたしの上を舞い わたしの中に降り」「かすかな羽音」で「わたしのポエジーに語りかけ」ます。「わたし」は現代と古代を、沙漠と都市を同時に生きながら、「生霊」に「エネルギーにみちた食物と愛と/叡知」を用意する者であり、同時にそうした「わたし」を見るものでもあります。その「こちらにいる わたし」は虚構で、日常生活を送りながら、「自分が永遠にも つかのまにも属さない/泡ですらもない 種族なのを知らない」でいます。

 「いたましくも美しい」音楽や「景色の存在の さみしさ/透明」つまり「ポエジー」を、日に何度もおりてきて「わたし」に伝える生霊とともに、「わたし」は「五千年の未来から 未来へ むかって」ゆっくりとおきあがる。

 時空を越えてポエジーとともにおきる、これは詩人のさらなる闘争宣言でもあるのでしょう。



初稿 2005.2.7




<51>

  世界の終り              伊藤聚 (1935−99)


ここでいいのでしょう?ね、あなた。
駅のホームに立っている。山脈の南側を辿る鉄道の、
勾配とカーブばかりのレールがそこだけ緩やかにな
った場所にプラットホーム一面だけの乗換駅があっ
た。ホームの上は草が伸びほうだい、レールの間へ
まで溢れていた。ドアのない入口とガラス窓がひと
つの待合室が、くろぐろと葉の濃い桜の木の下にあ
った。緑の中に消えるレールの先を見通そうとして
みる。蝉の絶え間ない鳴声がうるさく、まだ列車の
気配はなかった。足もとではホタルブクロの花を蜂
がゆさぶっている。茎を登ってきた蟻が驚いて引返
していく。《最終列車の運転見込依然不明》という
通達が、栗の木に銜えられた通信線をはしった。
ここで立往生? まいったな。ここ以外でなら、こ
んな事態も少しは受け入れてもいいのだが。なんと
か別の途を見つけなくては。
そう、ここから分岐して谷間の町へ直接下る軽便鉄
道があった筈だ。ずっと昔、この同じプラットホー
ムで小さな木造客車に乗り換えたことがあったじゃ
ないか? これほど草茫々ではなかったし、待合室
には夕日があたり、中には人の影もあったんじゃな
かったか。
軽便鉄道の発車時刻表が待合室の中に貼ってあった。
掠れて読みにくいが、一日に三本の列車のまんなか
の発車の時刻はあと二十分後。ついていたね。
蝉の声が耳鳴りと混ってしまう。いらいらしても仕
方ない。それにしてもバッグひとつ持たない旅とは
ね。
予定時刻はとうに過ぎていた。待合室を出て、ホー
ムの軽便側を見た。なんのことだ、レールの影もあ
りはしない。ホームと同じ高さに盛土され、その土
が切れたあたり、錆のういた細いレールが数メート
ルだけ残っていた。その先には、掘りだされた枕木
が積まれ、転轍機が転がっている。廃線だったのだ。
どうしたらいい? 脱出ルートどころじゃなくなっ
てしまった。
下方の盆地に先ほどまでとは違った風景が現れはじ
めた。あれほどまでに緑一色だったなかに、剥きだ
しの石灰岩の舌のような帯が広がってきていた。山
の襞が削られ均されて、光らない皿が放りだされた
ように見える。グレイの中に砕石運搬のダンプカー
が虫のように蠢いている。時々白っぽい土煙が立つ
のは発破を仕掛けたのか。
うごけないのだ。事態の進行が予想したより速かっ
たということ。
山頂近辺にもグレイの滲みができていた。蝉の声が
急に途絶える。ウラジロガシの樹叢が迫ってきたグ
レイの側へ倒れこみのみこまれていく。いまがとう
げだ。ここをなんとかやり過すのだ。
短いかすれた汽笛が聞えた。車輪の音もしてきた。
レールの間に模型のような細いゲージのレールが何
本も敷かれ、列車が接近してきていた。ローラース
ケートほどの大きさの先頭のディーゼル機関車はカ
プセルのような窓に薄日を反射している。その隣り
のレールをホッパー車の長い列をひいた旧式の蒸気
機関車が勾配を登ってくる。
ディーゼル機関車のコックピットがちょうど足の下
に近づいた。ここが駅と知ってか、速度が落ちる。
運転席にいるのは、透明なヘルメットを被った黄金
虫たちだった。ブレーキの音が響き、列車が停止す
ると、うしろの車輛から甲虫たちが降りてきた。
虫たちは鉤の前脚を使い、銀色のアンテナを振りな
がら山へ向って線路を延長していった。網の目にな
った分岐点では、あとから来て勝手に乗り入れよう
とする工事列車どうしが衝突事故を繰返した。転覆
した機関車の熱いオイルをあびた甲虫たちは、変色
して、青い体液を搾りだして裏返しになる。死骸は
砂利の上でたちまち腐りはじめる。後続の補給列車
が積む樹脂や蜜蝋もすでに腐っていた。ここへ到着
するまえに車輸に巻こまれ、ぺちゃんこに貼りつい
ていた幼虫たちも見えた。いつでもどこでも腐敗は
部分であり、動ける虫たちはその上を汚い脚で歩き
まわる。
側溝の底のレール上を特急列車が通過した。展望台
では女王蟻が振り落されまいと脚を踏んばっていた。
プラットホームのあちこちで陥没がはじまる。悲鳴
もなく。
こんなになってしまって。
こうならないうちにあれほど。
どうします?あなた。ここにいるしかないのでしょ
う?

・詩集『ZZZ…世界の終りのあとで』(1991・書肆山田)


 「ここ」とはどこか? 「あなた」とは誰か? どこか山中の無人駅の風景。旅人は、旅の帰りに寄り道でもして、それとも映画のロケハンでもして(作者がかつて映画の助監督だったことからの連想)、山奥にまで踏み込んでしまったのか。一見何でもない風景描写に続く「《最終列車の運転見込依然不明》という通達が、栗の木に銜えられた通信線をはしった」。「通達」はどうやって旅人に伝わったのだろう。不吉な兆し。
 「ここで立往生? まいったな」と言っても旅人はまだへこたれていない。「ここ以外」「別の途」という語句に文字通りの意味以上のメッセージをうっすらと感じることができる。旅人は「ここ」へ以前にも来たことがある。しかしそのときはまだ「人の影」もある世界だった。時刻表を見て「別の途」がとりあえず見つかった、それもあまり待たずにすむようだ。「ついていたね」「バッグひとつ持たない旅とはね」と自分を振り返って笑う余裕がまだ感じられる旅人。しかし軽便鉄道は廃線になっていた。「レールの影もありはしない」「脱出ルートどころじゃなくなってしまった」。
 「下方の盆地に先ほどまでとは違った風景が」と、風景が変貌を始める。「剥きだしの石灰岩の舌のような帯」「白っぽい土煙が立つのは発破を仕掛けたのか」また「ダンプカーが虫のように蠢いて」とは風景がそのサイズまで歪んでいく兆しだ。そこで旅人は「うごけないのだ。事態の進行が予想したより速かったということ」。作中の描写であると同時に、うっすらとメッセージが読者にも飛んできている。そして「山頂近辺にもグレイの滲みができていた」と、さらに風景が急速に変貌していく。広がる「グレイ」の中に樹叢までが飲み込まれていく。「ここをなんとかやり過すのだ」。
 いつの間にか「レールの間に模型のような細いゲージのレールが何本も敷かれ」ている。そこを「ローラースケートほどの大きさ」のディーゼル機関車(先頭)がやってくる。そして「旧式の蒸気機関車」もまた。大きさが明示されてはいるものの、旅人も読者もかぎりなく小さな存在になっていくかのような、その機関車たちの存在感。
 「足の下に近づいた」「ディーゼル機関車のコックピット」と、まだ大きさの関係は描写としては明示されているが、中心は模型と虫の世界に移っている。
 「虫たちは鉤の前脚を使い、銀色のアンテナを振りながら山へ向って線路を延長していった」「工事列車どうしが衝突事故を繰返し」、変色して死んで腐っていく甲虫たち。悲惨な風景はすでに彼らを中心に破滅に向かって動き始めている。「いつでもどこでも腐敗は部分であり、動ける虫たちはその上を汚い脚で歩きまわる。」という虫の描写はそのまま人間世界についてもあてはまるようだ。最後には風景そのものが壊れていく。「プラットホームのあちこちで陥没がはじまる。悲鳴もなく」。
 「こんなになってしまって。/こうならないうちにあれほど。/どうします?あなた。ここにいるしかないのでしょう?」 壊れていく世界。「世界の終り」からのメッセージ。壊れているのですよ、ここまで。あれほど気をつけようと言ったはずなのに。それでも、ここにいるしかないからここにいるのですよ、という声は、悲惨というよりは、やや疲れを帯びたものの、なお軽快さを失わないで踏ん張りつづけている旅人、詩人の声。「ここ」は「世界の終り」を迎えた作品中の「ここ」であると同時に、この作品が書かれ、読まれている「ここ」だ。

 旧稿をまとめ直したもののため、長くなりました。こんな長ったらしい説明を、生前の作者に読まれたら、「でも、模型機関車を書いただけなんだよね」なんて笑われてしまうかもしれませんが。

初稿 1999.3.11 改稿2005.2.8




<52>

  もしも穏やかな退屈を、ありふれた平和と呼ぶならば……  TOMO (19??−  )


今朝も、私はいつもの電車に乗った。
ぎゅうぎゅう詰め込む、誰の目にも過剰な数の乗客。
それでも私の小さな体は、
はみ出すことなく、車輌のわずかな空間にすっぽりと納まってしまう。
たとえばその日は吐き気が酷くて、「さすがに無理だ」と思っていても、
それでもやっぱり納まってしまうのだ。
ドアが閉まる
見ず知らずの人たちと体が密着する
擦れ合って体の熱が伝わってくる
息遣いが感じられる
そんなことも、ここではごく当たり前のことなのだ。
降りる駅は違っても、行く宛ては皆一緒なのだ。そう、思った。

今夜も、私はいつものコンビニで食べ物を買った。
店内に整然と並べられた、一人用の食品の数々。
たとえば今日は、冷えた体を温めるためのスープ。
電子レンジで90秒
この90秒を待って、私がスプーンで口へ運ぶ、熱。
水道の蛇口を捻れば、水は流れ出した。それはごく当たり前に。
そしてこれは、とても力の要らないことだ。
ケトルを火に掛ける
お茶を淹れる
かつて缶ジュースを買うために、親からもらったお小遣いを握り締めた手は
小さな銀色のスプーンでもって、130円のプリンをひと掬い、口へと運ぶ。
この軽いプラスチックのカップに納まったプリンの、安くて甘い、幸せ。

静かな眠り、定刻通りやって来る朝。
そうして私は、あの窮屈な電車に乗るのだけれど、
それは決して130円のプリンのためなんかじゃない。
そう言ってしまわなければ、私はあの電車に乗ることなんてできない筈なのだ。

・詩誌「雨期 44号」(2005・雨期編集部)より


 日常を飾らずに淡々と描きながら、心に残る佳編です。たとえ「私」が「吐き気が酷くて、「さすがに無理だ」と思っていても」、そんな「私」が「すっぽり納まってしまう」空間。「私」も「見ず知らずの人たち」も「体の熱」や「息遣い」だけの存在になって「降りる駅は違っても」「皆一緒」の「行く宛て」に向かって運ばれていく。「一人用の食品の数々」が「整然と」並ぶ夜のコンビニで「私」は一人用のスープを買う。誰にでもできる、「とても力の要らないこと」をする。「130円のプリン」「安くて甘い、幸せ」を食べる。そんな時間と空間を、朝になれば繰り返す。それでも「それは決して130円のプリンのためなんかじゃない」、「そう言ってしまわなければ」、本当はここに「私」がいる理由さえもなくなってしまいそうだから、そう言葉に出して言ったりはもうしないけれど。

 街ですれ違う、「見ず知らずの人たち」にこんな言葉が隠されているのだったら、もう少し頑張って(出会いをあきらめずに)生きてみようかなと、ふっと心を慰められます。



初稿 2005.2.14−16




<53>

  西日のあたる部屋              須永紀子 (1956−  )


台風情報を伝えるアナウンサーの
陰気な声がラジオから流れ
部屋は夕方の光に包まれている
わたしは知らない誰かの部屋で
埃が舞っているのを見ていて
古いピアノと書棚のなかの本
  楽器奏法、バンド教本
  サティに関するものが数冊
  夭折の詩人の詩集
そこからひとりの男が浮かびあがってくる
どこといって目立つところのないそのひとは
金色の楽器を抱えた瞬間にわたしたちから離れ
はるかな高みに押しあげられるようにして
強くて深い音を奏でた
地の果てに飛ばされても深海に沈められたとしても
人の耳に届くことが不可能な状況にあっても
きっといつまでも吹き続けるだろう男に
わたしは恋をした
すれちがうだけだった男が
ある日を境に大切なひとになり
楽器と音楽が日々のしるしのようなものになる
わたしは迷うことなく
音にみちびかれて進めばよかった
ざわつく気持ちが静まり音楽のなかに分け入っていく
わたしは身体に触れることなく
彼を感じることができた

テーブルの上には書きかけの楽譜があって
そのひとの作ったものなら聴いてみたいと思う
でも音符はことばに似ていない
ひとつでもかたまりでも
わたしに伝わってくるものがない
背後には何があるのか振り向こうとするが
身体のすべての感覚が凍りついているみたいに
骨や筋肉が感じられない
わたしは突然
部屋のひとつの壁しか見えていないことに気づき
そして事態を理解する
テーブルの前にあるイス。
その背に装置の一部として
わたしの眼と脳は固定されているのだ

ドアが開く音。
そのひとか別のひとか誰かと一緒か老いているか若いか
わたしたちは再会を喜ぶだろうか
あるいはどちらかが失望するか
眼だけになったわたしという存在を
受け入れてくれるだろうか
けれど映像が網膜に映った瞬間
わたしの意識はオフされ
装置としての眼が起動モードに入ってしまう
半永久的に西日のなかを

・詩集『至上の愛』(2002・ミッドナイト・プレス)所収


 夢の記述のような詩。「知らない誰かの部屋」でラジオのアナウンサーの陰気な声を聞いている「わたし」の見ているのは「古いピアノと書棚のなかの本」。思い出される「金色の楽器を抱えた」男。男に「わたし」は恋をしたのだけれど、それは音楽を通しての、身体の触れあいのない恋。いつの間にか、私はイスの装置の一部として、固定されて身動きできない「眼と脳」になっている。「そのひとか別のひとか」誰かがドアを開ける。しかし、再会となったかもしれないシーンが「網膜に映った瞬間」に「わたし」の意識はオフ状態になり、「半永久的」な「西日」のなか、装置化された「わたし」の眼が起動し、眼が映すものが私の意識に届くことはない。

 夢のようでもあり、SF小説や映画のようでもある。金縛りにあったように、身動きできずに、愛についてのこだわりだけが、意識や感覚を失った身体に響き続ける。しかし、この詩で描き出された乾いた説明のできない閉塞感は、身に覚えのある感覚ではないでしょうか。



初稿 2005.2.14−16




<54>

  うじ              井坂洋子 (1949−  )


寝不足気味の朝
誤って
ジムノペディを聞いてしまう
しばらくすると
頭のなかにうじ虫ができる

パチンコ屋に行き一回出して
玉のぎっちり詰まった箱を運び
ほくほくしながら
夜が明けた なんて 思う

頭のうじと付き合うより数倍まし
すごい騒音
列なして
居ならぶ人たちの丸い背中
数字がぴたっと揃い
銀色のうじ虫が
多量に
排出される瞬間を待ち 皆
何かをはねつけているが

夜まで
騒音は居残らない

ストーブの薬罐がわき
新聞を折りたたみ
子猫と鳴きかわすほどのなぐさめに
サティを また 聞く

暗黒のみぞおちに
肉色のうじたちが
落ちていく幸福をうたう曲を

・詩集『地上がまんべんなく明るんで』(1994・思潮社)所収


 朝、サティさんの「ジムノペディ」を「誤って」聞いてしまったら、「頭のなかにうじ虫ができる」。出かけて行ったパチンコ屋の騒音は「頭のうじと付き合うより数倍まし」。「居ならぶ人たち」が背中を丸めて、「銀色のうじ虫」ならぬパチンコ玉が排出される瞬間を待ちながら、「はねつけている」もの、それもまた「頭のうじ」でしょうか。「何かをはねつけて」くれた騒音も夜までは続かず、「ストーブの薬罐がわき/新聞を折りたたみ/子猫と鳴きかわすほどの」ささやかななぐさめに、「サティを また 聞く」、その曲は「暗黒のみぞおちに/肉色のうじたちが/落ちていく幸福を」うたっている。

 人の精神(「肉色のうじ」)、それはできれば「はねつけて」しまいたいものでもある。しかし、それは高揚感を失ってもなお、「ストーブの薬罐がわき/新聞を折りたたみ/子猫と鳴きかわすほどのなぐさめ」は与えてくれる。意味のひねりのなかに、精神の静かな戦いが感じられる詩です。

[付記]それとも「うじ」は最初から日常とは相容れない「いいもの」(文化、文学、筆者としてはロートレアモンさんの『マルドロールの歌』を「うじ」から連想したりしましたが)として想起されているのかもしれません。いずれにせよ、この1編からはそこまでは断定できませんでした。



初稿 2005.2.14−16




<55>

  ナシテ、モーネン              伊藤比呂美 (1955−  )


違和感は皮膚よりも性よりも、
言語をもって明瞭にされる、わたしをも特殊化して、
その言語にはアクセントがなかった、
アクセントのない話し手に囲まれて、わたしは、
流暢に会話をもつことができなかった、
その上わたしは無筆だったもので、
書く言語をも嫌悪した、
アクセントのない呼びかけに答えるのはおそろしかった、
呼びかけられている感じを感じることができなかった、
答えてしまったらわたしの言語は、
みにくい、ゆがんでいると聞き取られる、
それを打ち消せない、
彼がよそで覚えてくる言語の中に、
アクセントのあいまいな部分を聞き取るとき、わたしは、
それを洗い流したい欲望を感じた、
声に出す言語はすべてわたしのもの、
知識や、
情動が、
時間や食物が、
よその人の影響下に、あるいは、
よその人びとの管理下にあるものであっても、
彼の書く言語がよその人びとにだけ受けとられるものであっても、
耳から入って口から出て、
そのまま消えてゆく言語はわたしのもの、
唾でぬらしてでも主張したいわたしのもの、
夜半、彼の背中をごしごし洗いながら、
そばかすの浮いた皮膚の上から、
あらゆるアクセントのない言語が洗い流されていくことを念じた、

デー、スイーテシタ、レトル、オメン(the sweetest little woman)、
といつか彼はわたしに教えた、
デー、スイーテシタ、メーン(the sweetest man)、
とわたしもそれを真似した、
口うつしの言語たち、
息、息、
異質の、かえるに似た、こおろぎに似た、
彼はやすやすとそれを発音する、
いちばん最初は、
ナシテ、モーネン(nasty morning)だった、
それからアエ、ハブ、エテン、プレンテ(I have eaten plenty)、
それからアエ、アン、ナタ、ハングレ(I am not hungry)、
それからユウ、アーラ、ナタ、ハングレ(you are not hungry)、
あの日わたしははじめて彼の言語に触れえた、
触れてみたら、
言語に対して嫉妬を感じた、
この言語をもって、彼は外界とつながっているのである、
彼は書き、人びとが読む、それは残る、
しかし今、彼はわたしに、その残る言語でもって話しかけ、
言語はわたしの言語とまったく同じように、声に出て消えてしまう、
消えてゆく言語はスウィートだ、
関係がそこで消えても、
彼の記憶がそこで消えても、
声に出し消えてゆく言語はとてもスウィートだ、
もっとべんきょうしてせめてあの男の子たちのように、
彼の言語を理解できるようになりたかった、
後悔はわたしを嘆かせる、
それでもわたしが声に出して聞かせる言語は彼をきちがいにさせ、
彼はそれについてずっと考えているというのだ、
彼の背中のそばかすたちが、
わたしの言語におどらされて、うごく、うごく、
彼の太い腕にとってわたしは、
どんなにか軽いだろう、小鬼か妖精のように、
わたしの言語は彼の声を濾過して自由になり、
彼の体温や彼の体臭に変化して、
わたしにからみついて消える、
彼は言語でもって、
わたしの存在をほじくりかえし、
小鬼や妖精の棲みついてるためにとても重たいわたしの、
皮膚を唇を、
見つけ出す、
見つめる、

 *熊本滞在時代につくられた小泉セツの英語覚え書帳から引用・参照箇所あり。

・詩集『わたしはあんじゅひめ子である』(1993・思潮社)所収


 カバー袖に「詩集。そして朗読用テキスト集としても」と注記のある詩集から、作品の注にあるように、ラフカディオ・ハーン夫人の覚え書を出発点に、イメージを自由にふくらませた詩です。おそらく作者の在外体験も反映しているのでしょう。

 「アクセントのない話し手」への違和感、それは「わたし」を「みにくい、ゆがんでいる」(言語)存在にされることへのおそれでもある。そして「無筆だった」わたしの「書く言語」への嫌悪もある。「声に出す言語」はすべて「わたし」のものにしたい、夫がよそで「アクセントのあいまいな」言語をおぼえてきたら洗い流してしまいたい。

 彼が「わたし」におしえてくれる言語にも、自分は嫉妬する。彼の言語を「べんきょうして」「理解できるようになりたかった」。でも、彼は「わたしが声に出して聞かせる言語」できちがいになる、「それについてずっと考えている」。「わたし」の言語はきえていく(と同時に彼が書く物語になっていく)。彼の言語は「小鬼や妖精の棲みついてる」「わたしの存在」から、「皮膚や唇を、/見つけ出」して、じっと「見つめる」。

 言語、書き言葉、話し言葉、母語と外国語、男女、といった視点を、朗読用のシンプルなテキストに入れ込んだ詩です。いろいろなスピードで、時には声に出して読んでみると、そのたびに詩が違う表情で浮かび上がってきます。



初稿 2005.2.14−17




<56>

  叙景              吉岡実 (1919−90)


「あの時
    野原に舞い降りる
            鳥を描こうとしていた」
それなのに
     (画家)はなぜか
             肉屋と(肉塊)を描いている
        もしあの時
凍れる肉屋の
      (心的な空間)を想起していたら
                     おそらく
「泳ぐ女や
     唇から垂れる蜜」
             を描いていたかも知れない
今この(地上)では
         「動くことと
          動かないこととが等しい」
フルーツパーラーの椅子に
            (画家)は凭れながら眺めている
初秋の街路を
      (黄金の果物)を抱えた
                 (少年)が通り
(模造板)にのせられて
           (死者)が通って行く
「光線をたえず
       送りつづける」
              (蒼穹)の下で
「眼で呼吸する」
        わが(画家)は
               「このとき競走馬を調教している
(父親)の勇姿を描こうとしていた」
                 (庭の千草も……)
    (庭の千草も虫の音も……)
                 そして(心的な空間)に
「記号のまばたく
        (星座)」
             を描いているようだ

・詩集『ムーンドロップ』(1988・書肆山田)所収
 原文の「心的」(2ヶ所)に「メンタル」、「蒼穹」に「あおぞら」のルビあり
 各行は原則的には前の行の終わり(あるいは始まり)に並行してずれています。表示フォントによっては、原文のレイアウトは再現されません


 「野原に舞い降りる/鳥を描こうとしていた」「(画家)」は「肉屋と(肉塊)を描い」た。「凍れる肉屋の/(心的な空間)を想起していたら」「「泳ぐ女や/唇から垂れる蜜」/を描いていたかも知れない」。「動くことと/動かないこととが等しい」とは何か。人間と人形といった対比も思いつきますが、ここでは前の2つの対比にそって動的なものと静的なものと解釈できるでしょう。そして、それが「等しい」とは、「(黄金の果物)を抱えた/(少年)」も「(模造板)にのせられ」た「(死者)」も「この(地上)」「(蒼穹)の下」では等しいということでしょうか。

 というよりも、おそらく、「この(地上)」も「(蒼穹)の下」も「フルーツパーラーの椅子に」「凭れ」て「「眼で呼吸する」」「(画家)」の「(心的な空間)」に吸い込まれ、焼き付けられ、「記号のまばたく/(星座)」に変えられてしまっているのでしょう。そしてその「記号のまばたく/(星座)」はかぎかっこ(「 」)やかっこ(( ))、字下げなどによって表記の音楽のようになった、この詩自体にも通じるものでしょう。

 「競走馬を調教している/(父親)の勇姿」という画想も、ふと思い起こされる「(庭の千草も……)」(ここに現れる作者の生きてきた時間の想起)というアイルランド民謡もすべては「この(地上)」でも「(蒼穹)の下」でも眼にすることのできない「記号のまばたく/(星座)」へと「(画家)」の「(心的な空間)」を通して、たとえば「(画家)」がゆっくりと頭をめぐらすあいだに、ひとつの「叙景」として焼き付けられるのでしょう。

 書のようでもあり、絵のようでもあり、音楽や映画のようでもある、詩が時間をかけて辿りついた境地でしょうか。



初稿 2005.2.15−18




<57>

  don't explain              富岡多恵子 (1935−  )


起きぬけに
きみが泣くことはない
それよりも
窓をあけて
はいってくる景色を
茶碗か皿にうけとって
朝食をはじめねばならない
それでもし
きみの食卓掛けが
血まみれになり
きみの両手が耳をおさえても
きみはまだ鬨の声をあげるにはおよばない

生垣をまがったところで
土地はおわるかもしれない
きみはきものの裾をからげて
記号のように
その土地から降りる
それから先
だれもきみを見ることはできない
どうしたらいいのよ

きみは
聖職者のように
ジャガイモをふかして
女にくばってあるいた
きみはものの名前を
さがしてあるいた
きみの腐食した矢印と
ことばの意味は
そこの河に
流される
にんげんの記念のために
それから
きみは聴く
動物のしわぶきを
それから
きみは聴く
何を

何か他に
何もありません

・詩集『現代詩文庫 15 富岡多恵子詩集』(1968・思潮社)所収


 「起きぬけに/きみが泣くことはない」という2行のさわやかな断定に初めて出会ったのは30年前くらいのこと。同じ頃に読んだ詩の行より、分かりやすい言葉であると同時に、詩全体は今でも不思議な風景を運んできます。

 窓から「はいってくる景色を/茶碗か皿にうけとって」はじめる朝食で「きみの食卓掛けが/血まみれになり/きみの両手が耳をおさえても/きみはまだ鬨の声をあげるにはおよばない」とは何を指すのでしょう。窓の外から押し寄せる、平凡すぎる輝きのない日常? 「きみ」を泣かせるひどい世界? 外界の戦争? きみは「鬨の声をあげる」ことなく外へ出て行く。そして「生垣をまがったところで」「おわるかもしれない」土地から「記号のように」降りて、だれの眼からも消えてしまう。「きみは/聖職者のように/ジャガイモをふかして/女にくばって」「ものの名前を/さがしてあるいた」、乞食の詩人のようなイメージでしょうか(ジャガイモをくばったのですから、イメージとしては反対かもしれませんが)。しかし「きみの腐食した矢印と/ことばの意味は」「にんげんの記念のために」「河に/流される」、そして「きみ」は「動物のしわぶき」しか「聴く」ことがなくなる。

 詩人は「腐食した」「ことばの意味」を捨て、詩から、詩を通して人と出会うことから別れていこうとしている(いた)のでしょうか。それとも「ことば」が「腐食」するところまでつきつめてしまって、これ以上は書くことができないという宣言なのでしょうか。「鬨の声」はいつあげられるのでしょうか。

 答えは出ませんが、いつまでも気になる詩です。



初稿 2005.2.15−18




<58>

  石膏              清岡卓行 (1922−2006)


氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた

その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた

悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった

ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ



色盲の紅いきみのくちびるに
ひびきははじめてためらい

白痴の澄んだきみのひとみに
かげははじめてただよい

涯しらぬ遠い時刻に
きみの生誕を告げる鐘が鳴る

石膏のこごえたきみのひかがみ
そこにざわめく死の群のあがき



きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを

迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで



石膏の皮膚をやぶる血の洪水
針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭

石膏の均整をおかす焔の循環
獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙

ざわめく死の群の輪舞のなかで
きみと宇宙をぼくに一致せしめる
最初の そして 涯しらぬ夜

・詩集『氷った焔』(1959・書肆ユリイカ)所収
 引用は『現代詩文庫 5 清岡卓行詩集』(1968・思潮社)より


 「ぼくの夢に吊され」「ぼくの夢の風に吹かれていた」「白い裸像」である「きみ」。こんなにも好きな「きみ」に肉体があるとは。「石膏」の裸像である「きみ」は「色盲」であり「白痴」だが、「きみの生誕を告げる鐘」とともに生きた表情を持ち始める。そして、生きるということは「死の群のあがき」を宿すことでもある。

 石膏像であることに比較しての、生の「おごりの冷感」。石膏像の静的な完成を壊して、「うごきはじめる」「きみの姿勢」。「台風の眼のなかの接吻」で「ぼくたち」は結ばれるだろう、憧憬という「ぼくたち」の幼い愛の段階を「絶望の/鋭く とうめいな視線」に結晶させながら。

 「血の洪水」や「焔の循環」とともに「石膏」像は「腐臭」をあげ、「暗涙」を流し、「死」を呼び起こしながら、生き始める、そして「きみ」と「ぼく」は結ばれる。

 戦中派世代の作者(肺疾患のため徴兵はされなかったとのことですが)による、手探りのイメージの造形は、今でも新鮮な読後感を残します。もうこういう詩は書かれえないかも、いや、たくさん書かれているのかもしれませんが、これだけの緊張感と完成度を持ったものはなかなか出てこないということでしょうか。



初稿 2005.2.16−18




<59>

  話をきいてる?              奥野雅子 (1973−  )


そのひとは 私に話しかけようとしていた
それは分かっていたのに
私は無視しようとしていた
タバコの煙が店内の空気に白いもやをかける
足をくんで話しこむ女子高生たち
セルフサービスの喫茶店はどこもこんでいるから
となりのテーブルのことなんて気にしてられない

私はむかいの席の友だちといっしょうけんめいに
しゃべっていた
それなのに
こんなふうに声高になってしまうのは
どうしてだろう?

そのひとは時計を気にしながら
私のほうをうかがっている
黒のタートルにグレーのソフトスーツをきて
ときどき ふと タバコを吸う

私よりすこし歳上
見てそう思っただけ
なにも思い出せない
ラジオの雑音のようにつづいていた
雨音がきえて
しずかになる
灰いろだったウィンドウから
あわいオレンジいろの陽ざしがさしこんでくる
店内のひとびとは席をたちはじめる

気づいていないふりをしよう
見知らないひとばかりで
この街で私をしっているひとは
むかいの友だちだけだから
コーヒーカップをかきまぜる

そんなことをしているうちに
そのひとは立ち上がっていってしまった
−−追いかけなくちゃ
こんどは
友だちの話が耳にはいらない
窓の外の通りをさっきのひとが歩いている

そのひとは交差点のちかくの
ショーウィンドウに立ちどまって色とりどりのサングラスを見る
あのなかのサングラス どれか買うのだろうか
「ちょっと、私の話をきいてる?」と、友だちがいう
−−あのひとを追いかけなくちゃ
あのひとが誰なのかはぜんぜん思い出せないのだけれど
あのひとは私をしっているひとだったかもしれないから
−−追いかけなくちゃ
ショーウィンドウにたくさん雨のしずくがうつる
<あのひとの顔がうつる>
「きいてる?」
そう、友だちがくりかえした

・詩集『日日は橙色の太陽に沿って』(1999・書肆山田)所収


 雨の日の喫茶店。「となりのテーブル」の男が「私に話しかけようとしていた/それは分かっていた」。何でもない情景のようでありながら、ふと「私」といっしょに、映画のなかに、たとえば、故クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『ふたりのヴェロニカ』のような映画に入っていくような気持ちにさせられます。登場人物の交わらない眼差し、しかしそこには感情のやりとりが生まれている。「私」もふっと自分が登場する映画を見ているような気持ちになっているのではないでしょうか。

 彼がいってしまうと、今度は「あのひとを追いかけなくちゃ」という気持ちになる「私」、「あのひとが誰なのかはぜんぜん思い出せないのだけれど/あのひとは私をしっているひとだったかもしれないから」とは、自分でも思い出せない自分を、彼が知っているかもしれないという不安と期待でしょうか。そんなことには気づかない「友だち」は「話をきいてる?」と繰り返すのですが。

 「私」とともに、日頃は忘れている何かにふれるような、日常の風景に感情のさりげないドラマを持ち込んだ佳編です。



初稿 2005.2.21




<60>

                藤井貞和 (1942−  )


パッ
「……つき合ってくれてありがとう
でも今夜は 私
泣くと思います」
パッ
吉村くんの卒業論文をよんでいました
「あぶな坂を越えたところに
あたしは住んでいる
坂を越えてくる人たちは
みんな けがをしている
 橋をこわした おまえのせいと
 口をそろえて なじるけど
遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
坂を落ちてくるのが ここからは見える」
パッ
中島みゆきさんの坂が
見えてきました
もうすこし
……
吉村くんは書く
「みゆきが意識している自分と外界との隔たりは、
あぶな坂で区切られている。
これが基本的構図であり、あとのものは
それに付随するものと言える。
つまり、あたしが坂のこちらがわに住んでいたり、
橋を壊したりする以前に、
あぶな坂というものの存在そのものが、
人間疎外の表出であるということだ」
そして
「みゆきにとって、あぶな坂の存在を認めることは、
『あぶな坂』という詞をつくることだ」
パッ
「……つき合ってくれてありがとう」
は『元気ですか』の一節
「でも今夜は 私
泣くと思います」
俺も泣きたい
書けないこの夜
「泣きたい」と思う
午前三時
坂が
見えるか
広場が
ひろがって
青少年
広場へゆこう
サード
ベースがある
……
きのうの少年に
会う約束
心の
とおぼえ
機関車が
丸い
ボールを
吐き
星と星とのウロボロス見て
あっ引用が空に!
すべてのみゆきを引用した詩が!

・詩集『ピューリファイ!』(1984・書肆山田)所収


 手のひらを開いてみせるような、花びらが開くような「パッ」で気持ちとリズムを切り替えていく、できそうで集中力がないとできない力技。「……つき合ってくれてありがとう」「あぶな坂を越えたところに」「でも今夜は 私」のかぎかっこ部分は中島みゆきさんの歌詞の引用。音楽著作権は引用についてうるさいはずですが、ここは「吉村くんの卒業論文」からの孫引きということでクリアということでしょうか。

 「でも今夜は 私/泣くと思います」と歌うみゆきさんのように、締め切りを前に詩が書けない「俺も泣きたい」というあたりは真に受けすぎないほうがいいでしょう。むしろ問題なのは「自分と外界との隔たり」を示すという「あぶな坂」が「坂が/見えるか」ということ。思いを凝らすと見えてくる「広場」「青少年」「サード/ベース」、そして「俺」を「機関車」のように走り抜ける(少年時の記憶を引きずった?)「心の/とおぼえ」が「丸い/ボールを/吐」いた空には「星と星とのウロボロス」が浮かび(本当はウロボロスは、竜や蛇が自分の尾を噛む、無限の永劫回帰や、真理と知識の合体を表すイメージなので「星と星との」というのはちょっと変ですが、そこは勢いで読んでおいて--それともこれで正しいのかもしれませんが)、見上げると「あっ引用が空に!/すべてのみゆきを引用した詩が!」

 「すべてのみゆきを引用した詩」、それこそ、作者が書けずに泣きたいと思っていた詩かもしれません。悪戯めいたこの詩は、発表当時、やはりみゆきさんファンだった某詩人をして、藤井さん、ずるいっ、と言わせたそうです。



初稿 2005.2.21




<61>

  化石の夏              金時鐘 (1929−  )


石とても思いのなかでは夢を見る。
事実ぼくの胸の奥には
はじけた夏のあのどよめきが
雲母のかけらのようにしこっている。
石となった意志の砕けた年月だ。
羊歯が陰刻を刻んだのは
石にかかえられた古生代のことだ
軍事境界とかのくびれた地層では
今もって羊歯が太古さながら絡んでいる。
見る夢までが そこでは
化石のなかの昆虫のように眠っている。
その石にも渡る風は渡るのである。
そうしてある日 それこそ不意に
炭化した種が芽吹いたオオオニバスのそよぎとなって
積年の沈黙をひと雫の声に変える風ともなるのである。
かげる季節は だからこそ
風のなかでだけにじんでゆくのだ。

もっとも遠くて立ちつくす一本の木に
一日は音もなく尾を引いて消えていった。
鳥が永遠の飛翔を化石に変えた日も
そのように暮れて包まれたのだ。
何万日もの陽の陰で
出会えない手があたら夕日を国訛りでかざし
口ごもる者の背後で
海は空とひっそり出会った。
もはや滅入の時をわれらは持たない。
一切の反目が火と燃えて
うすべに色にうすれる闇のしずもりをわれらが知らない。
くろぐろとあきらめは石に帰り
石にこそ願いは
ひとひらの花弁のように込もらねばならぬのだ。
思い至れば星とて石の仮象にすぎないもの。
火口湖のように降り立った空の深みへ
ひとりひそかに胸のきららを埋めに行く。

・詩集『化石の夏』(1998・海風社)所収
 引用は細見和之『アイデンティティ/他者性』(1999・岩波書店)より


 金時鐘(きむ・しじょん)さんの代表作『猪飼野詩集』、『光州詩片』などは入手しがたく、図書館で借りて読んだものです。引用は細見和之さんの評論集からの孫引きです。

 「石となった意志の砕けた年月」を経て、なお胸の奥に「雲母のかけらのようにしこっている」「はじけた夏のあのどよめき」。半島に「軍事境界」が生まれたあの時代、「古生代」のような時代に見た夢の記憶が「陰刻」(判などで文字が白く写るように、文字を凹ませて彫ったもの)のように、「化石のなかの昆虫のように」眠っているが、「ある日 それこそ不意に」、オオオニバスの「炭化した種」も芽吹き、「積年の沈黙をひと雫の声に変える風」を呼び覚ます。

 「鳥が永遠の飛翔を化石に変えた日」とは半島で闘って生き抜くことを作者が断念し、日本へ密入国すべく、祖国を離れた日でしょうか。その日から「海」が「空とひっそり出会」わなければならない化石の季節が始まったのでしょうか。半島の分断は続き、「一切の反目が火と燃えて/うすべに色にうすれる闇のしずもり」はまだ訪れません。「くろぐろとあきらめは石に帰り」「願い」や「胸のきらら」は「石」に「ひとひらの花弁のように込もらねばならぬのだ」。

 かつて日本の植民地支配下で皇国少年だったという作者によって、この詩が日本語で書かれていることの重さに耳を傾けたいと思います。



初稿 2005.2.22




<62>

  げんげの花について              菅原克己 (1911−88)


夕ぐれの風が通りすぎると
げんげの花がゆれた。
げんげの花を摘んでいるお前に
私が夜店に出るというと、
お前はひどくびっくりして立上ってしまった。
あどけない娘よ、
どうか驚かないでおくれ、
ほら、花がこぼれた、と
私は何気なく笑って見せたのだ。
その時、私は貧乏になっても
詩人というものになるのだ、と
いばって言いたかったのだけれど、
お前には詩人の意味が分らぬらしかった。
−−詩人とはどういう人のことでしょう。
倖せが何時も身に取りまいて来たお前には、
立派な詩人とは、
たとえばゲーテのような紳士を
きっと思い浮べるにちがいないので、
私はこぼれたげんげの花を
愛らしい額にかざしてやって、
私の無言の誓いにしただけだった。
−−詩人とはどういう人のことでしょう。
遠い昔の、げんげの花のような子よ。
私はその後ほんとうに境遇が変ってしまった。
そうして、今はうらぶれて
嘘やかけひきの中に身をおきながら、
お前のことを聞くたびに
あの春の日のげんげの花の誓いを
何時もはかなく思い出すばかりなのさ。

・詩集『手』(1951)所収
 引用は『現代詩文庫 49 菅原克己詩集』(1972・思潮社)より


 「げんげの花を摘んでいる」「あどけない娘」は「私」が夜店に出ると聞いてびっくりして立上り、花がこぼれてしまう。「貧乏になっても/詩人というものになるのだ、と/いばって言いたかった」「私」はただ黙ってげんげの花を「愛らしい額にかざして」やった。

 その後、「嘘やかけひきの中に身を」おいて「うらぶれて」生きる「私」だが「お前のことを聞くたびに」あの日の無言の誓いを思い出す。

 詩人が貧乏であるどころか、文学に関わる者と言えばやくざ者であると、四半世紀くらい前までは思われていたものでした。しかし、同時にそれは「貧乏になっても/詩人というものになるのだ」と人に誓わせるほど、「詩人」であることが輝いていたということでもあります。少なくとも、「私」の「誓い」には「嘘やかけひき」はなかったということを記憶にとどめていきたいと思います。



初稿 2005.2.23




<63>

  生活の柄              山之口貘 (1903−64)


歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。

・詩集『思弁の苑』(1938・むらさき出版部)所収
 引用は『現代詩文庫 1029 山之口貘詩集』(1988・思潮社)より


 高田渡さんによって曲をつけられ、フォークソングとしても有名になった詩です。

 作者が貧乏暮らしをしたということは、もはや伝説的ともなっていますが、その貧しさたるや、現代からは想像しにくいかもしれません。引用書の年譜によれば、昼間は喫茶店で時間をつぶし、夜は土管や公園のベンチで寝たり、沖縄から初めて東京に出てきてから16年間畳の上で寝たことがなかったとのことです。そんな詩人の彷徨の日々を「夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである」と、大きな風景につかみ直して言い切ったところに、清潔なペーソスが生まれています。また、そんな暮らしぶりを「生活の柄」と呼んだことにも、作者のプライドとユーモアが感じられるのです。



初稿 2005.2.23




<64>

  もう一つの世界              田村隆一 (1923−98)


個人がいなくなった
個人がいなくなったおかげで
都市がなくなった
都市がなくなったために

月の光りが窓をひらくこともなくなった
詩も政治も
構造主義という構造のなかに組みこまれてしまったから
個人は手を汚すこともなくなった
汚れる手がないのだから
個人がいるはずはない

人間はいるが うんざりするほどいるが
どこを探したって個人がいない
飢えと殺人のない世界に
個人が生きられるわけがない

まるで犯人もいなければ死体も出てこない探偵小説みたいなものさ
悪い夢も見なくなった
性的な夢も見なくなった
夜鳥だけが啼いている
魚はとっくに眠ってしまった

森のなかに
都市があったら
月の光りで詩集を読むかわりに反故になった有価証券を数えるだろう
人間は個人になるために変装するだろう
ときには動物になったり
意地悪なニレの木になったり
森を砂漠に変えるエンジニアになったりするだろう

四足で
地上を這ったら
どんなに気持がいいだろうか
触覚と嗅覚だけがすべてを支配する
階級社会を建設しよう
支配と被支配
憎悪と復讐とか
人間の女神であり
その女神のためにすべてを捧げよう

奴隷から奴隷の歓びを剥奪すべきだ
それには鞭で彼らに自立の精神をたたきこむのだ
たたいてたたいて
たたきのめすのだ
痛みこそ奴隷の歓びなら
その歓びを中絶させなければならない

世界を中絶する
この考えはぼくを陽気にさせてくれた
月の光りの力などかりないで
窓をいっぱいに押しひろげ
夜と霧を迎えいれる
個人はガス室へ 個人を人間に還元するために
とくに詩人は絞首刑
魂などという余分なものを吐き出させるために

魂に重力があるということを
そのときこそ
言葉の奴隷は思い知るだろう
レモン絞り器でつぶされたレモンみたいに
数億 数十億のレモンたちに
ひからびた翼が生え
夜空を飛べ
悲しみにもならないイデオロギーの悲鳴をあげて
人影なき都市から都市へ
虹色の砂漠へ
性と政治が核融合する海の球体へ

森のなかだけに
もう一つの世界があるとしたら

血のようなトマト・ジュースをくれたまえ
それにウオトカを少し

・詩集『5分前』(1982・中央公論社)所収


 「個人がいなくなった」「都市がなくなった」「個人は手を汚すこともなくなった」「飢えと殺人のない世界」というのは、ひとつひとつ考えてみると、異論もありそうですが、「個人」の責任や判断、行動によって動いている文明社会がなくなり、「構造」やシステムによって動かされる世界になってしまったということでしょう。「犯人もいなければ死体も出てこない探偵小説みたいな」「人間はいるが」「個人がいない」世界、「月の光りが窓をひらくこともなくなった」「反故になった有価証券」が数えられる世界で、人間は擬態で生きている。

 そしてそこから生まれる反語的な考え。「触覚と嗅覚だけがすべてを支配する/階級社会」を建設し、奴隷に返った人間に「自立の精神」をたたきこんで、「奴隷の歓び」を中絶させること。「個人はガス室へ」送り、「詩人は絞首刑」にし、「個人を人間に還元」し、「魂などという余分なものを吐き出させる」こと。そのとき、失った魂の重力を求めて「言葉の奴隷」は「ひからびた翼」を生やして、「悲しみにもならないイデオロギーの悲鳴をあげて」「夜空を飛べ」。

 「森を砂漠に変えるエンジニア」になるのではなく、「森のなかだけに」あるかもしれない「もう一つの世界」、「魂の重力」がまだ存在するかもしれない世界に向かって、「血のようなトマト・ジュース」と少しのウオトカで乾杯しよう。

 言葉の運びの切れがよすぎて、全体を通して読むと、論理的には破綻しかかっているようにも見えますが(「森」となくなったはずの「都市」の関係など)、「個人」と「文明」という視点から、からっと歌い上げられたエレジーと言えます。



初稿 2005.2.24




<65>

  ジョン・レノンの死に              鮎川信夫 (1920 −86)


ジョン・レノンが射たれて死んだ、と
ラジオ・ニュースが伝えたとき
アナウンサーの声は平静で
何のコメントもなかったが
一瞬、あたりが真白になった

あまりにも多くの人に
慰めを与えた哲人風の音楽家の
とつぜんの死は
声にならない呻きとなって
世界中の人たちに嚥みこまれ
いたるところに沈黙の空白ができた
時代への幻滅も
一対の男女の世界では、甘美な
幻想と化することを証した一人の男が
不意に世界から消えた
愛する者から引裂かれて……
空しく悲劇的な
それが、今日の真実だとすれば
最大のニュースにちがいない

どうせ、不釣合いで混乱した世界だから
何が起っても不思議ではない、と
いずれ世間は納得する
だが、愛する時間を奪われた
その空白がどれだけの負担になるかは
誰にもわからない
最も深く嘆いている者にとっても。

・詩集『難路行』(1987・思潮社)所収
 引用は『現代詩文庫 154 続続・鮎川信夫詩集』(1998・思潮社)より


 ジョン・レノンさんが射たれて死んだのは1980年12月のことでした。そのときの気分を正確に伝えてくる、すでに初老だった詩人の筆致には驚かされます。その正確な把握はとくに「時代への幻滅も/一対の男女の世界では、甘美な/幻想と化することを証した一人の男」という3行でレノンさんの表現の性格を言い当て、その「愛する者から引裂かれ」た死を、「空しく悲劇的な/それが、今日の真実だとすれば/最大のニュース」と受け止めているところに現されています。イデオロギーや思想の言論など通用しない「不釣合いで混乱した世界」に残された「悲劇」のあり方。それは「愛する時間を奪われた/その空白」に耐えて生きることでしかありえないと詩人は言っているようです。

 詩人のジャーナリスティックな視線が、さりげなく簡潔に生かされた、晩年の佳編でしょう。



初稿 2005.2.24




<66>

  ぼくはしなない              岡真史 (1962−75)


ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから

・詩集『ぼくは12歳』(1976・筑摩書房)所収
 原文の「じぶんじしんだから」に傍点あり


 作者はこんな詩を書き残して、自殺してしまいました。「ぼくは/じぶんじしんだから」「ぜったいにしなない」。死ぬと自分自身ではなくなってしまうのだから「ぼくはしなない」「しねない」、でも、死を選ぶことのできるのも自分自身です。そんなぎりぎりのところで「しぬかもしれない」と耐えながら「ぼく」の何かがくずれさってしまったのでしょうか。

 簡単な言葉で書かれているのに、いつまでも心に残る詩です。



初稿 2005.2.24




<67>

  けっこん              せきぐち ひでひこ (七才)


おとうさんとおかあさんと
れんあいけっこんしたそうや
おとうさんはまじめやで
いままでげっきゅうぶくろも
いっかいもふうをあけずに
もってかえってくれるねんて
おかあさんがおとうさんをすきになったのは
おとうさんから
ぼくはあなたがじんせいこうろのとうだいや
というてがみがきました
それでけっこんしたそうな
だからぼくはとうだいのこどもです

・灰谷健次郎・鹿島和夫・岸本進一・東条安希子編『たいようのおなら』(1980・サンリード)所収


 子ども向けに書かれた、児童書や教科書の詩は例外を除けばあまり面白くありません。子どもの書いたものの方が面白いと言いたいところですが、編者や指導者である大人次第で、変にいい子ぶったりしたものも少なくないようです。

 この詩は灰谷健次郎さんや鹿島和夫さんらによってまとめられた、子どもたちの作品集から選びました。子どもが話している口調がそのまま詩になったような、心なごむ詩です。行変えやオチがうますぎるのは、先生方の指導のたまものかもしれませんが、ここはくすっと微笑みながら読んでみようではありませんか。



初稿 2005.2.24
<68>

  紙風船              黒田三郎 (1919−80)


落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう

美しい
願いごとのように

・詩集『もっと高く』(1964・思潮社)所収
 引用は『現代詩文庫 6 黒田三郎詩集』(1968・思潮社)より


 黒田三郎さんの詩を1編取り上げるのに、この詩でいいのかという疑問は当然出るでしょう。でも、すみません。この詩を読むと、ほかの作品のことを忘れてしまうんです。それ以上の説明はしません。「美しい/願いごとのように」ここに掲載させてください。



初稿 2005.2.24




<69>

  LINES              瀧口修造 (1903−79)


赤イウロコノ魚ガ巧ミニ衝突スル街路ニ
顔ヲヒソマセテイルト
精密ナ息切レノ内部デ
花ガ重タク
虎ハ離レル

葦ハ
クラリネットノ煩悶ヲスル
真珠貝ニ気附イテイル夕立雲ヲ
傾斜ニ変更シテ

凹ンダ少女ガ朝ノ街ニユラユラシテイル
ムラサキノ硝子ヲワクワクサセナガラ
薔薇ノ花弁ニ放火シテ
ボティチェリノ少年ヲ慕ッタ記憶ガ
金メッキノ花飾ニツメヨル
彼女ノ黒子ハ微風ヲ起スホド青イ

・詩集『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(1967; 1971・縮刷版・思潮社)所収
 「花弁」の「弁」は旧字


 難しく考えるよりも、大人が、子どものような無垢な集中力で言葉に向かうとどうなるか、という眼で読んでみます。「赤イウロコノ魚ガ巧ミニ衝突スル街路ニ/顔ヲヒソマセテイル」「クラリネットノ煩悶ヲスル/真珠貝ニ気附イテイル」、これは作者を瞬時に去来したイメージの炸裂ととらえられます。「顔ヲヒソマセテイル」作者の「精密ナ息切レノ内部デ/花ガ重タク/虎ハ離レル」。「赤イウロコノ魚」「街路」「花」「虎」「葦」「クラリネット」「真珠貝」など、わずかな行数に込められたイメージ群があらゆる方向から想像を駆け抜けている状態を想像しましょう。

 「息切レ」「煩悶」に続いて登場する心的な状態を表す「ワクワク」「慕ッタ」の主体は「朝ノ街ニユラユラシテイル」「凹ンダ少女」です。「ムラサキノ硝子」「薔薇ノ花弁ニ放火」「金メッキノ花飾」に絡んで登場するのは「ボティチェリノ少年ヲ慕ッタ記憶」です。ここで、詩は「微風ヲ起スホド青イ」「彼女ノ黒子」とともに、一枚の画布に納まらないイメージとして完結します。ダリさんの画集をすごいスピードで見ていく、そんなイメージの同時多発的な展開が「精密ナ息切レ」とともに可能になっているのではないでしょうか。



初稿 2005.2.25




<70>

  やさしい釦(部分)              ガートルード・スタイン (1874−1946)


 光沢のあるきらめき

 ニッケル、ニッケルとはなんだろう、それははじめからおおいを取り除かれているのです。
 その中で起こる変化とは、赤が一時間を弱めることです。おや、変化がやってきた。どこにも捜索なんかありはしない。いや、やはりあるのだ。ほら、あの希望があり、あの解釈がある、そして時には、どんなものだって歓迎されることはないのです。時には呼吸だってあるさ。閑職もあるだろう、そして魅力的、じつに魅力的なのはあれほど清潔、そして浄化。きらめきはたしかに美しく、ひとをたいそう納得させます。
 慈悲心と薬のなかに感謝なぞないのだ。日本語のなかにも破損はあり得ます。しかしそんなものは企画ではない。そんなものは選ばれた色とはちがいます。それは昨日選ばれた。それは唾を吐くこと、おそらく洗濯すること、そして磨くことを示したにちがいない。それはたしかになんらの義務も示さなかった、そしておそらくはだ、もし借用が不自然だとしたら、与えることにもなにかの効用があろうというものです。

 剥き出しにされた鉛筆、のどにつめよ

かの女のコークをこすりなさい。

 食事

食事は西なのだ。

・詩集『やさしい釦』(1914; 金関寿夫訳・1984・書肆山田)所収
 原文の「昨日」に「きのう」のルビあり

[原文]Patricia Meyerowitz ed. "Gertrude Stein; writings and lectures 1911-1945" (1967, Peter Owen) より

 GLAZED GLITTER

  Nickel, what is nickel, it is originally rid of a cover.
  The change in that is that red weakens an hour. The change has come. There is no search. But there is, there is that hope and that interpretation and sometime, surely any is unwelcome, sometime there is breath and there will be a sinecure and charming very charming is that clean and cleansing. Certainly glittering is handsome and convincing.
  There is no gratitude in mercy and in medicine. There can be breakages in Japanese. That is no programme. That is no color chosen. It was chosen yesterday, that showed spitting and perhaps washing and polishing. It certainly showed no obligation and perhaps if borrowing is not natural there is some use in giving.

 PEELED PENCIL, CHOKE

  Rub her coke.

 DINING

  Dining is west.


 英語のリズム、響き、それにともなう色彩感などについて、確信犯的に表現を展開した作者の詩的短文集のほんの一部です(それを翻訳するという訳者と出版社の「暴挙」には頭が下がります)。

 「はじめからおおいを取り除かれている」「ニッケル」、「赤が一時間を弱めること」、並置される「捜索」「希望」「解釈」「呼吸」「閑職」「清潔」「浄化」「きらめき」といった言葉が、「ニッケル」という事物/単語について回りながら、ストーリーのないまま展開しています。原文で言えば、繰り返されるthatとthere、そこに仕組まれた「慈悲心と薬のなかに」はない「感謝」、それと呼応する「破損」「唾を吐くこと」「洗濯すること」「磨くこと」とは、作者の表現観につながる秘密(作者にとっては自然な)が書かれているようです。「借用が不自然だとしたら、与えることにもなにかの効用があろう」とは、日常的な文脈から引きはがされた言葉に、言葉が色彩を持って立ち上がる音楽のような作品の中の場所を与えている、そんな表現姿勢を示してもいるようです。

 こうした長めのパッセージを読み続けたあとで、「かの女のコークをこすりなさい」や「食事は西なのだ」といった1行の作品にふれると、けして難解ではなく、しゃれた、短く力強い音楽に出会ったような気持ちにさせられるから不思議です。



初稿 2005.2.25




<71>

  老子 第78章              老子 (前579頃−499頃)


まことに、水とは柔らかで弱いものだ。
まあ、こんなに柔らかで従順なものは
他にないだろうが、
ひとたび固くて強いものを攻めるとなると
どんな大きな石や崖をも崩してしまう。
ほかのどんな力もおよばない力を発揮する。
これでも分かるように、
弱いように見えるものが強いものを従え、
柔らかいものが固いものを征服する。

これは誰の目にも明らかなんだが、
このことを世の中で実行する人となると、
まず、ごく少ないね。
たとえば、
川はいつも低いところに流れてゆき、
まわりの丘や町から集まる水を受けて
平然としている。
タオを受け容れた人は
その国の汚れや悲しみや惨めさが
すっかり集まる低い所で悠然としている。
まさにその人こそ、
その国の、いや全世界の、王者じゃないか。
だが世間では
そういう人をけっして王者とはみない。
本当の言葉とはいつも
世間とは正反対のことを言ってるかのように響く。

・加島祥造『伊那谷の老子』(1995; 2004・朝日文庫)所収


 老子は読んで見たいと思いながら、なかなか読めないテキストでした。日本における中国思想研究の敷居の高さ、あるいは漢文教育の伝統がバリアになって、挫折したままでした。ちなみに原文をインターネットで探したところ、以下のようです。「天下莫柔弱於水。而攻堅(強)者。莫之能勝。以其無以易之。弱之勝(強)。柔之勝剛。天下莫不知。莫能行。是以聖人云。受國之垢。是謂(社)稷主。受國不(祥)。是謂天下王。正言若反。」

 このテキストは、加島祥造さん(1923−  )が、英訳などを参照しながら口語自由詩に訳したものです。よって行分けなども、加島さんのリズム感によるものと考えていいでしょう。「柔らかで従順」な水が「ほかのどんな力もおよばない力を発揮する」、それを「世の中で実行する人」は少ない。しかし「タオ(道)」を受け容れ、「その国の汚れや悲しみや惨めさが/すっかり集まる低い所で悠然と」生きることのできる人こそ、世間の思惑とは正反対に「その国の、いや全世界の、王者」ではないか。

 読んでいて大らかな気持ちにさせられないでしょうか。加島さん自身、こうした老子の現代語訳と並行して、伊那谷に建てた小屋に本格的に移り住み、そして、長く遠ざかっていた詩を書くことも再び始められたとのことです。すぐには無理としても、これからの日々に参考にしたいものです。



初稿 2005.2.28




<72>

  やせた心              中桐雅夫 (1919−83)


老い先が短くなると気も短くなる
このごろはすぐ腹が立つようになってきた
腕時計のバンドもゆるくなってしまった
おれの心がやせた証拠かもしれぬ。

酒がやたらにあまくなった
学問にも商売にも品がなくなってきた
昔は資本家が労働者の首をしめたが
今はめいめいが自分の首をしめている

おのれだけが正しいと思っている若者が多い
学生に色目をつかう芸者のような教授が多い
美しいイメジを作っているだけの詩人でも
二流の批評家がせっせとほめてくれる

戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ

・詩集『会社の人事』(1979・晶文社)所収


 筆者は、お説教っぽい詩は好きではありません。お説教っぽい詩が広く読まれるとき、その詩を読んでいるのは、本来、お説教されるべき人ではないか、たとえば茨木のり子さんの「倚りかからず」といった詩を喜んで読んでいる人の多くは、自分が「倚りかか」っていることを棚上げして、他人を高みから見下ろしているのではないかと思ったりします。

 この詩もお説教っぽいですが、調子を合わせて読むには辛口すぎるところが救いかなと思います。「昔は資本家が労働者の首をしめたが/今はめいめいが自分の首をしめている」「おのれだけが正しいと思っている若者が多い」あたりまでは付いていけるのですが、「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は/おれは絶対風雅の道をゆかぬ」とまでは作者と歩調を合わせられるでしょうか。

 私自身、70年代の初めに、どんどんレジャー化していく生活の風潮に反発して、自分は成田空港を使わない、テニスなんてしないと思ったりしたものですが、この作者の歯切れよさにはとうてい至りませんでした。いっしょに飲んだりしたら怖かったろうなあ。



初稿 2005.2.28




<73>

  涙が涸れる              吉本隆明 (1924−  )


けふから ぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなつたから そうして
針のやうなことばをあつめて 悲惨な
出来ごとを生活のなかからみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
引出しからつかみだすように 心の傷から
ひとつの倫理を つまり
役立ちうる武器をつかみだす
しめつぽい貧民街の朽ちかかつた軒端を
ひとりであるいは少女と
とほり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしてゐる
胸のあひだからは 涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちやくちやになつてあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とほくまで
ゆくんだと告げるのである

とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによつて
きみはぼくらによつて ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ

・詩集『吉本隆明詩集』(1958・書肆ユリイカ)所収
 引用は『吉本隆明全著作集 1』(1968・勁草書房)より


 この「けふ」がどんな今日なのか、筆者が生まれる前の作品ということも手伝って分かりません(1954年の作品)。ただ闘う青年たちにとって「屈辱」的な日であり、その「屈辱」的な「けふ」はその後、70年くらいまでは闘う青年たちによって何度も繰り返し体験された「けふ」だったという実感はあります。その「けふ」を境に「もう世界は/うつくしくもなくなつた」、そして「ぼくら」は「針のやうなことばをあつめて」「生活のなかからみつけ」た「悲惨な/出来ごとを」「つき刺す」ことで「倫理」という「役立ちうる武器をつかみだす」。そして「しめつぽい貧民街の朽ちかかつた軒端」を通り過ぎるときは、その「武器」も「涙」も見せずに「バラ色の私鉄の切符」を出して、「とほくまで/ゆくんだと告げるのである」。

 豊かな者たちへの「嫉み」に立っても(この「嫉み」を後の内ゲバにつながるものかもしれないとまで見るのは、後から来た筆者の考えすぎでしょう)、もう(西洋文学ふうの)「名高い/恋の物語」を生み出せない「ぼくら」の「窮迫した」生活、「ぼくら」にできるのは「倫理」にとっての「屈辱」を組織することだけだ。詩が闘う青年たちを励ました時代の象徴的な作品でしょう。



初稿 2005.2.28




<74>

  月の山(導入部)              阿部岩夫 (1934−  )


某月某日 伊勢横内

死の山の
庄内弁のミイラよ
発狂の母の死よりもっと深く死ね
みだらな夜を過した
熱い精子の
死児の手にひかれて
あの凶々しい地形から這いだした
病いの人々の手足が
生きてもいず死んでもいず
泥人形のように
発作の枕辺に立ちつくし
伊右ェ門の薄明りの脳の中へ
蟇の歩みのごとく
移動しているのが見える


某月某日 赤川の土手

縊死を重ねた川岸の
つゆ草が泳ぐように揺れている
赤川の時間の袋のなかを
舌の先で触れると
赤い発光体のように癩の皮膚が移動する
養母は声にならない
唇で唄のつづきを見せている
面に住みついた
赤い腫物の熱をひきずって
うんうんと唸り
私刑に怯えるのだ


某月某日 我老林

我老林の
夢でなければ見られない怖い存在が
叫びにひき裂かれる
村を追われて
晴眼の声を
喉の奥で転がし
長いあいだ見かけてきた身体を
死の山の地形にそって深める
自らがうみなした悪所へ
蛇行する流れに負けて
いまはただ崩死するまで
養母は幼い私を抱いて
行き逝く寒い眼に
血は壊される

・詩集『月の山』(1983・書肆山田)所収
 「存在」に「もの」のルビあり


 長編連作詩の1編の冒頭です。何が個人や作者の事実なのかと惑うよりも、傷を帯びた夢幻のように読み続けていくと、そこに広がるのは「深く死ね」ない、作者と生まれ育った土地に折り重ねられるようにしみついた魂の劇、言ってしまえば、ダンテさんの『神曲』にも通じる地獄めぐりでしょうか。

 「発狂の母の死よりもっと深く死ね」ない「庄内弁のミイラ」、「熱い精子の/死児の手」「凶々しい地形から這いだした/病いの人々の手足」を見ているのは「発作」を起こして床に臥せっている詩人でしょう。そして彼の傷を帯びた夢は、土地の名を付けられた一節一節の旅を続けて行きます。「縊死」「癩の皮膚」「赤い腫物の熱をひきずって」「私刑に怯える」のは養母でもあり、「崩死する」しかない養母を「深く」死なせることのできない詩人でもあるでしょう。「養母は幼い私を抱いて/行き逝く寒い眼に/血は壊される」。

 欧米の詩の知識に寄りかかるのではなく、日本の詩人として固有の身体と記憶に立ち向かっていく長編詩に向き合うことで、たとえばアジアの詩とは何かといった思考が深められる可能性があると考えます。



初稿 2005.3.1




<75>

  木蓮に寄せて(導入部)              李良枝 (1955−92)


ある日
すべての事物 すべての営みには
秘めやかな律動が
時をむすび
深い空気を形作って流れていることを
葉の一つが
教えてくれた

ある日
花びらの一つは
こうも語った
ただ 眼ざしをかわしていよう と

母国の空は
瞬時 瞬時 色を変え
雲の中に光をたわませ
わがままに
開いては 閉じ
泣いては あくびし
笑っては しょげる私の心のままに
現われた

恋焦がれていた頃は
たとえ会えなくても
淋しくても
呼びかける声は しっかりとしていたし
「ウリナラ(母国)」
返ってくる音も 像も
鮮やかで あたたかだった

まさか
木蓮の木だけが
祖先と
世界と
この息のありかと
今と
私との
トンポウ(同胞)だったとは

問いかけ
答えを乞う相手は
木蓮の
その葉 その枝 木肌とくぼみ
花たちと
余映
樹液のにおう
風と


・『李良枝全集』(1993・講談社)所収


 若くしてなくなった在日朝鮮人作家李良枝(イ・ヤンジ)さんが残した長詩の冒頭部分です。日本語作家として出発し、韓国への留学を経て、晩年にはハングルでの講演や執筆も始めていた作者の述懐のような作品と言えるでしょう。

 「恋焦がれていた頃」は、「私」と「しっかりした」応答関係にあった「ウリナラ(母国)」に実際に暮らし学んできた自分、だがその思いは「私」からの片思いのようなものだったのかもしれない。「私の心のままに」姿を変えて「現われた」「母国の空」、今、その確かなものだったはずの母国での暮らし、母国の言葉の学習を経て、なお「在日」という特殊性を越え切れない「私」が思うのは「木蓮の木だけが/祖先と/世界と/この息のありかと/今と/私との/トンポウ(同胞)だった」ということ。「すべての事物 すべての営みには/秘めやかな律動が/時をむすび/深い空気を形作って流れていることを」「教えてくれた」木蓮の葉に、問いかけながら過ぎてゆく日々。

 詩はこの後、自分の来し方を振り返る記述につながっていきます。作者の小説作品と併せ、詩全体も読んでいただければ幸いです。



初稿 2005.3.1




<76>

  古きものは、雨の音              ジョナス・メカス (1922−  )


古きものは、茂みの枝に降りかかる雨の音、
夏の紅に染まる曙に啼くクロライチョウの声、
古きもの、それは、私たちの交わすことば、

黄色くなった大麦や、カラス麦の畠のこと、
濡れそぼち、風立つ、秋の侘しさのなか、
         牧童たちが囲む焚き火のこと、
ジャガイモ掘りのこと、
そして、夏の蒸し暑さのこと、
冬の白い輝き、果てしない道をゆく橇の音のこと。
また、材木を積んだ重い荷馬車のこと、
          休閑地の石ころのこと、
粘土づくりの朱色の暖炉、原野の石灰岩のこと、
あるいは、田畠が灰色に暮れる秋の夕べ、
        ランプの傍らにいるときのこと、−−
明日の市に出かける荷馬車のこと、
十月の、水に浸かって、洗い流された街道のこと、
びしょ濡れのなかのジャガイモ掘りのこと。

古きもの、それは、私たちのこうした生活−−幾世代にもわたって、
踏みならされた野原、くぼみこんだ耕地、
大地の足跡は、語りかけ、祖先の匂いを残す。
あの同じ冷たい石の井戸から、私たちの祖先は、
戻って来るたくさんの家畜たちに、水を飲ませた。
また、家の土間にくぼみができたり、
家壁が剥げ落ちてくると、
あの同じ穴から、黄色の粘土を掘り出したものだ、
黄金色の砂を、あの同じ野原から−−。
そして、やがて、私たちがこの世を去っていったら、
残った者たちが、畠のはずれの、あの青い境界石に座るであろう、
生い茂った湿地の草を刈り、丘の斜面を耕すであろう。
また、彼らが仕事から戻って、テーブルに着くとき−−
どのテーブルも、水差しの陶器も、語りかけるであろう、
小屋の壁の一つ一つの校木が語りかけるであろう。
彼らは忘れまい、黄色の砂礫の大きな採掘場を、
また、風に揺れるライ麦畠を、
亜麻畠の傍らで、私たちの女たちが歌う、もの憂げな歌を、
そして、建てたときの、新しい家の、この匂いを!−−
新鮮な苔の匂いを。

ああ、古きものは、クローバーの開花、
夏の夜の、馬の鼻あらし−−
地ならし機のローラーや、まぐわ、犂の音、
水車の石臼の重い音、
草むしりをする女たちの肩懸けの白い光り、−−
古きものは、茂みの枝に降りかかる雨の音、
夏の紅に染まる曙に啼くクロライチョウの声−−
古きもの、それは、私たちの交わすことば。

・詩集『セメニシュケイの牧歌』(1948; 村田郁夫訳・1996・書肆山田)所収
 「紅」(初出時)に「くれない」、「橇の音」の「音」に「ね」、「校木」に「あぜき」のルビ


 リトアニア出身で、今はニューヨークを中心に活動する詩人、映像作家の詩集から。メカスさんの作品にふれるときに感じるのはその二重性でしょうか。自然の豊かなリトアニアの村で育ち、留学を戦争によって断念したメカスさんの、都市にあっては村を思い、村に帰っては都市を、世界を思う二重性。権威に対してはインディーズ的な姿勢で対抗する一方で、ヨーロッパ出身の知識人としての矜持も垣間見せる表現者。

 この詩が書かれたのは、ドイツの強制収容所を経て、戦後の難民キャンプで暮らしていた頃と思われます。そしてそこで歌われるのは故郷の村セメニシュケイです。時代に流されず、長く続いた(「古きもの」)「茂みの枝に降りかかる雨の音」「クロライチョウの声」そして「私たちの交わすことば」。「祖先の匂いを残す」「大地の足跡」、祖先も使った「同じ冷たい石の井戸」、「黄色の粘土」。「私たちの女たちが歌う、もの憂げな歌」の流れる故郷は、その後ソ連領として上からの開発に様々な変化を蒙ることになるのですが、詩人は故郷を遠く離れて、その故郷を詩に鮮やかに焼き付けました。



初稿 2005.3.1




<77>

  81/11/1 シアトル、ワシントン              サム・シェパード (1943−  )


スターの吹き替えにばったり会ったとき
それは午前四時に
エレベーターのドアがひらき
ぼくが出ていくと
彼女が中に入ってきたときのこと
彼女がふらふらに酔っているので
ぼくは訊いた、何をやったんだい
彼女は答えた、ヴァリウム六錠と白ワイン
だって今日で撮影もお終いよ
だから羽目を外したいの
スタッフの誰かと一発やって
元気をつけてもらいたいの
だってここがわたしの町で
あなたがたは皆どこかへ行っちゃうのに
わたしはここに残される
なんとかして脱け出したいこの町に
一人取り残される
現地採用の吹き替えのやるせなさが
いま彼女の背にのしかかり
彼女を締めつけていた
ぼくは不意に恥ずかしくなった
仮にも
映画の俳優である自分が
そして馬鹿げた夢をかき立てていることが
それで彼女をぼくの部屋に連れていった
仮にも
女の体を欲しいとは思わずに
それで彼女はひどく落胆し
窓から飛び降りようとした
ぼくは言った、そんなに思い詰めるなよ
ただのくだらない映画じゃないか
すると彼女は言った、人生ほどくだらなくはないわ

・『モーテル・クロニクルズ』(1982; 畑中佳樹訳・1986・筑摩書房)所収
 原文の「吹き替え」に「スタンドイン」、「お終い」の「終」に「しま」、「現地採用の吹き替え」に「ローカル・スタンドイン」のルビあり


 作者は劇作家、俳優。この本は映画出演などで旅暮らしの多かった日々に書き留められた詩や散文をまとめたもので、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「パリ、テキサス」の出発点になるイメージを与えたと言われています。

 真夜中に酒と薬でふらふらになっている「現地採用の吹き替え(ローカル・スタンドイン)」の女。撮影が終わってロケ隊はどこかへ行ってしまうのに、自分は「なんとかして脱け出したいこの町に/一人取り残される」。「一発やって/元気をつけてもらいたい」と言う彼女に「ぼく」は「馬鹿げた夢をかき立てている」映画俳優の自分が恥ずかしくなり、部屋に連れていくがセックスはしない。窓から飛び降りようとした彼女に「ただのくだらない映画じゃないか」と「ぼく」が言うと、「人生ほどくだらなくはないわ」と彼女は言いかえす。ロケ暮らしに消耗している「ぼく」と夢を捨てられない女。合州国の田舎町(日付、場所とはたぶん別の)での乾いた情景が、映画のシーンのように印象に残ります。



初稿 2005.3.2




<78>

  愛情13              金子光晴 (1895−1975)


 生れて始めてのことを、女はされる。
男は、新米の教師が、教壇で
化学の実験でもしてみせるやうに
なんど繰返しても、覚束ない手つきだ。

 男は、女の手をそつとにぎつて、
愛撫し、それを頬にくつつけ、
それとなく、しづかに導いて
ヅボンのうへからさはらせる。

 それから、もつとさまざまな
おろかしい真似をやつてのけるが、
男が、いけすかない男だからでも
女が、いやらしい女だからでもない。

 女の顔に、ハンカチーフをかけて
男は、こころをおちつけるために
たばこの火をつけて、吸つてから
おもむろに、女のホックをはづす。

 男は、いちいちびつくりしてみせ、
ばかみたいに上ずつた声で、言ふ。
「これがおへそといふものかい」
てめへだつてもつてゐるくせに

・詩集『愛情69』(1968・筑摩書房)所収
 引用は『金子光晴詩集』(清岡卓行編・1991・岩波文庫)より


 読んでそのままの詩なのですが、どうやって書いたのでしょうか。作者はもう70過ぎ。ふと町で見かけた若いカップルの姿から連想して書いたのでしょうか。作者自分の体験を自嘲的に書いたとは考えにくいですが、「生れて始めてのこと」をされる「女」に対して、「男」は「なんど繰返しても、覚束ない手つき」だというのですから、その可能性も否定できません。

 「女の手をそつとにぎつて」から「しづかに導いて/ヅボンのうえからさはらせる」など「さまざまな/おろかしい真似」をするのですが、それは男と女なら誰でもすることで、要するに男と女の「おろかしい」関係が人間の基本なのです。しかし男は女を脱がせながら、「いちいちびつくりしてみせ、/ばかみたいに上ずつた声で」「これがおへそといふものかい」と言い、おろかしさの上塗りをしてしまう。その「男」が重ねてしまうおろかしさもまた人の常ということでしょうか。

 それにしても、「女の顔に、ハンカチーフをかけて」というのは本当かなあ。年長の方々にご意見を伺いたいものです。



初稿 2005.3.2




<79>

  再放送              平田俊子 (1955−  )


きょうは田舎からちちははが出てくる
部屋を片づけ 菊を飾った
私は先週死んでしまった もちろん自らくびれたりしない
ちちはは二人がかりでからだを押さえこみ 思いっきり首をしめつけたのだ
白熱したゲームの当然の結果だ そうしなければ彼らがやられた 私に殴り殺されたろう
私は生家の物置に捨てられた
じめついた暗闇に放り出された
自分でもおどろくほど突然の死だった
何の準備もできてない
焼き捨てたいものもたくさんある
整理したくてここまで帰った ここまで歩いて帰ってきたので疲れてきのうまで寝こんでいた

電話がなった
受話器を取るまえから誰からかわかっていた
−−どうしているかと思ってね
−−変わりありませんよ
−−死んだ人ほど会いたくなる ましてわが子だ
  わかるだろう
−−ええ
−−いさかいの多い親子だったがこれからはうまくいくだろう
  天と地ほどに離れてしまえばね
  そうだろう?
−−ええ きっと

昭和三十五年わが家へやってきた白黒テレビは、昭和四十六年秋の涼しい夜の八時すぎ、突然こわれてうつらなくなった。ぱちんと思いつめた音がして、白黒のホームドラマがぎゅっと凝縮し、大粒の光になって消えてしまった。
そんな感じで私も死んだ。

二十歳すぎてもとまらなかった近視の度合いは死んで一層ひどくなった
ほとんど視力がなくなっていた
おまけにめがねが見当たらない 物置に忘れてきたらしいのだ
そういう顔でちちははを迎えた
今年のぶどうの収穫について話した
父の 唯一好きな話題だ
母は茶巾ずしをこさえて持ってきてくれた
茶巾ずしとかオムライスとか 何かを大事に包みこんだ料理が
生前の私の好物だった
母は私に手をあわせておがみ 線香立てはないかときいた
葬式も出してないのに線香が立てられるかと父が怒った
遠慮が語気を荒くする
物置はあのままにしてあるよ
いつでも帰ってくるといい
弁解みたいに母が言った
私はだまってお茶をすすった
ホームドラマが進行してゆく
セリフが家族を演出する

・詩集『アトランティスは水くさい!』(1987・書肆山田)所収


 「先週死んでしまった」「私」、「ちちはは」に「首をしめつけ」られて「生家の物置に捨てられた」のだが、身辺を整理したくて部屋まで帰ってきた。「私」を殺さなければ「私に殴り殺された」だろう親が「死んだ人ほど会いたくなる」「いさかいの多い親子だったがこれからはうまくいくだろう/天と地ほどに離れてしまえば」と電話をかけてきて、私を訪ねてくると言う。

 両親と「私」は「今年のぶどうの収穫」について話したり、「父」が「線香立て」のことで怒ったりする。殺し殺される関係のはずだったのに、「物置はあのままにしてあるよ/いつでも帰ってくるといい」などと、知らない人が聞いたら「家族を演出する」「ホームドラマ」そのものの「セリフ」を「母」が言う。

 人を食ったような詩、と言えば、そのまま、「人を食った」という詩を書き始めてしまいそうな作者の比較的初期の詩です。たとえば柳美里さんが書けば、重くじめついた作品になりそうな題材でも、言葉の変化球の腕力でさらっと書き抜いてしまうのが特徴です。



初稿 2005.3.2




<80>

  手紙               小林泰子 (1962−  )


 この手紙が、もしかすると、あなたに届く最後の手紙と
なってしまうかもしれません。あなたも御存知のように、
この街は今、おのれが秘めた炎がいつ吹き出すかと、身を
ふるわせているのです。
 初めは単なる事故かと思われていました。故意に火を焚
きつけられたか、あるいは自殺か。不審な事故が数件、立
て続けに起きたのです。間隔をあけながらもそれはとだえ
ることなく続き、今度は同時多発的に人々が燃えあがりま
した。知人の前で、見知らぬ人に囲まれて。家族、恋人の
眼前で。一人で、二人で、たくさんの人に炎をふりまいて。
 無差別テロ、変質者、あるいは狂信的な宗教団体のしわ
ざ……さまざまな噂が人々の口にのぼりました。その間、
燃えあがる人の数は増える一方で、満員電車の中で、教室
で、病院で、道路で、自動車に乗りながら燃えて玉突き事
故を起こし、多くの人を巻きこんだこともありました。抱
き合った恋人同士の一人が急に燃え出して、相手にも火が
うつり、二人で火だるまになって死んだという、悲惨な事
故もあったそうです。
 今日も、この街のどこかで、人の形をした炎が辺りを明
るく照らし、あっというまに燃えあがって、あとには黒焦
げになった恐怖のかたまりを残しているのでしょう。一瞬
の熱さが激しく人を焼き尽くす反面、残された私たち
の心には、ぞっとするような冷気が沈んでいきます。熱く
吹きあげる風と、地面を這い、どこにでも忍びこむ凍った
流れが、複雑な渦巻模様を描いて、私たちを金縛りにする
のです。
 私も、目の前で見ました。道を歩いていると、数メート
ル先を歩いている背広姿の男の人の背が、急に大きくしな
ったのです。それは異様なしなり方で、ほかにも大勢の人
が私の前を歩いていたのですが、私の目をその人に引きつ
けるには十分な不自然な動きでした。そのしなった背中か
ら火が吹き出したかと思うと、一瞬の内に全身にひろがり、
髪は燃えあがり、腕は苦しそうにもがき、足はくず折れて、
叫びながらころがりまわる炎の毬となり、呆然と見つめて
いる人々の前で、もうこときれていました。助ける間もな
く。
 犯罪者によるしわざとは言い切れないほど広範に渡るよ
うになり、今では、私たちが口にする食品、あるいは身に
まとう衣類に問題があるのではないか、体質が突然変化し
たためではないか、または新種の伝染病か、などという意
見を耳にするようになりました。都市に流れこむ食料品に
手を加える犯罪者グループがいる、という噂もよく聞きま
す。人々は怖がって外出を避けるようになり、街は異様な
静けさに包まれています。それでも、私たちは生きていま
す。生きていかなくてはなりません。自らの手で避けよう
がないので、人々は諦めと共に、この街に巣くう炎を受け
入れようとしています。
 私は、あるイメージを抱いています。思い描くだけで高
熱が発生するような、そんなヴィジョンが、あるいは言葉
があって、それを心に浮かびあがらせた人が炎を吹きあげ
てしまうのだ、という。私の奥底に沈んでいるそれがふう
っと浮きあがってくるとき、心はその熱さに耐えきれず、
炎の形をした悲鳴をあげるのです。そんな、禁じられたヴ
ィジョンが−−それはメロディーでもいいのです−−私た
ちの心をむしばんでいるのではないかと。
 時は、目には見えないけれど、確かな手で私たちを捕ら
えています。私だって、いつ、炎に身を包まれるかわかり
ません。水道水のように日々恐怖を飲みこみ、下着のよう
に死の可能性を着こんでいます。この手紙も、私が綴る文
字も、この瞬間に燃えあがってしまうかもしれないのです。
ですから書き続けます。書き続けられる限り、あなたへと。

・詩集『光の木』(1997・書肆山田)所収


 「おのれが秘めた炎がいつ吹き出すのかと、身をふるわせている」街。「同時多発的に」燃えあがる人々。「火だるまになって死んだ」「抱き合った恋人同士」。「熱く吹きあげる風と、地面を這い、どこにでも忍びこむ凍った流れ」が描く「複雑な渦巻模様」に「金縛り」になりながらも「生きていかなくては」いけない「私たち」。

 食品、衣類、体質、伝染病といった原因が考えられているけれど、「私」は「思い描くだけで高熱が発生するような、そんなヴィジョンが、あるいは言葉があって」、心が「その熱さに耐え切れず、炎の形をした悲鳴をあげる」というイメージを抱いている。そんな「恐怖」や「死の可能性」に捕えられながらも、「私」は「書き続けられる限り、あなたへと」手紙を書き続ける。

 現代日本に生きる私たちは、戦争や災害の情報に溺れながら、日々新鮮な恐怖感を忘れていくようです。本当に明日、自分たちの体が炎をあげて燃えあがっても、ふぬけた笑い顔で死んでいくだけかもしれません。それでもそれぞれの内には「炎の形をした悲鳴」が隠されているのではないでしょうか。すれっからしになりそうな想像力を、もう一度風にあてていくきっかけの一つになってほしい、そんな詩です。



初稿 2005.3.4




<81>

  1.12.1931              フェルナンド・ペソア (1888−1935)


唐突だが、今日、馬鹿げてはいるが誤りのない結論に達した。一瞬のひらめきで私は理解した。自分は何者でもない、完全に何者でもない者だと。稲妻が走ったとき、今まで街だと思っていたものがじつは人気のない平原だったのを見た。同じ不吉な光が、その平原の上には空もないらしいと、私に暴露した。その世界を前に私は自分が存在したことがあるという可能性までもすべて奪われた。私が生まれ変わったものであるなら、私は自分自身がないまま、生まれ変わるべき自身がないまま、生まれ変わったのだろう。
 私は存在しない街の街外れであり、書かれていない本の長く曲がりくねった前口上だ。私は何者でもない、何者でもない者だ。私は感じる方法も、考える方法も、愛する方法も知らない。いまだ書かれていない小説の登場人物で、いまだ存在さえすることなく、宙に浮かんで未完成のまま、いまだ私に生命を吹き込もうとさえしない誰かの夢想の中にいる。
 私はいつも考えている、いつも感じている。しかし、私の考えには道理が欠け、感情には感覚が欠けている。私は落とし戸から落ちる、無限の空間を落ちていく、方向の分からない、空っぽの落下。魂は黒い大渦巻きで、真空の上でぐるぐる回る巨大な狂気で、空洞の周りで渦巻く広大な海で、海というよりも旋風のような、その海には、私がかつて見聞きしたものすべてのイメージが浮かんでいる。家が、顔が、本が、箱が、音楽の断片と声の破片が、すべて不吉な底無しの渦巻きにとらわれている。
 そして私、私自身は、底無し穴の幾何学が要請するからという理由だけで存在するその中心だ。私は何物でもなく、その周りをすべてがぐるぐる回る。すべてが回ることができるために私は存在する。円にはすべて中心があるからという理由だけで私は中心なのだ。私、私自身は内壁が落ちてしまって粘つく泥だけが残った井戸なのだ。私は巨大な何物でもない物に囲まれたすべての中心だ。
 そして私の中で地獄が笑っているかのようだ。いや悪魔の笑い声のような人間らしさなどなく、そこにあるのは、死んだ宇宙の狂ったしわがれ声、物質界の渦巻く死体、風の中を暗く漂う全世界の終末、奇形の、時代錯誤の、創造主もいない、暗闇中の暗闇で自らもぐるぐる回る主もいない、ありえないもの、無類のもの、すべてが。
 私が考えることさえできたなら! 私が感じることさえできたなら!
 母は非常に若く死んだ。私は母を知らない……

・『不穏の書(The Book of Disquiet)』(Maria Jose de Lancastre編、Margaret Jull Costa英訳・2002・Serpents Tail)より試訳


 ペソアさんは、自分の分身として何人もの詩人・作者を持ち、それぞれの名前で作品を残したことで知られています。『不穏の書』はリスボンの商店の一会計係として生きるベルナルド・ソアレスの名前で書かれた膨大な断章群で、ペソアさんの死後、発見され、各国の研究者によって編集・配列された何種類ものヴァージョンが存在します。ソアレスはとりあえず貧しくもなく暮らしていける現実を甘受していますが、つねに、ここではない何処か(たとえばサマルカンド)にいる自分を想像し、時には自分の想像力の勝利に酔ったり、風土を歌う叙情的な文章を書いたりすることもある一方で、この引用のように「何者でもない自分」や、自分のセルフ・イメージとかけ離れた自分、に苦しんだりします。

 作品そのものは20世紀初頭のものですが、その閉塞感は時代を越えて、再び同時代のものになったのではないかと感じられます。



初稿 2005.3.4




<82>

  DUCK SOAP(部分)              北村想 (1952−  )


僕たちがそれをするのは、うったへるためでも、知らしめるためでも、あらぶるためでも、たたかうためでもない。僕たちがそれをするのは、それがひとつの僕たちの生活だからだ。僕たちはたしかにくるしい。それは紙幣がないからなのかもしれないし、将来とよばれているものがないからなのかもしれない。でも、ひょっとしたら、僕たちのくるしさは、世界にぼくたちの占める場所がないからなのかも知れない。それならば、僕たちは、時間を占めよう。ここにささやかに、僕たちの生活とよべる時間を占めよう。
 人類が進化したのは自然に対して適応するためではない。それは自然にたいするひとつの創造だったのだと僕たちは思う。人は、あたかもそれが楽しいことでもあるかのように、進化したのだと思う。僕たちは世界をかえるためにここにいるのではない。いってみるならば、僕たちはここで進化する。何かしら進化するためにここにいる。
 そして、誰かは僕たちに触れるだろう。こころで、ことばで、指さきで、吐息で、なみだで、まなざしで。それをTOUCH PUTといってもいい。

・『DUCK SOAP』(1987・北宋社)より


 同タイトルの戯曲の最後のセリフです。愛着があるので半ば無理やり取り上げました。「それがひとつの僕たちの生活だから」演劇をやっている自分たち。僕たちが「くるしい」のは「世界にぼくたちの占める場所がないからなのかも知れない」。ならば「僕たちの生活とよべる時間を占めよう」。「僕たちは世界をかえるためにここにいるのではない。いってみるならば、僕たちはここで進化する」。

 「くるしい」としても表現をこの世界で続けようとしている自分たち、その静かなマニフェストと言えるでしょうか。作者についての最近の情報はよく知らないのですが、ある時点で東京公演をやめて、名古屋を中心に活動しているようです。東京は「ひとつの僕たちの生活」としての演劇をやるには、あまりにあわただしいだけの場所なのかもしれません。



初稿 2005.3.5




<83>

  遠い手が上がる(前文)              ウィリアム・S・バロウズ (1914−97)


とりあえず「遠い手が上がる」と題した進行中の作品は、惑星間戦争の遠く離れた部隊間で無線で交わされるメッセージで成り立っているので、カットアップ(切りきざみ)とフォールド・イン(折り重ね)の方法がここでは暗号解読作業として用いられる。たとえば諜報員K9がそのとき彼の前にあるものから何でも目にとまったものをタイプで1ページ打つ−−街の音、新聞や雑誌の言葉、部屋のなかの物など。それから彼はこのページを真ん中でたたんで別のメッセージをタイプしたページの上におく。そこでひとつのテキストからもうひとつのテキストへの移動が行われる/しるしをつける。この方法は無線のように即時に行われるので書き手は同時進行で書くことができる−−思い出す/私の/遠く離れた部隊間のメッセージ/爆発した星/折り重ねる/遠い空/例諜報員K9はタイプで打つ/遠い手が上がる/そこで/彼の前にあるもの何でも/悲しい少年が話している/雑誌から/このページ/「アディオス」をフィルターにかけ直して死/メッセージ/彼の銃から/である/砂に埋められる/聞くこの乾いた/無線/消されたplst/「聞いてるか?」/書き手は同時進行で書く/漂う/メッセージ/風の吹く通りで/きみのメッセージをその意味するとおりに判読する/言った/成り立つ作業−−「きみはブラッドリー本人だマーチン/もちろん」/ほかに誰が?/きみの初めての逮捕かね?/ポイントは/過ぎたときがひゅうっと鳴る/メッセージはきみが/きみのメッセージをその意味するとおりに判読する/−−『遠い手が上がる』/−−「きみ/と私/悲しく古い/こわれたフィルム/ナイフ/咳/それは着く/咳/現在/長い咳/逮捕を解読する/そうかね?」−−咳/即時/咳/からっぽの動脈がきみに言うだろう/咳/「アディオス」/ほかに誰が?/咳/1899年9月17日ニューヨークじゅうを引っ張った???

・『The Burroughs File』(1984・City Lights)より試訳


 作者のアンソロジーから、「カットアップ」「フォールド・イン」という手法を実例を含めて解説した一節です。パソコンのない時代に、カット・アンド・ペーストを人力でやっていたというところでしょうか。バロウズさんはこの手法を画家の友人に教えられて、言葉に応用したそうですが、この他にカンバスを銃で撃ち抜いた「ショットガン・ペインティング」といった試みもしています。作品が世間常識的な枠に納まってしまうことを嫌ったバロウズさんらしい実験と言えるでしょう。

 ちなみに『ソフト・マシーン』『ノヴァ急報』『爆発した切符』が「カット・アップ三部作」と呼ばれているようですが、かつて翻訳で読もうとしてお手上げだった記憶があります。



初稿 2005.3.5




<84>

  太郎湯              諏訪優 (1929−92)


春である 田端の里のけだるい春
桜の花も満開で
死んだような空気を縫って
老樹は惜しげなく花びらを降らしている
今年もまた春がきて
恋人といっしょに 雪道のように白い花の廊下を
歩いた去年の華やいだ夕暮をぼんやり想っている
今年の春
太郎湯へゆくわたしの足どりは重い
湯につかり からだを洗うよろこびが今はない
何という淋しさだ

  恋人の泊る日の夕暮に
  わたしは喜々として湯につかり
  髪を洗い シャボンの泡とばし
  足どり軽く
  太郎湯の暖簾を押して出てきたものだ
  今は 湯を浴びて部屋へ戻るその喜びがない
  何という変りようだ
  わたしにはもう
  裸でさらす その喜びがない

太郎湯の戸は三時半に開く
去年いっしょに戸の開くのを待った刺青氏は
いつからか消え
一番湯を彼とめざしたわたしの元気も失われた
どうでもいい 仕方なしに湯を浴びにゆく
今年の春
太郎湯へゆくわたしの足どりは重い
いらなくなった欠け茶碗のように
痩せた白い手足が 湯の中に沈んでヒラヒラと揺れている
     めぐる春 五十余年の むだ歩き (After Issa.) 優

・詩集『太郎湯』(1988・思潮社)所収
 原文の「戸」(初出時)に「シャッター」、「刺青」に「いれずみ」のルビあり。「茶碗」は「茶腕」とあるが誤植か?


 これ、詩集のタイトル詩なんですよね。ギンズバーグさんなど、合州国のビート文学を紹介し、自らも日本語のビート系の詩を書いていた詩人の晩年の私小説的回帰には驚いた記憶があります。教職も辞して、アングラ芝居に出たり、若い恋人と浮名をながしたり、そしてその恋人とも別れて、「今年の春/太郎湯へゆくわたしの足どりは重い/湯につかり からだを洗うよろこびが今はない/何という淋しさだ」と書くに至っては、あまりの率直さに逆に胸を突かれる思いです。

 「いらなくなった欠け茶碗のように/痩せた白い手足が 湯の中に沈んでヒラヒラと揺れている」。日本の、と言っていいのかどうか分かりませんが、男の相方を失った晩年、その淋しさと、私もまた背中合わせに生きているのだと感じさせられます。



初稿 2005.3.5




<85>

  空室              柴田千晶 (1960−  )


水がゆれて
浮かびあがる古い人体図
女の體内が
月にひらかれ
肉の
血の
骨の
昏さを夜に晒している

 *

井の頭線神泉駅前のマクドナルドで、<彼女>がいつも立ってい
たという道玄坂地蔵の場所を尋ねる。
──三月に、この辺りのアパートの空室で女の人が殺されていた
  事件、覚えてる?
──……?
アルバイトの女子高生は曖昧な笑顔を浮かべ小首を傾げている。
──その人が立っていたという…お堂が…円山町のどこかに…在
  るはずなんだけど……。
独り言のようにそうつぶやき、私は店を出て、ふと目に付いた狭
い急階段を上ってみる。
ホテルペリカン…フェンシング練習場…道玄坂地蔵…道玄坂地蔵
…と唱えながら迷路のように入り組んだ路地を歩く。ローソンの
袋をぶら下げて<彼女>が歩いたはずのこの路地は、どこか書割
めいている。細い坂を上りつめると四つ辻が現れ、円山町のホテ
ル街に突き当たる。けれど<彼女>が立っていたというお堂は見
つからない。四方に延びた路地のどれかを、あとは下るしかない
のだ。諦めかけてふり返るとそこに、黒く濡れたように光る道玄
坂地蔵が立っていた。

ここに立つと女はみな
同じ鍵穴のついた空室になる
値ぶみするような
男の視線に
まともにぶつかり
私は表札のない空室になる

 *

立て続けに仕事が駄目になった。データーエントリーの単純仕事
は、特別な技術がなくても出来る。二十五歳まで、と、年齢を区
切られ、断わられる。そのうちにお中元とお歳暮の仕事しかこな
くなるかもしれない。パートのおばさんたちに紛れて、苦情の電
話を受けるようになるのだ。
茅場町のコンビニで夏の新商品のリストを作成した。同じような
商品名。中味もさして変わらないのだろう。昼休みは会議室の隅
を借りて休憩をとる。新製品のトマト味のカップラーメンを配ら
れるがあっさりとしすぎて美味しくない。
アルバイトの女の子たちはアパートの空室で殺されていたOLの
話をしている。「わかるような気がする」だれかがポツリと言う。
<彼女>が売春した気持ち。
霊岸橋を渡る。橋の名の由来はわからない。向こう岸に、死んだ人
の魂がすだいているのかもしれない。
<わかるような気がする。私も−−>

 *

路上にしゃがみこみ
彼女は静かに放尿している
静かに
深部を絞り出している
(寒いわね)
と、彼女はつぶやく
(寒いわね)
と、私も応える
彼女の空室に
紙のような夜が
また
積み重なる

・詩集『空室 1991−2000』(2000・ミッドナイト・プレス)所収


 道玄坂で売春をしていて殺された一流企業のOLの足跡を追う作者。彼女を突き動かしているのは「表札のない空室」のような空虚感。「月にひらかれ」「夜に晒し」た「女の体内」に「肉」「血」「骨」以外にあるのは「尿」でしかない「深部」?

 「単純仕事」で食いつなぎ、将来も不安な「私」。「アルバイトの女の子たち」も「<彼女>が売春した気持ち」が「わかるような気がする」と言う、そして「私」も。一見はなやかでいて、その実「紙のような夜」に覆われた都市の片隅で、<彼女>は「売春」することで、空虚さを乗り越える、あるいは忘れることができたのだろうか。いや、<彼女>がどう感じていたかということが問題なのではなくて、問題は生きている「私」たちがその空虚(性においても、生活、仕事においても)とどう向き合うかなのでしょう。ひりひりとした孤独感が伝わってくる詩です。



初稿 2005.3.5




<86>

                松下育男 (1950−  )


こいびとの顔を見た

ひふがあって
裂けたり
でっぱったりで
にんげんとしては美しいが
いきものとしてはきもちわるい

こいびとの顔を見た
これと
結婚する

帰り
すれ違う人たちの顔を
つぎつぎ見た

どれもひふがあって
みんなきちんと裂けたり
でっぱったりで

これらと
世の中 やってゆく

帰って
泣いた

・詩集『肴』(1978・紫陽社)所収
 引用は『松下育男詩集』(1979・思潮社)より


 「にんげん」であることがほどかれていくような詩です。「ひふがあって/裂けたり/でっぱったりで」というのは、手塚治虫さんのマンガのキャラクターを想像してしまいますが、人間はたしかに「いきもの」としては毛皮もないし、その美醜の感覚も独特なものです。そんなことにふと気づくと、日常は不思議でも何でもなく思えてきたものが、急に不思議に思えてきたりするから不思議です。

 「これと/結婚する」「これらと/世の中 やってゆく」と思い、「帰って/泣いた」自分も、その不思議で「きもちわるい」存在の1人です。「きもちわるい」と、通常の観念をほどききったところから、「美しい」と思える感情もあらためて生まれてくるのではないでしょうか。



初稿 2005.3.5




<87>

  死してなお老いさらばえることがある              芒克(マンク) (1950−  )


地面にはや生え出た死者の白い髪
それがわたしに信じさせる、ひとは死してなお老いさらばえることがある

ひとは死してなお悪夢に襲われることがある
そしてうつろいめざめ、まのあたりにそれを見る

またひとつ白昼が卵の殻を破って生まれ
すぐにせわしなく地上の餌をついばむ

自分の足音を聞くこともある
自分の両足が笑いさざめいている憂いに沈んでいる

追憶にふけることもある、頭の中はからっぽなのに
心の中の人々はすでに腐爛しているのに

かれらをたたえ、恋人をたたえることもある
両手にゆったりと彼女の顔をうけとめて

それから彼女をそっと草むらに横たえ
彼女がつたない手つきでグラマラスな体をたぐり出すのを見ている

そして待つこともある、陽光が
最後はボロボロのムシロのように風に巻かれて吹きさらわれるのを

日暮れを待つ、それはちょうど一頭の猛獣に
その肉をずたずたに食いちぎられるのを恐れるようにおまえを避ける

そして夜、それはおとなしくおまえの胸に抱かれて
おまえのもてあそぶがまま、うさを晴らすがまま、声ひとつたてない

疲れて地面に横になることもある、目を閉じて
天上の獣らの相い食む咆哮に耳をかたむける

気がかりになることもある、あるいは一夜のうちに
天空の血がすべて地上に流れるのではないかと

立ち上がることもある、死んでいったひとつの面影をしのんで
しかし彼女の眼はじっとおまえに注がれたままだ

希望を抱くこともある、自分が永遠に生き続けることを願い
自分が他人に捕獲される動物でないことを願う

火の中に横たえられ、あぶられ、食われ丸呑みにされる
苦痛に身もだえることも、耐えきれないこともあるだろうよ

地面にはや生え出た死者の白い髪
それがわたしに信じさせる、ひとは死してなお老いさらばえることがある

・詩集『芒克詩集』(是永駿訳・1990・書肆山田)所収


 1986年の詩集『群猿』より。すでに詩人の属した雑誌「今天」は中国公安により発行停止となり(90年にノルウェーで復刊)、工場の仕事を追われながらも、出国せず、公安に監視される日々に書かれた詩と考えられます。
 「地面にはや生え出た死者の白い髪」を見て「ひとは死してなお老いさらばえることがある」と信じる「わたし」。しかし、その「死者」もまた「わたし」であるのではないでしょうか。「頭の中はからっぽ」で「心の中の人々はすでに腐爛している」のに「追憶にふける」、「陽光が/最後はボロボロのムシロのように風に巻かれて吹きさらわれるのを」待つ、「死者」である「おまえ」=「わたし」を「日暮れ」までが避けていく生活のなかで、「おまえ」=「わたし」は「天上の獣らの相い食む咆哮に耳をかたむけ」たり「一夜のうちに/天空の血がすべて地上に流れるのではないか」と不安になったりします。それでも、詩人は「自分が他人に捕獲される動物でないこと」を願いながら書き続けます。
 詩人のいる場所を想像することで、現在、日本語で書かれている多くの作品の膠着ぶりを否定することができます。



初稿 2005.4.3




<88>

  人生が通り過ぎてしまう前に(部分)              橋本治 (1948−  )


きみはもう、そんなつまらない顔しないよね?
だってきみは、もう、人生がやり直しのきくものだって知ってるものね?
だってきみは、もう、自分の人生をどうやり直したらいいか、知ってるものね?
だってきみは、自分が何をやりたかったかって覚えているでしょう?
忘れちゃったの?
ホントかなァ?
きみは、覚えてると思うよ。
きっと覚えてるサ。だってきみのしたことだもの。
思い出せるよ。
目をつぶるんだよ。
夢だって見るでしょう?
覚えてるんだよ。
だからね、思い出すんだよ。きっときみは覚えてるから。
思い出しながら、きくんだよ。きっときみが何をやりたかったか、覚えてるものがいるからね。
そいつの言うことに耳を傾けるんだ。そいつはきっと教えてくれるサ。
いいかい、もしもきみが、そこを通り過ぎていった時間達に出会ったら、「覚えてないか」ってきくんだよ。
黙って耳を傾けるんだよ。
やつらはなんでも知っているから、やつらに聞けばきっと分るサ。
ホントだよ。
サア、目をとじてごらん。
ホラ、いろんなものが見えて来るから。
見えて来たら、今度はチャンと探すんだよ。
探して、見つかったら、もう絶対に手を離しちゃいけないよ。
だってそいつは、きみが一番出会いたかったものなんだからね。
キチンと見つけるんだよ。まだ時間は、たっぷりあるからね。
でも、いつまでも目を閉じっ放しにしちゃァだめだよ。
だって人生はいくらでもやり直すことは出来るけど、でも人生は、きみが目をつむっていたら、いつだって簡単に通り抜けるんだからね。
もういやだよね?
きみだって、現実の中にいるんだものね。だから、きみだって、もうそろそろ、自分の人生を生きはじめたっていいんだよ。
じゃァね。
早くしないと、きみの人生が通り過ぎてっちゃうよ。

・『シンデレラボーイ・シンデレラガール』(1981・北宋社)より


 著者の比較的初期の人生論的な評論の末尾です。みんな、子どもの頃は夢を見たり、夢中になれるものを追いかけていたはずなのに、いつの間にかつまらない大人になってしまう。それでも、「自分の人生」は自分のしたことなんだから、思い出せるはずだし、やり直すことだってできる。そして「きみが何をやりたかったか」思い出せたら、絶対に手から離さずに、目を開けて、自分の人生を「現実の中」でやり直すこと!
 散文で書かれた文章の最後に置かれた、行分けで書かれた数ページが、詩のように、歌のように読めてしまう。それは行分けという形の力でもあり、著者の語りかけてくる口調の力でもあるでしょう。



初稿 2005.4.3




<89>

  ガッツのあるラジオ              チャールズ・ブコウスキー (1920−94)


そこはコロナド・ストリートのアパートの二階だった
おれはいつも酔っぱらって
窓からラジオを放り投げた
ラジオはずっと鳴っていた、そして、もちろん、
いつも窓ガラスはラジオで割れて
ラジオは屋根の上に鎮座していた
鳴りつづけながら、
それでおれは女にいったものさ、
「ああ、なんてすばらしいラジオだ!」

翌朝
蝶番から窓をはずして
通りを運んでいった
ガラス屋へ、
すると新しい窓ガラスを入れてくれた。

酔っぱらうたびに
おれは窓からラジオを投げつづけた
そしてラジオは屋根の上に鎮座していた
鳴りつづけながら−−
魔法のラジオだ、
そして毎朝窓を運んだ、
ガラス屋へ。

思い出してみても
それをどうやってやめたのか正確に思い出せない
おれたちは結局引っ越した。
一階には水着を着て
庭仕事をする女性がすんでいて
おれのせいで
夜ねむれないと亭主がぼやいていた
それでおれたちは引っ越した
そしてつぎの所では
もはや
そんなことをしたいとも思わなかった。
水着を着て庭仕事をする女性の姿を
見られなくなって残念に思ったことを覚えている、
かの女は移植鏝で穴を掘っていて
宙にケツを突き出していた
それでおれはいつも窓辺にすわって
太陽がそんなことどもの上をあまねく照らすのを見ていたものさ

ラジオの音楽を鳴らしっ放しにして。

・詩集『ブコウスキー詩集』(中上哲夫訳・1995・新宿書房)所収
 原文の「鏝」の「こて」のルビあり


 聖なる酔っぱらい詩人・作家による1編。合州国では日本に比べ、作家であり詩人であるというケースがはるかに多いのは、大学を中心とする教育のせいでもあるのでしょうか。彼らの書く詩は散文性が強く、喩にもたれかかりすぎといった現象も見知った範囲ではないようです。朗読が作家に課せられる当たり前の仕事として定着していることも関係あるのでしょう。
 さて、この詩は酔っぱらいの詩です(合州国の酔っぱらいと来たら、日本の比ではない、ほとんど社会現象です)。毎晩、酔っぱらう「おれ」に窓ガラスを割って放り投げられるラジオは、「屋根の上に鎮座して」鳴りつづけます。一階の亭主に文句を言われたりしたこともあって、「おれたち」は引っ越し、ラジオを窓の外に投げ出すこともいつの間にかやめたようですが、昔の荒れていた頃をただ懐かしんで書いているというわけでもなさそうです。作者は死ぬまで酔っぱらいつづけていたんですからね。



初稿 2005.4.3




<90>

  美代子、石を投げなさい              荒川洋治 (1949−  )


宮沢賢治論が
ばかに多い 腐るほど多い
研究には都合がいい それだけのことだ
その研究も
子供と母親をあつめる学会も 名前にもたれ
完結した 人の威をもって
自分を誇り 固めることの習性は
日本各地で
傷と痛みのない美学をうんでいる
詩人とは
現実であり美学ではない
宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは反対の人である
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石投げなさい」母。

ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷は投げるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ
それしかない
彼の矩墨を光らすには
ところがちがう ネクタイかけのそばの大学教師が
位牌のようににぎりしめて
その名前のつく本をくりくりとまとめ
湯島あたりで編集者に宮沢賢治論を渡している その愛重の批評を
ははは と
深刻でもない微笑をそばつゆのようにたらして

宮沢賢治よ
知っているか
石ひとつ投げられない
偽善の牙の人々が
きみのことを
書いている
読んでいる
窓の光を締めだし 相談さえしている
きみに石ひとつ投げられない人々が
きれいな顔をして きみを語るのだ
詩人よ、
きみの没後はたしかか
横浜は寿町の焚火に いまなら濡れているきみが
いま世田谷の住宅街のすべりようもないソファーで
何も知らない母と子の眉のあいだで
いちょうのようにひらひらと軽い夢文字の涙で読まれているのを
完全な読者の豪気よ
石を投げられない人の石の星座よ

詩人を語るならネクタイをはずせ 美学をはずせ 椅子から落ちよ
燃えるペチカと曲がるペットをはらえ
詩を語るには詩を現実の自分の手で 示すしかない
そのてきびしい照合にしか詩の鬼面は現われないのだ
かの詩人には
この世の夜空はるかに遠く
満点の星がかがやく水薬のように美しく
だがそこにいま
あるはずの
石がない
「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」

・詩集『坑夫トッチルは電気をつけた』(1994・彼方社)所収


 ひととおり読む分には、「賢治」ブームを揶揄しているように受け取れます。「詩人とは/現実であり美学ではない」はず(というのは作者の感想)なのに、「世界を作り世間を作れなかった」賢治さんを「傷と痛みのない美学」のように日本各地で受け止めている。「この世の夜空はるかに遠く」かがやく星のように賢治さんの詩を光らすには、不遇に終わった詩人にもう一度石を投げるしかない、そのことで世が世なら、寄せ場の寿町あたりで焚き火にあたって「濡れている」しかないはずの詩人が、ほんわかした受け止められ方で広まっていることから解放したい。ここまでが一次的読み方。
 では「美代子、石投げなさい」って「美代子」って誰? 「深刻でもない微笑をそばつゆのようにたらして」はまあ、言葉のはずみ・勢いでしょうが、「いちょうのようにひらひらと軽い夢文字の涙」って何? 「燃えるペチカと曲がるペットをはらえ」って一体? その分からなさを言葉で繰り出すところに、作者の「詩を語るには詩を現実の自分の手で 示すしかない/そのてきびしい照合にしか詩の鬼面は現われないのだ」という気持ちが現れているのでしょうか(この「自分の手で 示す」は一義的には「ネクタイをはずせ」や「石を投げなさい」につながるのでしょうが)。この感覚は国文です、そう断言したい、この屈折を喜んで読む国民/あるいは詩の業界は世界に他にないと。



初稿 2005.4.3




<91>

  湾岸に沿って              天沢退二郎 (1936−  )


 都心の勤め先から千葉にあるわたしの家へ帰るには地下鉄で御茶
の水へ出て総武線に乗り、さらに錦糸町で快速電車に乗り換えるの
が距離的にも時間的にもいちばん近くかつ早いのだけれども、度重
なる乗換えの手間や、乗換駅での階段の上下、長い長い通路の移動
のことを考えると、とりわけラッシュアワーのときは、そう考える
だけでうんざりしてしまう。そんなわけでその夜は、もうひとつ別
のコース、城南のR駅から出て湾岸沿いの旧貨物線を迂回しながら
ガタンゴトンとゆっくりゆっくり、しかし途中はノンストップで千
葉駅まで走る昔風の列車に乗り込んだのだった。同じことを考える
通勤者はまた結構多いもので、うす暗い電灯に飴色に光る時代物の
木造車輌はどれも殆ど満員だったから、仕方なくわたしはカウンタ
ー付きの居酒屋になっている車輌の、中二階というときこえはいい
が普通は網棚代りの物置になっている、天井まで一メートルもない
場所へ腹ばいになってもぐりこんだ。
 その日はどういうわけか居酒屋のおかみも女の子も来ていなくて、
入口にはたしか本日閉店の札が掛けてあったと思うのだが、列車が
出発してガタンガタンと隅田川の鉄橋を渡ってまもなく、常連客た
ちが三人、四人と店に入ってきて、勝手に棚や冷蔵庫から焼酎やビ
ールなど持ち出しては飲みはじめた。そこでわたしも、上棚から手
をのばしてコップに冷酒を注いでもらって、さてガタンガタンガタ
ガタガタンとのびやかに列車が走りつづけるうちに、心地よくその
振動に身をまかせながらすっかりいい気分になってしまったのだ。
 そんなわけで列車がゆっくりと千葉駅構内に入って止まったとき
は、もううっすらと夜が明けかかっていた。こんな時間に家へ帰っ
てみてもどうなるわけでもない。それにだいたいここに自分の家な
どあっただろうか。駅前に放置しておいた自転車にまたがって、ま
た青ぐらくしんとした旅館や民家の立ちならぶ線路づたいの道をゆ
っくり走っていくと、雲はいよいよ低く垂れ、そのかわりあたりは
次第にうすあかるくなって、ただわたしの見も知らぬ町並ばかりが
いかにも確実に、粛々と姿をあらわしていった。

・詩集『<地獄>にて』(1984・思潮社)所収


 いかにも日常的な風景が詩の中で変貌していくとも取れますが、詩人にキャッチされる風景は最初から現実とは一致していないと取った方が自然に感じられます。「ノンストップで千葉駅まで走る昔風の列車」は「うす暗い電灯に飴色に光る時代物の木造車輌」で、「カウンター付きの居酒屋になっている車輌の、中二階というときこえはいいが普通は網棚代りの物置になっている、天井まで一メートルもない場所」に乗り込んだ「わたし」が帰り着いた「千葉」とは、「それにだいたいここに自分の家などあっただろうか」と感じられる「千葉」で、「ただわたしの見も知らぬ町並ばかりがいかにも確実に、粛々と姿をあらわして」いく町です。夢とか異世界の表現とか言ってしまうより、ただ「わたし」が「見も知らぬ」と言っているだけで、現実との差異は、むしろ「わたし」の意識が生み出しているもののようです。
 現実と地続きの風景が変貌していく伊藤聚さんの作品世界と、天沢さんの世界は似通った性格に思われますが、天沢さんの世界は最初から現実世界を否定し去ってしまっている、そんな違いもあると感じられます。



初稿 2005.4.5




<92>

  右側に気をつけろ              ジャン=リュック・ゴダール (1930−  )


悪は存在していたのか?
宇宙に織り込まれた人の声は答えない
夜明け前には答などありえぬかのように、期待だけがあるかのように
あたかも
正統なのは
太陽しかないというひたすらな期待
いま、罪を自覚して、彼らは黙りこんでいる。言葉の不在が、犯した罪を彼らに意識させる
この沈黙を前にして
彼は声にならない叫びをあげようとした
だが、見ようとした瞬間、彼にはもう沈黙が見えない
夜が最後の力を結集して、光に打ち勝とうとしているからだ。だが光は、夜を背中から討つだろう
光は、夜を背中から討つだろう
沈黙を脅えさせまいとする穏やかなささやき
彼がかつて聞いたささやき
生誕より遙か以前に聞いた、あのささやきが
また、聞えはじめる

・採録シナリオ「右側に気をつけろ」(1986,1989・蓮實重彦・柴田駿字幕)よりナレーション
 引用は『右側に気をつけろ』パンフレット(1989・東宝出版事業室)より
 原文の「織り込まれた人」の「人」に「ひと」のルビあり。字幕訳者の「蓮」「彦」は旧字


 ゴダールさんの映画の最後に流れる「声」、それはひょっとしたら、詩の引用なのかもしれませんが、今の筆者にはわかりません。「UNE PLACE SUR LA TERRE(地上にひとつの場を)」という何度も画面に登場する字幕に象徴されるように、想像力の戦いが問題になっているようです。
 「悪は存在していたのか?」という問いに答はなく、飛行機雲が切り裂く空には「太陽しかないというひたすらな期待」だけがある、その前で沈黙する汚れた想像力、その沈黙さえ、「見よう」とするともう見えなくなってしまう。それは「夜」の強大な「力」が働いているからだが、「夜」と「光」の戦いはまだ終わっていない。「沈黙を脅えさせまいとする穏やかなささやき」、「沈黙」の意味を顕在化させる「ささやき」が聞えはじめる、目を見開いて耳を澄まそう。夾雑物や物語に妥協することなく。
 ゴダールさんの映画については、亡き淀川長治さんの批評も参考にしてください。



初稿 2005.4.5




<93>

  去勢されない女              エマ・サントス (1947?−88?)


 おまえが書くことを止めたら、孤独だということをおまえは知ることになる。今のところおまえは現実から離れている。とにかく、とにかく書かなければ、早く、自分を理解しないまま、言葉に酔いしれていなければならない。おまえが自分の声に耳を貸してしまったら、すべてをバカバカしく思うだろう。そうなってはダメ、語るために語る必要がある。決して何かを言うために語ってはならない。真摯であることを避け、むしろ真摯から逃げなさい。だれもおまえの言うことなんか聞かない。言葉、本当の言葉は黙っている。風とともに書いて、書いて、早く書いて。おののき、ひらめきをどんなふうにだっていい。何んでもいいから書いて、見ないで、理解しないで、内部を書いて。目を閉じて書いて。
 おまえはおまえの言葉と同じく狂っている。おまえは興奮し、叫び声をあげ、紙を引っ掻く。わたしたちのシステムのなかに入るか、あるいは書くことを試みながら自殺するか、どちらかだ。別の可能性はない。
 おまえの言葉を他の人たちに読ませてはダメ、彼らは言葉だけしか見ないから。大切なもの、それは白い部分、言葉と行の間の空いているスペース、汗と微笑み。わたしたちはノートを太陽や雨にさらして、自分たちの言葉に光と水のカバーをかける。魔法の形。模様に魅了され、わたしたちは欲望や生きる欲求を読みとる。鉛筆も紙もなしに書きなさい。裸で書いて、そうでなければ書くことを止めて。

・『去勢されない女』(岡本澄子訳・1995・書肆山田)より


 70年代にパリで出版されたテキストより。作者は60年代からの時代の熱狂の中で燃え尽きるように、恋し、書き、演劇に打ち込みながら精神的に壊れ、亡くなっていった人で、詳しい経歴もわかっていません。自分を訪れる狂気と冷静の揺り返しのなかで、「自分の声に耳を貸して」自分に対して「真摯」に分析的になるのではなく、とにかく時間を駆け抜けるように書き続けることに自分を託す。なぜなら「わたしたちのシステムのなかに入るか、あるいは書くことを試みながら自殺するか」しか、自分に可能性は残されていないと考えるから。
 自分の言葉が「欲望や生きる欲求」を伝える「裸」の状態になることを目指す。そんな決意表明から、あの時代の若者たちのぴりぴりした緊張感が伝わってきます。



初稿 2005.4.6




<94>

  1942              リチャード・ブローティガン (1935−84)


ピアノの木よ、弾け
ぼくの伯父さんの
暗いコンサート・ホールで、
26歳で死に
シトカから船で
故郷に向かう、
彼の棺は旅する
ワインの
グラスにかかった
ベートーヴェンの
指のように。

ピアノの木よ、弾け
ぼくの伯父さんの
暗いコンサート・ホールで、
ぼくの子ども時代の伝説、死んで、
彼らは
伯父さんをタコマに送り返す。
彼の棺は夜
海の底を飛ぶ
空にふれたことのない
鳥のように旅する。

ピアノの木よ、弾け
ぼくの伯父さんの
暗いコンサート・ホールで、
彼の心を
恋人にしてくれ
彼の死をベッドにしてくれ、
そして
故郷に返してやってくれ
シトカから船で
ぼくの生れた土地に
彼を埋めるために。

・詩集『The Pill Versus the Springhill Mine Disaster』(1968; 1973・Dell)より試訳


 ぼそぼそと語る、詩の形さえなしていないような短詩を得意とした詩人・作家の、これは比較的整った形式の作品です。
 日本との戦争で負傷し、帰国後若くして事故で亡くなった、作者が好きだったという「ぼくの伯父さん」。その死を悼む「ピアノの木よ、弾け/ぼくの伯父さんの/暗いコンサート・ホールで(Piano tree, play/in the dark concert halls/of my uncle)」という繰り返しには、いつものふざけた照れくさそうな語り口とは、ちょっと違う透明な悲しさが感じられます。伯父さんの「棺」が「ワインの/グラスにかかった/ベートーヴェンの/指のように」あるいは「海の底を飛ぶ/空にふれたことのない/鳥のように旅する」といった表現には作者らしい軽妙さが生きていますが。



初稿 2005.4.6




<95>

  詩2編              まど・みちお (1909−  )


 ドロップスのうた

むかし なきむしかみさまが
あさやけ みて ないて
ゆうやけ みて ないて
まっかな なみだが ぽろん ぽろん
きいろい なみだが ぽろん ぽろん
それが せかいじゅうに ちらばって
いまでは ドロップス
 こどもが なめます ぺろん ぺろん
 おとなが なめます ぺろん ぺろん

むかし なきむしかみさまが
かなしくても ないて
うれしくても ないて
すっぱい なみだが ぽろん ぽろん
あまい なみだが ぽろん ぽろん
それが せかいじゅうに ちらばって
いまでは ドロップス
 こどもが たべます ちゅるん ちゅるん
 おとなが たべます ちゅるん ちゅるん

 いちばんぼし

いちばんぼしが でた
うちゅうの
目のようだ

ああ
うちゅうが
ぼくを みている

・詩集『まど・みちお詩集』(1998・ハルキ文庫)所収


 つい最近、50歳を前にして、初めてまどさんの詩をまとめて読みました。現代詩にかかずらわっていると、ついまどさんのような詩を見落としがちになる、恥ずかしいことです。まとめて読んで感じたのは、人間の他の生物に対するおごりを怒り、謙虚にいさめている詩が多いことでした。そして「いちばんぼし」の「ああ/うちゅうが/ぼくを みている」に現れているような、存在のふるえのような感覚が満ちていること。
 そう考えると、童謡としても有名な「ドロップスのうた」もただのかわいらしい思いつきによる詩ではなくて、宇宙的な感覚、生命の平等のような感覚が裏にある詩なのではないかと思えてきます。世界を見つめているはずの神様が「なきむし」だというのは、世界を憂えているからではないか。そしてその神様は「うれしくても ないて」しまう、その涙が世界中にドロップスになって散らばっていく、すごく平和主義的な詩なのではないかなあと思いました。そして、そうしたことをまったく意識させずに口ずさませてしまう、詩のすごさ。
 北村太郎さんが亡くなる前の晩、病室で「ドロップスのうた」をお嬢さんと歌ったという、エピソードも思い出されます。



初稿 2005.4.7




<96>

  パイユート・クリーク              ゲーリー・スナイダー (1930−  )


花崗岩の尾根一つと
木が一本あれば十分、
いや、岩一つ、小さなクリーク、そして淵に
樹皮が一枚浮かんでいて−−それでいい。
山また山、たがいに重なり合い、ねじれ込んで、
剛い木が、細い岩の割れ目に、
いっぱい詰まっていて、
それらすべての景色の上を 巨大な月が照らして というのはどうもやりすぎだ。
精神が、時空をよぎってさまよう。百万回もの
夏、夜の大気は静まりかえって、岩は
暖かい。空が、永遠につづく山脈の上にかぶさっている。
人間であることに伴う、あらゆるくだらぬことは、
つぎつぎに脱け落ち、堅い岩が、揺れる、
この重たい現在でさえ、いまの心のたぎりには、
とてもかないそうもない。
さかしらな言葉や書物は、すべて
高い岩棚から流れ落ちる小さなクリークのように、
乾いた空気の中へと消えていく。

明晰で注意深い精神は、
見るものこそ真に見られるものだ、
ということ以外に、なんの意味ももっていない。
岩が好きなものなぞ、誰もいない、だのにぼくらは、いまここにいる。
夜が冷える。虫が、月光の中を
一閃して、
杜松の影に、すべり込む。
ぼくらのうしろでは、だれにも気づかれないで、
クーガコヨーテ
冷たい、そして誇らかな目が、
ぼくが立ち上がって、歩きだすのを、じっと見守る。

・詩集『ノー・ネイチャー』(金関寿夫・加藤幸子訳・1996・思潮社)所収
 原文の「淵」に「ふち」、「剛い」(初出箇所)の「剛」に「かた」、「山脈」に「やまなみ」、「一閃」の「閃」に「せん」のルビあり


 ケルアックさんら、ビート・ジェネレーションの詩人・作家たちと交流しながら、仏教や自然、合州国の土着文化などへの洞察を深めることによって、独自の世界を築いていった詩人の、初期(1950年代)の詩。
 岩と木とクリーク、そして月。「やりすぎ」なくらい充実した、「百万回もの/夏」もそうであった、夏の夜の自然の風景を前に、「人間であることに伴う、あらゆるくだらぬこと」、「重たい現在」も「さかしらな言葉や書物」も消えていき、心はたぎるばかり。「見るものこそ真に見られるものだ」という精神を実現させてしまう大自然の中の夜、「ぼく」がその心、精神の充実を満喫して「立ち上がって、歩きだす」のを、クーガやコヨーテも邪魔することなく見守っている。
 アウトドアといった趣味的な生き方など、まだ考えられもしなかった時代の、先駆者の記念碑的作品でしょうか。



初稿 2005.4.7




<97>

  聖老人              山尾三省 (1938−2001)


屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢およそ七千二百年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が泌み込んでくる
聖老人
あなたは この地上に生を受けて以来 ただのひとことも語らず
ただの一歩も動かず そこに立っておられた
それは苦行神シヴァの千年至福の瞑想の姿に似ていながら
苦行とも至福ともかかわりのないものとしてそこにあった
ただ そこにあるだけであった
あなたの体には幾十本もの他の樹木が生い繁り あなたを大地とみなしているが
あなたはそれを自然の出来事として眺めている
あなたのごわごわとした肌に耳をつけ せめて生命の液の流れる音を聴こうとするが
あなたはただそこにあるだけ
無言で 一切を語らない
聖老人
昔 人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していたころ
人間の寿命は千年を数えることが出来たと 私は聞く
そのころは人々は神の如くに光り輝き 神々と共に語り合ったという
やがて人々の間に悪がしのびこみ それと同時に人間の寿命はどんどん短くなった
それでもついこの間までは まだ三百年五百年を数える人が生きていたという
今はそれもなくなった
この鉄の時代には 人間の寿命は百歳を限りとするようになった
昔 人々の間に善が支配し 人々が神と共に語り合っていたころのことを
聖老人
わたくしは あなたに尋ねたかった
けれども あなたはただそこに静かな喜びとしてあるだけ
無言で一切のことを語らなかった
わたくしが知ったのは
あなたがそこにあり そして生きている ということだけだった
そこにあり 生きているということ
生きているということ
聖老人
あなたの足元の大地から 幾すじもの清らかな水が泌み出していました
それはあなたの 唯一の現わされた心のようでありました
その水を両手ですくい わたくしは聖なるものとして飲みました
わたくしは思い出しました
法句経 九十八
  村落においても また森林においても
  低地においても また平地においても
  拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい−−
法句経 九十九
  森林は楽しい 世人が楽しまないところで 貪欲を離れた人は楽しむであろう
  かれは欲楽を求めないからである−−
森林は楽しい 拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい
聖老人
あなたが黙して語らぬ故に
わたくしは あなたの森に住む 罪知らぬひとりの百姓となって
鈴振り あなたを讃える歌をうたう

・『聖老人 百姓・詩人・信仰者として』(1981・プラサード書店)所収
 原文2行目の「齢」に「よわい」のルビあり


 作者は60年代に社会変革を目指すコミューン活動を始め、インドなどを旅した後、屋久島に移住、農業のかたわら、執筆を続けた人。言ってみれば、日本のヒッピーの走りであり、その後も変節しなかった人と言えるでしょう。前記のゲーリー・スナイダーさんとも親交があったとのことです。
 屋久島の山中に生えている、「齢およそ七千二百年」という老樹、「聖老人」。その木にふれ、語りかける。「人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していた」、「人間の寿命」が「千年を数えることが出来た」ころのことを「私」は尋ねたかったのだが、「聖老人」は「無言で一切のことを語らなかった」。「私」は「あなたの足元の大地から」沁み出す「幾すじもの清らかな水」を飲み、釈尊の『法句経』にあるように、「拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい」と、「あなたの森に住む 罪知らぬひとりの百姓となって」「あなたを讃える歌をうたう」。
 詩をテクストとしてとらえる風潮から見れば邪道かもしれませんが、人は作品の裏づけとなる作者の人生の真実性を感じ取ることができる。その証明のような作品ではありませんか。



初稿 2005.4.9




<98>

  徳政をもって一新を発せ              三里塚芝山連合空港反対同盟


 《土地には本来の持ち主の魂が入り込んでいる》という意識は、現在もムラのなかに生き続けているといえます。中世の人々にとって、土地の所有の移動は“仮りの姿”であって、なんらかの契機で農民の手から離れた土地は、本来の持ち主である農民の手に戻るのが正しい姿と意識されていたようです。
 徳政一揆や徳政令という言葉で知られる“徳政”の本質も、たんに借金の棒引きというような行為ではなく、本来の正しい姿に戻すこと、土地を本来の持ち主である百姓の手に戻すということが、その本質的な意味だといいます。
 将軍や天皇の代替わり、あるいは天変地異を契機として、農民たちは寄り集まって「徳政」を宣言し、土地を取り戻す行動を起こしたと伝えられます。公家や幕府が出した徳政令は、このような自主的な「徳政」の数から見れば、海のなかの小島のような比率だといわれています。農民たちが、自ら土地を取り戻す行為は、“地発(ぢおこし)”とも呼ばれ、土地を元の持ち主に戻すことによって、土地の魂をよみがえらせ、土地を《復活、再生、一新》することを意味していました。このような“徳政”の精神が連綿としてこの国につづいているのは、土地が、米や野菜など、私たちの根本的な食料を産み出す不思議な力を持っており、それ自体が生き物と意識されていたからだと思います。
 そう考えるとき、私たち三里塚農民になんの相談もなく、また、私たちをとりまく農村世界を考慮することなく、強権によって農地を金に換算すればよいとする今の政府・運輸省の政治理念は、この国に脈々とながれている豊かな土地の思想ともかけはなれて、なんと貧しいことなのでしょうか。むしろ、政府・運輸省は、農民と土地との関係がもつ《公性》に何の配慮もなく、土地を《私》したといっても過言ではないでしょう。
 現在、運用されている飛行場も、二期工事予定地も、位置決定における農民の了解がないまま、工事が強行されたことを考えれば、その名義上の所有権がどこにあれ、本来的には「日本農民」から運輸省が“借用”しているにすぎないのです。私たち農民の《公性》を無視して力で土地を《私》した結果、いまだに現空港は二重三重のバリケードで自らを囲み、武装して周辺の農村世界との交流を拒み、地域から隔絶して陸の孤島のようにしか存在できないのです。
 私たちから見れば、空港用地の土地は、いま仮死状態にあります。
 私たちは、そのような土地にふたたび生命を吹き込むために、地発(ぢおこし)の理念に基づき、“徳政”を宣言します。
 “徳政をもって一新を発す”決意を、ここに表明いたします。

・宇沢弘文編『「成田」とは何か―戦後日本の悲劇』(1992・岩波新書)より


 1991年の公開シンポジウムでの意見発表の最後の部分です。すでに四半世紀に渡っていた成田闘争を農民の立場から総括する意見発表です。もとより「詩」ではありませんが、農民と国、運輸省が同じ席について語り合う歴史的な場面で、皮相な反対声明ではなく、言葉を掘り起こす作業がなされていることに注目したい。
 「徳政一揆や徳政令という言葉で知られる“徳政”の本質」、それはたんなる「借金の棒引き」といったものではなく、「土地を本来の持ち主である百姓の手に戻すということ」であり、その精神的根拠は「土地が、米や野菜など、私たちの根本的な食料を産み出す不思議な力を持っており、それ自体が生き物と意識されていたからだ」と考える。そうした「この国に脈々とながれている豊かな土地の思想ともかけはなれて」、「農民と土地との関係がもつ《公性》に何の配慮もなく、土地を《私》した」政府・運輸省を堂々と告発し、「地発(ぢおこし)の理念に基づき」、「“徳政をもって一新を発す”決意を、ここに表明いたします」と締めくくる。
 その後も、問題の全面解決は今に至るまでない、と言ってよい現実ですが、この声明は、“徳政”“地発(ぢおこし)”といった言葉に再び命を吹き込みながら、正義を訴えて現代を撃つ、歴史に残る声明です。



初稿 2005.4.9




<99>

  死民たちの春              石牟礼道子 (1927−  )


   まことの地獄をのぞきみたれば片方のまなこは心願の国のみ
   仏に捧げまいらせ候
   いまひとつのまなこあればあこがるるなり
   そのひとつもていまだかなわぬ生類のみやこへのぼりたく候




ときじくのかぐの木の実の花の咲きめぐる
わがふるさとの春と夏のあわいにいまひとつ
たまきわるいのちのきわみの季節がある

不知火のうなじもて
まだ香ぐわしい天を仰ぎつづけていたら
生類のみやこへゆけるという声がした

秘境の季節の終りの日に
かんざしの呪符をわたしはみつけた
馬酔木は 耳に振ると蕾の奥に
しゃらしゃらと古代の鈴を鳴らした

そのとき わらべ唄のような
熊襲の男があらわれてどぶろくをのみ
目元を染めながらだんことしていうには

ぼくは じつはですな
ただのいっぺんも死にたくはなかとです
ただのいっぺんといえども!

わたしは思わずふりかえり
ふつふつと馬酔木の花壺を噛んだ
おそらく生物学的精子の歴史が
短命の思想をいわしめるにちがいない
男たちをたくさん産み継いでやらねばね

妣たちのまなざしがしわしわとまたたき
わたしは黄泉の国にいて
彼らのかなしみをみごもり
すぐにねむった


心音のかなたにとおき鈴の音あれど
つまさきに瓔珞のごとき風あれど
腰のあたりからずり落ちて
飛べない夢のように
着地した記憶がある

はらわたの焼けるめざめをわたしは醒める
葦の渚と思いきや
嗅ぎなれぬ靄の匂いが髪の地肌をつきぬけて
ふかくにも あやかしのみやこ
五月の東京にわたしは醒める

胸の底がいがらっぽくて
お雑炊しか食べられないのよ と
わたしはできそこないの言葉でいう
あなた顔が黒くてとがっているから
きっとつわりよ 身に覚えない?

そういえば夢うつつに どまぐれて
青白い吐息をはいている五月を
ひどく深ぶかと吸いこんでしまった
そのときかしら

それにしても背中がおどおどするのはなにか
樹々たちのまなざしがあんまりせつないから
隠れてしまうところはないかと思うけれど
みやこびとたちが隠れてしまっているので
尺とり虫になってわたしは歩きます

首を垂れてゆくほどに
まなこの溶ける病いが無数にあった
やっぱり東京は人口密度が奇っ怪なので
奇病の率も多様かつ流動的で高次元なのね

無脳児のみやこの路地にゆき暮れて
わたしは生き埋めの地面に頬すりよせ
祖の国の名をちいさな声で呼んでみる
にんげんよ にんげんよ と

そのとき
蔦かずらで偽装したビルの口が
のどの奥から煙をしゅっと放ち
声もなくたしかにわらった
えしれぬ毒気にあてられて
素肌の毛穴をぜんぶ閉じたけれど
わたしは爪の先まで静かに裂ける
胸に隠していた小鳥よりも細いわたしの死者の骨が
可憐な音を立ててそのとき折れた
ひとことも啼けずに鳥のまなこになり
辛うじて生きていたが
秋の茜が海のかなたの天竺の空まで
耀よい渡った夕ぐれに
うるうると人間のまなこにかえり
くわっと みひらいたまま
死んだ子どもだったのだよ

死んだ後には不知火のちりめん波にひろがる
ひかりのなかの
そのひとつぶとなった
すくいとって
こぼれぬよう掌にかこっていた


そのたましいを折り殺し
吐き捨てたな 鉄の道の上に
おまえたちだね
ぶどう状鬼胎のみやこをつくったのは
コンクリートの腹腔の中をわたしは追いかける
霞ヶ関 丸の内かいわいを発祥の沼として
目もなくこころも無く
口とはらわたと肛門の顎が
たがいのあくびのたびに変幻しあい
這いずるためだけに肥大した
蛭の中にわたしは這入りこむ


なよなよと動く軟体の顎でいたぶりながら
おまえが呑みこみ吐き捨てて来た者たちは
こころざし慎ましくして
低きがゆえにあらねど
遂げえざる希みをいだく
せつせつたる魂である

蛭よ おまえは無選択によく食べ進み
この国の直土の髄深く食い入った
食べ足りて千切れる体節は
ねむる間にも繁殖する
さかさ吊りの髪に風がきても
おまえは ねむる

夜目にも ぴくり ぴくりと
おまえの背中に宿って
波うつ褐色の その斑点こそは
累々たるしかばねの血漿である


常世の海底の 妖々とひかり
凶兆の虹が
吐血している列島の上にかかるときに
浮いて漂う
死民たちの曼陀羅図絵

・詩集『はにかみの国』(2002・石風社)所収
 原文の「香ぐわしい天」の「天」に「そら」、「瓔珞」に「ようらく」、「首を垂れて」の「首」に「こうべ」、「祖の国」の「祖」に「おや」、「耀よい」に「かが」、「肛門の顎」の「顎」に「あぎと」、「直土」に「ひたつち」、「海底」に「うなぞこ」のルビあり


 71年初頭に雑誌発表された詩です。水俣病という「まことの地獄」を見た「わたし」の「片方のまなこ」は病んで、仏に願をかける眼となった。まだ見える眼でわたしは行ったことのない「生類のみやこ」へ行きたいと思う。
 春と夏の間の、魂の極まるもうひとつの季節、ここ不知火で天を仰いでいたら(ここの「うなじ」は身体の「うなじ」でしょう、「海路」とするとつながらない?)、「生類のみやこへゆけるという声がした」。そんな声を聞いてしまう「わたし」がいるのは「黄泉の国」、そこで「わたし」は「古代の鈴」を聞く。あらわれた「熊襲の男」は「ただのいっぺんも死にたくはなかとです」と言う。歴史によって短命だと信じ込まされてしまった「男たち」のかなしみをみごもって「男たちをたくさん産み継いでやらねばね」。
 「飛べない夢のように」「醒め」た「わたし」のいるのは「五月の東京」、「胸の底がいがらっぽくて/お雑炊しか食べられ」なくなった「わたし」は本当に(男たちのかなしみを)「みごも」っているのかもしれない。「樹々たちのまなざしがあんまりせつない」東京、「みやこびとたちが隠れてしまっているので/尺とり虫になってわたしは歩きます」(東京の人々は人間として「わたしたち」の前に姿をあらわさないので、「わたし」はまるで「尺とり虫」のような気持ちです)。東京は人間を見ることのできない「まなこの溶ける」「奇病」が流行る「無脳児のみやこ」で、「わたしは生き埋めの地面に頬すりよせ/祖の国の名をちいさな声で呼んでみる/にんげんよ にんげんよ と」。すると「ビルの口」が「毒気」を放ち、「わたしは爪の先まで静かに裂け」、「わたしの死者の骨」が折れた、「鳥のまなこになり/辛うじて生きて」いて「人間のまなこにかえり/くわっと みひらいたまま/死んだ」、不知火の「ひかりのなかの/そのひとつぶとなった」死者が、再び否定されて死んだのだ。殺したのは「ぶどう状鬼胎のみやこをつくった」「おまえたち」、「霞ヶ関 丸の内かいわい」に発祥した、「目もなくこころも無」い、「口とはらわたと肛門の顎が」「肥大した」「おまえたち」だ。「蛭」である「おまえたち」の中にわたしは這入りこむ」。
 「蛭」である「おまえたち」がいたぶって来たのは「こころざし慎ましくして/低きがゆえにあらねど/遂げえざる希みをいだく/せつせつたる魂である」。「さかさ吊りの髪に風がきても」ねむり、繁殖する「おまえ」「蛭」の背中に「波うつ褐色の その斑点こそは/累々たるしかばねの血漿である」。「虹が/吐血している列島の上にかかるときに/浮いて漂う/死民たちの曼陀羅図絵」が「わたし」には見える。
 「にんげんよ にんげんよ」、あらわれよ、産まれよ。



初稿 2005.4.13