Room 6





アムステルダム
ジャン・ケルアック Jan Kerouac (1951−96)
『トレインソング』(千葉茂隆訳・1990・新宿書房)

アムステルダム

(略)金切り声をあげて市街電車が走りまわる狂熱的な雑踏に戻ると、メルクヴェーク探しに出発する。やけっぱちになったわたしが道を尋ねたのは、おかしな茶色の制服を着た連中だったが、わかったことといえば、彼らもやはりフェスティヴァルに来ていたハンガリアの詩人で、一言も英語を話せないということだけだった。わたし同様、彼らもメルクヴェークへ行こうとして道に迷っていて、おまけにわたしのほうはハンガリア語を話せなかったので、ひどく苦労しながらいっしょに目的地を目ざした。そして何とかわたしたちは、ツンツンヘアに、鋲を散りばめたレザー、ピンクのクロム革、グリーンのチェーンを身につけた群衆でうずめられた薄汚ない運河沿いの通りにたどりつくことができた。
 リチャード・ブローティガンは会場の中にいて、まだ酒を飲んでいた。朗読前の三日間で、六クォートものウィスキーをあびたにちがいない。わたしは彼が騒いでいるところを目にし、とても痛々しい思いがした−−それはパパに対して感じた痛々しさと似ていなくもない。朗読が予定されていた時間には飲みすぎて逆にすっかりしらふになっていたが、思うにきっと内心ではびくびくしていたのだろう。彼はステージに立って、オランダ人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、デンマーク人−−パンクス、そしてありとあらゆる種類の総称ボヘミアン−−さまざまなヨーロッパ人の入りみだれた聴衆を前にした。彼がここに着いた朝、朝食室で見かけたときと同じ態度−−おどおどして、周期的に悲しげになり−−を続けていた。そして遅まきながら話を始める。
 彼の話は最初から最後までアリに関するものだった。ある日本人の葬式に訪れた参列者の黒靴の下を命がけで進んでいく黒アリだ。ブローティガンはザクザク進む靴底に踏みつけられないよう、間一髪逃れるアリの話を静かに、陰うつに続ける。聴衆は話に釘づけだった。パンクスが耳の安全ピンをパチンと止める音だってきくことができるだろう。それから五分後、彼は何の予告もなしに話をやめた。
 「もっと話を続けろ!」聴衆がわめく。彼らはさまざまなアクセントの声をそろえて「ブローティガン」の名を何度もくりかえし呼ぶ。彼らは怒り狂い、もっと彼の姿を拝み、もっと話を聞きたがった。ブローティガンはおとなしく彼らに謝罪する。狭い肩をすくめ、これ以上話を用意していないといった。そしてあとから思いついたように、これ以上朗読を続けていたら、自分の葬式でアリにうろちょろされた日本人はきっと侮辱されたように思っただろうと説明し、また日本人は簡潔なもの、俳句のように短くてさっぱりしたものを好むと話して立ちさった。
 わたしがリチャード・ブローティガン……うかがいしれないたくさんのトラウマを抱えこんだこの奇妙でやさしい人に会ったのは、これが最初で最後だった。一年後、モンタナのリビングストンの山小屋でピストル自殺した彼の死体が発見された。(略)




わたしのなかを通過する魚群
井上弘治 いのうえこうじ (1953− )
「感情」第3号(1994)

わたしのなかを通過する魚群

夜が創ったきみの中心は耽美的な生贄を必要とする
色彩の生殖器からとびでた秘話の数だけ…

秋だから枯れ葉色した魚群が通過する
当面は宿命のままに生きてゆくための自伝を編纂し
(美しい顔 美しい体形をしたしろい裸婦が魚群とともに
通過した
朝の夢の快楽からは遠く離れた
陰気な姉妹と
瘋癲病院の前の宿で過ごした幾日
(もしもきみの死が傾く世界から転げ落ちたものだとしたら
ブルーな時間の奥からやがてやってくる
笑う魚群の餌食にされるだろう

わたしのなかを通過する魚群
記憶の枯れ枝をついばむ
いくつかの出来事
(もしもきみの死にだれかを必要とするなら
この遠く隔てられた地上のどこからでも
わたしはきみに会いにゆくだろう

いままた
わたしのなかを笑う魚群が通過してゆく
わたしは混乱し わたしは淋しく わたしはまちがっていた
(もしもきみが死にたいとき
もしもきみが混乱し 淋しく まちがっていたとき
そのときは笑う魚群のことを思い出してほしい

形式の裂け目からのびてくるきみのほそい指
それはたった一尾の魚を掴む…




思想犯
伊東良徳 いとうよしのり (1960− )
『連合赤軍とオウム真理教』(パトリシア・スタインホフとの対談集・1996・彩流社)

思想犯

(略)これまで戦後、常に問題にする時は、共産主義思想については表向き現実の行動を問題にする形をとるわけですが、実際には、極左というか、過激派を捕まえると警察は一生懸命転向するように、取り調べの半分以上をそれに使っている状況がつづいてきたわけですね。今回は極左のケース以外で思想そのものが、それも、公然と実際に問題にされている。オウムの場合、タントラヴァジラヤーナというものについて「君はこれを維持するのか、やめるのか」ということが、オウム真理教の信者の取り調べ時間の多くがこのために向けられております。警察側の理解としていえば、麻原こと松本智津夫の言うことなら何でも聞くのかということですね。そして裁判所からも厳しく追及されて「やめる」と言えば、執行猶予がついたり、「教団を離れても自分は自分として修行を続けたい」とか「教団に戻って修行を続けたい」と言うと実刑になったり、実刑にならなくとも刑が重くなったりということが現実にあるわけですね。
 そういう意味ではこれはもろに転向の強要ですね。一般の報道のレベルでも確かにそうだと思うんですけれど、ワイドショー等は硬い言葉は使わないけれども、実際にやっていることはまさにオウムの思想そのものを解体し、あるいは問題視し、彼らをどんどん転向させていくことこそがオウムの危険性を少しでも減らすことになるんだと割に真正面から公言していますね。その意味ではおそらく戦後、二〇年から三〇年前の極左以降、これほど思想とか転向が正面から問題になったケースはないのではないかと思います。
(略)もう一つ言えば、今出てきたように裁判でもこちら側も時々使っている立場でもありますが、マインドコントロールという言葉が多用されます。その言葉はある意味でトップ以外は免責にしてしまうというか、免責にするために使っている部分もあるのです。刑事裁判の中で「自分ですべて上からの指示でやりました」と、弁護人によっては、マインドコントロールされていたから無罪だ、という主張もよくなされているようです。そういうところって、ある意味では、戦争中から直後にかけて、日本の軍人たちがアジアの人々あるいは日本国内でも沖縄とかいろんな所で加害責任というのは本来あるのですが、天皇制のもとで全部上からの指示でやったということで、自分自身の個人責任ということについて意識を持てないというところとある種共通している部分があると思うのですが、そういうところの意識についても関心があるのではないですか。(略)




虹作戦
松下竜一 まつしたりゅういち (1937− )
『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』(1987・河出書房新社)

虹作戦

(略)十三日は午後十一時頃、最後の仕上げに四人は出発した。今夜は三個の爆弾と、縄ばしごやパテなどをトランクに積み込んでいた。彼等が荷物を川原に降ろしてシートでおおったとき、足音を忍ばせたように近付いてくる男達に気付いた。暗い川原に三、四人の男が分散し、将司達の方をじっとうかがっているのだ。
 この川原は夏になるとアベックの多い所で、それを覗こうとする痴漢が出没することでも知られている。最初は痴漢かと思えたが、それにしては彼等は大胆で、将司達が気付いていることを承知で執拗な眼を向け続けている。あや子と片岡がアベックを装って腕を組み、彼等を誘導して荷物から引き離そうと試みたが、なぜかそれには従いて行こうとしないのだ。デカだろうかという疑念が湧き、将司は背筋を凍らせていた。そういう眼で見れば、ばらばらにいる暗がりの中の男達の体格は一様にがっしりしている。しかし、刑事ならなぜ直接に迫って来ないのだろうか。彼等はやや離れた所からこちらをうかがっているばかりで、それ以上は近付いて来ないし声も掛けて来ないのだ。爆弾をそのままにして、現場を離れることはできない。シートの傍に坐り込んだりしながら、苛々として待ち続けるしかなかった。奇妙な睨み合いはいつまでも続いた。昨夜、コードを張り残したことが、いまとなっては致命的な障害となってきている。もしそれさえ予定通りに完了しているのであれば、今夜は爆弾を吊るだけのことで、それは僅かな時間で済ませられることなのだ。連日の徹夜作業で将司達の判断力も気力もひどく鈍っていた。午前二時を過ぎたとき、将司の苛立ちは嵩じて、いっそ男達を殺そうかという衝動に駆られてナイフを強く握りしめた。しかしもし男達が刑事ではなく単なる痴漢だったらと思うと、やはり怯んで足を踏み出せないのだった。
 早くも川原の空が白み始めていた。
「だめだ。もういまからでは無理だ」
 片岡がうめくように呟いた。
「引揚げよう」
 将司がいうと、皆うなずいた。川原に敷いてあるコードは夜になって回収することにして、シートの下の荷物を車に戻した。
 もう御召列車が通過するまでに七時間しか残されていない。半年以上にわたって全精力を投入して準備してきたレインボー作戦の結末は、余りにも無残でむしろ笑い出したい程に滑稽であったが、四人の誰にも笑い出すだけの気力は残されていなかった。皆、むっつりと黙り込み疲労と睡気に青ざめて車に乗り込んだ。とにかく、いまは少しでも眠りたかった(略)。




植物について
山崎佳代子 やまざきかよこ (1956− )
「るしおる」27(1996・書肆山田)

植物について

教えてください、花の名前を
象の眼より寂しい三日月の晩
灰緑の男の鎌に刈り取られた
花の名前を

(町へ続く道の封鎖が解かれると
男はやって来た……)

教えてください、野の花の名を
少女に摘まれ少年に折られるまえに
堅い靴底に踏みにじられた
花の名前を

(白衣を来ていたから
村人はその男を通した)

つましい食卓を飾ろうと
百姓女がタンポポを摘んだ野原に
ガソリンが撒かれ火が放たれ
野草は一度に燃えた

(男は逃げまどう老婆の
背中を狙って撃った)

想い出してください
せめて花の香り、その色を
植物採集していた村の教師が
標本を作り終えた次の日

(男のナイフで殺されると知ると
母は赤子を抱きしめ川に身を投げた)

西の製薬工場から男たちが送り込まれ
花の冠を盗まれた少女や
草笛を奪われた少年の身体を
メカニカルに片付けていく

(散水車が路面に洗剤を撒いて行く、
北の町から集められた掃除夫が)

川を花びらが流れて行く
台所から百姓女が追い立てられ
図書室から教師が追い出された
教えてください、思い出してください

(アスファルトの血糊を
デッキブラシで擦っていく)

教えてください、
花の名前を
人影の消えた野原で
私は伝書鳩を待っている

灰色の鳥が
少年と少女、植物、男と女、そして
村の名前を記した手紙を携え
この空に現れる日を……

思い出してください
花の香り、
月に滴る樹液の色を
教えてください、花の名前を




被害者
ジェニー・ホルツァー Jenny Holzer (1950− )
『ジェニー・ホルツァー――ことばの森で』(メディア・インスタレーションのための章句、水戸芸術館現代美術センター監修・1994・淡交社)

被害者

ふつうの女達なら死ぬ所で私は気を失わずにいる。

おまえが侵入してくるとき、鳥は首を廻して
片方の目で見つめる。

私の乳房があまりにも腫れているので、私はそれを噛んでみる。

おまえはけがらわしい言葉を私の頭の横で吐き出している。

両足の間にそれを感じるので、私は歩きたくない。

私の体の内がわに毛が張り付いている。

私の鼻は草におしつけられてつぶれた。
おまえの平手打ちをかわす私の両目が痛い。

私の血はゼリーのように固まっている。

私の中におまえが入るとき、死の訪れを知る。

おまえの口の中にはおまえが噛みちぎった私の皮膚がある。
おまえは私を馬鹿みたいに舐めまわす。

おまえの何かが私を混乱させる。
おまえが私をどうしたいのか、私は予測すまい。

私の手の下におまえの肩の骨を感じることができる。
おまえに何が起きるのか私は知っている。

私はおまえが何者であるのか知っているが、私にはどうでもいい。

気が狂ったままでいられるように、自分を興奮させようとしてみる。

毛布の上に残されたものはあざやかで、
地獄の色をしている。




XTCとのレコーディング
鈴木さえ子 すずきさえこ (1957− )
「Chart」3(菅岳彦によるインタビュー、1987・SWITCH)

XTCとのレコーディング

(略)だから、このままずーっと行っても意味がないかなあって迷いがあったんだけど、いっしょにやりたい人が見つかったっていうだけでも、続けてこうっていう勇気を与えられたからね、イギリス行って。
(略)だから、日本ってせまーい国のせまーいロックの世界の中のほんの一部で、テレビ出なきゃいけないんじゃないかとか、売れること考えなきゃいけないんじゃないかとか、回りを気にして悩んだりすることあったのね。そういうのが向こう行って、全くなくなったのね。やっぱり自分たちのやり方貫いていって構わないんだっていうか、自分にとって恥ずかしくないことだって。前にも言ったけど、音楽って親友みたいなものだから、親友を裏切ったり、お金に換えたりするようなことしてると、その見返りが必ずくるっていうのがあったから。だからポップ・スターになりたいっていうと、また方法は違うんだろうけど、向こうもおんなじなんだなって。彼ら(XTC)も自分のやりたいことのためにヴァージンがもっとガマンしろ、もっと言うこと訊けとかいうんだったら、自分たちはラフ・トレードだろうが、どこだろうが別にどこ行ったって構わないと思ってるっていうのね。ああ、そうだなあって思っちゃった。
(略)人がどう思おうと気にしないっていうか、そういうのを学んできたの。自分のことは自分で決めるっていうかね。人が中傷しようが自分でいいと思えば構わないことだってことがすごいわかった。(略)




生命を賭けて小説を書く
サルマン・ラシュディ Salman Rushdie (1947− )
「English Express」(ラリー・キングによるインタビュー、寺田百合子訳・1996・4・朝日出版社)

生命を賭けて小説を書く

(略)この前ワシントンにいたとき、2、3年前のことですが、私は……大統領にお会いしに来たんです。そして、それが約3年かかった政治運動の頂点でした。このような問題……私や『悪魔の詩』にかかわった他の人たちに対するイランの脅迫という問題を、国際協議事項のようなものに取り上げてもらうためのね。そして、大統領にお会いしたあと、実際こう感じたんです、「まあ、この辺が私にできる最大限だろうから、そろそろ家に戻って本を書こう」と。
(略)今もいくぶん脅迫はあります。まだ解決していません。つまり、どうなったのかというと、イランは去年はずっと、もうこの件に関して何もするつもりはないと言っていました。しかし一方で、ヨーロッパ連合がそれを文書化するよう要求すると、イランは文書にすることを拒否しました。ですから、いささか不信の念を抱かざるをえないと言えるでしょうね――あるいは不信の念は大いにあると言えるでしょう――この件に関するイランの信用性に対してね。しかし……しかしですね、正直なところ、私の今の仕事は人生を先へ進めていくことなんです。ですから……ですから、ヨーロッパがアメリカの支援を得て、イランとの間でこの問題を解決してくれることを強く望んでいます。しかし一方で、ほら、私は作家です。ですから、今はまた本を書き進めています。
(略・司書注・監禁状態では、という質問に対して)まあ、そうですね、妙なことに、しばらくの間はうろたえて……何がなんだかわからず、不安におびえ、恐怖におののくといった状態でした。そして……そして、たぶん……私は……たぶん、最初の数年間はその通りだったと言えるでしょう、その状況は今も変わっていませんけど……そう、来月で7年になりますね。ところがその後は、考えてみるに、徐々にこのような状況に適応できるようになり、そして私は……腹が立ち始めたんですよね。そして、私は……それに抵抗したいと思い始めました。すると……すると、その時点で以前より事態が楽になり、その時点で私の頭も前よりはっきりしました。そして……そして援助を受けながら抵抗し始めたのです、これはぜひとも言っておかなくてはなりませんが、世界中の人々の援助を受けてです、あなたもおっしゃった通り、ここ合衆国にいる非常に多くの人たちを含めてね。(略)




内容証明
小倉利丸 おぐらとしまる (1951− )
小倉利丸ホームページ「Another World」(1997・3)

内容証明

通  告  書

冠省 私は、貴社及び岡田登喜男氏に対し、次の通り、通告いたします。
 貴社は、一九九七年二月二三日付『夕刊フジ』三頁のコラム「情報最前線」において、岡田登喜男氏の署名入りの原稿「ペルー占拠ゲリラをインターネットで支援する富山大学助教授の問題姿勢」を掲載しました。
 富山大学の教官でペルーにおける日本大使公邸占拠問題に関するインターネット上のホームページを作成している者は他に存在しないことから、右記事中、「富山大学助教授」として言及されている人物は、通告人である私であることは、明らかであります。
 右記事中、警察庁幹部の発言として、「交通違反でもなんでもいいから、すぐ逮捕したい」との記述、「警察庁では、国立大学の教官という立場からも助教授の活動を重要視している」という記述は、いずれも、ホームページの内容について違法性は全くないにもかかわらず、警察庁幹部が別件逮捕による摘発の意向があると報道している点で、また、国立大学の教官であるということによって、 とりわけ通告人の表現の自由が制約され、警察の捜査対象となるかのように報道している点で、通告人のホームページにおける情報提供が、違法な犯罪行為であるとの印象を読者に与えています。
 また、通告人のホームページについては、MRTA側の情報のほか、MRTA側とは無関係な様々な情報もまた多数掲載されている点を無視し、「犯人グループのMRTAを支援する」目的であると述べ、ホームページの性格について公正な報道をしていない点、ペルー現地の一般新聞報道について「『ペルー国内の世論調査で二八・六%が大使館占拠を肯定。フジモリ大統領の支持率さらに下がる』などという現地や海外のMRTA支援の情報を活発に紹介」と、MRTA支援の情報と誤って紹介している点、根拠もなく「なかでも富山大学の助教授が一番目立っており」と決めつけている点、および通告人の肩書きを「助教授」としている点は、明らかな誤りであります。
 したがって、貴社および岡田氏の右記事は、憲法で保障されている通告人の表現の自由を侵害し、また通告人が警察の捜査や逮捕に値するような違法行為をインターネットのホームページにおいて行っているかの誤解を意図的に与え、警察による別件逮捕の不安を通告人に与え、通告人の社会的評価を低下させて通告人の名誉を毀損し、その結果、通告人に精神的苦痛を与えました。
 したがって、通告人は貴社および岡田氏に対し、
 一、右記事を訂正すること
 二、右記事により通告人の名誉を毀損したことを認めること
 三、読者に与えた誤解を解消するための誠意ある対処を行うこと
 以上の三点についての対処を求めます。

 一九九七年二月二七日

住所・電話 (略)
通告人 小倉利丸

〒一○○―七七 東京都千代田区大手町一丁目七番地一○号
夕刊フジ編集部
編集局長 稲田幸男 殿
右 同 所
岡田登喜男 殿




岡田先生の赤鉛筆
「ドラムカン」(1962−69)同人
「吟遊」創刊号(座談会より、1975・吟遊社)

岡田先生の赤鉛筆

(略)
吉増剛造(以下、吉増) 僕、初めて『三田詩人』の二号に書いた「空からぶらさがる母親」っていうのがあるんだけど、まず第一発目の原稿書いていったの、そうしたら岡田先生が地下室で又赤鉛筆持って待ってたの。
井上輝夫(以下、井上) それはまるで鬼だな。(笑)
吉増 全然ダメ!明日もう一回持って来てって言われて、確か一晩もうくやしくて。それで「空からぶらさがる母親」なんていうけったいな作品をぶらさげていったわけ。
井上 諏訪さんがすごくほめてたね。
岡田隆彦(以下、岡田) そのこと僕は忘れてるけど。
吉増 こっちはくやしくて覚えてる。それを持っていったら、今度はヨシッていうことになって。
岡田 僕は非常に高く評価してたよ、あの作品は。
鈴木伸治(以下、鈴木) 僕「空からぶらさがる母親」の前に持ってきた詩をちょっと覚えてるけど、なんだかひどく断片的な詩を沢山持ってきたんだ。
岡田 ダメだよ、やっぱり。
吉増 ダメなのは明らかなんだ。作品書いたことがなかったんだもの。
鈴木 それで、俺も確かにこれじゃあなあなんて思った。でも「空からぶらさがる母親」をみたら、みんなこりゃおったまげたってわけ。
吉増 僕にとっては初めての同人雑誌の経験でしょ。だから何やっていいかわからないのに、赤鉛筆がいるからね。
井上 やっぱりそういう意味では、岡田が一番リーダーシップをとってたね。
岡田 図々しいようだけど、そういう細部についてはほんとに忘れてたな俺。
井上 しかし岡田の細部は凄かったね。
岡田 好きにやってくれっていいたくなるくらいか。
鈴木 我々はどちらかというと、そういう細部にこだわらずにやってる方だったから。
岡田 なにいってやがる。
(略)


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