99.2



99年2月
◯79/2の手帳から 大学卒業を控えてコンパなどやっているのに、まだ就職が決まっていない(笑)。つかこうへい事務所「いつも心に太陽を」(つかこうへい作・演出)がしみた。
◯89/2の手帳から 鈴木志郎康さん、金子千佳さん、山内靖子さん、渡辺淑子(渡邊十絲子)さんとの同人詩誌「ト、ヲ(止乎)」の最終号の原稿を書く。アンドリュー・ソルト監督「IMAGINE−−ジョン・レノン」に泣いた。

「カズオ・イシグロ『女たちの遠い夏』を読む−−素晴らしい「日本」小説(その4)」(99/2/3)

 以前にも少しふれたが、カズオ・イシグロさんは1954年長崎生まれ、父親の仕事の関係で5歳の時イギリスに渡り、今はイギリス国籍、つまり元日本人ということになる。この本("A Pale View of Hills" 原著1982年刊・小野寺健訳・ちくま文庫)は長編デビュー作だ。
 すでに夫もなくロンドン郊外(おそらく)で一人暮らす「私」(悦子)の家へ、長女景子が自殺したときに葬式にも出なかった次女ニキが泊まりにくる。ニキは再婚したイギリス人の夫との子で、大学へも進学せず結婚も望まず自由な生き方をしている。それに対して景子は初婚の日本人の夫との子で、物語はニキが自分の生活に戻ってしまうまで、「私」が戦後復興間もない50年代初頭の長崎で景子を身籠もっていた頃のことを回想するという形で展開する。
 仕事のことしか考えない夫と暮らすアパートの近所に、戦争で夫をなくしたらしい佐知子と万里子母子が引っ越してくる。夫の親戚の家を飛び出した佐知子は付き合っているアメリカ人と結ばれて合州国に渡ることに希望を託しているが、彼は佐知子から金をもらうたびにふらりと姿を消してしまうような信用のおけない相手らしい。娘の万里子は終戦間近の空襲の続く東京で女が赤ん坊を水に漬けて殺す現場を見て以来、女の人が私を訪ねてきたとか、嘘とも本当ともつかないことを何度も言うようになっていた。復興はなっても人々の心に残る死、傷。「私」も結婚するかもしれなかった相手が死んでいるし、夏の間アパートに泊まりにきていた義父の緒方さんも引退した教師で、戦前に自分が世話した青年教師が自分のことを追放されるべきだったなどと教育雑誌に書いているのを見つけて、本人に正しに行こうとする。そうした人々の傷が「私」の回想として語られるとき、「私」自身にとっても何が本当だったのかはっきりせず、現実と夢のような記述がないまぜになっていく。たとえば、緒方さんが「私」の新婚当時についてなつかしそうに語る回想が「私」の記憶になかったり、「私」と万里子の間で映画のように同じシーンが繰り返されたり、「私」の再婚についてもはっきりとは書かれていなかったり、読者はささやかな手がかりをもとに、この端正な文(翻訳ですが)で綴られた、ストーリーとしては起伏のとぼしい物語を辿り、ときどき「えっ、そんなのあり?」と思わされては、自分は本を読んでいるのだということを思い出させられながら、うっすらと死と夢におおわれた世界を旅することになる。
 イシグロさんは日本の記憶はほとんどなく、この小説も、好きだという小津安二郎監督の作品の影響下にある日本という感じだ(ハーフのニキは別として、「私」は原節子さん、義父は笠智衆さんという風に簡単にキャスティングできる)。郷愁の中に張り詰める日本、それをイギリスから見ているという構造で、それがエキゾチシズムに陥ることなく、読者をゆさぶりながら読ませきってしまうのは、無駄がなく、テクニックに溺れることのない文体の勝利だろう。

「カズオ・イシグロ『充たされざる者』を読む−−素晴らしい「日本」小説(その5)」(99/2/6)

 前回取り上げたカズオ・イシグロさんの、今のところ一番新しい小説『充たされざる者』("The Unconsoled" 原著1995年刊・古賀林幸訳・中央公論社)は「日本」とは直接の関係のない作品だが、現代小説として非常に重要な作品だと思うので少し書いておきたい。
 東ヨーロッパと思われるある町に、世界的に著名なピアニストである「わたし」(ライダー)がやってくる。「わたし」は、この町の沈滞した精神を復興すべく企画された<木曜の夕べ>にメイン・ゲストとして出演するために招かれたのだが、到着早々この町の人々のさまざまな心の問題に巻き込まれていく。まず、ホテルのポーターであるグスタフからはポーターという仕事の名誉のために<木曜の夕べ>で一言話してほしいと頼まれる。また彼からは小さいときにペットが死んで悲しんでいるのを黙殺して以来、お互いに口をきかなくなった娘との関係の修復を頼まれるのだが、この娘はじつは「わたし」の別居中の妻で、男の子をかかえた彼女からは、演奏旅行に明け暮れる「わたし」に対して、今度こそ家庭生活をやり直そうという願いが語られるし、息子からは以前住んでいた家に置き忘れてしまったサッカー・ゲームの人形をいっしょに取りに行ってほしいと頼まれる。その他、音楽を熱狂的に愛する両親から認められないことを苦にする、ピアノの才能を持った青年、家を訪ねてもくれないのかと怒りをぶつけてくる同級生、壮年の域にさしかかってこの町の文化をリードする役を降ろされかかっている音楽家、年老いて再びかつぎ出されそうになって酒浸りだった過去の自分を乗り越えようとする音楽家とその別れた妻などが次々に「わたし」の前に現れる。その会話たるや、時間にしてわずか数分もないようなシチュエーションでも延々と何ページも続く(ヨーロッパのダンスの凝縮したマイム的な演技を再度言葉に置き直して、その感情の機微を克明に辿り直すかのように)し、舞台となる町そのものもねじれた空間になっていて、何時間もドライブして着いたはずの場所が出発点の建物の裏だったりするという具合だ。
 ねじまげられた時間や空間にはコメディ的な要素もあるのだが、私は読んでいて感情をはげしく揺さぶられてしまった。自分の殻に閉じこもる「わたし」の息子、まだ花開かないピアニストの青年、老いた音楽家たちは、「わたし」のそれぞれの時期をトレースした分身のようでもあるし(期待と努力から疲れはてて失望へと突き落とされていく芸術家の一生)、人々の和解のためになされた果たされない約束の数々、表現する者のエゴが生んでいく人間関係の傷が、それと名指されることなく、記述の向こうからひしひしと伝わってくる。そして<木曜の夕べ>という一大文化イベントもすでに文化を変革することに期待を抱いていない人々の前で混乱のうちに幕を閉じ、出番さえ失われた「わたし」は妻子からも見放され、涙をあふれさせながら次の公演地へと旅立っていく。
 歴史を重ねて権威を形づくったかに見えた文化・表現が、人々から遊離しているという苦い認識が底にあるようだ。そこには映画化もされベストセラーとなった前作『日の名残り』("The Remains of the Day" 原著1989年刊・土屋政雄訳・中公文庫)のプロモーションのために世界中を飛び回らされたという作者の体験からくる表現者としての生活感の変化もあるのではないか。表現がメディアを通していくらでも増幅するが、大切なものから剥離している、そんな時代をとらえきった傑作ではないか、と思った。欧米では評価が賛否両論まっぷたつに分かれたようだが、私は支持したい。それにしても、作品にふれてこんなに感情を揺さぶられたのは初めてかもしれないというくらいで、当分小説を読む意欲がわかないほどだ。

(付記)これで、このシリーズは前半終了です。小説を読むのを休んでいるのと仕込み(笑)の関係で再開までしばしお待ちください。

「床屋でした話、しなかった話」(99/2/16)

 「僕たちには皆さんがどんな仕事してるかなんてわかりませんけどね、今は土日だけじゃなくて金曜も来なくていいなんて言われるんですって? 不景気だし、寒いし、インフルエンザは流行るし、お客さんなんて全然来ませんよ」いつもは無口な床屋さんが今日はなぜか話しやまない。テレビでは落語家の家族がアフリカの奥地を旅するなんて番組をやっている。「こんな普通の人たちが行けない所、お金もらって行ってるんでしょう。いい気なもんだねえ」ここは近所の同潤会アパートの一階(昔流に言うと清砂通りの同潤会アパート、建築に関心のある人にとっては名所です)を持ち主が改装した店で、このアパートは雑誌などでは、私が住む大型マンション(「大型」は一戸当たりという意味ではありません、念のため)と鈴木都政がバブルにまかせて建てた悪評高い都の現代美術館という、冷たい現代建築に挟まれた心暖まる建物というかたちで紹介されることが多い。
 「まったく来ないどころか、電話してきて、まけるなら行くとか言うんだよね。床屋の金まけるったってコーヒー代くらいでしょ。こっちだって、ほかのお客さんは今まで通りにもらってるんだから『はい』とか言えないよね。お宅のマンションも貧富の差が激しいですよ。床屋まけようってのもいれば、自分のほかに二軒持ってて、息子と娘に一軒ずつ与えてるんだけど、息子も娘も狭いとか言ってありがたがらないんだって。そりゃ、お客さん、老後見てもらおうったってダメですよ。それだけしてもらってありがたい気持ちがないんじゃねえって言いましたよ。最高裁の判事とかもいるみたいよ」
 私「うちなんかは地味にやってやっとこさってとこですけど、子ども三人私立に行かせてる家とか、近所の銀行の人が朝、迎えの車待ってるんですよなんて言って、え、まだそんなぜいたくやってんだなんてのはありますね」「そうでしょう。ほんと、いやんなっちゃうよ。借店舗の床屋はもうつぶれ始めてますよ。貧富の差だよ、もう」心なしか、床屋さんの手のピッチが上がりどんどん切られているようだ。
 ここから先は言わなかった話。「うちなんか質素にして何とかやってるクチだと思うんだけど、子どもたちが何かすれてる感じがするんだよね、マンション子にかぎらず。去年くらいから、小学二年生の娘が友達連れて来て、帰った後で小物がなくなってるとか、何回かあったんですよ。一回だけ彼女(妻)が見つけて注意したんだけど、これはほかの子(実名)にもらったものだってすらすら言ってどうしても認めないで帰っちゃったんだって。それでもどう探してもないから、仕方なくその子の家に電話したら、親があやまって子連れで返しに来たって言うけど、それも少ししてから別の子が遊びに来た後、しっかりなくなって、現場を押さえるもへちまもなかったんだ。でも、人の家に来てオヤツとか出してもらって、友達の机の上から物取って、明るい顔で『また来ま〜す』とかおどおどせずに帰って行けるんだよなあ。この前も、友達が二人来て、娘が何か別のことしてる間に娘の引き出し開けて見てたって言うんだ。それで、彼女は嫌だなあと思いつつ注意しそびれてしまったんだけど、その次の日くらいにふと気がついたら親戚のヨーロッパ土産の宝石箱風の小物入れがなくなってて。そんなに高いもんじゃないとしても、持って行くかなあ? お金とか、もし入ってたらどうするんだろうと思うとゾッとするけど、その子には事の怖さなんて分からなくって、それもこれも気がつかないうちに自分のものになっていたって感じなのかな。誰がとは言わずに、小学校の連絡帳に書いて持たせたんだけど、先生も道徳的な話をしたけど、みんな『は〜い、人のものを取ったりしませ〜ん』と明るい返事で終わってしまったみたい。きっと自分は「いい子」なんだから、悪いのは自分以外の誰か、テレビの中で毒がどうのと言ってる人だという納得ができちゃってるんだろうなあ。『みんな仲のいいお友達』とか声をそろえて言いながらね」
 昔流の大きな「理容院」とは違って店主一人で切り盛りしてる店ゆえ、床屋政談にはならなかったし、この不景気だ、今日も客はしばらく来ないのかなと思ってたら、数年前から電話予約にした店だが、飛び込みの客がふらっと来た。店主はちょっとほっとしたみたい。

「またいつか「本」を作ろう」(99/2/25)

 昨日の夜、友達と電話で話していて、もう10年以上も、編集者という同業者として、本のことで相談したり、協力したり、雑談したり、あるいはただひたすら一緒に遊んできた彼から、会社を辞めて、編集という仕事も今後本業にはしないと聞かされて、ちょっとショックというか、そこまで来てしまったかという思いから離れられない。確かに彼の勤めていた本当に小さな出版社が作ってきたような人文書や文芸書は、10年前くらいに比べて1冊あたりの売り上げもほぼ半減し、その落ち込みを埋め合わせるために、販売や各種の雑務を含めた彼の仕事は山積みになって、この1年くらいは土日も夜遅くまで会社にいて、疲労の点からももう限界かと心配していたのだが、辞めると言われると、やはり考えこんでしまう。
 辞めた後は、出版界の再販制(平たく言えば、全国一律の定価で本を流通させる制度)の崩壊を見込んで、現在の出版社、取次(問屋)と書店の流通網の隙間をぬうようなかたちでの本などの流通の仕事をやってみたいとのことだけど、それすらも明るい気持ちで前向きにそうなっていくと言うよりは、出版業の景気の悪さに追い詰められて選んだ道という感じだ。
 自分はと言うと、時々他の出版社の編集者と話していて感じるのだけれど、出版という仕事について反語的になっているところがある。もう売れないものを作ってなぜ売れないんだなんて言っていても仕方ないとか、自分自身読者として新刊本にほとんど期待ができなくなってきたとか(そう言えば今年出た本をまだ1冊も買ってない)、本が売れるなんてことがそもそも高度成長期が産んだ幻想だったとか、もともと自分の気持ちの自由を少しでも守れるのでは、展開できるのではと選んだはずの仕事に対して、いつの間にか経営者的な冷たい視線で見るようになってしまっている。そして辞書とか語学書、またその電子出版やネットワークでのデータの提供など、自分の食うための仕事を生き延びさせるために日夜努力することで、自分を冷たく追いつめ自分の首をしめているのかもしれない。そしてそれは同時にこうすれば当面は食っていけるだろうと、自分の期待感を問い詰めないまま自分を甘やかしているということなのだろう。
 売り上げという、数字としての答えを出せなければダメだという問いに押しまくられて、果たしてそういう問いだけになってしまっていいのかと、問い返す気力が萎えているという自分の情けない現実は絶対に忘れないようにしよう。辞めていく友達よ、またたくさん遊んで、あっと驚くような新鮮な本を一緒に作りたいものだね。


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