99.11



99年11月
◯79/11の手帳から 谷譲次さん『めりけんじゃっぷ商売往来』や日系米人作家トシオ・モリさん『カリフォルニア州ヨコハマ町』など、国境を横断する小説を読み始める。
◯89/11の手帳から 入眠(?)癖のある友人が同じ会社に入るも、1週間ほどで連絡を断つ。そんなことがありながらも芝居や映画を観ているのは若さか、独身のさびしさか。

「北村太郎さんの詩ばかり読んでいた(補足)−−すみれノート(その12)」(99/11/3)

 前回、北村太郎さんの詩について、作品鑑賞的な解説を拒絶する不可解な詩、感覚的に作者、作品に身を添わせるようにして読まないと入っていけない詩が少なくないという意味のことを書きました。そのことにからめて若干補足しておきます。70年前後くらいのものと思われる「冬の海」という詩があります。この詩は「おれ」が「冷たくからい海へ」ズボンを濡らせて入っていくという設定ですが、後半は「さよならといったって/だれにも聞えやしない波のマミーのほか/凄いとどろきの/夕方の/冬の海の沖の底の皮剥のほかには/ドレミファ/きみはどっと水に漬かった/おお/噴きだすきみの脳みその/舌にからむ血の味のざらざらにくらべて/おれのいまのなりわい/しらけちゃう/だから砂をば踏んでいく」で終わります。この突然登場する「きみ」とは? 「波のマミー」でしょうか(「血の味」は塩の味?)、「皮剥」でしょうか? それとも同行者がここで紹介されただけ、でもだとしたら「噴きだすきみの脳みその/舌にからむ血の味のざらざら」とは? 「おれのいまのなりわい/しらけちゃう/だから砂をば踏んでいく」という終わり方の気分を共有できれば、「噴きだすきみの脳みその/舌にからむ血の味のざらざら」は「噴きだすきみの脳みその/舌にからむ血の味のざらざら」なんだからそれでいいんだとも言えますが、教科書ふうに説明を求められたらちょっとできません。時期的に鈴木志郎康さんらが過激な詩を書いていたことを意識して、乱暴な書き方をしたということは考えられますが。
 この他、70年代末の「ススキが風上へなびくような」なども、過去に自分の未来を言い当てる詩を書いてしまったことに気づいた驚きなどを述べた散文に、行分け詩を続けた作品(同時期の「一点として一面に」も同じスタイル)ですが、読む方向性を指示されながら、つかみきれない不思議な詩です。北村さんは難しい言葉を使わない明快な詩人と評価されることも少なくないようですが、そんな簡単なもんじゃねえぞ、ということは繰り返しになりますが書いておきます。
 また、私は80年代前半の「笑いの成功」という、詩集のタイトルにもなった作品がずっとわからないままで、今回も何回か読んでそれでもうまくつかめませんでした。ところが、たまたま家人の本棚で見つけた「現代詩手帖」(思潮社)の88年2月号に掲載されていた鮎川信夫さん(1920−86)の講演の最後の質疑応答の部分で、鮎川さんがこの詩について簡単に説明している部分があって、それを読んでもう一度詩を読んだら目から鱗が落ちるようにわかってしまいました。この詩は二階の部屋から大雨の風景を見ているという、その点では前回ふれた「おそろしい夕方」や「騒騒」と似た性格の作品なのですが、風景の描写のあと作品の半ばで「にんげんは/<一>ではなくて<半>のまま/だれもが最後を迎えるのだよ/ついにあたりは暗澹たる叫喚である」とあります。そして、続けて「耳を澄ますと/ひくい笑い声もまじっている/<半>なのに/ぜったいに分割できない<一>とは/哲学的に不自然な存在だ」とあります。今まで読んだときは、この<一>と<半>をめぐる2つのセンテンスが同格的なものとしか思えなかったのでわからなかったのです。
 鮎川さんは、この詩は誰も笑わないような場面でも、「誰かが笑っているのがはっと聞こえてくるということはあるわけ。そういうものを介在させたということは、少なくとも全然その場面から離れた眼を持っているということ」だと言います。つまり「おそろしい夕方」や「騒騒」のように、風景に対しながら滅入ってくるような場面で、「<一>ではなくて<半>のまま」という対し方をしている自分を、「<半>なのに/ぜったいに分割できない<一>」という見方もあるじゃないかと突き放して笑っている自分を発見した、その「成功」がこの詩なんですね。そのことで詩人は「おそろしい夕方」や「騒騒」の先に行くことができた、そんなことが鮎川さんのほんの数行のコメントで見えてきました。この鮎川さんの講演はほかにも面白いところがあるので、できればまたふれてみます。

「鮎川信夫さんの言葉にそって−−すみれノート(その13)」(99/11/10)

 前回にふれた鮎川信夫さんの死の前年の講演記録(「詩の言葉と広告の言葉」「現代詩手帖」88年2月号掲載・思潮社)を読み返しました。人間は「本質的に言葉の動物」で「言葉によって支えられていないと、高揚しない」ために、個人のための、言い換えれば作者の宣伝としての詩が書かれ、企業のための励ましとしての広告が作られ、国家のための戦争詩や軍歌が作られる。内容的にはそれほどすごいことを言っているとは思えないのに、人は「いくら自分がいいことをやっていると思っていても、言葉が貧しくなると沈んでいっちゃうということがあると思う」とか、軍歌などにしても「これだけあればいいじゃないか」というわけにはいかなくて、「どんどん新しい歌をつぎ込んでいかないと、そのエネルギーが持続していかなくなっちゃう」とか、マスコミにおいてどんどん言葉が消費されて「同じことを言っていても効果がなくなって」しまい、「人権」といった問題でもどんどん言い方を変えていかないと、「言葉の戦争」に負けたことにされてしまうといった現象の指摘など、細部に面白さが光る講演です。
 この講演の後の質疑応答も記録されていて、その最後に詩の話になるのですが、ここから俄然迫力が出てきます。絵や音楽や麻薬に比べて、言葉は「感応しなければ」「自発力がなければそれを聞いたって何の刺激にもならない」点で「即効性」が非常に劣る、今はシェイクスピアの時代に比べて詩が「特殊な関心をもった」読者のもの、「あらゆるところから違うという特殊性だけを強調する」ものになってしまって、しかも「社会からピントがずれているということになれば」読まれなくて当然だ、自分ももう読みたいとは思わない、というきびしい分析が続き、そのあと北村太郎さんの詩の話になります。
 鮎川さんは北村さんを評してこう語ります。ジャーナリズムの世界に長く身を置いた人間として、「いま詩をやろうなんていう、よっぽど変わっている人間が持っている、孤立主義的なパッションもある程度わかっている。それと同時に、そういうものは全く無意味だし、他人に対して影響力もないということもよくわかっている」、だから「現実と個人の差異性が極端に立ったパッションとの接触面で、わかるか、わからないかというぎりぎりのところ」、「詩に関心のない人」にも「最も偏屈な現代詩の書き手」にも通じるというぎりぎりのところで書いている、それでもなお広い読者層を得てはいない、と。そしてその後、前回にふれた「笑いの成功」という詩の分析が続くわけです。
 これを読んだ時は北村さんの詩を読んでいたので、なるほどなあと思っていたのですが、その後、鮎川さんの詩のコレクションを読んでいて(中央公論社のシリーズ「現代の詩人」版と現代詩文庫の『続続鮎川信夫詩集』思潮社)、この批評は他ならぬ鮎川さんの自己分析でもあるなと思えるようになりました。特に詩文庫版に収められた生前最後の詩集『宿恋行』と没後にまとめられた『難路行』を読むと、散文的なわかりやすい文体と詩的イメージの交錯があって、「現実と個人の差異性が極端に立ったパッションとの接触面で、わかるか、わからないかというぎりぎりのところ」をやはり感じることができます。そして、『難路行』に収められた作品を書いた後、詩の休筆を宣言したという鮎川さんのことを考えると(この講演はその後のもの)、自分はどんな言葉を繰り出せばいいのか、自分の言葉ははたして社会と接触できるのかなどなどとわが身を振り返させられるのです。

「ここからどこに向かって−−すみれノート(その14)」(99/11/19)

 10月に同時に何点も新刊本を出すという仕事が一段落した後、ずっと体のあちこちが交代で不調などということも手伝って、会社の仕事と育児のほかは本を読んでばかりいる毎日です。前回に紹介した、鮎川信夫さんが講演で言った「言葉によって支えられていないと、高揚しない」人間そのものであることに加えて、静かにゆっくり物を考えたりできない貧乏性なのでしょう。
 いろいろ読んだなかで多木浩二さんの『戦争論』(岩波新書)が面白いと同時に気にかかることがあったので書いておきます。この本は20世紀の戦争が2度の大戦を経て、国民国家同士の戦争から、植民地の宗主国が残した国家の枠、民族差別などの論理によって引き起こされる内戦(ルワンダなど)、さらには旧ユーゴの場合のように、情報経済のグローバル化という名の支配の確保・拡大を図るNATO、EU(要するに合州国グループ)が異物排除のような形で介入し、難民をさらに増やしてしまうといったケースへと変質していく過程(もちろん戦闘の感覚のシミュレーション化もふくめて)を分析したものですが、この旧ユーゴの件については戦争そのものが、欧米の知識人たちの、バルカンのあるべき姿は資本主義的ヨーロッパへの統合だ、われわれが介入しなければ誰が虐げられた人々を救うのかという言説・認識から戦争が起きていると言ってもよく、しかもその目的は遂げられていないと指摘し、こうした状況を乗り越えていく想像力の必要を説いていて興味深かったです。
 気になったというのは、同じ本のなかでベネトンの広告写真家オリヴィエーロ・トスカーニさんが原宿あたりの若者たち200人にインタビューして、これだけ悩みのない、世界に関心のない、何も知らない若者たちは世界にほかにいない、まるで彼らはこれからわれわれが迎えようとしている悲劇を予告する天使のようだと言ったという話を紹介していることです。このエピソードを組み込んだことについては評者によっては、戦争を気分でしか語れない層にまでまなざしを届かせた繊細な批評として評価する人もいるのですが、私は、本を読む者、意識が高いという自覚のある者同士の「だから、もうこれでは」という目配せのようなものを感じてしまったのです(きっと岩波の編集者も「したり」と思ったことでしょう)。しかしそれは彼らとの交通を断って(あきらめて)活字本の世界に閉じこもった者同士の目配せなのではないだろうか、必要なのは「天使たち」に届く言葉、光を放って「天使たち」を振り返らせる言葉なんじゃないのか、と。
 でもそう思いながら同時に、詩を書く人でも20代くらいの人は名前だけでも知っていればいい方ではと思われる鮎川さんや北村太郎さんのことを延々と書いたりしている自分も同じかもしれないなとわが身を振り返ってしまいました。そういうつもりじゃないとしても、どうなんでしょう、言葉が弱いだけかな?


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