99.1



99年1月
◯79/1の手帳から 新宿のライブハウスで清水哲男さん、長谷川龍生さんらによる詩の朗読会を見ている。大学卒業を控えてまだ就職が決まっていない。
◯89/1の手帳から 小学校の同級生(ともに当時33歳)と元旦は実家の近くで待ち合わせて明治神宮まで歩いて行くのが、この年まで決まりだった。彼も40を越えて結婚し、昨年長男が誕生!

「なつかしい人々への手紙」(99/1/3)

 今、新宿で親兄弟との食事をして、そのまま里帰りする奥さんと子どもを見送って帰ってきたところ。最近は一人で留守番するのがさびしくなった。何でも思いついたことをすぐに親にやってほしくてぶつかってきたり、兄弟げんかして泣いたり、すぐにけろっとして楽しく遊んでいたりという、にぎやかな子どもたちと付き合うことと会社の仕事が生きるペースになってしまって、いつもは翻訳とかいろいろ調べたりとかもっと時間がほしいと言っているくせに、いざ家族がいなくなると、ああ今日は静かでいいなあと、何かに集中するといったことができない体質になってしまった。
 そして家族がいないと、夜な夜な酒を飲んで感情だけがたかぶってきて、自分をコントロールできなくなって夜中の散歩がしたくなったり、昔の恋人や友人たちのことを思い出して自己嫌悪に陥ったり泣きたくなったり、結局大酒飲んで翌朝ひどい気分で起きたりする。こんな感情を詩とかの形に解放できればいいのかもしれないが、今は詩が自分を呼んでいないというか、書けないし、書けたとしてもひどくプライベートなものになってしまって、自分が書き抜きたいと思うものとはかけ離れた情けないものになってしまうだけだろう。
 仕方がない。新年休みだし、家族が続けて病気して以来すっかりお休み状態になってしまった翻訳は少しずつ原文を眺めるくらいにして、部屋を明るく暖かくして、テーブルの上には子どもの描いた絵やおもちゃでも置いて、正気を保ちながら、本でも読むしかないわけだが、この「読む」という行為は何だろうという思いも同時にする。小説や詩や評論を読んで、新鮮な表現にはっとしたり、重厚な作品の構造にうなったり、知識が組み替えられていくことに快感を覚えたり、それは確かに「読む」ということだろう。でも、と思う。
 こんなことは中年の繰り言と思われるかもしれないが、60年代の末頃、意識的に本を読んだりレコードを聞いたりしはじめた頃は、そうした行為のなかに「期待」があった。信じてもらえないかもしれないが、同時代の小説を読んだりロックを聞いたりするだけで、世の中に対して意識的である流れに参加し、それだけで自分も世の中をよくしているんだという幻想にひたることができた。今、私が本を読むということもその延長として続いている行為なのだけれど、何かをごまかしながら生きのびるための時間つぶしに溺れているという感じがどこか抜けない。メディアの表現に触れるということは、個人の孤独を癒す機能があるわけだからそこまで大げさに言わなくてもいいのかもしれないが、「読む」ということが自分が考えるということの代理的な行為になっているのではということには気をつけたい。
 そして、しばらく会わなかったきみ、まだ会ったことのないあなたに出会えるように、「読む」ということから引きはがすように顔を起こして、町の風に打たれながら、新しい「期待」のコードをさがさなくては、何か偉そうなことを毎度書きつけながらも何も自分で考えたことにはならないのだと思う。

「デビット・ゾペティ『いちげんさん』を読む−−素晴らしい「日本」小説(その1)」(99/1/4)

 日本語育ちでない人に日本語で流暢に話されたり、文章をすらすらと書かれたりするとびっくりしてしまうというのは日本人の特徴なんだろうか。英語圏では移民作家はめずらしくないし、お隣の韓国ではたとえ外国人でも朝鮮語の発音が悪かったりするとちゃんと発音できるまで直されたりするという話を聞いたことがあるけれど、話し言葉にせよ、書き言葉にせよ、意志の疎通ができても多少たどたどしいくらいの日本語のほうが安心できるというのは、これからはどんどん変わっていくのだろうが、外国の人にはその人の母国語で接することができなければという根深い強迫感のなせるわざだろう。
 それにしても、スイス生まれのデビッド・ゾペティさんの日本語はうますぎると思ってしまう。小説『いちげんさん』(集英社・1997)を読みはじめて半ばくらいまで、これは日本人が書いたんじゃないのと思えてならなかった。日本語のうまさはもちろん、たとえば「川辺でバーベキューを楽しむ以外に意味を持つ営みが何ひとつとしてない日があるのと同じように、読書をしなければその日の存在意義が永久に失われてしまうような日もある」なんて、村上春樹さん以降の日本のトレンディ小説(?)によく出てくるような文章をさらっと書かれてしまうと、感性まで日本人という気がしてしまって眉に唾をつけたくなってしまった。そうした違和感は後半になって、「外人」である主人公の「僕」の日本社会への反感がむき出しになるにつれ、どうでもよくなってしまったのだが。
 『いちげんさん』は京都の大学で日本文学を学ぶ留学生の「僕」が、点字化されていない本を朗読するというボランティア的な仕事を通して、目の見えない「京子」と知り合い、結ばれ、別れていくというラブ・ストーリーを主軸にした青春小説だ。日本語での朗読を仕事にできるくらい一所懸命に学んで日本語を身につけたのに、「僕」は日本のどこに行っても「外人」扱い、お店に入って日本語で注文してもマニュアル通りに英語で答える店員、「外人」と見ると「アメリカ人」だと決めつける人々、定食を頼んでもフォークとスプーンを持ってきて、お箸を頼むと「オー・ユー・ジャパニーズ・ハーシ・オッケー?」と間抜けな発音で不愉快にさせるとんかつ屋、駅でも電車でも英会話の実験台にされるし(そういう相手はこちらが日本語で答えると、おまえには用はないと言わんばかりに話を続けずに去ってしまう)、日本語の新聞や小説を読んでいようものなら「オー・ユー・ジャパニーズ・カンジ・オッケー?」と読んでいるものを覗きこまれるし、カラオケで日本語の歌を上手に歌うと他の客に「日本の心はこれからどこへ行くんやろうな」と嫌味を言われる。勉強も生活も日本の文化に深く入り込んでいるはずなのに、この国は「僕」にとって「苦痛」で「一種の売春行為」としか思えない、薄っぺらな英会話の教師という仕事しか与えない。そんな「僕」を受け入れてくれたのは、外見で人を判断しない、目の見えない「京子」と、たまたま手伝うことになったフランスのテレビ局の取材で会ったヤクザだけだった(彼らにとって、人を判断する基準は敵か味方かだけで、国籍は関係ない)。
 「僕」の中にたまっていく、心の傷。全力をあげて取り組んだ卒論も、指導教官は最初から真面目に読む気もなく、漢字の間違いを指摘されたくらいで面接も終わってしまう。「この街は死んでいる」「このままでここにいれば僕は確実に駄目になる」。「僕」は、東京で就職するという「京子」と別れてまた旅に出ることになる。スイス人のゾペティさんが日本語で書いた小説に浮かびあがってくる日本の中で、日本語で何不自由なく暮らしている自分に思いが帰ってくる。

「デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』を読む−−素晴らしい「日本」小説(その2)」(99/1/11)

 『殺人容疑』(原著1994年・高儀進訳・講談社文庫)を読んだ。ものものしいタイトルだけれど、原題は「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling On Cedars)で、合州国ではペン/フォークナー賞を受賞した一般小説(?)、翻訳は売れ行きを考慮してのことだろうが、ミステリー小説に分類されている。
 第2次世界大戦が終わって10年、合州国西海岸のワシントン州の小さな島で1人の漁師カール・ハインが死体となって発見される。何らかの事故で海に落ちて自分の仕掛けた網に引っ掛かって溺死したのかもしれないが、保安官の捜査の結果、日系人の漁師カズオ・ミヤモトが殺人の容疑者として逮捕される。彼をめぐる裁判の証言、それに伴う回想的な記述で浮かび上がってくるのは、戦前戦後を通して島の人々にきざまれた歴史と、戦争をめぐって深い傷を受けていった青春群像だ。つましい島で、人々は夜間の仕事である漁や苺畑の小作で金を稼ぎ、自分の苺畑を手に入れて安定した昼の生活を送ることを目標にしている。日本からの移民であるカズオの父も、ドイツ系移民のカール・ハイン(被害者の父)に金を払い続けて、息子のカズオが成人して合州国市民となるときに土地が手に入る約束をしていたのだが、その満期を前に太平洋戦争が始まる。日系人は本土の収容所に送られ、カール(父)の死を機に日系人嫌いの妻は土地を売り飛ばし、収容所のミヤモト家に今までもらった金を送り返してくる。そこから始まる怨恨説に、収容所を出て合州国市民として参戦するための演習中にカズオが見せた剣道の殺傷能力についての証言、さらに自分の無実を晴らす証言さえ進んでしようとはしない彼への検事の疑惑などが加わり、陪審の結果も不利になるかに見えたのだが……。
 物語はこの法廷劇と同時に、移民たちの苦労話、高校の同級生であるカズオやカールの友情、後に収容所でカズオの妻となるハツエとイシュマエルの恋と別れなど、日系人の歴史および彼らに対するプア・ホワイトの愛憎を描ききっていく。特にイシュマエルは収容所のハツエから別れの手紙を受け取った後、日本人との激戦によって片腕を失い、人生への希望もなくしたまま父の跡をついで、島の新聞を1人で切り盛りする身なのだが、最後に恋敵とも言えるカズオの無実の証拠をつかみ、自分を受け入れてくれなかったハツエのことを思いながら、どう行動すべきか悩む姿には打たれる。「世界は沈黙していて冷たく虚ろである」そして「そこに世界の恐るべき美しさがあるという事実」、そこから自分で立ち上がる必要があるということに気づいて、彼は行動を起こし裁判を終わらせる。
 長い紹介になったが、ここで語られているのは「日本人」ではなく「日系人」であることに注意しておきたい。この作品は94年の刊行だが、さまざまな論争を経て90年に戦時の日系人の収容に対する補償が始まったと同時に、スミソニアン航空宇宙博物館での原爆展が議会や軍人会の強い反発によって、企画内容を合州国寄りに縮小・内容変更された(最終的な実施は95年)時期でもある。ビジネスなどで合州国を訪れた日本人が日系人とまじわるのを嫌がるという話を聞いたことがある。エリートである自分たちと日本で食いつめて移民した人々は別物という感覚と語学コンプレックスなどがからんでのことらしいが、日本を中心に日系人をとらえる視点では片づかない問題があることを押さえておくことが必要だ。合州国市民として日本と戦うことを拒否するのかしないのか、迷う青春の戦前戦後を描いた、日系米人作家ジョン・オカダさん (1923−70) の傑作『ノー・ノー・ボーイ』(原著1957年・中山容訳・晶文社)から約40年、こうした作品が登場したことに合州国文学の底力を感じる。

「リービ英雄『国民のうた』を読む−−素晴らしい「日本」小説(その3)」(99/1/20)

 日本人が在日やら国籍やらを問わず「外人」に対して排他的だとしても、日本語や日本語の文学はそれを学び、使い、読み、書く者に開かれている。だからいわゆる「外人」が日本語で作品をどんどん書いて、日本「語」の文学を豊かに蘇生させていくことは可能だというのが、合州国に生まれ万葉集などの研究者として認められたあと(ヒデオの名は御両親が日系人の知人からもらって付けたとのこと)、今は日本で大学の英語教員(この、日本文学研究者なのに英語教師にさせられてしまうというのが「いかにも日本」なのだが)および日本「語」作家として暮らすリービ英雄さんが評論集『日本語の勝利』(1992) などで主張されたことだ。
 『国民のうた』(1998) は『星条旗の聞こえない部屋』(1992)、『天安門』(1996) に続くリービさんの3冊目の小説集で、「満州エクスプレス」「国民のうた」の2編が収められている。どちらもリービさんと思われる人物が主人公で、前者は生前交際のあった安部公房さんが育った満州の街へ、後者は離婚して合州国に戻り知能障害を持つ弟を女手ひとつで育てている母の家へという旅を軸にして、父の仕事の関係で台湾で暮らした少年時代をともに織り込んでいる。「国民のうた」とはその台湾の家に聞こえてくる国民党の作った国歌からとられたタイトルだ。リービさんの作品の面白さは英語、日本語、北京語など、言葉に対する感覚が前面に出てくるところにある。翻訳不可能な「しんじゅく」という地名を自分のものにすることで、本の世界にとどまらない日本や日本語の世界に入り込んでいく、というのが代表作『星条旗の聞こえない部屋』のひとつのモチーフだったが、日本語の世界から北京語、さらにはかつて満州と言われた中国の東北部の方言へ、日常の思考も日本語化した生活から母語である英語の世界へといった横断が、自分、そして読者のアイデンティティを揺るがせていく、そこに日本「語」の文学に風穴を開ける可能性が生まれる。
 と同時に、そのことでリービさんの作品がついに私小説的な世界を抜け出られないのではないか、やはり生前親交厚く作品も愛読したという中上健次さんの作品のような自由を獲得して飛躍することができないのではないかという不満も残る。実際、『日本語の勝利』『アイデンティティーズ』(1997・以上すべて講談社) といった評論集も読んできた読者にとっては、リービさんの個人史や考え方はわかったとしても、どこからが作品でどこからが批評だったといった記憶がひどく曖昧になってしまうのだ。『国民のうた』に収められた作品も抒情的な文を削ればそのままエッセイになってしまう危険があると思える。どことなくたどたどしさを残し、場合によっては文法的に破格じゃないかと思える文を辿りながら、リービさんは日本「語」の作家としてまだまだ自分に対して表現を禁じている世界を残しているのではといったことも感じた。


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