98.5
98年5月
◯78/5の手帳から ストを打ちながら、学園祭の準備(つかこうへいさんの芝居の演出)をしている大学4年生(笑)。本:北村太郎さんの詩集『あかつき闇』、メジャー・デビューしたばかりの中沢けいさんの小説など。芝居:状況劇場「ユニコン物語・台東区篇」(唐十郎作・演出)。
◯88/5の手帳から 状況劇場解散後の新劇団、下町唐座旗揚げ公演「さすらいのジェニー」(唐十郎作・演出)。鈴木志郎康さんらとの同人詩誌「ト、ヲ(止乎)」の1周年記念、新井豊美さんらをゲストに招いての食事会。思えば「ト、ヲ(止乎)」は当時の秘密兵器ワープロ(笑)を駆使した手作りだった。
「ちょっと怖い子どもたち」(98/5/2)
ゴールデン・ウィークである。といっても夫婦とも出不精の上、例によって私がバテ気味でもあるので、日帰りで私の実家に子どもたちを連れて行くくらいで、あとはひたすら子守と静養だ。夫婦の狭い勉強部屋でぼーっと本を読んでいると、マンションの家の前の廊下から女の子たちの会話が聞こえてくる。
「ねえねえ、カオルちゃん(私の娘、小学2年生)がA子ちゃんのこと馬鹿みたいだって言ってたよ」声の主はY子ちゃんで、答えているのは他ならぬA子ちゃんだ。「え、本当? だったら絶交だ」どうやら一輪車の上達度について(地域で違うらしいが、カオルの通う区立小学校では上級生になると、一輪車が半分必修みたいになるので、みんな早くから遊び半分で練習するのだ)、カオルが「A子ちゃんよりうまくなった」とかぽろっと言ったらしいのを、おませでしっかりしていることにかけては有名なY子ちゃんが、多分自分の回りに友達を引き付けておくために(無意識にではあろうが)、話をふくらませているらしい。そこにY子ちゃんの嘘には以前かなり泣かされて一時絶交状態だったはずのM子ちゃんが「カオルちゃんが本当にそんなこと言ったの? Y子ちゃんが言ってるんじゃないの? カオルちゃんを呼んで聞いてみよう」
おいおい、人の家の真ん前で、人の悪口作って言うなよ、と胸さわぎがしていたら、こういうことには反応の早い妻が飛び出して行って、人を仲違いさせるような嘘をついちゃいけない、といった諸注意をしてその場は終わった。結局そのときカオルは仲のいいタカちゃんことタカヒロくんと家の中でボードゲームなどして楽しく遊んでいたので、気づかせないように処理してしまったのだが、女の子たちの方はタカちゃんが家に招かれたのを、どこか遠くから見ていて、混ぜてもらいたくて来たのに、話がどこかで屈折して悪口になってしまったのだろう。カオルには誤解の元だから人と比べて自慢などしてはいけないと言って、A子ちゃん(この子はこの子で、大人に取り入ったり、話しかけてもシカトしたり、態度がコロコロ変わる、ちょっとこちらの気持ちに引っかかる子ではあるのだが)も納得してないかもしれないからと電話で「悪口なんて言ってないからまた遊ぼう」と言わせた。最初、母親にその悪口の話を聞いたのんびり屋のカオルは、ちょっとショックで身体を硬くして耐えていたようだ。
今の子どもたちは集団遊びができない。たいてい2、3人の同級生の小グループで行動している。年下の子どもをうまく取り入れて、面倒みながら大勢で遊ぶといったことは見たところ皆無に近い(そのせいか学校でも生活学習の一環として伝承遊びの時間をもうけて、コマの回し方やカゴメカゴメなどを「教えて」いる)。そんな中で遊びも発散するパワーのあるものではなく、なんか小さく群れながら、お互いに「私たち、仲良しだよねえ」とか「私ってやさしいの」とか言い合っているのを聞いたりしていると、これはやっぱりいつか切れるよね、という気がする。今日の例にかぎらず、大人がそばにいても、びっくりするくらい嘘をなめらかについて、他の子どもの持ち物を取り上げようとする子もいる。小学2年生くらいにして、身過ぎ世過ぎの心理戦を身につけたこの子たちは、自分はとにかく傷つかないように生きるという点である意味では今の世の中を勝ち進んでいると言える。負けた者が回復するにはそれなりの力が必要になるだろう。それでどうするかと言っても、自分の子どもに、言葉は人を嫌な気持ちにする力があるのだから、人の悪口は言うな、軽い気持ちで「ムカツク」とか「切れる」とか言わないでほしい、なんて言うくらいのことしかできない。ちょっと怖い、ちょっと寒いけど、見守っていくしかないのだろう。
「タスケテクレーッ」(98/5/12)
10日前くらいから、わが家には毎日のように「タスケテクレーッ」「タスケテクレーッ」という声が響きわたっている。3才半の真木が「機関車トーマス」のビデオ(前面が顔になっている、いろいろな機関車の模型を使ったイギリスのテレビ・シリーズ。テレビでもやっているが、わが家では1日当たりのテレビの時間制限をもうけているので真木は絵本でしか見たことがなかった)を図書館で借りて見て以来、すっかりその物語にはまってしまい、いばりんぼの機関車ジェームズが脱線してしまう物語を、おもちゃでふすまの敷居を使いながら、何度も何度も再現するのだ(たとえば、立て続けに20回くらいとか)。真木の声は、親に怒られて泣いたりするとマンションの廊下に筒抜けになるくらい、高くてよく通る声なので、児童虐待でもしているのでは、と疑われたらいやだなとも思うが、まあ前後に「と言ってジェームズは脱線してしまいました」といったナレーションも本人の声で入ることだし、大丈夫だろう。何と言っても、夢中になって遊べるうちは遊んだほうがいい。
前回書いた、小学2年生のカオルをめぐる事件は、カオルの知らない所でカオルと他の子の仲を引き裂くような嘘をついた女の子の話だったが、やはり日頃からその子の面倒も結構見ている妻としては(わが家は何だかんだと言って、みんなが遊びに来やすい家ということになっている)、やはりすっきりしないということで、彼女の母親とかなりきちんと話して、お互いにこじれることもなかったようで(今のところ)、私も含めて少しホッとしている。前回の文章を読んだ人生の大先輩から、そういう奴を引っぱたかないから世の中がおかしくなるんだ、という激励(?)のメールをいただいたが、今どきの親はテレビのニュース・ショーの受け売りの評論家ぶった理屈はひねれても、問題なのは自分だということに気付かない高学歴の文盲が非常に多いので、どうしても神経を使ってしまうのだ。子どものことが原因で親同士がこじれて収拾がつかないなんて話は身の回りにごろごろしているし、私や妻が問題ありと思う子どもの親って、高級官僚とか、両親とも教師とか、子どもは人間教育を重視した私立に入れてますとか、世間的に意識が高いと思われているような人々が多かったりするのだ(もっとたくさん書いたのだが、妻の検閲でやばい所は削除しました)。
本当は近頃の編集者という、職場の愚痴も書こうと思っていたのだが、どうひねっても生々しすぎるので、その件については出直すことにする。それに子育てで神経を使って疲れてる妻のことを考えると「オレの苦労なんて……(嗚咽)」(オリンピックの原田選手より引用しました)。
「喫茶店風景・春」(98/5/21)
昼休みはほとんど1人で過ごす。近所の神保町の書店をその日の気分で何軒か見て回って、軽く食事をした後、チェーンの安喫茶店で本を読んだりぼーっとしたり。コーヒー1杯5、600円のまあまあの店もないことはないが、どうせ1人だし、狭苦しいところで他の人々を眺めて世の中について想像をめぐらせるのも面白いから、だいたいこの手の気軽な店に飛び込むことになる。
会社が九段下と神保町の真ん中で日本武道館が近いせいか、春はいつも、通りだけでなく、こうした店も連日満員だ。大学の卒業式、入社式、そして入学式、つい先日、男ばかりの集団が「これで、オレも社会の底辺だよ。この前、会社にあいさつに行ったら、他の奴ら六大学ばかりだぜ」とか、袴姿の女性たちが煙草くわえて「ねーえ、謝恩会、何時だっけえ」とか言ってたかと思うと、今度は研修中らしいグループがおじさんの悪口を言って「まあ、仕事だからいいんだけどー」とどっと笑う日々が続き、御入学となると、今度はカラーシャツにタイをしめた背広姿のどいつもこいつも安サラリーマンにしか見えない新入生たちが、携帯で友達と連絡を取りながら群れ歩くのをかき分けて店に潜り込むと(この、群れているのに、それぞれが携帯をかけているというのがよくわからないのだが)、今度は両親と新入生が狭い店内で無口にぱさぱさのサンドイッチを食っているのに出喰わすなんてことが毎日のように続く(もう少しいい店に行けばという気もするが)。
それやこれやが一段落して、今は授業の空き時間つぶしの学生たち(最近の大学生は成績を気にするので学校にはよく出てくると知り合いの先生が言っていた)や、携帯かけまくりのヤング・サラリーマンとか、ご休憩中のおやじ系の方々(さっきから熱心に本を読んでいるなと思ってチラっと見たら、おっ、艶っぽい挿絵が)、そしてもうこの時期では遅いと言われるくらいに過熱した就職戦線にあせっているらしい、スーツ姿の女性たちが多い(もう面接を受けて来たのかな? テーブルを拭いて履歴書を書いているのもよく見かける)。
こちらは、編集者に自分では書けない原稿を書かせて、自分は独り言のような、まとめようのない原稿の方向修正のメモを、ワープロのプリントの余白一杯に書きつけてきて、印税はいつ頃ですかなんて言っている著者の仕事をどうしたものかと悩んだり(エライさんの肝入り企画ということでなければ、とっくにお引き取りいただくところだが)、会社の各編集部がうまく機能しなくなってきて、人が続けて辞めて困り果てている部署のヘルプとか、自分たちの手に負えない辞書企画を完成できなくておっぽり出してしまった部署の尻拭いとか、経験者ということで著者の推薦で入ってきたものの文字の大きさや行間の指定ということの意味さえご存じない自分にあせることもなく、やたら人任せにしたがる年長の編集者のサポートとか、業績が低下している部署のために本の企画を立ててあげるとか、社内の必殺後始末人と化してもう半年以上も流されるように生きている自分のこれからに思いをはせたりして、結局どうにもならないし、まあ、考えてみれば元々ただのサラリーマンなのだから自分の仕事云々という考えも幻想だったのだろうとか、出版という斜陽産業ではこれから何が起こっても不思議じゃないなとか、仮の結論を出して、網野善彦さんの、明治以降の政治・教育によって形作られた、天皇制の単一民族による農耕中心の島国国家日本という幻想を突き崩す労作『日本社会の歴史』(上中下・岩波新書)や日系の合州国作家カレン・テイ・ヤマシタさんの傑作マジック・リアリズム小説『熱帯雨林の彼方へ』(風間賢二訳・白水社−−ひょっとしたら奇抜なキャラクターの創造とそのテーマの現代性において、ガルシア=マルケスさんの『百年の孤独』よりも凄いかもしれない)とかを読んで気を取り直してはまた職場に戻るわけだ(会社のわがご同僚の皆さん、以上の長い1文は読まれたとしても、フィクションだとお考え下さい−−笑)。
最後に、まったく関係のない無意味な話だが、今どきの喫茶店って、客商売の緊張感によるものなのか、働いている人の方が客よりもぴりっとした、いい顔してますね、どこに行っても(インドネシアの学生たちほどではないにしてもね)。
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