98.4(続き)



「翻訳のことなど−−静のフラナリー、動のゾラ(その7)」(98/4/5)

 前回、少し駆け足で書いてしまったので、あらためてゾラさんの紹介をしておきたい。ゾラさんは合州国のフロリダの生まれ、生年は異説があるが1891年というのが定説になりつつある(1960年没)。彼女の生まれたイートンヴィルという町は黒人に理解のある白人の援助で作られた黒人だけの町だったと言われる。そのため、彼女は十代になるまで人種差別とは無縁に育った。白人とは時折車に乗って通り過ぎていく旅行者か、近隣の小作人のプア・ホワイトだくらいの認識のまま、幼少期を過ごした。彼女が「黒人になった」のは13才になって、他の町の学校に進んだ時だったという。母親の死後、義理の母と折り合いが悪く、家を出、さまざまな職に付いた後、30歳くらいになってから大学に入り人類学を学ぶと同時に作家として活動を始める。
 彼女の活動は多岐に渡っており、小説やエッセーを数多く発表している他に、南部やカリブの島々のフォークロアや民間信仰などを取材して『騾馬とひと』(原著1935年刊・中村輝子訳・平凡社ライブラリー)や"Tell My Horse"(原著1938年刊・Harper & Row, 常田景子訳・新宿書房近刊予定)のようなレポートをまとめ、さらにそこで収集した歌や踊りを戯曲に構成し、自分で出演したりもしている。ほかの作家たちが白人も黒人もまだまだヨーロッパ志向から抜け出せない時代に、南部とニューヨークを往復し、そしてカリブへと海を渡っていくという具合に、地理的に激しく移動した彼女は、活動の分野も横断的だった。
 彼女の小説は、ニューヨークのハーレムを舞台にした短編などもあるが、自分の故郷や家族を素材にしたものが多いようだ。大工でバプティスト派の説教師だった父や若くして死んだ母親の思い出がさまざまに変奏されて何度も登場する。彼女は戦前はかなり高い評価を受けたものの、晩年はスキャンダルに巻き込まれたり、作品も黙殺されたままのかたちで亡くなり、70年代から再評価が始まったということもあって、日本では90年代になってから翻訳紹介されるようになった。
 たとえば彼女の長編小説第1作である 『ヨナのとうごまの木』(原著1934年刊・徳末愛子訳・リーベル出版)は明らかに父親をモデルにしたと思われる主人公ジョン・ピアソンが、貧しい生家を離れ、イートンヴィルにやってきて力のある説教師として人々の信頼を得るが、女癖が悪く、妻の死後身を持ち崩して滅びていくという一代記だが、リアルな説教の再現やさまざまな世間話をいきいきと取り込んだ、とても初めての長編小説とは思えない出来だ(小説の代表作と言われる『彼らの目は神を見ていた』−原著1937年刊・松本昇訳・新宿書房−は逆に、男優位の考え方を捨てられない夫の死後、主人公ジェイニーが、権威にとらわれない風来坊の青年ティーケイクと結ばれて南部を働きながら旅するという展開になっている)。自伝『路上の砂塵』(原著1942年・常田景子訳・新宿書房)は、記述の事実性などで問題が多いとして評価のわかれる作品だが、ゾラさんの人種にとらわれない価値観が率直に出ていて、私は自伝というよりは作者自身を素材にした作品として楽しめた。
 この他、今、翻訳の出ていない作品を英語で読んでいるのだが、ゾラさんの文体は大学教育を受けた人間の知的な地の文と、黒人の発音を生かした会話文から成り立っている、翻訳者泣かせの文体だ。たとえば、『全短編集』("The Complete Stories", HarperPerennial, 1996)をぱらぱら読んでいると、黒人の会話は全編"Git 'own offen dat gate post an' rake up dis yahd!"といった調子なのである(学校英語に直すと"Get down off that gate post and rake up this yard!"「門柱から下りて庭を掃除しな!」というあたりだろうか)。
 それぞれの翻訳者の方々はさぞかし苦労されたことと思うが、『ヨナのとうごまの木』の訳は少し気になった。訳者は、黒人の会話文をすべて北関東の方言に置き換えるかたちで訳している。たとえば(直接の原文は持っていないのだが)、主人公の言葉は「んだな。おら働いて金溜めてえど。したらば、母ちゃん迎えにけえってくっかんな」という日本語になるといった具合だ。翻訳の努力には敬意を表した上で、やはりこれは違うのではと思う。地の文が学校で教える標準日本語で、会話が北関東なまりというスタイルは、日本の中の差別的な、東京が地方を笑う価値観を反映してしまう。ゾラさんは逆に、黒人の話し方を作品に取り込むことで、その躍動感を伝えようとしているわけで、白人の作家が黒人の登場人物に、無教養な人間という印象を与えるためにわざと会話をなまらせたりする(それも黒人から見ると、無理にねじまげて作られたような話し方だそうだ)のと一緒にしてはいけないのではないか。ここはやはり、たとえ架空の話し方であっても、原文に即して日本語での会話を作りながら訳さないといけないと思う。まあ、偉そうなことを書いてしまったが、次回、自分で試訳してみたものをご紹介するので、その節は、何だ、そう言うお前も大したことないじゃないかと、どうぞお笑いください。

「ゾラの短編から−−静のフラナリー、動のゾラ(その8)」(98/4/6)

 ゾラ・ニール・ハーストンさんの短編を紹介します。長文ですので別ファイルにしました。

「ただ本を読んでいるだけ?−−静のフラナリー、動のゾラ(その9)」(98/4/10)

 今年はあまり先走って本を買いすぎたりしないようにと思っていたのに、いつの間にか読んでいない本がたまってしまった。特に洋書の場合、店頭にほしい本がぽつんと1冊あるのを見つけたりしたら、今度来たとき売れてたりしたらいやだなと思ってつい買ってしまう。神保町あたりの硬い洋書を扱っている店は、代理店の関係なのか、買い切りで輸入しているからなのか、インターネットで調べて本国で品切れ扱いの本なんてのもたまに見つかったりするから、これからはネットがあるからいいや、というようには気を許せない。それに、たとえばいくらアマゾン・コムあたりが膨大な点数を扱っていると言っても、地味な大学出版局の本などは扱っていないので、英文科の先生がよく利用する洋書店のほうで、かえって地味だが大切な本が見つかることも少なくない。
 そんなこんなで、今どんな暮らしをしているかと言いますと、朝起きてから夕飯でお酒を1、2杯飲むまでは洋書を読む。ポケット版の辞書を片手に、行き帰りの地下鉄の中とか、昼休みに入った喫茶店とか、会社の机で校正や翻訳に疲れたときなどに少しずつ、今だと、ゾラ・ニール・ハーストンさんがジャマイカやハイチでのフィールドワークをまとめた"Tell My Horse"(原著1938年刊、現在はHarper & Row)を読み、そして食後はインターネットで知り合いのページを見たり、メールの返事を書いたりしたあと、今度は日本語の本ということで、今はロバート・E・ヘメンウェイさんの『ゾラ・ニール・ハーストン伝』(中村輝子訳・平凡社)を読んでいる。そして12時くらいになって頭がぼうっとしてきたら、寝酒をちびちびやりながら、手塚治虫さん(『ブラック・ジャック』『火の鳥』他、出版社多数)や岩明均さん(講談社から出ている『寄生獣』は傑作!)らのマンガを、何度読んでも面白いので、読み返して眠くなったら寝るという具合だ。
 何だか本ばかり読んでいるようだが、実際そうなのだ。しかも本箱の未読コーナー(笑)には、この欄で何度も紹介してきたフラナリー・オコナーさんの分厚すぎてとても持ち歩けない書簡集や、東京堂で衝動買いしてしまったジャマイカ出身の英語作家・詩人ミッシェル・クリフさん(合州国でも手に入りにくい作品がふえている)の小説2冊、ゾラさんを敬愛する現代作家アリス・ウォーカーさんの小説、そしてこれはさすがに翻訳なのだが、長年読まねばと思いつづけている『神曲』など、ヘビーな本が目白押しなのである(と言ってももちろん自分で自分に課しているだけなのだが)。結局友人たちも故郷に帰ったり倒れたり連絡が間遠になったりで身近にいなくなり、家族は寝るのが早いし、何か映画とか舞台とかを見に行くと言っても結局いつも一人なので、対話するものは本か自分自身くらいということになってしまうわけだ。こう言うと笑われるかもしれないが、自分では本屋を歩いているときも本を読んでいるときも、誰かに出会うためにそうしているという気持ちがある。もう誰もいない、とあきらめるのではなくて、本を読んだり探したりすることの向こうで、いつも誰かに会いたいという気持ちがある。誰かに会えないまでも、人と出会うための自分の新しい表現を探し、どんどん本の言葉・思考を自分にぶつけながら、自分の気持ちの動きを測っているところがある。
 それが詩を書くことを目指しているのかどうか、自分でもよくわからない。気がついたら半年以上詩を書いていない。そんなことは、この10年で初めてだ。

「声のある場所−−静のフラナリー、動のゾラ(その10)」(98/4/18)

 大学を出て、本を作る仕事を始めて20年近くになるけれど、人と向き合って話をするということがほとんどなくなってしまったことに、ときどき気がついて呆然とする。編集者なんてものは、ちょっと暇なときは声かけあって喫茶店に行って、最近読んだ本や書き手の話をしたりして、それが頭の整理になったり企画につながったりするものだと以前は思っていたが、そうしたことがここ数年で皆無になってしまった。みんな忙しいこともあるけれど、資料以外に本を読む人も少なくなったし、読んでいても趣味が個別化してしまって話がお互いに通じないということがある。仕事のシフト化が進むなか、スケジュールと予算に追われて、仕事場では事務的なやりとりと、通りすがりのあいさつ程度の話くらい、課せられた仕事が終わったらそれぞれの世界に逃げ帰りたいという気分が広がっている気がする。著者とのやりとりも、語学の本が多いせいもあってか、似たような状況だ。
 会話と読書はもちろん性格が違うけれど、余暇は育児・家事以外はほとんど読書なんて生活をしていて、ふと思ったのだけれど、私は本の中に作者の声を聞こうとしているのかもしれない。フラナリー・オコナーさんの死後まとめられたインタビュー集("Conversations with Flannery O'Connor", R. M. Magee編, University Press of Mississippi)を読んでいたときなど、聞いたことのないフラナリーさんの声、ちょっと粘っこいけれど、はきはきした話し方を、もちろんこれは想像でしかないのだけれど、頭の中で確かに響かせながら読んでいた。今までこの欄、この連載でふれてきたジャメイカ・キンケイドさんやゾラ・ニール・ハーストンさんの作品についてもそうだ。ジャメイカさんの、リズムのきびきびした、初めて聞く人間にはきつく聞こえる声、話し方、ゾラさんの方はもう少しゆったりして、ふくよかなリズムだが(ロックとジャズの違いのような差)、聞く者をけして飽きさせない、ホラ話をまじえての明るい声、話し方だ。
 こういう体験もまた、だんだんなくなっていくのかもしれない。出版社や出版点数が追いかけられないくらいにどんどん増えると同時に、企画も効率重視ということで、新聞広告をみても本屋に行く気にさせてくれるような発見はほとんどなくなった。出版社の生き残りをかけての悪あがきが、企画をどんどん等質化させて、自分で自分の首をしめるように働いていると言える。そんな中で好きになって打ち込める作家に出会うのは本当にうれしいことだ。
 カリブの小さな島国から合州国に渡って、雑誌記者などを経て叩きあげで作家になったジャメイカさん(1949− )、20代にして病による遠くない死を宣告されながら合州国のグロテスクさを書きぬいたフラナリーさん(1925−64)、南部の田舎町からニューヨークのハーレムへ、カリブの諸島へと旅しながら、小説や民俗学のレポートを残したゾラさん(1891−1960)、この3人には本当に力づけられる思いだ。ちょうど、ロバート・E・ヘメンウェイさんによる『ゾラ・ニール・ハーストン伝』(中村輝子訳・平凡社)を読み終わったところなのだけれど、黒人であり、貧しい家の出身であり、男性優位の時代において女性であったという、さまざまな障害を乗り越えながらも、晩年においてまたその障害に押しつぶされていく過程が克明に検証されていて胸を打たれた。フラナリーさんもそうだが、彼女たちの時代にはいわゆるベストセラーものを除けば、どんなに有名であっても、執筆して暮らせるだけの収入は得られなかった。フラナリーさんのインタビュー集には、たぶん長編"The Violent Bear It Away"(現在はThe Noonday Press)のことだと思うが、3278部しか売れていないと彼女の母親が出版社の悪口を言うというエピソードが出てくるし、ゾラさんの作品も生前は売れて5000部くらいのものだったようだ。当然、完成に何年もかかる長編の執筆や、ゾラさんの民俗学の本のように何年にもおよぶフィールドワークを必要とする作業がそれでまかなえるわけがない。そこで奨学金や出版社からの前借りということになるが、フラナリーさんの場合は、奨学金を得ても大半は治療や新薬の投与のために消え、実際の生活は農場を経営する母親に支えられていたようだ。ゾラさんはと言えば、いかに彼女がコロンビア大学の女子分校初の黒人学生だったほどのインテリとは言え、奨学金などの壁は厚く、白人の金持ちのパトロンの助けを求めるなど、金銭的なことには死ぬまで悩まされ、最後は福祉施設の病院で亡くなっている。その彼女たちが作品の中に残していった声。その声が私に届くまでにどんな限界を越えてきたのか、どんな引き裂かれ方を横断してきたのか、耳をすまして、私が置かれている現在についても引き続き考えてみたい。

付記 これでこの連載は一応了とします。連載の中で取り上げられなかった関連文献として、ゾラさんについてはバーバラ・ジョンソンさんの『差異の世界』(大橋洋一ほか訳・紀伊国屋書店)、ジャメイカさんについては宇野邦一さんの「わたしの他者はどこにあるのだろう」(『るしおる 31』書肆山田)などがあります。


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