98.3〜4



98年3月
◯78/3の手帳から 寺山修司脚本・東陽一監督「サード」を見た。新宿座って映画館、思い出せないなあ。その他ATG系の映画を何本か見ている。
◯88/3の手帳から 金子修介監督「1999年の夏休み」、鈴木博文さんのライブなどを見た。日本語のできない著者の本を作っていた、どうやって?

「大江健三郎『人生の親戚』を読む−−静のフラナリー、動のゾラ(その5)」(98/3/12)

 年末からフラナリー・オコナーさんの作品ばかり読んでいる私を見て奥さんが、そう言えばオコナーさんは大江健三郎さんの本に出てくるわと言って、『人生の親戚』(1989年、新潮社)をあふれた本が二重になって何がどこにあるかわからない本棚から出してくれた(そう言えば、この欄には話が長くなるので書かなかったのだが、この正月休みに私が初めて読んだオコナーさんの原書"Everything That Rises Must Converge"も大学院でアメリカ文学を修めた彼女が本棚の奥から出してくれたのだった)。
 じつは私は高校生時代、大江さんの愛読者で新しい本が出れば発売日に買ってその日の内に読んでしまうというくらいだったし、今、現代詩を読んだり書いたりしているのも、詩人になりたかったという大江さんが紹介していた田村隆一さんや天沢退二郎さんといった名前を頼りに読み始めたのが一つのきっかけだった。それは70年代前半のことで、本棚を引っ繰り返すように記憶を辿って見ると『新しい人よ眼ざめよ』(1983年、講談社)を最後に、それ以降彼の作品はまったく読んでいない。おそらく『洪水はわが魂に及び』(1973年)から『ピンチランナー調書』(1976年)を経て、『同時代ゲーム』(1979年、以上新潮社)に至る過程での、「感性の文学」から「知の文学」「文化人の文学」へとでもいった作風の変化に、読めばそこそこ面白いとわかってはいても気持ちが離れてしまったのだろう。15年ぶりか、読めるかな、と思いつつ読んだ。
 小説家である「僕」(他の登場人物にとっては「Kさん」)は、長男「光」が養護学校で友達になった、やはり知能障害を抱えた「ムーサン」の母親「まり恵さん」と知り合いになる。「まり恵さん」は離婚して別れて暮らしていた夫「サッチャン」と事故で車椅子生活を余儀なくされている次男「道夫くん」とまた一緒に暮らし始めるが、「ムーサン」と「道夫くん」は兄弟で伊豆の崖から身を投げて自殺してしまう。物語は「まり恵さん」のその後の人生を中心にして進んでいく。「まり恵さん」は「サッチャン」とまた別れ、フィリッピンの劇団を日本に招いて日本縦断の公演旅行を支え、「イエスの方舟」を思わせるグループ「集会所」のメンバーになって集団生活をしたあと、みんなで合州国に渡り、「集会所」の中心だった「テューター・小父さん」の死後は旅費を工面して他のメンバーを日本に帰し、自分はメキシコの農場に行って地元の人々から聖女のように慕われながら癌で死んでいく。眼差しに翳りを宿しながら、漫画のベティ・ブープのように派手なところもあり、活発さを終生失わなかった「まり恵さん」が、元々は大学の教師で、彼女なりにこだわって読んできた作家がフラナリー・オコナーさんだという設定だ。
 以上がいわゆる筋書きだが、私が読んだ最後の頃の作品、たとえば『「雨の木」を聴く女たち』(1982年、新潮社)や『新しい人よ眼ざめよ』がそれぞれ、マルカム・ラウリーさんの小説、ウィリアム・ブレイクさんの詩の読解を作品の中心構造として持っていたように、この本ではオコナーさんを始め、ロシアの作家ベールイ(以下、私にとってはほとんど記号なので敬称略)、ダンテ、アウグスチヌス、フランスの古典ブラントーム、バルザック、シェークスピア、ブレイク、イエーツ、コールリッジ、サンド、プルタルコス、ラテンアメリカ文学のバルガス=リョサの他、メキシコの画家夫妻ディエゴ・リヴェラとフリーダ・カーロらが言及・引用され、そして流れる音楽はバッハの「ヨハネ受難曲」という具合で、最初のうちは、イニシャルで登場してたやすく特定できる有名文化人たちと並んで出てくる「まり恵さん」も実在の人物かもしれないと思って読んでいたのだけれど、読み進めながらこれはやはり、小説家「僕」と長男「光」を世界の文学・芸術の精神史の中に位置づけるための、きわめて知的なフィクションで(この作者がこうした作品抜きには世界を感じとめられなくなってしまったのだとは考えにくい)、「まり恵さん」も部分的なモデルはいるかもしれないが、実在はしないと思うようになった。
 作品の中心は、二人の息子を失った「まり恵さん」の救済への葛藤であるわけで、それを描くために敬虔なカトリックであったオコナーさんの、たとえば生まれながらに病をかかえて幼くして死んだ子を神はなぜ召されたのかと嘆くだけではなく、神はそもそもその子をなぜ作ったのかと問わなければ感傷に陥るだけで、世界の本質は見えてこないといった思考が、死後に編まれた散文集『秘義と習俗』("Mystery And Manners", 1969, 現在はThe Noonday Press/翻訳は上杉明訳、春秋社、絶版)から引かれるわけだが、こういった宗教がらみの思考の他の、オコナーさんの文学論、作品についての言及はほとんどない。登場人物による紹介なのだからなくてもいいわけだが偏りも感じる。邪推かもしれないが、オコナーさんの文学論や作者の感傷を排除した、グロテスクなリアリズムとも言われた作品を引くと、作家自身が家族で登場してしまう大江さんの作品の自己否定にもつながるところがあったのではと私は思った。それを裏付けるかのように、作品の最後の方で「まり恵さん」に、オコナーさんの作品では日常的なmannersを通じて生のmysteryが表現されて完結するが、自分の不幸は宙ぶらりんなままだという形で否定的に言及させている。これは平たく言えば、オコナーさんの作品に「現実」の不幸を対置させているとも読めるが、その「まり恵さん」の不幸がリアリティを持って描かれているとは感じられなかった。ニンフォマニアかと噂されてしまう部分もあった「まり恵さん」に対する「僕」の性的な夢想とか、「僕」が聞いてしまうことになる「まり恵さん」のセックスの時の声とかの描写の方が逆に、作者の筆が伸びていてリアリティが感じられた(攻撃性を引き寄せてしまう、ヴァルネラブルな「まり恵さん」はおそらく作者の分身でもあるのだろう)。作中で言及されている作家をきっかけに小説を読むということ自体が変則なのかもしれないが、作品の最後で「僕」が感じているという「悲しみ」を共有することは私にはできなかった。

付記1 大江健三郎さんがフラナリー・オコナーさんに言及したものとしては、他に『人生の習慣』(1992年、岩波書店)に収められた同題の講演がありますが、題名がオコナーさんの死後まとめられた書簡集"The Habit of Being"(1979, 現在はThe Noonday Press)の書名の借用であること以外に特に付け加えて紹介すべきことはないようです。

付記2 これで、このシリーズの前半終了です。少し休んで後半に入ります。

「思い出したことなど」(98/3/18)

 詩人の長尾高弘さんのサイトにあるフォーラムで、天皇制がらみのやりとりがあって、中途半端に参加してかえって的はずれな発言をしてしまったりして反省しているところだ。反省しながら思い出したことを、書きとめておきたい。それは会えなくなって何年にもなるAという友人のことだ。
 Aは、以前私も在籍していたS社の編集者で、中学や高校の国語の教科書を担当していた。頭の回転が早くて、発想のスケールも実現不可能なくらい大きく、その並じゃないスケールの発想と現実に作る本とのバランスをとるのが、彼の仕事のほとんどと言ってもいいくらいだった。喫茶店や飲み屋で彼と会話をかわすことは、私がS社を辞めてからもずっと続いていて、私にとっては頭の掃除とも言える数少ない刺激であり、苦しい日常の慰めだった。それがなぜ会えなくなってしまったのか。
 Aは80年代の半ばくらいから高校の国語の担当になった。編集委員が十数人もいて編集者もチームを組んで編集に当たる義務教育の中学ものとは違って、高校ものは概ね編集者は一人で数人の編集委員と教科書を作るのがS社のやり方だった。小回りのきく体制になって、Aは新しい発想や主張を盛り込んだ教科書を次々に作っていった。私も一時手伝わせてもらった現代文の教科書では、ロラン・バルトさんの評論、入沢康夫さんの長編詩、鶴見俊輔さんの漫画論、藤森照信さんの建築探偵もの、岩井克人さんの経済論、イタロ・カルヴィーノさんの小説など、新鮮な教材がならび、大ヒットというわけにはいかなかったが、そこそこ話題になり、意欲的な高校の先生方に迎えられた。
 どうやらその辺りから上層部にはにらまれていたようだが、Aに理解のある直属の上司がカバーしていたようだ。その後、古典や総合国語の教科書を作る過程で問題は起こった。気鋭の国文学者で表現者でもあるFさんをブレーンにして作った教科書の内(本によって彼は編集委員であったり、オブザーバーであったりしたようだ。この辺およびこれ以降、事実関係に間違いがあったらFさん、教えてください)、まず古典が文部省の検定に落ちた。いろいろな条件がついたが、問題の核心はアイヌの口承文芸であるユーカラを対訳付きで収録したからだったようだ。編集者も編集委員も検定の基準である指導要領を読み込んだ上で収録したわけだし、文部省もこれがあるからいけないといった言質をとられるような発言は公式の場ではしなかったようだが、結局それを含めたいくつかの教材を差し替えることで合格となった。そして次は総合国語だった。古典同様、日本の国語という領域を見直すべく、沖縄の古典である「おもろ」を収録した。この教科書は文部省の検定は通ったが、会社の上層部にはえらくお気にめさなかったらしい。社長本人の、S社が作るべき教科書はこういうものではない、というコメントとともに、文部省の検定に合格したにもかかわらず発行見送りという、おそらくS社としても前代未聞の決定が下された。S社と言えば、元々教科書裁判の牙城でもあり、教科書も実験的な、主張のあるものが多かった。それが大型辞書の成功などもあって、上層部としては、ここで一挙にスタンダードな癖のない教科書作りに方針を定めてメジャー展開したくなったということでもあろう。編集の現場からも反対の声があがったようだが、決定は覆らず、Aには時期はずれの異動命令が出た。
 Aはその頃から少しずつ崩れていった。会社にも行ったり行かなかったり、私が約束しても現れなかったり、電話をしても出なかったり。その後結石が見つかったので、診断書を提出して病欠ということにして、毎日どこかをうろつきまわっているうち、これは伝聞だということをお断りしておきたいが薬物などにも手を出したりしていたようだ。家の人によれば情緒不安定で手がつけられない状態が長く続いたとのことだ。最終的にAは、医師による経過報告書の出し忘れといったことを会社側に突かれて、退職金はやるからという条件で、去年の始めにS社を辞めた。辞めた後も精神的になかなか落ち着かないらしく、昔のように会えるようにはならない。奥さんに聞いてみたが、では次にどうするかというふんぎりがいまだにできていないようだ。
 こういったことが大体この5、6年に起こったことだ。長尾さんのフォーラムでは、歴史学者の網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす(正・続)』(ちくまプリマーブックス)を取り上げ、天皇制の問題、日本という国家は元々どのように成立したのかといった網野さんの論点が、文部省や歴史の教科書の著者たちが対応して答えなければならないポイントを作り出したのに比べ、文学系のわれわれは何をしてるんだろう、といった軽口を書いてしまったのだが、その後つらつら考えているうちに、Aのことを思い出した。友人たちで何年にもわたって、何度も情報交換したりしながら心配しつづけ、しまいにもうあきらめようということになってしまったA。そのせいか最近はあまり思い出すこともなくなったA。その彼が、もう死語かもしれない言葉を使えば「つぶ(さ)れて」いったとき、そこに強力に働いていた力、その核心に天皇はいた。

「書評転載−−ケルアック関連2冊」(98/3/28)

 某会員制オンライン・マガジンに書いた書評を転載します(競合関係にあるサイトにでなければ再利用は自由とのこと)。取り上げた本は今年出た、バリー・ギフォード+ローレンス・リー著『ケルアック』(青山南+堤雅久+中俣真知子+古屋美登里訳、毎日新聞社)とケルアックさん本人の『ジャック・ケルアックのブルース詩集』(経田佑介+中上哲夫訳、新宿書房)の2冊。久しぶりの依頼原稿のせいか(オンライン物でもきちんとした字数制限とかあったり)、少し硬いかもしれません。以下本文です。

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 『路上』と言えば、ビート・ジェネレーションの作家ジャック・ケルアックさん(1922−69)の代表作だが、アメリカ大陸を友人たちと疾走した実際の旅につぐ旅の体験に基づいて書かれた小説だ。作品にするにあたっては、友人たちはすべて名前を変えられ、もちろん物語も現実そのままではないのだが、基本的に私小説作家だったケルアックさんの作品世界の登場人物はほぼ実在の人物と対応させることができると言われている。その生前の関係者たちへの膨大なインタビューをケルアックさんの人生の流れに沿って再構成しながらまとめたのが『ケルアック』である(編著者の1人であるバリー・ギフォードさんは映画にもなった小説『ワイルド・アット・ハート』などが日本でも翻訳されている)。幼友達、詩人、小説家、出版人はもちろん、ケルアックさんの作品の中で恋人として描かれた実在の女性たちまでが本名を明かさない1人を除いて実名で出てきてしまうのが、すごいというか、やはりビート伝説の強烈さがなせるわざというか。前書きに昨年亡くなったアレン・ギンズバーグさんの、みんな嘘をついているのに真実が伝わってくる、という意味のこの本への傑作なコメントが紹介されているけれど、それぞれの心の中でフィクションとノンフィクション、事実と願望が入り交じって記憶されているところに、元々は数人の友人たちの熱い友情から発生したビート・ムーヴメントの特徴があるとも言える。
 全体を通して浮かびあがってくるのは、抜群の記憶力と語感で次々に作品を書いていったケルアックさんが、実生活上ではマザコンで、今の目でちょっと突き放して見れば女癖が悪くて気の弱いただの酔っ払いでもあったということ。新しいものに飛びつきながらも、キリスト教の保守的な世界観に縛られ、晩年はベトナム戦争に対して右翼的なとんちんかんな発言をして醜態をさらしたりしていたなんて、『路上』で「人間のために嘆くようになれ」と書いた作家も人の子だったんだなあ。とは言え、インタビューされる人々もギンズバーグさんやバロウズさんを始め、詩人・作家として有名な人が多いので、そこにはケルアックさんのことだけに終わらない文学史的な逸話やそれぞれの人生も垣間見えて面白い。私個人としては後に名門出版社ファラー、ストロース&ジルー社の重鎮となったロバート・ジルーさんのエピソードが面白かった。ジルーさん(インタビューには出てこない)はケルアックさんを『町と都会』でデビューさせた編集者で、ケルアックさんと個人的にも親しくなり長距離ドライブも何度か一緒にしたようだが、『路上』以降の文体はお気に召さなかったという。この辺、たとえベストセラーにならないとしても、やはり彼が手掛けた、フラナリー・オコナーさんの作品のような緻密な文体の方を好んだ一編集者の頑固さ(スノッブと見る人もいるかもしれない)が伝わってくる。ジルーさんのエピソードにかぎらず、ビートの歴史はお互いにまだ無名だった仲間の作品を出版社に売り込む友情の奔走の歴史でもあった、そのことが改めてわかって面白い。
 この『ケルアック』もそうだが、ほぼ同時に翻訳が刊行された『ジャック・ケルアックのブルース詩集』も、原著は口語英語に相当慣れていないと読みこなせない難物だ。文脈もわからないまま単語とも言えないスキャット(うなり?)が続く部分も少なくなく、訳者と編集者の度胸と努力に頭が下がる。ケルアックさんは詩人としてはかなり評価がわかれる人だが(先のオコナーさんの評論集には、理性を捨てた、声高なだけのサンフランシスコ系の作家たちなんて悪口が出てくるが、おそらくケルアックさんたちのことだろう)、朗読はなかなかのもので、できればビデオなりCDなりでふれて、ああこんな調子なんだなというイメージを持った上で読むと感じがつかみやすいだろう。
 ほぼまとまった形で保存されていた「ブルース詩」の原稿群をまとめた詩集だが、主に合州国内やメキシコなどの旅を背景にして書かれている。今と比べて旅するということがまだまだ大変だった時代に、家を離れ友人を思ったり、まだ英語圏にはあまり紹介されていなかった仏教的世界観に思いをはせたり、広大な自然に打たれたり。呟きにも似た詩を通して伝わってくるのは、交通手段も各種のメディアも発達していない世界で言葉を発することのいとおしさのようなものだ。ほとんどの人々が生まれた土地に縛りつけられたように暮らし、不況や大戦の影響からやっと抜け出して豊かさへとゆっくりと歩き始めた時代に、見方によってはただただ淋しいだけの旅先の風景のなかで、詩を書く、詩を口にする、そのことがもたらす孤独なやさしさとでも言うべき感覚にこの詩集は充たされているようだ。
 半ばアル中状態で死んで30年弱、ケルアックさんも生きていれば今年76歳だ。

98年4月
◯78/4の手帳から 本:清水哲男詩集『雨の日の鳥』、エンツェンスベルガー『メディア論のための積木箱』、ベンヤミン『複製技術時代の芸術』など。結城座の芝居。あまり今と変わっていない?
◯88/4の手帳から 本:高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』、松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』など。鈴木博文ライブと結城座の芝居を見ている。ほとんど今と変わっていない。

「仮説と脱線−−静のフラナリー、動のゾラ(その6)」(98/4/4)

 フラナリー・オコナーさんやゾラ・ニール・ハーストンさんの作品を読んで、あれこれ考えたりしながら3カ月たった。特にフラナリーさんの作品の場合、翻訳がないか、あってもほとんど手に入らないという状態だったので、最初はおっかなびっくり原書を読んでいたのだが、思った以上に感覚にフィットして、気持ちのいい読書になった。そしてこれはあくまで素人の仮説というか空想なのだけれども、この2人と昨年夢中になって読んだカリブ出身のジャメイカ・キンケイドさんの3人は、20世紀の合州国文学のエッセンスを凝縮しているのではと思うようになった。
 素人考えながら、あながちでたらめでもないと自分で思うのは、ゾラさん、フラナリーさんを経て、ジャメイカさんの作品へと辿っていくと、そこに昨今の、いかにも大学の文芸科で勉強しましたという感じの、批評の対象になりやすそうな素材をお行儀よく料理しましたという文体とはまったく違った、こみあげてくるものに形を与えるように削り出した文体の系譜とでもいったものを感じるのだ。また、この3人はそれぞれ文学史ふうに言うと、ゾラさんは戦前のハーレム・ルネッサンスの作家、フラナリーさんは戦後の南部作家の全盛期の作家、ジャメイカさんはポスト・コロニアリズム(脱植民地主義)の作家というように括られてしまうのだけれども、3人ともそうしたレッテルを越えて存在していると思える。たとえば、ゾラさんは白人に対する闘争を第一義とする、左翼的な同時代の黒人男性作家たち(リチャード・ライトさんら)からは黒人文学のあるべき作風ではない、抒情的すぎるとあからさまに叩かれ、そのせいもあって長年埋もれてしまうことになったのだが、現在の目で見れば残っているのは明らかに彼女の作品の方だろう。小説『ヨナのとうごまの木』(徳末愛子訳・リーベル出版)、自伝『路上の砂塵』(常田景子訳・新宿書房)、文化人類学のフィールドワーク"Tell My Horse"(Harper & Row, 翻訳は新宿書房より近刊)といった本を読んでいると、それらの作品が今読んでも面白いということに加えて、彼女の作品の再評価を中心に立ってになった作家のアリス・ウォーカーさんが、彼女を文学上の母親と見なしていることの正しさが改めて感じられる。
 彼女はそれまで顧みられることのなかった南部の黒人のフォークロアや歌を集めて、ニューヨークで発表したりしているが(取材された黒人たちは、彼女がそんなものを本気で集めているということを最初は信じられなかったという)、これらは合州国の黒人たちがアイデンティティを確認する作業の先駆けとなったと同時に、白人文化が、音楽にせよダンスにせよ黒人文化を吸収することで新生面を開くひとつのきっかけになっている。また彼女の作品に登場する黒人たちのよりよい土地を求めて車で放浪したり、酒を飲んで歌ったりホラ話をしたり斧さばきを芸にして見せたりといった姿は、のちのビート・ジェネレーションのジャック・ケルアックさんや、彼の『路上』(福田実訳・河出文庫)の主人公のモデルとなったニール・キャサディさんの姿そのものという感じで、彼らは結局ジャズなども含めて黒人風俗を白人文化に取り込んでうまくやった人々とも言えるなと思ったりした(その考えを追いかけていくと、ローリング・ストーンズもスティングも支配者層の白人の悪ガキたちが黒人の表現を資本主義に見合うかたちで、イディオムとして取り込んで遊んでいただけなんだな、それをなぞるように「黄色い」私なりが夢中になっていただけなんだなと、何かががらがらと崩れてくる思いがする)。また"Tell My Horse"はカリブのハイチやジャマイカを取材したものだが、そこで描かれた世界やそうした世界をとらえる感受性はカリブ出身のジャメイカさんが故郷を描いたエッセー『小さな場所』(旦敬介訳・平凡社、私は翻訳は未見)や他の作品のアプローチの生き写しとも言える先取りなのだ。
 フラナリーさんについて言えば、戦後、南部作家が次々に登場して活躍した時代には、一括りにされて語られていたのだが、まとめて語られていた作家たちを今読むと、たとえばユードラ・ウェルティさん(『大泥棒と結婚すれば』青山南訳・晶文社、他)はちょっとやはり昔の人かなという気がするし、カーソン・マッカラーズさん(『悲しき酒場の唄』西田実訳・白水社、他)は映画の原作には向いているかもしれないが、今となっては身振りが大げさすぎるかなという感じで(フラナリーさんはインタビューで、南部風俗を感傷的・戦略的に使っているだけの作家だ、と彼女をこきおろしていた)、ああやっぱりフラナリーさんは傑出していたんだなあと結論を半ば出していたのだが、やはり例外というものはあるもので(もちろんゾラさんのケースについても私が知らないだけの同時代のすばらしい作家はたくさんいるのだろうが、あくまで仮説ですから)、年齢的にはフラナリーさんよりかなり上で、彼女も一目置いていたキャサリン・アン・ポーターさんの戦前の作品『幻の馬 幻の騎手』(高橋正雄訳・晶文社)を読んだら、これがすごくいい本でうなってしまった。自分の青春時代をモチーフにした小説なのだが、南部の旧家に生まれ、語り継がれる一族の記憶に囲まれて成長し、家を飛び出して地方新聞の記者をしながら恋と死別を体験するという物語だ。この小説のモチーフとなった時期の後も、メキシコやヨーロッパを何年も放浪したという彼女の、自分の故郷である南部への反発と愛情が、きっちりとした文体で描かれ(翻訳ではありますが)、こんないい作家がいたんだなあと思った。彼女には他にも翻訳があるが、図書館で取り寄せてみたら、学者の業績作りのためなのか(?)、とても現代の翻訳とは思えないような代物だったりしたので、今度は家人の本棚から発見した『作品選集』("The Collected Stories of Katherine Anne Porter", Harcourt Brace Jovanovich)に挑戦してみようと思う。
 ただキャサリンさんのこの本を読んで気になったことがひとつある。彼女はゾラさんとほぼ同年齢で、2人とも南部出身(ゾラさんはフロリダ、キャサリンさんはテキサス)なのだが、黒人が1人も出てこないのだ。他の作品にはちゃんとした形で登場するのかもしれないが、この本では見事に排除されている(貧しい町の描写で、黒人が住んでいる、という説明が1カ所あるだけ)。キャサリンさんは女性がフリーランスで活動したり、世界を股にかけて放浪して作家になったという意味では先駆的な人なのだろうが、原著1939年刊という時代の制約なのかもしれない。完全にゾラさんの世界と背中合わせになっている。


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