98.11
98年11月
◯78/11の手帳から 出版社を受けようと思って、人に勧められるままに校正の本なんて読んでる、素直な大学四年生。今、話題の、中央公論社の新書だった。
◯88/11の手帳から 社員旅行で東北に行ったり、大型企画のあいさつで大阪に行ったり、落ち着かないなか、鈴木志郎康さんに借りた8ミリカメラを回したりしている。「クリーニングを取りにいくこと」と手帳にメモあり。
「『なぜ人を殺してはいけないのか?』をめぐるメモ」(98/11/7)
「14歳の中学生に『なぜ人を殺してはいけないの?』と聞かれたら、あなたは何と答えますか/日本を代表する人気哲学者2人が、真っ向からぶつかりあうスリリングな哲学入門」。こんな勇ましい帯文をつけて、「日本を代表する人気哲学者」であるという永井均さんと小泉義之さん(小泉さんは、私は名前を聞くのも初めて)の対談とそれぞれの文章をまとめた本『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出書房新社)を買って読んだのだけれど、ちょっと期待はずれ。2人の対話は空回りして、永井さんは自分の文章で小泉さんが対談で何を言っているのかよくわからなかったなんて書いているし、小泉さんの文章も現在という地点で論理を振り回している印象を受ける(いきなりホッブズの『リヴァイアサン』は欺瞞だったなんて言い方をされてもねえ)。で、結局、対談でもジャーナリスティックなことには興味がないという永井さんが「小泉さんと議論しなければいけないので小泉さんが反対するようなことを言うと、学校での犯罪とか人殺しをやめさせたいのだったら、警察官を常駐させるというような方法がいちばんいいと思いますね」と挑発的なことを言い、サヨク的な小泉さんもその点は「一致しちゃうんです」などと困った受け答えをしている。うーん、この本は企画書としては良かったのだろうけど、それに対して内容が空回りした代表例みたいな本だな、編集者は迷いつつも売り上げを伸ばすためにとにかく出してしまえという感じで投げ出してしまったんだろうな、だって本にして日銭稼ぎたいという以上のことは、細部はともかく伝わってこないもの。
結局、もともと「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いかけは、こんなことをしている大人たちに対して、あんたたち教師とか物書きとか、金をもらって形をふむような物言いをしているけれど、説得されるもんか、という問いではなかったのだろうか? この本はそうした問いをも商売にしてしまう一例と言えよう。永井さんの文章はこの本では中学生にわかりやすく語れていないことを書いて、もし直接問われたらわかりやすく語るよう努力する、という意味の記述で終わっているが、そのことこそこの本がやるべきことだったはずだと思う。
あとは私なりのメモだけれども、法律なり宗教なりが「殺してはいけない」と言っても、それは他ならぬ法律なり宗教なりによって守られていない。戦争ならOKだし、裁判で死刑もOK、異教的分子は殺すべし、ということで、成文化された「殺してはいけない」は何らかの自己擁護のための都合で語られているものだと考えていい。つまり「殺してはいけない」というルールは、「戦争や死刑ならいいけど、個人が他の個人を殺したりしたら裁判にかけられるよ」といった制限つきの法律なりものの言い方でしかない。でも殺したらいやな気がするだろうな、と自分では思う。戦争はもちろん、人にも人を殺してほしくないな、と思う。その、戦後の高度成長期に育った人間なりののんびりした実感をもとに自分としては生きている。もし戦前だったら「敵を殺すしかない」という思い込みで染まっていたかもしれないけれど、とにかく、人間関係をよくして、本当にわずかでも「殺さない社会」に向かって考えたり動いたりしていく。それが生きることじゃないかなと私は思っている。これが銭湯や温泉でみんな裸で湯に浸かっていても安全という国で育った人間のきわめて「甘い」、でもそう思いつづけるだけでも思わないよりはいいかなという考えだ。
「銀紙に思いを託す−−堀田善衞さんと田村隆一さんの作品を読んで」(98/11/14)
亡くなった作家や詩人の追悼コーナーを書店でよく見かけるけれど、記憶にあるかぎり著者が亡くなったからということで本を買ったことはない。先日亡くなられた堀田善衞さんの『若き日の詩人たちの肖像』(1968、現在は集英社文庫)を買ったのも、前々から読もうとは思っても図書館や古本屋で見かけるハードカバーの重量感に負けてのびのびになっていたのが、文庫版が追悼ということで何年かぶりで増刷になったのを買ったのだ(結局同じことか? でも増刷とは言っても広告用に申し訳程度の部数を刷ったものらしく、店頭には出ていないようだ。仕方なく注文しました)。
文庫で上下巻計約750ページの長編だが、2・26事件(1936)の前日に大学の予科受験のために上京してきた、北陸の没落しかけた廻船問屋の息子が、さまざまな詩人たちや左翼活動家などと出会いながら、戦時の日本を生き抜いていく自伝的小説の骨の太さに面白く読み切ってしまった。旧家の出で若くして書画骨董や遊芸に通じた主人公が、音楽を通じて知り合った同世代の東京の少年少女たちを、目鼻が定まっていない顔つきで、三味線も弾けない洋物びいきの気持ち悪い連中として侮蔑したり、そんな連中に比べれば浅草の劇場で働いている人々のほうがよほど人間だと、巡業について北海道まで行ってしまったり、といった細部の面白さは紹介すればきりがないし、その積み重ねで戦争に突入していく時代の重苦しさをリアルに描いた傑作と言えるのだが、登場する「若き」詩人たちについての記述をゴシップ的に読めたことも貴重だ。
鮎川信夫さん、田村隆一さん、中桐雅夫さん、中村真一郎さんといった人々が匿名だが特定できるかたちで登場する。なかでも大塚の料亭のボンボンである田村隆一さん(作品中では「冬の皇帝」)は印象的だ。友人たちを自宅の店に招いて落語を演じたり幇間(たいこもち)の真似もできないようで日本語の詩が書けるかと言って友人を仕込んだりしながら(堀田さんの言葉を借りれば「これらをもし堕落というならば、彼らは頗る真面目に、一所懸命に堕落をしようと努力し」ながら)、戦後の作品の出発点的な代表作「幻を見る人」の原形となる詩行をすでに書いていた。
空は
われわれの時代の漂流物でいっぱいだ
一羽の小鳥でさへ
(傍線)の巣にかへつてゆくためには
われわれのにがい心を通らねばならない
(表記は前掲文庫版による。傍線は実際の傍線)
物語の舞台となった時代から半世紀を越えて、堀田さんは小説家・評論家として、田村さんは詩人としてその人生を終えられた。堀田さんの小説にけしかけられたように、田村さんの生前最後の詩集『1999』(1998・集英社)を読んで、田村さんはおそらく詩集『新年の手紙』(1973・青土社)あたりから、詩人としての自分のパブリック・イメージを自分でも把握して、それを演じきったのではないかと思った。生身の自分の喜怒哀楽やジャーナリズムの傾向などの影響を切り捨てて、「文明」とか「地球」とか「20世紀」といったものを見つめる視線を言葉にする作業を、自分にとっての「詩」だと定めてしまったと思える。「文明」って何だっけ、箸とかの使い方か、それとも新聞社などが企画で大騒ぎするたぐいの「文化遺産」とかだっけとか、東西も南北もごちゃごちゃになって自己主張している細分化の時代を、精神的にも経済的にもどう生き延びていくかにきゅうきゅうとしている身からすれば、「欧米」ってのはやっぱり面白いなあというクラシックな視線を、よくぞここまでと思う息の長さで持ち続けた。思えば堀田さんも田村さんも江戸以来の文化を身につけていた人々だったのだろう。そうした人々がモダンな文学にかかわることで一時代を生き抜いて築いた。「おらは死んじまっただ〜」(フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」・1967)と自意識の産声を軽くあげたまま生きてきてしまった身としては、彼らが亡くなったことがボディブローのように効いてくるだろうなと思う。鶴見俊輔さんは堀田さんとの60年代の対談で、前記の小説で書かれた詩人たちのことを「自分はどんなことがあっても、銀紙に包んだチョコレートが好きだと、そしてもうチョコレートが食えなくなっても銀紙をためてじいっともっている精神というものね。それはあの時代のなかではたいしたもんですよ、それが根性というものですよ」とほめている(『語りつぐ戦後史』1969、1970・思想の科学社ほか)。私はたとえ「銀紙」でも持っているだろうか? 自分を許すためのアリバイでなく。以下『1999』より−−
いま
躓くような言葉が見あたらない
言葉が傷ついたら詩人は介抱しなければならないのに
ぼくの目にするものは死語ばかり
死語の世界で生きていることは
ぼくはあの世の人かもしれない
(「羽化登仙」より)
「100年前の小説」(98/11/23)
仕事がどうだとか、同僚として押しつけられた年長の編集者が、20年この仕事をやってきて会った人々のなかで、文句なく最低の、何の弁護の余地もない育ってないお方(カッコ内、いかに私が下品とは言え、あまりな内容なので削除しました--笑)だとか、家族の病気が続いて身動きがとれずにシンドイなどなど、もう愚痴は書きあきたのでこれくらいにして、本を読むといっても最近は日本人が書いた本ばかり読んでいたなと、ふと奥さんの本棚から取り出して読んだヘンリー・ジェイムズさんの、子どもにとりついた亡霊と家庭教師が戦うというホラー・ストーリー『ねじの回転』(原著1898・蕗沢忠枝訳・新潮文庫)を皮切りに、同じ作家の『デイジー・ミラー』(原著1879・西川正身訳・新潮文庫)、『アスパンの恋文』(原著1888・行方昭夫訳・岩波文庫)を立て続けに読んでしまい、勢いでジョーゼフ・コンラッドさんの『闇の奥』(原著1899・中野好夫訳・岩波文庫)を読み、今は少し新し目の作家・作品だがヴァージニア・ウルフさんの『ダロウェイ夫人』(原著1925・丹治愛訳・集英社)を読んでいるところ。
行き当たりばったりの選択だが、ジェイムズさんは合州国からイギリスに帰化(前記の作品のあとだが)した作家、コンラッドさんもポーランドからロシアの流刑地を経てイギリスに帰化した作家、ウルフさんはイギリスの名家の出ということで、いずれも世期末から今世紀初頭のイギリスの国力と文化の成熟を背景に、現時点で見ればややおっとりとした筆の運びで人間心理を追及したと言える。たまたまの3人だけれど、3人ともその作品が近年、映画の原作・原案として注目されてもいる。思いつく限りで言えばジェイムズさんの作品は「緑色の部屋」(フランソワ・トリュフォー監督・1977)、「ある貴婦人の肖像」(ジェーン・カンピオン監督・1996)、「鳩の翼」(イアン・ソフトリー監督・1997)などとして映画化されているし、コンラッドさんのこの『闇の奥』の、西洋人の船乗りがアフリカの奥地で原住民から神格化されて生きる白人を、困難を排して訪ねていくという筋書きが、コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979)にパクられたことはあまりに有名だ、そしてウルフさんの『ダロウェイ夫人』の映画化作品は日本でも最近公開されていたし、16世紀の男の貴族が数世紀の歴史を体験しながら20世紀の解放された女性に変身していくという『オルランド』は映画(サリー・ポッター監督・1992)も原著(1928・杉山洋子訳・国書刊行会)も新鮮だった。
筋書きを全部書いていくと、文学辞典みたいになってしまうので端折らせていただくが、植民地支配に支えられたものであることは確かだとしても、その豊かさ、文化の分厚さ(「上流左翼」も可能にしてしまうような)を背景にした細やかなコクとでもいったものが感じられ、日本の新刊本ばかり読んでいる視線や、日本での生活流儀に追われている身を少しばかりはずすことができた(あくまで翻訳本を読んだだけだが)。100年前とは日本で言えば樋口一葉さん、泉鏡花さんたちの時代であり、彼らの本も読まねばと思って本棚に何年も前から置いてあるのだけれどなかなか入っていけない。高度成長期人間の「薄さ」かもしれないな(もちろん、同世代でも読んでいる人はたくさんいるでしょうが)。でもいつかふっと入っていけるだろう。
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