97.11〜12
97年11月
◯77/11の手帳から 大学3年生。レヴィ=ストロース、ロラン・バルト、ガートルード・スタインらの本を初めて読んでいる。今より頭がいいような気がする。
◯87/11の手帳から 食えないフリー生活に見切りをつけて再就職の面接を受けている。と言うわりには貰ったチケットで荻野目洋子コンサートなんて見ている呑気者。
「秋に読んだ小説」(97/11/1)
この欄で何回かふれたジャメイカ・キンケイドさんの小説『アニー・ジョン』(Annie John)をインターネットで買った(Noonday Press版)。実は洋書店に注文していたのだが、入るかどうか、確信が持てないなんて覚束ない対応だったので、しびれを切らしてしまったのだ。例の有名なアマゾン何とかという店で買ったのだが、クレジット・カードを使うのが怖くて、日本の代理店に手数料200円也を上乗せして振り込んで手続きを代行してもらった。この気弱さを笑わば笑え。
さて『アニー・ジョン』だが、先に紹介した作品『ルーシー』の前編とも言える作品だった。『ルーシー』は、カリブの故郷を離れてアメリカに渡り、白人家庭に住み込みで働きながら勉強する女性の自立を扱った作品だったが、『アニー・ジョン』はその前段、少女が母親との葛藤に苦しみながら成長し、故郷を離れるまで(ここではイギリスに行くという設定)を扱っている。カリブの島国で、年をとった大工の後妻の娘として生まれ、家はもちろん、ベッドや椅子やスプーンまで父親の手作り、着るものは皆母親の手作りという環境で、母親との一体感のうちにまどろむように過ごした日々、生まれたときから身につけてきた服や靴などをしまったトランクを開けて、それぞれの品にまつわる思い出話を母親が聞かせてくれるのを最高の楽しみとしていた日々が、アニーが日本で言えば中学校に上がる時に終わりを告げる。母親は彼女にレディとしてのたしなみを持った女性になるようにきびしく接するようになる。入学早々、作文で教師や同級生を感動させる作文を書くなど、首席として一目おかれるアニーだが、学校の外では墓場やもう使われていない灯台で、母親に付き合うことを禁じられた友達と、いけない歌を歌ったり裸足で飛び回って遊ぶのが大好き。友達にリボンなどをプレゼントするために親の金をくすねたり、図書館から本を借りると返せなくなってしまって、そのまま盗んだりの悪ぶりを発揮する。そのことから生まれる母親との溝に苦しむアニー。
そもそも母親は誰のことも本当は愛していないのではないか。母親もまた自分の父親とけんかして、一人この島へ家出してきたのだ。その父親が病気で足が不自由になったという知らせを受け取って、「あの偉大な男ももう自分で立って歩けないってさ」と言って笑った母親。その祖父への言葉を、イギリス領の学校で教えられる歴史に出てくる、偉大なコロンブスに重ねて想像するアニー。物語はアニーが原因不明の病気で倒れたあと、イギリスに渡ることが決まり、彼女を乗せた船が港を離れるところで終わる。もうこの島で暮らしつづけることには耐えられない。でもこの何かが空っぽになっていくような気持ちは何なのだろう。本当は、内容的にも、シンプルで繰り返しやリズムを大切にした文体の深まりの順からも、『ルーシー』や最新作の『母の自伝』の前に読みたかった気がしたが、読めてよかった。
この夏から、鶴見俊輔さんの著作を関連したものも含めて読むということを続けていて、どうしても日本の戦後とか、日本というものに突き当たってしまい、詩を書くときなども、ふと考え込んでしまったりするのだが、ジャメイカさんの作品は、そういう自分が生きていることの抑圧された部分をきびきびした文体で照らしてくれる。この秋は鶴見さんの本を読む合間に小説を何冊か挟み込むようにして読んだ。タルコフスキーさんの映画の原作にもなった、旧ソ連のストルガツキー兄弟の『ストーカー』(女性を追いかける話ではありません、念のため)やポーランドのスタニスワフ・レムさんの『ソラリスの陽のもとに』(ともにハヤカワ文庫)を、タルコフスキーさんの作品の強い印象がやっと薄れて読むことができたが、どちらも人間の心の状況を描いて現在に通じる作品だった(冷戦時代の東側の作品を今、面白く感じるというのは何かの符合かな?)。日本の若い作者による小説も読んでみようと思って、阿部和重さんの『インディヴィジュアル・プロジェクション』(新潮社)を図書館で借りてきて読んだ。今は解散した、スパイ(テロリスト?)養成の私塾の経験から身を隠すように、渋谷の場末の映画館で映写技師をしている主人公が、若者たちのけんかやヤクザの抗争に巻き込まれていく過程を日記体で綴った作品だが、淀みなく書けているだけに、作者の力量を感じると同時に、本当に書かなくてはいけなかったのかなという感じを受ける。言葉を小説という形式の上でうまく使用するために、プロットだけの作品が構想されているとまでは言わないが、最後、精神的に参った主人公が混乱して自分が本当は自分の戦っている当の相手だったと思い込むというあたりや一番最後のちょっとした仕掛けは、そうした無理が出ていると思えた。
「映画「萌の朱雀」を見て」(97/11/8)
会社の仕事と家庭の往復、後は本を読んで寝るだけという、あまりの出不精な生活に自分でも飽きて、久しぶりに映画を見に行った。河瀬直美監督の「萌の朱雀」、銀座のはずれの小さなロードショー館は、カンヌ映画祭で新人監督賞を取ったこの作品を見るために集まった客で満員。私もそれ以上の予備知識もほとんどないままで、つまらない映画だったらいやだなと思っていたのだが、始まってすぐに引き込まれてしまった。
奈良の山深い西吉野の、祖母と息子夫妻、その娘と母親に捨てられた甥の5人家族が、林業の不況によって過疎の始まっている村で送る、つつましくも平和な生活。だが、村を再興する希望の象徴だった鉄道建設が、トンネルができたにもかかわらず中止になってしまうことで、トンネル工事に参加していた父は心に傷を抱えつづけ、失踪(自殺?)してしまう。揺れる残された家族。叔母を思う甥、従兄弟を思う娘、だが夫の事件にショックを受けた母親は娘を連れて実家に帰ることを決意する、残された甥も祖母を連れ町に出て住み込みで働くことにする、あの、穏やかな生活を営んできた家を捨てて。
話をまとめてしまえばこれだけのことなのだが、映像が素晴しくよい。むせ返るような木々の緑、開け放たれた日本座敷の朝食の場から臨める山々、家族が上り降りする山道、バス停までの橋、従姉妹や叔母を乗せて走る甥のオートバイ。極端にせりふの少ない映画なのに、人物の心と映像が息づくように結びついて、心の中の深いかけがえのない時間にふれた気持ちになれる。テレビでも、たとえば今やっているドラマ「青い鳥」など、似たような風景を持っているが山も空もただ写っているというだけで、映像としてここまでの説得力はとても持ちえていない。カメラマンの力かなと思って、同じ田村正毅さん(小川プロのドキュメンタリー映画や多くの劇映画を手がけてきたベテラン)の撮影による「火まつり」(柳町光男監督)をビデオで見たのだが、今は亡い中上健次さんのシナリオで、紀州を舞台にしたこの映画でも、山や海はやはりただそこにあるというだけで、映像が物語として息づくということはなかった。「萌の朱雀」の成功は、心の関係性を映像に実現した監督の力によるものなのだろう。
心の中深くにあるかけがえのない時間、ということを考えていて、30数年前のことを思い出した。家の近所に土手があって、そこを上り降りすると何かと近道で便利なのだが、雨の後などはすべって歩けない。そこに小学校の同級生の小沢君と、庭いじりのシャベルで3日くらいかけて段々を掘った。通りすがりの人にほめられたような記憶もあるが、はっきりしない。はっきりしているのは、何年か後にちゃんとしたコンクリートの階段が作られるまで、その段々が人々によって使われていたということ。町場のスケールの小さい話で、何の表現活動のネタにもならない話だが、ひょっとしたら私が今までにやってきた仕事の中で、この段々をしのげる仕事はなかったかもしれない。そんなことを思い出した。
97年12月
◯77/12の手帳から 詩集:友部正人第一詩集『おっとせいは中央線に乗って』が新鮮だった。芝居:シェイクスピア・シアター『冬物語』(出口典雄・演出)、自分の誤解がもとで死んだ妻への贖罪というモチーフがしみた(なぜ?)。
◯87/12の手帳から 映画:小川紳介監督の、今思えば遺作となった「1000年刻みの日時計」に時を忘れた。翌月の再就職にそなえて服をそろえたりしている。
「冬を越える詩集」(97/12/1)
今はまだ11月29日の土曜日で、休日出勤せずにすんだので、こうやって文を書き始めて、とにかく明日の夜までには何とか書き終わるだろうから、区切りのいいところで12月1日付けにしているのだが、その前に書き終わればこのままアップしてしまうかもしれない。とにかく忙しい状態が続いている。編集者や仕事のかなりの部分を委託していた編集プロダクションが急に辞めるなど、同時にいくつかのトラブルに見舞われて、にっちもさっちもいかない雑誌の編集部の手伝いを、本業の辞書編集と並行してやっているので、今週は2月号の原稿をリライトしながら、1月号を終わらせる、と同時に辞書の著者がアメリカから来ているので細かい打ち合わせをするなんて状態で、深夜までの残業もあり、こうしている今も身体が痛いようだ。倒れる人間が出なければいいと思うが、やるだけのことをやった上ですっきりしないのは、やはり共同性がこわれているからだろう。会社はこうしたトラブルを乗り越えるのに、逆に、この機にどれだけコストダウンができるか、ということしか考えていないし、社員は社員で、どうすれば気持ちよく切り抜けられるか、話し合って解決していくという発想が乏しいので、頑張ってやっつけようという明るいノリが作れない。自分の回りだけでも、とにかく風通しをよくして、言葉をかわしながら平等感を保っていこうとしているつもりだが、仕事はお仕着せだからという発想が、私などが一人でじたばたしても始まらないくらい、根強く広がっているようだ。
こうした一企業の話はなかなか気持ちが伝わりにくいと思うのでこれくらいにしておくが、政財界のニュースを見ても、文芸雑誌を読んでも、共同性の衰弱を感じる。行革も介護法案も金融政策もでたらめで、言葉を空回りさせながら、結局、金持ちや権力者や役人を守るだけに終わりそうだし、詩の雑誌を開いても、何かデマゴーグの寄せ集めとしか思えないような内容だったり。共同性を復活させなくては、始めなくては、と思いつつ、具体的に言葉だけに終わらないアイディアが見つからない日々に、読みながら気を取り直すことのできるような詩集を何冊か手にすることができた。
まず、清水哲男さんの、長らく刊行の待たれていた『緑の小函』(書肆山田)がとうとう出た。詩を単なる言葉の意匠にしてしまって、詩以外の力関係のようなもので価値付けしてはしゃいでいる今の詩の世界の風潮をくぐり抜けた、力のこもった詩集だ。
男と女が群衆として孤立している様子は
少なくともテレビなんぞには映らない
はるはあけぼの
おーい
むらさきだちたるくもよ
知ったことかよ
集団の悲しみが
熱狂的に空にのぼっていく気配の中で
人はなおひとりずつ
おのれの不思議だけを書いた本を好む
……という不思議。
(「何かが道をやってくる」)
結婚するときに 唯一腹をくくって公言したこと
「いつか俺は市街戦で死ぬ 死ぬ人間も必要なのだ」
嘘じゃなかったが
それが嘘みたいになりつつある腹のつめたさ
(「はらから 岡田隆彦の死に」)
時代の気分をスマートにすくいあげた作風で人気を集めた、70年代の作品から遠く、ここには時代に対して怒りや悲しみを持って向きなおろうという姿勢が感じられる。ここから先、共同性を復活させるためには困難しか待ち受けていない場所で詩が書かれている。
60年代生まれの高屋優子さんの『由来劇場』(アリス舎 連絡先は〒241 横浜市旭区中沢1-27-8-308 高屋方)、同じく小林泰子さん(家人なので、ここで触れるのは顰蹙ものかもしれないが)の『光の木』(書肆山田)も出た。世代とひとくくりにしてはいけないのかもしれないが、高屋さんの作品にも小林さんの作品にも、かつて共同性というものに充たされたことがないというさびしさを感じる。そして、そのさびしさの中で、デマゴーグ的な自己満足や、自己保身のための「営業的連帯」に陥らずに、自分の作品世界を構築していこうとする姿勢が感じられる。その手ざわりからしか始まらない、本当の共同性というものを、言葉だけに陥らずに獲得するために、この3冊の詩集を何度も読み直すことになりそうだ。
追伸 以上、3人の詩人の方々の作品集をすみれ文庫でも、制作・アップしていますので、ご覧いただければ幸いです。
「1行をめぐるやや寄り道の多い話」(97/12/20)
ロバート・ペン・ウォーレンさん(1905−89)の小説『すべて王の臣』(鈴木重吉訳・白水社・絶版)を読んだ。ウォーレンさんは合州国の詩人・作家で、同じ南部系列の作家であったウィリアム・フォークナーさん(1897−1962)の巨大さに押されてやや目立たない存在だったとは言え、合州国文学の重鎮的存在だった。この『すべて王の臣』(原著は1946年)もピューリツアー賞を受賞した上、映画化作品(「オール・ザ・キングス・メン」、要するに原題です、1949年)はアカデミー作品賞などを受賞している。それでも日本では60年代頃にいくつかの翻訳がなされたくらいで、ウォレンさんの名前もほとんど定着しなかったと言える。それをなぜ今読みたくなったか?
そもそもの始まりは加藤典洋さんだった。加藤さんが今年出版した『敗戦後論』(講談社)に収められた同タイトルの評論の題辞にウォーレンさんの「きみは悪から善をつくるべきだ/それ以外に方法がないのだから。」という言葉を引いていたからだ。もっとも加藤さんの引用は、本人も明記している通り、旧ソ連のSF作家であるストルガツキー兄弟の小説『ストーカー』(深見弾訳・ハヤカワ文庫)の題辞からの孫引きで、その引用の気持ちを加藤さんは『アメリカの影』の講談社学術文庫版の前書きで、「もう世界に善がない、などといってはいけない。そんなことはわかっている、むしろいま世界を構成している悪から善をつくること、それが考えることの出発点なのだ、と促すこの言葉が、いま、わたしの心には深くしみる。わたしはわたしもこの悪の構成因だと思うが、しかしそのことが、わたしが善を新たに「つくらなければならない」、そのことの理由でありまた根拠なのである。」と書いている。『敗戦後論』も力のこもった本で、その本に対する私の考えはひつじ書房の主宰する「書評ホームページ」に書いたが、それと同時にウォーレンさんの原著も読みたい、読まねばという気持ちがむらむらと湧いてきて、例によって神保町通いとなった。
まず、ウォーレンさんの翻訳で現在新刊で手に入るのは、評論『南北戦争の遺産』(田中啓史+堀真理子訳・本の友社)だけだった。この本は、南軍の兵士だった祖父を持つウォーレンさんの目から見た、逆説的に合州国に一体感をもたらした南北戦争の精神史的考察(力への意志、さまざまなプライド、神話)とでもいった、好感の持てる小著だった。で、古本では、荒地出版社が刈田元司さんの編で出した『現代アメリカ作家集』に収められた、短編「ブラックベリー・ウィンター」(斎藤数衛訳)が見つかったくらいで(プア・ホワイトや黒人たちとの出会いを描いた、南部の少年の成長小説)、仕方なく文学系に強い洋書店でウォーレンさんの何冊かの評伝を立ち読みして(洋書の評伝は索引がしっかりしているので、「悪」だからbadとかevilとかの原語を想像しながら)、先の1行は"All the King's Men"という小説からで(最初、私は詩だとばかり思っていたので、ちょっと手まどった。先の日本語の改行も『ストーカー』の日本語版の題辞を組む時の恣意的なもののようだ)、その前半は"You have to make the good out of the bad."であるということがわかった。そして他にも調べているうちに絶版となっている訳書(1966年刊)の存在もわかり、古本屋でもどうしても見つからないし、図書館でも私の住む江東区内にはないということで、もし見つけられるようでしたらとお願いした。
と同時に、この作品が実在の合州国の政治家ヒューイ・ロングをヒントにしたことがわかり、彼の伝記を中心にした三宅昭良さんの『アメリカン・ファシズム』(講談社選書メチエ)が出ていたので読んだ。ロングは叩きあげでルイジアナ州知事になった男で、貧しい人々の心を捕える税制改革や福祉政策(教育、医療、交通など)を打ち出す一方で、反対勢力の叩きつぶしに、議員や裁判所の抱き込み、買収、スキャンダルによる脅迫など、あらゆる手を使った。そして国政にも野心を見せたが、暗殺された。ここで興味深いのは、ロングの力が強くなりすぎることを怖れた、時の大統領フランクリン・ディレイノ・ローズヴェルトが、ロングつぶしのために連邦からルイジアナへの補助を制限するなど、自らロングのペースにはまって民主主義の枠をふみ越えていったことだった。そのローズヴェルトが原爆による日本の無条件降伏承諾という、国際社会のルールを逸脱した方針をチャーチルと(スターリンを牽制しながら)作り、合州国中心の戦後世界を構想しながら死んでいった過程については、先の『アメリカの影』でくわしく分析されている(史上の政治家は敬称略。以下同)。
そしてやっと『すべて王の臣』が手元に届いた(他の区の図書館に連絡をとって、墨田区の保存用の書庫に1冊だけあった本を取りよせてくれた司書さん、ありがとう)。2段組で540ページ余という訳本を見て、原書をインターネットで注文しなくてよかったなあ、と胸をなでおろしつつ、一気に読んだ。ロングをモデルにした政治家ウイリイ・スタークの汚職による躍進と暗殺までを中心に、彼が政敵つぶしの調査のために雇っている元新聞記者のジャック・バードンを語り部にした、いまどきあまり見かけない、モラルを問題にした骨太の長編小説だった。南北戦争時代のバードンの大叔父兄弟の善と悪の対立など、悪が単なる悪ではなく、善もまた悪に染まることを通して善にいたるといったテーマが、ラブ・ストーリーもまじえつつ、何度も変奏される。
そして肝心の例の1行だが、そのウイリイ・スタークが自分の名前を冠した大事業である、連邦一の病院の長に高潔の医師であるアダム・スタントンを迎えようとし、スタークに協力することをしぶるスタントンを説得するために発せられた言葉だった。するとこの1行は先の加藤さんがロマンチックに受け止めた文字通りの意味とともに、善は汚職のような悪事を通してしか、手を汚すことでしか実現できないという、暗い理想主義(それこそファシズムにつながるものだが)の含みも持ってくる。権力を行使しなければ、善など作れるはずがない、と。
悪から善を作り出さねばならぬ、なぜならそのほかには善を作る方法がないからだ、と彼は言った。(鈴木重吉訳)
私も、やはり善を作りたいと思う者だけれど、その道筋とは何なのか、身の回りに広がる不公正を言葉をかわしながら乗り越えるのが精一杯な日常から、まったく商売抜きの行動を手さぐりで起こしていくといった、つましいことしかとりあえずは考えられないのだが。
おまけを少々。「すべて王の臣」というタイトルはマザーグースの有名なハンプティ・ダンプティの歌による。
ハンプティ・ダンプティ へいにすわった
ハンプティ・ダンプティ ころがりおちた
おうさまのおうまをみんな あつめても
おうさまのけらいをみんな あつめても
ハンプティを もとにはもどせない
(草思社版の谷川俊太郎訳による)
*最後の2行の原詩は"And all the king's men,/Couldn't put Humpty together again."
さらにこの『すべての王の臣』にも題辞がある。「希望が緑色をたもって枯れぬ限り」というその題辞はダンテの『神曲』からで、訳者の後書きから野上素一訳を孫引きすると、
「希望が緑色をたもって枯れぬ限り彼らのなした呪わしい行為のために」、神の恩寵が罪人にまで達しないということはけっしてないのだ。
から来ているという。このタイトルと題辞の組み合わせにも両義性が現れていると言える。
「未発表小詩集」(97/12/26)
諸事情により、と言うより、私が所属している同人詩誌『壘』の原稿の集まりが悪く、半年近く新しい号の編集にかかれなかったため、原稿が1号分あまってしまった(笑)ので、皆さんへの冬のプレゼントというほどのものでもありませんが、ここに発表します。全体で、今進めている「すみれ通信」という作品群の1パートに当たります。タイトルを見ると、いかにも春から夏にかけての作品ですね(笑)。
旗手
きみをのぼりつめるように泣きたいだけだ
方法の成熟が私たちを遠ざけていくなら
私たちを見つけない歌のあふれる街を
方法の破れ目をさがしながら何度でも走り抜けよう
まだ誰も生まれていない夢のように会ったことのないきみを呼びつづけて
打たれながら持続する微笑み
雨にむかって急ぎながら
ゆっくりと成長していく花のようなきみと出会うために
こわれながらくずれながら何度でも言う
きみが好きだ
春の大通りで涙をこぼした友だちよ
きみはきみにとってきみであることを終わってしまった
だからまた始めればいい
きみがかつてのきみであったことを忘れて変わってしまっても
私が覚えているから
誰も立ちどまらない場所で
うなだれた旗のように
会ったことのないきみを待って立っている
目をつぶってひとつひとつの風を感じていると
まだ生まれていない歌のようにきみの影が頬を通りすぎるのがわかる
春の野の歌
日ざしが重さではかれるような
会えなくなったきみが見つめているのかと
ふりかえっても誰もいない
明日がたおれこんでくるようなつぶれ方の一歩手前で
私はまだここにいるよ
誰にも出会わない時間を生み出す言葉の
轟音に毎日吹きぬかれながら
逝くひとや去ったひとが私を思い出しているような風を見つめて
まだ生まれない希望の輪郭のように切り抜かれたまま
まぶしそうな顔でジュースを飲む娘(六歳)に
襲いかかってくる世界という暴力を
私も育てているだけなのか
くずれさるような目にとまらない変化をくりかえして私は待つ
石のようにふってくるものを受けとめ
何人かのひとと通れる道を確保しながら
いつか私自身が裂けて
きみを訪れる歌のようにうかびあがっていくのを
私であろうとする私を抜きさり
あたらしい季節になってあらわれるのを
薫風
誰もいない時間にむかって微笑みながら
私を知っている人に会いたい
私を覚えている道を歩いて泣きたい
終わってしまった方法できみを呼び出そうとしているのか
方法が呼び出すべききみがいなくなったのか
方法がきみに自分を映しながら呼び出そうとしているだけなのか
私の前に椅子があって
十年前のきみや二十年前のきみが
しろい腕をテーブルにのせてすわっている
時間のなかからあらわれたまなざしに微笑みながら
誰もいない坂道をのぼっていくと
時間につぶされそうな少年が歩いていくのが見える
風がきみの気配をはこんでくる
目をつぶってきみを感じていよう
私はまだ読みはじめたばかりだ
別れ
私を見つけた方法も終わっていくね
終わっていく方法のすき間をさぐりながら
私たちを見つけるようにあなたに話しかけるために
変わっていくしかないね
まだ読んだことのないかたちにむかって
小さなノートを買って
かたちになってしまった読むことと書くことの向こうに
かたちになってしまった言葉には見つけられない
あなたと私を見つけだすために
言葉をはがすための言葉を書きつけよう
小さな引っかき傷の希望として
私たちが感情に辿りつくことが
支配のかたちであるという疑い
何かを手放さなければ辿りつけないあなたへと
私はどこまでも薄くなって辿っていくよ
まだ誰もいないかもしれない場所をくぐり抜けるようにして
歌は私たちを歌い終わってしまった
歌から歌が奪われてしまった
私たちには歌がない
私たちのあいだには歌がない
だから歌わなくては
私はもうあやまらない
こわれやすい一日
心のこわれそうな日には
早く帰ろう
好きな人の住んでいる家へ
こわれやすいものばかりこわしてしまう
心がくずおれないように気をつけて歩く
さまざまな傷を吸いよせる
嘆きを少しずつしずませながら
ひとつひとつの傷に
青空のなかの位置をあたえながら
大切なことをいつか話すために
余計なことは話さないようにしよう
言葉が言葉を呼び出して
大切なことを閉じこめてしまうから
労働のかけらを手がさぐりあてるまで
自分をしずめていこう
心のこわれそうな日には
こわれやすいものをこわさないうちに
帰ろう
夏の終わりに
誰かを殺したい自分がせりあがってきたら
誰かを殺したことで死にたくなる自分がこみあげてきたら
いつかきみが好きな人と
坂の多い街を歩きまわることしかできなかった季節の日ざしに
まだ書かれていない言葉になって浮かべよ
すでに書きこまれた欲望の先に歌が行けない日
欲望を引きずり出した言葉たちがたおれている道を
武器を持った少年が自転車で走っていく
書きうるだけの暴力を書きつけた手紙をポケットに入れて
すわりこんだ少女たちが煙草を指にはさんで
携帯電話で現在地を教え合っている
きみたちのどんな希望が明日まで辿りつくかな
聞こえないきみたちの花のような歌を
疲れた買い物客のような街で
思い出しつづけるまなざしの努力!
殺さないための心の防御の向こうから
ある日私はあたらしい歌になって生まれる
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