97.7〜8



97年7月
◯77/7の手帳から 大学3年。ろくに教え方もわからないまま、英語の家庭教師を始めている。思い出すと冷や汗が出る。
◯87/7の手帳から すごい美人と第三舞台のプロデュース公演「朝日のような夕日をつれて・天ノ磐戸編」(木野花・演出)を見ている。何でそんなことが可能だったのか。

「ジャメイカ・キンケイドに夢中そのほか」(97/7/2)

 久しぶりに原書を読んだ。仕事で英語の辞書を作ったり、自分でも翻訳したりするくせに、翻訳本があるとついそっちに手がのびてしまう。翻訳本のほうが手に入りやすいとか、内容のあたりがつけやすいといったこともあるが、とにかく読めるスピードが圧倒的にちがうので仕方がない。でも今回はちがった。ジャメイカ・キンケイドさん(Jamaica Kincaid)という、カリブの島国アンティーガ出身の英語作家の小説『川底に』(平凡社)を翻訳で読んだのだが、訳文がかったるいのだ。原文ならもっと歯切れのいい文章なんだろうなあとか、このあたりもっと伝わってくる大切なものがあるんだろうなあと思いながら、すっきりしない気分のまま読み終わってしまった。ジャメイカさんの作品は他に『小さな場所』(平凡社)、『アニー・ジョン』、『ルーシー』(ともに學藝書林)、『母の自伝』(平凡社近刊)があるが、本屋でぱらぱらっと見たところ、『川底に』ほどひどくはないにしても、やはりしっくりこない訳文だったので、洋書屋でとりあえず『小さな場所』の原書を買ってきたら、これがすごくよかった。3日後には『ルーシー』の原書を買い、これもすごくよかったので、電車で昼休みに行ける範囲の洋書屋を歩きまわっても見つからない後の2冊を注文して、手元に届くのを楽しみに待っている。
 今までに読んだ3冊をもとに、ジャメイカさんの世界を紹介すると、1949年、アンティーガに生まれ、10代半ばまでそこで過ごしたのち、アメリカで学び、フリー・ジャーナリストなどを経て作家になった。アンティーガは80年代に英連邦の一国アンティーガ・バーブーダとして独立するまで、イギリスの植民地だった。その関係で公用語は英語だし、教育など主要な機関・施設はイギリス人にちなんだ名前がつけられ、国全体がイギリス人によって牛耳られてきた。そうした植民地の微妙なバランスは独立によってくずれた。英米や中近東などの資本と結託した一部の人間たちが汚職政治を展開し、観光客のための施設だけが立派で、住民は貧しい暮らしを強いられている。そうした事情を、観光客としての読者(つまり欧米人)を相手に、きびきびとした文体で語った本が『小さな場所』である。ジャメイカさんの故郷への思いには愛憎があふれている。アンティーガを舞台にした短編集『川底に』は民話的とも言えるアプローチで故郷を取り上げている。そして、自伝的な中編小説『ルーシー』は、アメリカへ渡った少女の成長を扱った傑作だ。
 アメリカの裕福な白人家庭に子守を条件に住み込み、夜学で勉強を始めたルーシーは、ホスト・ファミリーの夫婦の、いかにもアメリカ流な愛情生活の嘘を見抜いてしまう。夫人の善意の押し付けにも腹をたてる。しかし、彼ら夫婦の崩壊への過程で夫人への愛が芽生えていく。友との出会い、セックス、故郷の両親への激しい愛憎、最後には崩壊したホスト・ファミリーを離れ、友人と部屋を借り、夜学を辞めてアルバイトをしながら写真を独学で始める。ルームメイトも出かけて部屋に一人きりの夜、ルーシーは夫人にもらったノートに言葉を書きつける。
「誰かを死ぬほど好きになれたら」この文を自分で見た途端、恥ずかしさが大波になって押しよせ、私は泣いた。あんまり泣いたので涙がページにこぼれ落ちて、言葉たちはみんな大きな大きなしみになった。
 くわしくは作品を読んでいただきたいが(できれば原書で)、私はジャメイカさんの作品にほれこみながら、同時にはたと考えこんでしまったのも事実だ。ジャメイカさんの作品は、欧米人の目をさまさせるだけのものを内容的にも文体的にもそなえている。そして、それをこのモラルも風化しかけた日本で、きちんとした抵抗もしていない、弱虫のサラリーマン編集者の私が読んで感動する。それはひどく権力的な行為ではないのか。「風化」と書いたのは、誰でも「心の豊かな教育」とか「やさしさ」とか、「いい意味」の言葉を簡単に口にできるが、その「意味」をほとんど誰もが内実として持っていないという意味だが、そうした場所で、抑圧と戦いながら表現を獲得していった作家の作品を「楽しく」読めてしまうというのは、何か間違っているんじゃないのか。ここのところを腰をすえて考えておかないと、私はただジャメイカさんの作品を「消費」しただけに終わってしまうだろう。そしてそこを考え抜けば、ポリティカルな力を持つ言葉を獲得できるのではと思う。

「さびしさについて」(97/7/14)

 前回の文章でふれた、ジャメイカ・キンケイドさんの今のところ一番新しい小説『母の自伝』(The Autobiography of My Mother) が手に入ったので早速読んだ(Vintage版)。ジャメイカさんの母親の世代にあたる、一人の女性の人生を通して、故郷アンティーガの植民地・奴隷時代を描いた、いつもながらシンプルで力強い小説だった。主人公の父親はヨーロッパ系の血の入った役人で、自分が守るべき人々をふみにじりながら、役得で財をなしていく。娘にいい教育を与えるべく、友人の家にあずけて学校に通わせるのだが、彼女はその家の主人の子どもを身ごもって家出し、手に入れた薬草で子どもを堕ろして不妊の身となる(よって、この「母」の「自伝」がフィクションであることがわかるのだが)。主人公が生まれたときに母親が死んだということが比喩的に示すように、この植民地社会には心の安定というものがない。自分たちが「奴隷」であるという意識を逃れられない人々(実際の原住民はほとんど滅んでしまって、アフリカから連れてこられた人々の子孫がほとんどらしい)、代々の利権を引き継いで自分たちの直接の罪でもないのに喪失感に苦しむ白人たち、女が男を奪いあって当たり前、場合によっては男を独占するために別の女を傷つけるのも日常茶飯事という暴力的なエロスの世界で、主人公は白人の医師の家庭に手伝いとして住み込み、医師の妻が彼女が教えた麻薬的な薬草で死んだ後、医師の妻となるが、彼女の愛しているのは彼ではなく、女房持ちの沖仲士だ。この壮大な南国の自然の中で、何を得、何を失ったのかわからないまま、主人公の父親は死に、夫の医師も年老いていくが、主人公の目にはこの世界の絶望とエロスがはっきりと見えている。
 この、さびしさときびしさのあふれた作品世界。前回のこのコーナーでは、ついジャメイカさんの作品を受け取る側の倫理みたいなことを書いてしまったが、ここでは、やはりいいものはいいのだという立場をおさえておきたい。作品が生み出される必然としての「さびしさ」が、作品をつらぬく「きびしさ」としてあふれ、実現する希有な体験、そのことを素晴しいと思って受け止めること自体には嘘はないはずだ。こんなことをわざわざ書くのも私の頭の中がごちゃごちゃしているからで、頭の中がごちゃごちゃしているのは、倫理とか権威とかについてごちゃごちゃしているのだ。いきなり脱線していくが、最近でいくと、東京日の出町のごみ処分場が地下水を汚染しているから、そのデータを公開すると同時に、これ以上の周辺のごみ処分場化を見直せと住民が言っているのに(わが家も一坪地主)、高裁の馬鹿な裁判官が反対できる住民の範囲は行政が判断するもので、原告たちは(ちょっとした行政区画かなんかで)その住民に当たらないなどという馬鹿な理由で住民を敗訴にしたり、この間はごみのセメント化の実験が成功したので、この技術を導入すればごみ処分場の使用可能期間が倍に伸びるだなんて、現地のごみ処分組合代表の多摩市市長のコメントを朝日新聞が一面トップで報じたり。おいおい、雇われ右翼(多摩市が雇ったのか)が反対住民の家の回りに押しかけて威力行動に出ている(山の中だからやりたい放題らしい)なんてことは1行も書かないくせに、役所の発表だと取材もいらなくて楽だから大々的に書くのか。
 ついでに忘れないうちに朝日新聞のことを書いておくと、野村証券と第一勧銀の問題が紙面をにぎわせているが、同じ新聞の中で小椋佳という音楽家が、取り沙汰されている人物たちは「律儀」にサラリーマンとして働いただけで「哀れ」だと連載エッセー(談話再録)で書いている(7/5 夕刊)。確かに小椋という元勧銀の人はそう思ったのかもしれないし、同じように思っているサラリーマンは多いだろうが、それをすんなり載せてしまうというのはどうか。この言い方でいけば、みんな哀れなサラリーマンか役人かなんかで、やることなすこと親方日の丸で仕方ない、ですんでしまうのではないか。ついでに言っておくと、ここで小椋という人が素朴で無防備な芸術家だから、こんなことを語ってしまったのだとは思わない方がいい。そんなナイーブな人物だとしたら勧銀の役職と音楽家という二足のわらじが履けたはずがない。あくまで彼は自分の有名人という立場を利用して、悪いのは世の中で、関係者はみんな悪くなかったというキャンペーンを、新聞を使ってはっているのだ。
 さらに脱線すると、東大の駒場寮問題というのがあり、寮をこわすために、大学側が話し合いという手続きをふまずに、ガードマンを雇って寮生に暴力を加えたり、チェーンソーやブルドーザーでいきなり破壊行動に及んだりしているのを、見張りを仰せつかった教官たちが談笑したり、記念撮影したりしながら見ているのである(駒場寮のビラを参照)。その教官たちというのがビラやインターネットで流されている現場写真を見ると、フランス文学の松浦寿輝、小林康夫、人類学の船曳建夫など、知のブランド東大が売り出し中の面々なのである。これもサラリーマンだから、公務員だから仕方ないということなのか、それとも「知」などというものは、もともとこの程度のもので、それを岩波とか筑摩とか東大出版会とかの「知的」出版社や朝日新聞などのジャーナリズムが、長年にわたって権威づけて放射してきただけだったのか(東大の功罪については、公害問題にまともに取り組んだために東大で長年冷や飯を食わされた、現沖縄大学教授の宇井純さんの「三省堂ぶっくれっと」での連載「南島通信『公害原論』補講」がためになるので読んでいただきたい)。
 本当は、今回の文章は詩人のAさんから送られてきたメールに、「詩人の戦争責任という地点から考え直したい」という意味の記述があり、そのことについて、倫理とか権威だとかもからめて考えて書こうと思ったのだが、どうでもよくなってしまった。上記と似たり寄ったりな事象に日常的にも囲まれて私は今、むしょうにさびしいのだ。さびしいから表現したいし、いい表現をむさぼるように摂取したい。ただ、それだけだ。金子光晴が戦争を拒否して家族で富士山にこもって抵抗したなんて言っているけど、あれで戦争協力の作品も書いているんですよ、なんて墓堀人夫風情の、表現とは全然次元のちがう話なんてのはどうでもいいのだ。どうでもいいということは、そして表現者の戦争責任などというものに本当に取り組めばどんなに大変なことになるかは、たとえば太宰治さんの「散華」(1944年)1編読めば明らかではないか。兵隊に取られた知り合いの青年からの手紙に「御元気ですか。/遠い空から御伺いします。/無事、任地に着きました。/大いなる文学のために、/死んで下さい。/自分も死にます、/この戦争のために。」という詩のごときものが書いてあり、今まで彼の詩を認めてこなかった作者が初めて、その彼の言葉に詩を感じたという。「死んで下さい、というその三田君の一言が、私には、なんとも尊く、ありがたく、うれしくて、たまらなかったのだ。これこそは、日本一の男児でなければ言えない言葉だと思った。」こうした表現が「戦争責任」を問われるのかどうか、生半可な倫理感で切れるものではない。少なくとも表現者にかぎって言えば、「責任」は「取らせる」ものではなく、それぞれの表現のかたちで「取る」ものだろう。取らないで、いつ滅びてもいいような表現者がはびこってきたのは、やはり先程の東大、朝日新聞に代表されるような権威の放射体が、本当の価値とは別の価値を、自己の延命のためにイメージとしてシステムを強化しながら流し続けているからなのだ。
 さびしい、むしょうに。そのさびしさにこだわり抜きたい。

「夏の読書」(97/7/28)

 前回は「詩人の戦争責任」がどうとか、いろいろと勇ましいことを書いてしまったが、ふと気づくと、自分に専門知識や確固とした主張があるわけでもなく、自分なりに気になって(小心者なので)、鶴見俊輔さんの『戦後日本の大衆文化史』(岩波ライブラリー)をおさらいのつもりで買ってきて、これはこれで素晴しい本だったのだが、読みながら、そう言えば、児童読み物作家の山中恒さんも、戦時中に「少国民」と呼ばれた彼らを扇動した人々の言動を許さずに、いつまでも追いかけていたなあなんてことを思い出したりした。要するに私の言いたかったのは、権力や権威や自らの知名度を借りて、いま現在やすやすと何の反省もなく悪をなしている人々のことを思うと、過去の知識人や表現者たちの責任を調べたり考えたりする気力もなくなるということだったのだが、漠然と生きている私に大したことが考えられるはずもない。でもとにかく何か継続して(おお、この漠然!)考えてみようと、やはり鶴見さんの『思想の落し穴』(岩波書店)も注文して手に入るのを待っているところ(藤田省三さんの『転向の思想史的研究』という、「思想の科学」グループの共同研究の抜粋も、最近みすず書房から出たが、のっけからかなり偏差値の高い表現が続いて読める自信がないので、ちょっと自分の気分をはかっている)。
 これ以外に最近読んでいるのは、前回前々回にしつこく名をあげた、カリブ出身の英語作家ジャメイカ・キンケイドさんの作品(注文した『アニー・ジョン』の原書がなかなか来ないので心配)と、気骨の画商であり美術についての希有な文章家であった、亡くなった洲之内徹さんの文集だ(『気まぐれ美術館』新潮文庫。他はすべて新潮社のハードカバー)。洲之内さんについては、この春に清水哲男さんに教えられて、彼のコレクションや彼が文章でとりあげた作品を集めた展覧会を見るまで、ちゃんと読んだことがなかったのだが、せっかくだからと文庫を買ってきて読んでみたら一発ではまってしまった。何と言うのか、自分の目で、足で掘り下げた文章なのだ。青年時代に好きな女と駆け落ちができないまま一人旅に出てしまったなんて話をしているうちに、いつの間にか絵の話になっていく(いや、そのときはそのまま絵の話にならなかったかもしれない)。旅を重ねることで、その土地土地の風土を体で理解し、その風土から生まれた画家の作品を丸ごと理解する、しかもそれが堅苦しくない、手書きならではの寄り道の多い文章で綴られていく。普通の物書きでも、こうした文章は二、三回なら書けるかもしれないが、洲之内さんの場合これが70年代半ばから亡くなるまでの十数年間、月刊誌連載のかたちで延々と続くのだ。無名のまま亡くなった画家の作品を、現地の知人を介して所有者を突き止め、見せてもらいに行く、そして生前の画家について話を聞く、それがそのまま旅の話になり、自分の来し方行く末の話にもなっていく。戦前に松山から上京して今の芸大に入った洲之内さんが、左翼活動でぱくられて退学になるまで住んでいた、当時の深川東大工町(現在の江東区白河)の同潤会アパートが今でもあり、彼の住んでいた部屋が私の住んでいる西洋長屋のベランダから見えるなんて「おまけ」もあって、当分、洲之内読みはやめられそうにない。
 私は本をいつまで読みつづけるのだろうか。最近、創刊された季刊誌「本とコンピュータ」(トランスアート)は、津野海太郎さん(晶文社)、松田哲夫さん(筑摩書房)といった錚々たる編集同人の顔ぶれにもかかわらず、業界誌かと思えるような、硬い内容のすべり出しだったが、中の座談会で室謙二さんが読書で想像力を喚起するというのは習慣だという意味の発言をしていたのが心に残った。本を読むということが、歴史的に体にも感性にも刷りこまれてきたから、本を読み、本のように思考してきた、ただそれだけのこと。それならば、本がなくなることにおびえたりしないで、次の思考スタイル、伝達方法を考えればいい。それは少なくとも単行本にして、起承転結つけて300ページかかるといったスタイルではないだろう。それぞれの書き手の記録としてはそれ以上の分量が必要だとしても、伝達の際はまず、それをたとえば10キロバイトくらいのファイルで届けること。そんなことを考えていたら、社会学者の宮台真司さんの時評集『世紀末の作法』(メディアファクトリー)が出ていたので買って読んだ。宮台さんは、高校生たちのテレクラやデートクラブによる売春といったコミュニケーションのかたちについて、自らの調査を元に、原因を断てば何とかなる不良といった、旧来の警句の発想がまったく用をなさないと繰り返し述べている。決まり文句になって陳腐化した、権威や倫理のしみついた解釈が現実に追い越されていく過程。それを見つめるきっかけになっただけでも面白い本だった。少なくとももう、地下鉄で一所懸命化粧している女の隣で、写真週刊誌のヌードのページを一心不乱に見ている男なんて光景に出くわしても、まったく理解できない他人だとは思わないだろう。

97年8月
◯77/8の手帳から 本:中上健次『枯木灘』、三田誠広『僕って何』。映画:「トリュフォーの思春期」。若僧にとってはいい時代だったかも。
◯87/8の手帳から すごい美人と映画「テレーズ」(アラン・カバリエ監督)や有頂天というバンドのコンサートを見ている。何でそんなことが可能だったのか。

「8月といえば」(97/8/4)

 忘れないうちに書いておきたいのだけど、8月3日の「新日曜美術館」(NHK教育テレビ)で「画家たちと戦争」という特集があり、写真家の大石芳野さんが,戦前にシュールレアリズムのグループに参加していた3人の画家を取材してコメントする趣向だったが、これが何とも後味の悪い特集だった。3人の画家の方たちの名前は覚えられなかったので、Aさん、Bさん、Cさんとしておこう。画家たちが戦意高揚画を描くことを求められ、応じなければ画材も思うように手に入らないような時代に、Aさんは戦意高揚とも日本軍の敗北ともどちらにも取れるような絵を描いた。Bさんは絵そのものを描かなくなってしまう。Cさんは、グループの存続のためという気持ちもあって絵を描く。報道写真がモノクロの時代に、Cさんの絵を始めとする戦意高揚画は大きな影響力を持ったという。
 Aさんは大石さんにとってどうでもいい存在だ。80歳を越えてもダリやエルンスト風の絵を描きつづけるA さんに「いいアトリエですね」「エロチックですね」といった、おざなりなことしか言わない。Bさんに対しては、少女や自然しか描けなかった平和主義の画家として評価する。戦後もベトナム戦争に反対する絵などを描いた、だからいい画家というわけだ(テレビで見たかぎり、だからいい絵だ、とは思えなかったが)。戦後に画家のグループから除名されて北海道に帰り、集団というものはもう信じないと言って、一人で絵を描きつづけるCさんに対しては大石さんの追及はきびしい。スタジオで後からつけたコメントも、Cさんのように戦争の時代は体験したものでないとわからないと言う人が多いが、時代を作るのも人間ですからと、あくまで描いた人間は悪だと言いたげだ。
 最後には、Cさんを東京に呼び出し、上野の美術館に保管されている、本人も戦後見たことがないという戦意高揚画の前に立たせる。大石さんはここでもまた、悔いのようなものは感じないのですかとたたみかける。Cさんは、これも私なんですと言って大石さんのペースにのらない。要するに、大石さんは、最初から相手と対話する気などないのだ。戦意高揚画を描かなかった画家と描いた画家がいて、描かなかった画家はほめて、描いた画家は悪人だから謝罪させたいという公式見解のアプローチだから、Cさんもかっこいいこと言っても嘘になるだけだからと言って、最初から大石さんを相手にしていない。表現ということに光を当てればもっと対話性のあるいい番組になったのではと思われるのに(テレビで見たかぎりでは、絵はCさんの作品が一番よかったと思う)、高齢の画家に旅をさせる大石さんの視線はあくまで冷たく、最後のコメントも、みなさん重いものを抱えていらっしゃいます、などという形だけのものだった。
 8月になって、テレビも新聞も戦争関係の報道がふえてくる。大石さんのような人がたくさん登場して、形だけのコメントを繰り返すのだろうが、自虐史観を捨てようなんて言ってる識者たちに対するだけのリアリティは持てないだろう。硬直した正義とコード化した知識があふれているジャーナリズムには、歴史や人間の細部に光をあてていくような、やわらかい思考はもうのぞめないのだろうか。何か気持悪い。

「残暑お見舞い申し上げます」(97/8/20)

 お元気でしょうか。お盆の頃は、トップページのカウンターが壊れたんじゃないかと思うほど動かず、とうとう見放されたかといじけていたのですが、ぼちぼちパソコンの前に皆さん「帰省」されてきたようで(せこい話ですが)ほっとしています。
 こちらは相変わらず慣れない仕事にない知恵をしぼってふうふう言っています。去年の今頃は秋に出す辞書のゲラを指の甲で叩きながら見ていたのですが、それ以降は、以前にもお話しした辞書のCD-ROM化をやり、そして今度は辞書を数点、パソコン通信の有料データベースにすることになり、データや検索ソフトの構成とチェックをやっています。オンラインのデータベースについては、私自身はストレスを感じてあまり好きではないのですが、それを作る立場に立たされてみると、どこまで使い勝手を考えたらいいのかとか、どの時点を持ってゴー・サインを出したらいいのかとか、例によってパソコンの機能でここまでできたなんて話は大好きなのに、そこで扱うデータの中味には興味がないスタッフに囲まれて頭を悩ませているわけです。形のないものを作るというのは、つかみどころがなくて気持ちが落ち着きませんが、それも慣れの問題かもしれません。一言一句、自分の目や身体を通して責了とする従来の紙の本作りから、データのチェックをここまでやって、検索ソフトのロジックからこれで大丈夫なはずだ、トラブルがおきたら対処するしかないなんて方向へ、感覚そのものも移行していくのでしょう。
 個人的には、この欄でポリティカルなことを思いつきで書いてしまっては、あとであんなこと書いてよかったのかなと気弱になり、本を買ってきて読むなんてことを繰り返しています。戦争がらみの問題とか政治のこととか、知ってるようで知らないことが多いのです。そんなわけで鶴見俊輔さんの『戦後日本の大衆文化史』、『戦時期日本の精神史』、『思想の落し穴』(以上、岩波書店)や語り下ろしの自伝とも言うべき『期待と回想』(晶文社)などを読んだのですが、文体の硬さみたいなものになじめずにあまり読まずに来てしまった鶴見さんの著作のすごさに、今頃になって驚いています。歴史的な記述にしても、昔読んだときは何か教科書的な文体だななんて思っていたものが、改めて読むと膨大な史料の読破とそれに対してどういう思考方法で分析して光をあてて記述するのかの検討が段落ごとになされているのですね。自分の感性だけに頼るのではなく、思考の方法論の学習とその応用ということを意識しないといけないなと自戒しています。
 その他、戦前の左翼のことも頭に入れておこうなんて軽い気持ちで、立花隆さんの『日本共産党の研究』(講談社文庫)を読んだのですが、エリート意識とか他人に対する疑いとか、日本のインテリの暗い部分を凝縮した内容で、たまたま読んでいた数日が寒気で夏とも思えない涼しさだったこともあって心身ともに調子をくずし、10年ぶりくらいで鬱病っぽくなってしまいました。1週間ばかり頭と身体がばらばらでどうなることかと思いましたが、何とか持ち直して、自分にできることとできないことを見極めながら、休み休み仕事をしたりものを考えたりしています。知識を詰め込むのもあせってはいけませんね。ちなみに、うちの奥方に言わせると、私のそうした欝とか苦しいとかは顔にまったく出ないのだそうです。もともと暗い顔だということでしょうか。損なものです。
 東京では、また暑さがぶりかえしています。そちらはどうでしょうか。台風の被害に会われた地方の方は大変ですね。お見舞い申し上げます。何かございましたらご連絡ください。楽しいお誘いもお待ちしています。

「鶴見俊輔『期待と回想』を読んで」(97/8/25)

 先日、 NHK教育テレビで鶴見俊輔さんのインタビュー番組(「未来潮流」シリーズ)を再放送したのを見たら、インタビュアーの関川夏央さんが、以前は鶴見さんの行動的知識人という姿に目が行っていて、著作をちゃんと読み出したのは80年代の終わり頃からだという意味のコメントをしていて、似たような体験をしてるんだなと思った。
 高校生くらいの頃(70年代初頭)からベ平連の仕事などを通して鶴見さんの名前を知り、『限界芸術』(講談社学術文庫)、『現代日本の思想』(久野収さんとの共著・岩波新書)、『語りつぐ戦後史』(対談集・講談社文庫)などの著作を読んだのだが、進歩派知識人のメッセージを受け取って、何かいい気になりたい「青い」読者には、鶴見さんのけっして声高にならない批判や歴史の新しい分析などの意味が受け止められなかった。講演を聞きに行ったこともあったが(ベーシック・イングリッシュの思想的背景と可能性、といった内容だった)、結局、82年の『戦時期日本の精神史』(岩波書店)を最後に、漫画についてのエッセーを時折目にする他は、まとめて読むことはなくなってしまった。
 それが今年の始めに古本屋の店先に『アメノウズメ伝』(平凡社)がゾッキで積んであるのを買ってきて、その自在な語り口に驚いたことや、また昨今の「自虐史観」云々の動きなど、世の中のヘンな動きに対して少し歴史を復習する必要を感じたことをきっかけに、鶴見さんの著作を何冊か続けて読むことになり、それはこれからも続きそうだ。
 『期待と回想』(晶文社)は著作集(筑摩書房)の刊行をきっかけにして、数人の編集者や研究仲間の質問に答えるかたちで、鶴見さんが自伝的な事柄や思考の方法論を語り下ろした本で、私の知るかぎりでは鶴見さんの舞台裏がまとめて覗けるユニークな本だ。政治家の後藤新平の孫に生まれ、母親の異常な期待に反発して、狂言自殺したりグレて学校を放校になったりで、スキャンダルを恐れた父親によってアメリカに留学させられる。頭がおかしくなりそうになりながらも英語を何とか身につけ、ハーヴァードに入ってアメリカ哲学をがっちり学んだことから、絶対的に無謬である思想はないという「まちがい主義」に立つことになる。鶴見さんがこれは誰それのこれこれこういう方法で、何について考えるときに役に立ったなんて話を読んでいると、アタラシモノ好きの快感主義で中年まで生きてしまった55年生まれの私は、つくづく自分に方法意識が欠けていたことを気づかせられる。
 タイトルの「期待と回想」も、歴史を結果の出てしまった今の時点から「回想」するだけではなく、結果の出ていない当時の時点に立って、そこにあったさまざまな「期待」の意味をさぐることで、「まちがい」だったかもしれない行為や思考の可能性を見出していく、という鶴見さんが学んだ方法から取られている。この本を読んだあと、『戦時期日本の精神史』を再読した。明治政府が作った、庶民は天皇崇拝の軍隊教育、エリート支配層は西洋の先端教育で、という2本立て構造が、日露戦争後に次第に崩れ、エリート層にまで天皇崇拝が虚構ではなく信じられるようになることで、国力を越えた侵略戦争の時代に突入していくという分析のすごさなど、10数年前にはわからなかったすごさが見えてきた。西洋学問の吸収に力を注いだ、東京大学を頂点とする効率化教育が、「個人」ではない均質化したエリートを生んでいることの弊害(これは先のインタビュー番組でも強調されていた)など、さまざまなヒントをもらった。

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