97.5〜6
97年5月
◯77/5の手帳から 映画:S.スタローン脚本・主演の「ロッキー」。芝居:状況劇場「蛇姫様−−我が心の奈蛇」(唐十郎作・演出)。欝屈しながら遊んでいた。
◯87/5の手帳から 鈴木志郎康さんに誘っていただいて、同人詩誌「ト、ヲ(止乎)」に入る。他のメンバーは金子千佳さん、山内靖子さん、渡辺淑子(渡邊十絲子)さん。新宿書房の松岡毅さんと、ムーンライダーズの鈴木博文さんのエッセイ集を作るために、羽田のご自宅(通称「湾岸スタジオ」)を訪ねている。
「光のなかの子どもたち」(97/5/1)
休日の午後、快晴。マンションの庭で娘の薫(小学校1年生)は幼なじみのヒデくんと、お父さんの仕事の関係で、去年、韓国からやってきたジョンウンくんという二人の同級生を見つけて、ジョンウンくんの弟と合わせて4人で、奇声をあげながらかけっこしている。ジョンウンくんも日本語がかなりうまくなって、みんなにスタートのフェイントをかけられて、「レディ・ゴーしてないぞ」と大声で怒ったものの、また走り出している(「レディ・ゴー」とは、子どもに人気のプラモデル、ミニ四駆シリーズとタイアップしたマンガ、アニメのせりふの影響です)。薫の弟の真木(2歳半)は、ときどき思いついたように、みんなのあとを追いかけたり、地面にぺたっとすわってアリさんを見てたり。父親としては、マンション用の小型鯉のぼりもベランダに飾ったし天気はいいしで、日頃のうさを忘れ、ほっとひと息の一瞬である。
薫が生まれて6年半。休みの日だけでも子どもと付き合っているせいか、パートナーほどではないが、マンション内にかぎらず、近所の子どもたちの顔をだいぶ覚えた(向こうからは「有名」なお父さんというわけ)。いろんな子どもがいるなあ。私立の遠い小学校に通って、休みには空港まで親がついていけば、あとは北海道の親戚まで一人で行ってしまうという、しっかりした女の子、おとなしすぎて、他人とうちとけるまですごく時間がかかって、友達がなかなかできない女の子、保育園でもまれたせいか、しっかりしておしゃまなのに、どこかさびしそうな女の子、アトピーのせいで幼稚園を休みがちだったけど、明るくていかにも子どもらしい男の子、いかにも下町っ子という感じのパワーあふれる、いたずらな男の子。みんな元気にやってくれよ。学校なんかに負けるなよ。いやなことあったら、おじさんに言ってくれ。すぐ刃物を持って抗議に行ってやるから(これは半分冗談です)。
と書くと、順風満帆のようだが、やっぱり、いじめとか、あるんですよねえ。母親同士がグループ化して、他の家族をシカトするとか。これは、身近に聞き知った範囲では、なぜか男の子の親が多いようだ。あそこは私立幼稚園に通わせたから生意気だとか、あそこの子はうちの子とケンカした、うちの子がケガしたらどうするんだ、なんてことをきっかけに集団でシカトしたり(エレベーターで会っても目も合わせないとか)、悪口を言ったり。それだけが原因ではないと思いますが、いたたまれなくて引っ越ししてしまった家族もいたそうだ。うちは今のところ、女の子だからなのか、パートナーの一見温厚でぽーっとした印象のせいなのか、巻き込まれてはいないのだけれど、そういうママさんたちの子どもを見たり、あとで話で聞いたりして、私自身カチンとくることも少なくない。持ち物をやたら自慢していばったり、人の持ち物をけなしたり、弱い子を汚いもののように扱ったり、他の子が拾って遊んでいたおもちゃを自分のだと言い張って(嘘なんだけど)取り上げて泣かせたり、子どもと言ってしまえばそれまでなんだけれども、親の価値観が無意識にむき出しになっていて、見ていて不快になる。
今のところ、その場にいなかったり、いてもタイミングが合わなかったり、親から陰湿な反発をされたら困るなとためらったりで、先ほどの勇ましい言葉とは裏腹に何もしていない。それに、うちの娘自身にそのあたりの呼吸がまだわからないうちから、親が、あの子はいやな子だなんて言いたくないし。昔だったら、近所の頑固親父みたいな人がいて、他所の子だろうと悪ガキの頭をこづいたりしたところだけど、この御時勢、もう少し様子を見るしかないな。
「ジョンウンくーん」 向こうのジャングル・ジムの方から、ヒデくんの大声がひびいてくる。これだけ遊べば、今夜はみんな早く寝るだろう。
「爆音の詩人 伊藤聚さん」(97/5/5)
伊藤聚(あつむ)さんの新詩集『公会堂の階段に坐って』(書肆山田)を読み終わったのは、渋谷に去年できたミニ映画館のロビーだった。80年代の単館ロードショー建設ブーム以来、最近ではこうしたキャパが100人ちょっとの小屋をワンフロアーに2、3館というかたちのミニ・シアターがふえていて、そのこと自体はどうとも思わないが、ロビーが狭いわりには映画館側の段取りが悪いとか、客を小屋に詰め込むモノとしか思っていないようなのは困りものだ。それはそれとして、そこで観た侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「憂鬱な楽園」は、不景気な台湾で、博打場をしきったり、土地取り引きに口をはさんで上前をはねたりしながら、明日の見えない生活に追われるちんぴらコンビの焦燥感を描いた映画だったが、その解放感のなさが妙にリアルでこちらもつい日頃のうさや疲れが身体にしみ出して、ちくしょう、ひどい仕事の仕方をさせやがってなどと気持ちがぎとぎとしてくるのだった。映画としては、テンポの悪さとか女優たちがまるで生気がないことなど、失敗作かもしれないが、そのリアリティの持たせ方は侯孝賢監督の新しい展開につながるものかもしれないと思う。
さて伊藤聚さんの新詩集だが、先ほど私が感じたと書いた気持ちの「ぎとぎと」とくらべると、伊藤さんの作風は、もしそうした日常的な欝屈を感じたとしても、「ぎとぎと」ではなく、言葉の「ぎらぎら」「きらきら」に発酵させ、そして発光させてしまう詩風であって、この新詩集ではその傾向にますます磨きがかかっている。伊藤さんは何を見ても、そこから表現を立たせていくときに、怒り心頭に発したとでも言うかのように、言葉の日常的な意味のつながりを吹きとばしてしまうのだ。
「地図を透して眺める前方は ことごとく憧れとフィットしている 黄色のストライプの砂漠とグレイの水玉の空 分け入っていくのではなく含まれていく」(「飛筒」)といった詩句は街を歩きながら見た風景をメディア論風に展開したものと読めるが、そうした意味で押さえ込む読み方は詩人によって「甘え」として封じられる。「胸に輝くこの缶切りを見よ これでギザギザに蓋を切り取って筒になったのだ」(同前)というように。この「蓋」はこの詩集に何回か姿をあらわす。
ありがたい 蓋はいない、ヒキガエルでも乗せてあの頃のアパートへ行き
抑圧にとりかかっているのだろう、ひとつおぼえの。
(詩集の冒頭作品「自転」)
蓋の音ばかり
住居群におとしぶたの月
すこしくぐもって 雫をくださいと声もはじまった (「冬の詳解」)
たぶんこの問いはそこへ収まる 罠だ
缶詰の蓋はまだ缶切りに出会ってないと −−
それは見せかけで
わたしの新鮮な肉の色を見たと言うのは
わたしがいたと言い張るための惹句だ (同前)
こう見てみると、この詩集は冒頭の「自転」から、作者の生きてきた時間をはらませた「風の家」「公会堂の階段に坐って」を経て、前記の「冬の詳解」「飛筒」にいたる、言葉の日常的な意味のつながりの枷(蓋)を吹きとばして、詩という言葉の戦場で戦っていくという、作者の確認、宣言なのかもしれない。伊藤さんの今回の詩集には、日常的な感覚では聞き取れない、言葉の爆音が響きわたっている。そして、その爆音の向こうには伊藤さんの批評眼がするどさを増して待ち受けていると思える。
いつまでも遠く 星が星を産みあって光が凝固していくところ
いつでも途中のどこか 闇のきらめきをひと駒だけ挿入する
(詩集の巻末作品「言いそこない」の末尾2行)
できれば、このすごさ、こわさを誰かと共有したい。
「出版をめぐる長めの雑談−−編集者がいなくなる」(97/5/16)
いわゆる書評雑誌や、業界人(硬い出版社の社長とか)や評論家が書いた出版についての単行本のたぐいは普段はほとんど読まない。本についての本は、亡くなった小野二郎さんの本のような、文化史的な奥行きをもった本は別格として、私が編集者だからなのかもしれないが、内輪の話に思えていい気持ちがしないのだ。
そんな私でも、晶文社の津野海太郎さんが書いた『本とコンピューター』『本はどのように消えてゆくのか』、津野さんらが編集した、京都の印刷屋さんの若旦那である中西秀彦さんの『活字が消えた日』『印刷はどこへ行くのか』(以上、いずれも晶文社)は興味深く読んだ。きわめて大ざっぱに言えば、津野さんの本は、コンピュータやネットワークの社会への浸透などによって、本がどう変わっていくかを歴史的背景をおさえつつ考えた本で、それに対して中西さんの本は印刷会社の経営者として活版印刷から電算写植およびオフセット印刷へと会社全体を切り替えた体験をもとに、出版と印刷の現状とこれからを考えたものだと言える。
お二人の本を読んでいると、今でこそ、仕事では電子ブックだ CD-ROMだと追いまくられ、家に帰ればホームページだエキスパンドブックだとコンピュータ漬けになっている私なりの、18年前に出版社に就職して編集者修行を始めてから現在までの流れやこれから直面するだろう問題点が、歴史とともに整理されて見えてくる。
今でもよく覚えているが、某出版社に入った新人研修の一環として、その会社の印刷所(10年くらい前に別会社にされてしまったが)に行かされた。そこでやったことは自己紹介と抱負のような文章を自分で活字を一字一字ひろって、それに行間をつけて1ページ分の本文に組み、それを刷ったものを扉ページにしてあとは白紙の、自分だけの本をハードカバーで作るというものだった。活字の原形となる文字(いわば原画か)を精巧な機械を使って書くプロセスや、キーボードで入力指定した文字の活字を鋳造するモノタイプという機械も見せてもらった(以上についてくわしくは中西さんの『活字が消えた日』をお読みください)。活版の職人さんたちはやさしいが、プライドも高かった。私は英語の教科書の編集者になったのだが、欧文の組版はどんなにタイプライターで原稿整理して組み上がりのページ数を予測してもうまく行かない。活版の現場から1ページ途中でくるってしまうけどどうする、と直接電話がかかるたびに、ひやっとしながら電話にむかって頭をさげて訂正をお願いしたものだ。
その後、18年、活版印刷から手動写植とオフセット印刷へ、そして電算写植、大印刷会社がそれぞれに開発を進めたCTS (Computerized Type Setting 、まあDTPの巨大なお化けのようなシステムです)、DTPによる社内組版へと、仕事の形態は音をたてるような勢いで変わってきた。電子出版にいたっては紙の上で赤字を入れて文字データを直す工程はほんの前半にすぎず、 あとは校正刷り代わりのCD-ROM 盤をマックやウィンドウズにかけてディスプレイで検証する仕事が中心になる。
自分の仕事の話はこれくらいにするが、結局その間に学んだことは、本にせよ電子出版にせよ、技術的なことよりは、やはり一つの出版物を作るにあたって、著者やデザイナー、印刷屋さん、あるいは社内の営業マンといった人々との関係を、予算やスケジュールをにらみつつ、風通しよくしながら仕事を進めていく、いわば人間関係の技術のようなものだったと言えると思う。
前記の津野さんや中西さんの本では、レベルの高い形で本や印刷のこれからが考えられていて、それはじつに面白いのだが、それとは別に私などがきわめて低次元で考えると、こうした人間関係を作りながら出版物を作る姿勢そのものが、くずれてきていると思える。びっくりするほど関係というものに鈍感な編集者がふえている。署名原稿を相談なくがんがん書き直して著者に怒られ、「読みにくいから直したのに」「こうした方が面白いのに」とぶつぶつ言いながら編集者が元に戻したなんて話は、いろいろなところで聞くようになった(著者が文句を言ったら編集者が居直ってしまって解決にすごく時間がかかったなんて話も)。友人が英語の参考書を書いたら、編集者がネイティブ・チェックにかけて、「しるしを付けたところは(英語が)間違いだそうですので書き直してください」というメモが付いただけの原稿を返されたという。その編集者にとって、ネイティブ・チェックとは新しい文例を作って著者に提案するという作業ではなく、原稿に○×をつけて採点するようなものだったのだろう。最近で一番すごかったのは、某出版社の編集者からの英語の参考書を作るにあたっての引用許諾願いだった。私が作ったニュース英語の学習書の「6分の1」を「引用」し、他社の本からの「引用」と継ぎはぎして1冊を作るのだと言う。添付された原稿のコピーを見ると、英語の原文以外は訳文などやはり真っ赤に赤字が入っていて、このどこが「引用」なのか、「引用」の分量から言っても常識を逸脱しているのではないかと電話で話したのだが、相手は何を言われているのかも理解できなかったようで、その後、連絡は来ない。
関係が見えなくなるところから、単なるモノとしての本が量産されはじめる。モノとしての本は経済効率だけですべてが測られる。編集者たちにとっても本がモノ、素材でしかなくなっていく。本を作る人間がこの調子だから、一般の読者にとっても、本がメッセージを交換するメディアというよりは、自己マッサージのためのモノと化していく過程は、雑誌とベストセラーのワゴンセールとパソコン本のコーナーばかりが混んでいる大書店の売り場を見るまでもなく簡単に想像できる。教養主義的な「本は人を作る」といった身体観は、もはや「識者」と言われる人々の観念にすぎなくなってきている。
本は当分はなくならないだろう。雑誌やエンターテインメント、実用書、専門書は、大出版社や方針のはっきりしている専門出版社や小出版社によって支えられていくだろう。その中間に位置するどっちつかずの出版社は、経済効率の追及に追われて内実ともに空洞化する、あるいは滅んでいくというのが私の見方だ。そこでは、編集者を育てる余裕も蓄積もないし、営業がとってきた、タイアップなど広告がらみの仕事を処理するために、編集者を「置いておく」なんて姿になっていくのではないかと思う。と同時に高度化していく印刷製本技術によって、著者が出版社抜きで本を自主制作で必要部数だけ作る形がふえていくだろう。生き残った編集者はそこで彼らの友人として、仕事ではなくボランティア的に手助けするということになるのかもしれない。
結局、愚痴っぽくなってしまった。あとは、私が本当にどうしたいのかということだけ。
「時間が産み落とした本−−島尾伸三『月の家族』」(97/5/19)
半年ばかり緊張状態の続いた電子出版の仕事が一段落したので、代休をとって目黒区美術館に亡くなった美術評論家であり気骨の画商であった、洲之内徹さんにゆかりのある作品を集めた展覧会を見に行った。村山槐多さん、柳瀬正夢さん、岡鹿之助さん、松本竣介さんら、戦前戦後の日本の画家たちの油絵を中心にした約200点の作品が展示されていて、写真やらインスタレーションやら、現代美術を見慣れた目には、それぞれの作品にかけられた時間の手ざわりが感じられて新鮮だった。
夕方帰ってくると友人からメールが来ていて、それはなかなかうまくいかずに一週間ばかり続いていた、マックとウィンドウズの間での私の作ったファイルのやりとりについてなのだったが、圧縮だ変換だ、どこそこのディレクトリーに何とかのパスワードで入ってアップロードだなどとやっていると、さっきまで自分がいた、雨あがりの街の美術館での時間との落差にくらくらしてくるのだった。
写真家であり文章家でもある島尾伸三さんの新しい本『月の家族』(晶文社)もやはり時間について考えさせられる本だった。島尾さんは亡くなった作家、島尾敏雄さんの御子息で、私小説的な作品『死の棘』(晶文社版の島尾敏雄全集ほか)などに描かれた、両親の愛憎に苦しみながら成長された体験を、短い文章をつづりあわせるようにしてまとめた本が、この『月の家族』ということになる。
と言ってもきつい話ばかりではなく、いたずら好きだった島尾さんの、少年時代の思い出がじつにディテール豊かに描かれている。切手集めに夢中になって奄美大島の街をあの手この手を駆使して飛び回る話や友達や先生の話など、本当はすごく楽しい少年時代だったんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。
それにしてもこのディテールの豊かさは何なのだろう。言葉を読んでいるはずなのに、いつのまにか、島尾さんとその時代のその場所にいるかのように、風景や人がこの目に浮かんでくる、日差しや風までもが感じられてくる文章なのだ。病弱で寝たきりのまま、天井やふすまや障子を「美術品のように観賞」していたという体験がもたらした眼力なのかもしれない。島尾さんが病床にふせっていたときに、夜、門の前で琴を演奏する人がいたという話から引用する。
寒い夜に、なぜ私の住んでいる家の門先で演奏するのか理由はわかりませんでした。その力強くて優しい音に恵まれるのはもう最後の夜かもしれない、とそのたびに思い、夢中で聞き入りました。
起き上がれるものなら、演奏をしている人に会い感謝を伝えたいと願いましたが、声を出すのも億劫なほどに衰弱していたのです。家族の寝静まった暗闇で、両目の脇を熱い水がこぼれるのを感じるのでした。(「小さな注射器」)
島尾さん自身の書いているところによれば、四歳の頃から、自分の体験を記録しなければという使命感を感じていたのに、「ネコの毛が宙を舞うおかしさ」が作文に描けないことからあきらめたのだとのことだ。その思いが写真家としての出発につながったのかもしれないが、どうしてどうして、島尾さんは希代の文章家なのだ。つらかった少年時代を、人々を傷つけないように、そっと包みこむように書きつづった『月の家族』は、舞台となった時代から30年以上を経て、びっくりするほど強靭な島尾さんの記憶とやわらかい文体で貫かれている。逆に言えば生きることに感じた棘を少しずつ抜きながら、表現を結晶化するにはそれだけの時間が必要だったのだろう。時間をかけて産み落とされた、愛惜のつまった、人を癒す力を持った本だ。
97年6月
◯77/6の手帳から 本:文庫化された金子光晴さんの『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』など。先日、閉館した文芸座で「やさしいにっぽん人」(東陽一監督)など、自主制作の映画を何本か見ている。
◯87/6の手帳から つげ義春さんの『無能の人』が無職低収入の心にしみた。詩人の伊藤比呂美さんとAV女優の黒木香さんの対談集『性の構造』、こんな結構まじめな本でさえ買うのが恥ずかしかった時代。
「メディアをめぐるメモ」(97/6/5)
英語の手紙辞典のCD-ROM出版という大仕事が一段落して、ほっとひと息つけたものの、緊張を強いられる生活から解放された反動もあってか(何か例の事件の人質の話みたいだな)、今度は空しさがこみあげてくるような、精神不安定な毎日だ。忙しい時には、時間をやりくりしてでも、本を読んだり映画を見たりしていたのが、何を読んだり見たりしても自分一人なんだなという気がして仕方がない。
それはここ2、3年の、友人が精神的に倒れたりいろいろなことがあったりの、自分が引きずってきた不安定な感情生活に舞い戻ったという個人的な事情もあるのだろうが、今まで関わってきた出版という仕事の変容を自分の身体で受け止めてしまったということがやはり大きいのではないかと思う。
一言で言うと、ひとつの電子出版物を作って書店なりソフトショップなりに出したわけだが、自分で出版物を作って送ったその向こうに誰かがいるという感じがどうしてもしないのだ。サンプル盤を使おうとした方々からの質問の電話やメールなど、担当者として直接に応対しているし、実際に売れ始めているのだから、自分の行為の向こう側に誰かがいることは確かなのだが、自分の行為が関係を生み出したという気はやはりしない。今、売り出し中の百科事典のCD-ROMを見る機会があったのだが、受け手としても何かが届けられた気はやはりしなかった。記述もまちまちだし、パソコン上での実用性があるならともかく、ただディスプレイで読んだり見たりするための百科なんて、確かにマルチ・コンテンツではあるのでしょうが、作るのも楽しくなさそうと思ってしまった。
しかし、これはコンピュータがらみだからだというわけではなく、ふっと時間ができて回りを見ると、テレビにしても雑誌にしても映画にしても、スポンサー探しが第一義で、広告がらみでできあがった箱に、どれも似たような言葉や映像をならべているだけで、何の手触りも感じられない。そう言えば前は忙しいとよくCDの買いまくりをしたものだが、今回はそれもしなかった。音楽関係の仕事をしている知り合いに聞いたところでは、新人ミュージシャンのCDを出すときなど、ライブの回数、地域性、動員数、自主制作版の売り上げなど、すべてデータ化されていて、作品の善し悪しよりも、データ的に一定のラインをクリアできないと企画がなかなか通らないということだ。同時に、CDを出すにあたっては、その歌をCMなりテレビ番組なりで使わせるための営業だけを仕事にしている会社もあるというから恐れ入る。そんなこんなで今年になってから比較的よく聞いたのは、最近復活したアメリカの元パンクの女王、パティ・スミスと、アイスランド出身のスター、ビョークの歌だけだった。二人の歌を聞いていると、そこに人がいてその人の声が聞こえてくるという気にさせられるのだ。
もともと本にしても音楽にしても何にしても、表現している人の存在、受け止めている自分という存在、自分以外にもその表現を受け止めている人々の存在を感じることで、自分が生きている空間や時間の広がりをリアリティをもって感じ、気持ちを癒したり励ましたりするものだったと思うが、商品化のシステムができあがって肥大化してしまった今(特にこの日本では)、そのシステムの隙をついてピュアな声を表現する、声が届くということが難しくなってきているのだろう。生きることも、言語を介したコマーシャルの表現みたいになってしまっているから、声が届いても聞こえないかもしれない。
仕事の話をしていて「ユーザー」だなんて、口にしていることに気がつくとぞっとする。
「弱虫のゆくえ」(97/6/18)
清水哲男さんから新刊の『現代詩文庫 148 続清水哲男詩集』(思潮社)を贈っていただいた。10代の頃からの(今、私は41歳−−笑)ファンとしては嬉しいかぎりである。しかも、収録された作品が最近のエッセイを除くと、私が20代の頃の作品ばかりなのだ。なつかしい。身辺のあれやこれやにもまれにもまれて、詩を読むことや書くことに素直になれないことが多くてちょっぴり悩んでいる中年男として、このなつかしさに甘えて、しばしひたらせていただくことにした。そうすれば、今の自分や自分の詩の行き詰まりを越えていくきっかけが見えてくるかもしれないし。
まだ読み終わっていないのだが、昔読んでわかったつもりになっていた詩が、言葉の切り返しが結構多くて何度も読み返すことになったり(「麦酒論へのクロスフィルター」の離れわざ!)、若い頃には読み取れなかった女性関係(哲男さん、こんなこと書いてごめんなさい!)が、各詩集からの抜粋を1冊にならべることによって、うっすらと見えてきたり、関係性へのニヒルな意志表明を歌った傑作「***きみとは往けない。***」に改めて感じいったり……。そうこうするうちに、お礼を兼ねて、パソコン上で読む電子本であるエキスパンドブックの、ヴァージョン・アップしてMacでもWindowsでも見られるブックを簡単に作れるようになったというツールキットで、哲男さんの小詩集を作ってみようと思い立って、今回のアンソロジーに収められた元の詩集を全部引っぱり出してきて、ますますなつかしさにひたったりすることになってしまった。
そんななかで、ふっと立ち止まったのが、詩集『地図を往く雲』(1983・紫陽社)の「RETURN」と題されたあとがきだった。自分を「弱虫の気質」と規定しながら、自分の尻を叩いてくれるはずの世間が活力をなくし、無気力な層が厚みをましていくなかで、自分のような「本当の弱虫は、本当の弱気を発揮することが難しくなってしまう」と書いている。そうした状況のなかで、哲男さんは、パーソナル・コンピューターを買ったことにふれ、「弱虫にとってみると、あれは実にいやらしい機械であることがわかってきた。つまり、パソコンの兼ねそなえているいくつかの機能が、人間の弱虫が持っている本質的な機能と、まったく相似していることがはっきりとしてきたからなのである」と書く。「人間にあおられてこの機械は素早く動くが、決してみずからを破壊するところにまでは、出ていこうとしないのである」(念のために繰り返しますが、1983年の文章です。やっと個人用の「ワープロ」が普及し始めた頃です)。
ううん、忘れてたなあ、この文章。だいたい読んだ当時は会社でワープロにさわり始めたくらいの頃で、書かれていることの意味がわからなかったんだろう。今は、少しわかる。インターネットにいる弱虫のホームページの群れ、アイドルの情報や無断引用の画像の群れに代表されるような弱虫のページの掲示板を読むと、秘密のディレクトリーを作ってそこに画像をアップし合ったりしている様子がまざまざと伝わってくる。確かに遊びとしては面白いから、弱虫である私も力なく笑ってしまったりするんだけれど、私が彼らのようにならないとすれば、それはやっぱり自分が弱虫であることを、いつも思い知らされて生きてるからだろう。ここで「弱虫」と言うのは、つまりは自分にとっての第一義で生きられず、「自分で悪いと思ったことはしない」という第二水準で生きている、くらいの意味で言っているのだが、最近の弱虫たちの怖いところは、自分が弱虫であることを思い知らされることもなく(つまりは何者かを尊敬したこともなく)、たとえば日夜、この弱虫機械に約束事に乗っ取った命令を打ち込んで、 自分が何事かをなしとげたかのような気分にひたっていることであろう。要するに彼らには、こうした行為を自分で照れて恥ずかしくなったり、力なく笑ってみたりする回路がないのである。
哲男さんの文章は、だからと言って、この弱虫の機械を否定して、素朴な人間至上主義に身をゆだねたりすることなく、あくまでつきあってみようとした上で、ご自分の詩の話になっていく。頭の硬化した知識人たちに対して、一見カジュアルに見える姿勢で新しい表現を切り開いていった哲男さんの、面目躍如たる文章である。ますます、他人が存在することすら受け付けないような弱虫ばかりになっていく時代に、私もまた筋金入りの弱虫として何ができるか考えてみようと、少し元気が出た。
あ、何か、この哲男さんの「RETURN」も猛然とエキスパンド・ブックにして世間にまきたくなってきた(原著は絶版です。念のため)。
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