97.1〜2



97年1月
◯77/1の手帳から 大学2年生。芝居:転形劇場「小町風伝」(太田省吾作・演出)、その他、公会堂などを借りてよく開かれていた自主上映会で「去年マリエンバードで」などのいわゆる名画を観ているがほとんど記憶にない。
◯87/1の手帳から 失業中。高校の国語教科書の編集以外はほとんどろくな仕事をしていない31歳。詩集:稲川方人『われらを生かしめる者はどこか』、評論:松下竜一『狼煙を見よ──東アジア反日武装戦線“狼”部隊』ほか。

「メイプルソープとプリクラ写真」(97/1/2)

 年末に、帰京した友人と新宿で飲もうということになって、ついでに「ロバート・メイプルソープ展」(三越美術館)を見てきた。ポートレート、ヌード、花、セックスといった分類で手際よく整理された館内は、それほど混んでもいなくてのんびり見ることができたのだが、メイプルソープ (1946-89) の写真は何かを語りかけてくる写真ではないということを改めて感じてしまった。モノクロが多い作品群は、コンポジションの追及とコントラストの強さを性格としていて、黒い(あるいは濃い色の)服を着た被写体の場合、黒いバックにほとんど身体が溶けこんでしまっているほどだ。被写体はモデル、花、部屋、あるいは作者自身であるを問わず、明晰な形(花についてはカラーも多く、色彩の効果についてかなりの技術が駆使されているようだ)を追及するためのオブジェになっている。つまり、写真が写真として完成されたときに終わってしまっているかのような写真なのだ。
 こういうのを「クール」と呼ぶのかもしれないな、と思ったが、1枚だけ気持ちに引っかかってくる写真があった。自分の美を写真に定着させるために協力を惜しまないタレントやゲイたちにまじって、その写真の女性は何の変哲もないスーツ姿で、身体を少しよじって早く撮りなさいとでも言いたげにレンズを覗き込んでいる。その彼女が、このコーナーの11月の文章でもふれた、いろいろなイメージに合わせた自写像を特徴とする、写真家のシンディ・シャーマンだったので、関節がはずれたような楽な気持ちになれたのだった。自写像を撮りつづける写真家の素顔のポートレートを撮るにあたって、メイプルソープはコンポジションの追及を離れて一瞬、撮る楽しさに戻れたのではないか、と想像した(シンディ・シャーマンのポートレートは私が見るかぎり、メイプルソープの作品集には収められていないので、生前の彼自身はこの写真を公表すべき作品とは認めていなかった可能性もある)。
 館内の解説には、メイプルソープは金がなくて、自分をモデルにして人間を撮る場合のコンポジションを勉強したというようなことが書かれていたが、そう言えばメイプルソープも自写像の多い写真家だった。ロラン・バルトが『明るい部屋』(花輪光訳・みすず書房)の中でオマージュを捧げていた、上半身裸の美青年の彼が、画面左で明るく微笑みながら画面右に向かって裸の腕を伸ばしている写真を始めとして、初期の確かにエチュードとして撮られたかのような一連の作品から、エイズでなくなる晩年のやつれた姿でどくろ(だったと思う)のついた杖を持って撮った正面写真まで、他者、事物だけでなく自分をも美に結晶させることを、自己陶酔一歩手前で実現した。
 最近出た、村岡清子さんの『少女のゆくえ──インタビューの向こうに見えるもの』(青樹社)は、マーケッターとして若い世代の思考や行動、風俗の調査を続けてきた著者による分析が豊富だが、その中で女子高校生たちが今、流行りのプリクラ(プリント倶楽部)のシール写真を始め、何かあるたびにカメラを持ち歩き、友達と一緒の写真を撮り合い、見せ合い(あるいは人に頼まれなくても見せ)、交換することで、自分達が友達であること、自分には友達が沢山いることを確認するということが、ほかのさまざまな事象と関連づけながら書かれていた。たぶん、このプリクラ写真とメイプルソープの自写像は紙一重なのだろうと思った。しかし、その紙一重がなかなか越えることができずにプリクラ写真を撮る高校生たちは閉じ込められている。自分「達」をではなくて、「友達」か「恋人」を向き合うように撮ること、それでなければ「自分」を撮るということへの紙一重、もちろんそこから先は写真の作品としての問題になってしまうわけだが、その紙一重を越えられないかぎり、カップや手帳とかに貼られたプリクラ写真よりも不確かな自分に気付かないまま、不安をかかえていくことになるんだろうな、きっと。「ツー・ショット」なんて元業界語、使ってる場合じゃないよ。
 そんなことをまだきちんとした言葉にならないままで考えながら、年末の夜の新宿を歩くと小グループでつるんで歩いている若い人たちが本当に多くて、私は彼らとぶつかりでもしたら、彼らが「仲間」であることの証明のために暴力を受けるのではないかという恐怖を感じた。

「言葉の草原を旅する詩人 関口涼子さん」(97/1/17)

 その詩集がもうすぐ出るという話を聞いて、出版を心待ちにして、そろそろかなと何度も書店に足を運ばせてしまう詩集が本当に少なくなった。今、書かれている詩のレベルが落ちたというようなことではなく、世の中を動かすための情報としての言葉があまりにも速いスピードでうごめいているので、その情報としてのあふれる言葉につきあってボロボロになっている私たちの身体を、さらに言葉で気持ちよく切り開いてくれる詩が少なくなったということなのだろう、と私は勝手に考えているが、それでも楽しみにしてしまう詩集というのはあるもので、去年で言えば、言語学者の村田郁夫さんが長い時間をかけてリトアニア語から訳された、ジョナス・メカスさんの詩集『セメニシュケイの牧歌』と『森の中で』がそうだったし、鈴木志郎康さんの詩集『石の風』も、快作「エスカレーターを走り降りる男」や不思議なエンディングの「前の三日、後の三日」など、情報としての言葉に溺れそうな私たちの身体のエロスを確実に言葉でとらえてくる手応えがあって、待った甲斐があった詩集だった。
 そして、私がひそかに「若き天才詩人」(何と1970年生まれなのです)と呼んでいる、関口涼子さんの『カシオペア・ペカ』に続く第2詩集『(com)position』(以上、いずれも書肆山田、別に他の出版社に含むところがあるわけではありません、念のため)も待っていたのだが、なかなか出ず、これはもう今年は出ないなと思って年賀状に「楽しみにしています」と書いた、まるでその返事のように、元旦にその詩集がポストに届けられたのだった。三回読んだ。

  腐敗に向かってあたたかな湯気を立てているフレ
  ッシュ・アップル・ケーキを正確に描写すること。

という一編で始まる「texture」連作では、おそらくアップル・ケーキのレシピから連想したのかと思われる、記号と数字で書かれたアートのような作品が続くし、「水の精」という連作では「表」と「裏」という2編の詩が透明なプレートを重ね合わせるように「表/裏」で合体する。また、「Now is the month of Maying」という作品では「知っている言葉で分からない事を確かめようとして、あなたはいままでどんな場所にいた。分かろうとするのではなく、私達はきっと見つけ出すことが出来る、その五感、私達が話している言葉さえも捨てて、今立っている場所がどれだけ遠くにまで広がっているのか、その事だけを。それだけでも見つけられれば。」といった言葉が何重にもなった長方形のかたちにレイアウトされている。
 こう書いてしまうと、何やら難解な詩のように思われそうだが、関口さんのすごいところは、ロラン・バルトのテキスト論にも通じる存在の把握を、仏文ふうの知識によってではなく、直感でやってのけているところなのだ。だからアップル・ケーキもたやすく、存在を見つめる詩へと詩人によって変貌してしまう。詩に対する先入観にとらわれず、また本というイメージにとらわれず、不思議な展覧会に迷いこんだように、あなたにもゆったりした気持ちで読んでほしい。
 今回、この詩集を読んで、「草」という言葉がたくさん出てくるのに気づいた。その「草」は、存在の幸福の記憶をとどめた失われた言葉を覆ってしまう、この世界の言葉であるというふうに読めた。関口涼子さんは、その「草」がおびただしく生えるこの世界に、まるで草原に立つかのようにたたずんで、かっこう鳥と光の話をしているような、まぶしい詩人なのです。

97年2月
◯77/2の手帳から 大学2年生。詩集:藤井貞和『乱暴な大洪水』。今はない新宿蝎座で初めて日活ロマンポルノを見た。K子さんとマクドナルドで待ち合わせてデート、でもどこのマクドナルドだったろう。
◯87/2の手帳から 失業中。結局、本にならなかった、いろいろな地味な編集の企画を持って出版社を回っていた。評論:竹田青嗣『陽水の快楽』ほか、前年に亡くなった鮎川信夫の散文集を古本屋で買い漁っては読んでいた。

「幸福の理論は可能か──見田宗介『現代社会の理論』を読んで」 (97/2/1)

 春に出すCD-ROM版の英語の辞典のデータ校正がだんだん忙しくなってきた。一生自分では使わないだろう表現の校正、しかも書籍版の辞典ではなく電子出版なので、設計したソフトに流し込むための文字データの校正ということになり、文字の大小も書体の区別もない、大型コンピュータから出力されたプリントアウトの山を、誤植やコマンドのエラーを探して、ひたすら読み続けることになる。 こんなときは本が読みたくなる。校正して、本を読んで、夜はホームページ作りに励んでいるわけだから、目も悪くなるわけだが、仕方がない。
 というわけで、昼休みはほぼ毎日のように、会社から歩いて行ける神保町界隈を急ぎ足で歩き回ることになるのだけれど、三日前くらいに、ふと見田宗介さんの『現代社会の理論──情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書)という、去年の秋に出た本を見つけて、見田さんかあ(見田さんには、もうひとつ真木悠介という筆名もあるが)、もう10年以上読んでないなあなんて、懐かしいような気になると同時に、70年代にサブカルチャーに理解のある、新鮮な論理を展開する社会学者(と読者が勝手に思っていただけかもしれないが)として人気を集めた見田さんが、この社会の未来についてどんなことを言っているのか気になって、買ってきてあっという間に読んでしまった。
 正直言って、「きわどい」本です。どう「きわどい」のか、説明するのはむずかしいが、まず簡単に内容にふれておきましょう。あとがきによれば、この本は七部構成として構想された、<現代社会の理論>の、まず最初の四部の小さな底本として書かれたものであり、さまざまな立場との対話を通して検証され、増訂されていくための出発点ということになる。その四部とは「情報化/消費化社会の展開」「環境の臨界/資源の臨界」「南の貧困/北の貧困」「情報化/消費化社会の転回」で、順を追っていくと、現代社会を「資本のシステム自体による需要の無限の自己創出という仕方で」「古典的な資本制システムの矛盾」をのりこえた「初めての純粋な資本主義」であるととらえ、まずそのことを、「人間の<自由>を原理」とした社会であることによって肯定する。この社会がその外部と内部に対する抑圧的なシステムになるとしても、そのことをのりこえるのは<自由>を手放すことによってではなく、ほんとうに<自由な社会>の実現にとっての条件と課題を考え抜くという仕方でのみ提起されるべきだとする。
 そして、さまざまな書物の引用を継ぎ合わせて、資源、環境、人口問題や飢えなどの南北問題にふれて、「大量生産→大量消費」という構図が、じつは「大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄」という、「採取」「廃棄」というかたちで、外部を抑圧する現代社会の構図を隠蔽したものであると整理したうえで見田さんは、その現在の消費社会の無限な空間を、バタイユの「蕩尽」とも訳される、合理性に還元できない<消費>に着地させることで、生きる歓びを失わない、「方法としての消費社会」を構想すれば、外部に対する抑圧をものりこえられるはずだと提起する。ここで私は思わずうなりながら、「ウウウウ」と欄外に鉛筆書きしてしまった。のりこえていく、その主体は社会学者としての見田さん自身なのか、見田さんの啓蒙的な語り口につきあっている読者なのか、「情報化/消費化社会」を謳歌しているすべての人々なのか、それとも「現代社会」という抽象的なカテゴリーなのか、ひょっとしたら「社会学」という学問自体なのか。
 この本の悪口が言いたいわけじゃない。その気になれば悪口はいくらでも言えるだろう。学問の言葉がやっと10年前くらいの世の中のリアリティに追いついたのか、とか。困難を探り当てながら、そこを突破する言葉をやはり「学者の見田さん」には吐けないのではないか、といった自分を顧みない言い方とか。それでも、そう言わずにここから始まる何かを期待してしまうのは、見田さんの書いたこの本が、自然収奪的でも他者収奪的でもない「生存の美学」、あるべき「幸福」に向かって破綻していると思えるからだ。私ももっと考えて、通勤の地下鉄に同乗する人々のリアリティ、 本なんて読まなくなった人々のリアリティ、労働法なんて最初から無視してかかっているような会社で働いている私たち自身のリアリティに耳をすませて言葉をさがそうと、思わせられるから。
 どうも舌足らずの硬い文になってしまったけれど、これが自分にとっても始まりになればいいと思って書いてしまいました。みなさんの意見を聞かせてください。そこから対話が始まればそれでいいと思います。この本を読んで思い出した谷川俊太郎さんの詩「ニューヨークの東二十八丁目十四番地で書いた詩」(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』1975・青土社ほか、各アンソロジーに所収)の一部を引いて終わります。

  人間は今あるがままで
  救われるんだろうか

  もし救われないのなら
  今夜死ぬ人をどうすればいいんだい
  もし救われるのなら
  未来は何のためにあるんだろう

「柳瀬正夢さんを紹介します」 (97/2/20)

 去年の夏、何だかよくわからないけれどとりあえず見ておこうというノリで、例によって近所の都の現代美術館に「近代都市と芸術展」を家族で見に行った。上の女の子は、絵も好きだし、つまらなくても後で甘いものが食べられるのが楽しみなので大丈夫だったが、下のやっと2歳になろうかという美術館初めての男の子は、絵本ほどの楽しさもない、ヨーロッパの都市の歴史に即して構成された、絵や都市の改革を構想する図面の展示に納得するはずもなく騒ぎはじめてしまった。あんまり騒ぐので、彼女と上の子を先に行かせて物影に乳母車ごと連れ込んでぶったところ(体罰!)、学芸員が察知して「今日中だったら再入場できますから」、つまり「帰ってください」と言われたわけだが、近所だから私には可能だが遠くから来た人はどうするんだろうと思いつつ、家族で食事をしたあと、「札つきパパ」として一人出直して見たのだった。
 以上どうでもいい話だったが、ヨーロッパの名のある美術館が中心になって構成した部分は風刺画などもそれなりに楽しめたが、それとは別に日本側で独自に企画したプラス・アルファの部分で、その出会いはあった。桑原甲子雄さんの写真のほかはどうということないなと不遜な気持ちで見ていると、ある一面を占領して、戦前の共産主義者の新聞や、その宣伝のためのポスターなどが、およそ20点くらい並べられていた。そのシンプルなパワーは実に久しぶりのものだった。スキャナーもデジカメも持っていない私としては言葉で言うしかないのだが、「櫻画報」時代の赤瀬川原平さん(芥川賞作家の尾辻さんになってしまったけれど)の祖先とでも言うか、たとえば新聞の一面に大きな握りこぶしを描いた無産者新聞のポスターなど、何度も見てしまった。その作者が柳瀬正夢さん(やなせまさむ、1900−45)だった。
 びっくりして、左翼アートにくわしい友人に聞いてみたがわからないのであきらめていたところ、井出孫六さんによる柳瀬さんの評伝『ねじ釘の如く』が岩波から昨年末に出ていると聞きつけて、これはと書店にかけつけて買い、一気に読んでしまった。井出さんの本によると、柳瀬さんは豆売りなどの家業を手伝いながらほとんど独学で絵を学び、15歳で院展に入選、その後、紆余曲折を経ながら、油絵、水彩にとどまらず、新聞の風刺漫画、舞台美術なども手がけ、左翼的な雑誌、新聞、書籍のデザイン、挿絵、執筆など若い日から精力的に活動した。共産党の仕事としても日本と中国の間を結ぶ密使のような役割を果たしていたのではと、井出さんは推測しているが、柳瀬さんの当局のどんな拷問にも屈しなかった姿勢のせいか、明らかな証拠は見つかっていない。「ねじ釘」というのは、あるときから柳瀬さんが作品やデザインにつけはじめた赤いねじ釘の頭のマークからきている。このマークを見つければたとえ変名や匿名の作品でも彼の健在を仲間は知ることができるわけだ。
 残念ながら柳瀬さんは東京大空襲で亡くなってしまった。ただ、彼の作品は残った。権利の問題なのか、井出さんの本にはあまり柳瀬さんの作品が収められていない。再評価の進むなか、各地で開かれるようになった展覧会の図録をさがして、ひさびさに神保町を隅々まで歩きまわらないとと思っているけれど、どこかで見つけた方は教えてください。
 さまざまな文献の調査、各地の取材をもとにこの本を作った井出さんと編集者の努力にも、商業主義のしみついた出版の時代によくぞここまでと頭が下がった。

「ゲンロンノジユウ」 (97/2/26)

 ホームページを開設して3カ月、少しだけ知り合いもできたし、地味な詩人・市民のページにしては、まあ順調な滑り出しかと思っているけれど、どこかさびしさもある。きっとページの作り方に他の人との対話性が足りないんだろうな。このジャーナル欄も、他の人のメールの紹介なんかもやってみたいと始めたのだけれど、なかなかうまくいかない。ホームページを見ましたという感想を手紙でくれる人も少なくないし(会社のハードで急いで見たとか、まだ操作に慣れてないとか)、無理に企画して対話を演出すればできるんだろうけれど、それもつまらないし。
 そんなことを思っているうちに、インターネットの世界にはじわじわと規制の手が伸びはじめているようだ。他人のページを見ていると、タレントの写真をはずすよう指導を始めたサーバーもいるようだし、日本の法律を遵守して猥褻画像をやめるよう警察の名前をちらつかせるサーバーもいる。またサーバーになっている大学が大学の方針に反対する学生のホームページを削除するケースもあると聞く。積極的に法に反する表現をする気は今のところないけれど、法律によってしばられたり、18禁だなんだとランク付けされたりするのはいやだなあ。
 こうしたことに私はくわしいわけではないので、関心のある人はそれぞれに調べてほしいのだけれど、さすがの私もあきれる事件が起きた。これは2、3の信頼できる筋から話を聞いて、友達に連絡してコピーをもらったのだけれど、2月23日付の「夕刊フジ」に載った「ペルー占拠ゲリラを/インターネットで支援する/富山大助教授の問題姿勢」というタイトルの 「ジャーナリスト・岡田登喜男」と名乗る人物による署名記事だ。
 記事によれば、ペルーの日本大使公邸人質事件が長期戦の様相をみせている、この大切なときに「こんな中、日本の警察庁を怒らせているのが、インターネット上で犯人グループのMRTAを支援し、フジモリ大統領や日本政府を「断罪」している国内の動きだ。/なかでも富山大学の助教授が一番目立っており、「交通違反でもなんでもいいから、すぐ逮捕したい。言論の自由といっても、こんな動きは人質やその家族の気持ちを逆なでするもの。国会で問題になるのではないか」(警察庁幹部)という。」
 これは知っている人が見れば小倉利丸さんのことだとすぐわかる。小倉さんのページは私の解釈では、日本の新聞などに出ない現地の情報や占拠している側のメッセージなどを、とても見きれないほどきめこまかく紹介しているページだと思うのだけれど、それがとにかく気にいらないからということで、別件逮捕を公言するというのはあんまり日の丸に染まりすぎてやしませんか、だいたいそういう発言こそが違法だよ。事実だろうとガセネタだろうと、この発言が問題だという記事ならともかく、すんなり載せてしまうというのでは「夕刊フジ」もマスコミの仁義も倫理もないじゃない。それだけ、なめてるんだよね、読者を。あまり、こういうこと言う柄じゃないし知識もとぼしいんでこの辺にしておきますが、皆さん、あんまりのんびりしてるとどんどん変な世の中になっていくんで、気をつけましょう。


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