96.11〜12
96年11月
◯76/11の手帳から 大学生。芝居:68/71「阿部定の犬」「キネマと怪人」「ブランキ殺し・上海の春」(佐藤信作・演出)、夢の遊眠社「走れメルス」(野田秀樹作・高萩宏演出)、映画:「青春の殺人者」(長谷川和彦監督)、コンサート:キース・ジャレット、詩集:飯島耕一『バルセロナ』ほか。
◯86/11の手帳から 失業中、各種原稿書き、校正など。芝居:NOIZE「DAILY」(如月小春作・演出)、詩集:荒川洋治『ヒロイン』、詩集『日記詩集 十月』の原稿を鈴木志郎康さんに見てもらう。
「11月に考えたこと」(96/11/24)
11月の初めに近所にある都の現代美術館に、シンディ・シャーマン展を見に行った。シャーマンはさまざまな扮装やメークを施した自分を撮影した写真作品で、70年代末から活躍しているアーティストで、機会があればまとめて見たいと前から思っていた。
自分でも不思議だったのは、彼女を有名にした初期のモノクロームの作品を、10年ちょっと前にはかなりの刺激を受けた記憶のある作品群を、モデルを使って撮ったとしてもかまわない、ただの作品群として通り過ぎそうになったことだ。最初は彼女の作品がプリント・メディア向きのものであって、実際の写真作品としては何か弱い部分があるのかなとも思ったが、90年代の、人形を使った一連の、セックス・ピクチャーズと呼ばれる作品まで通して見て思ったのは、「私」というものの時代に即した変化がそこにあるということだった。
70年代末には、自分がカメラの前に立って作品の一部となるということは、「私」という存在に押し付けられた価値観を(たとえば差別的な女性観とか)検証して、そうした価値観をゆるがす作業だった。それから20年近くを経て、「私」が曖昧なのは当たり前、「私」が何人いても当たり前というところまで来ているということがあるのではないか。それほど混んではいなかったけれど、会場を訪れた若い観客の人たちには、シャーマンの作品は、存在を問うものというより、こんなことができてかっこいいという、一種のパフォーマンスのように受け取られているのではと感じて帰ってきた。
また、これも今月の話だが、詩人で映像作家の鈴木志郎康さんが1980年に発表した、「15日間」という映像作品のエキスパンド・ブック(ボイジャー社から出ているキットで作る、パソコン用の電子ブック)を、映像から起こした全スクリプトと、志郎康さんご本人にフィルムからビデオを経由して作っていただいた画像ファイルを使って作った。この作品は79年の11月から12月にかけての15日間、毎日、志郎康さんがカメラの前に立ち、その日にあったことや考えたことを話した映像が中心になった作品なのだけれども、そのカメラの前に立つ志郎康さんがすごく苦しげなのだ。映画は他のものを撮るものなのに、自分がカメラの前に立ってしまって、いったい自分は何をやっているのか、作品とはいったい何なのか、と、カメラに背中を見せながら問い続ける。この作品はシャーマンの初期作品と奇しくも同時期の作品だが、やはり作者がカメラの前に立つことが、一種の禁忌をおかす行為だと感じられていたことがわかる。
「感じられていた」と過去形で書いてしまったが、それでは今とは何なのか? カメラの前に立とうが、何を読んでも見ても、何も伝わらない、伝わってこない、何も変わるわけではないのだから仕方がない、かまわないということなのだろうか。私も詩を書く一人として、詩を通して何かを伝えたいと思いながら書いてきた人間として、もう、いや、もともと、作品を通して何かが伝わるというのは広く人々に分け持たれてきた幻想にすぎないのであって、何も伝わらないという地点に一度立って、その上で表現するということを見直したい気分になっている。そして、そのとき、シャーマンや志郎康さんが70年代末にやっていたことは、実は時代によって古いものとなったのではなくて、その意味をたどることさえ、あまりにも多くの情報に囲まれ、縛りこまれてむずかしくなっている、私たちの日常意識や感覚を見直すために今もなお、原理的なメッセージを放っているのではないか、と思えてくるのだ。
96年12月
◯76/12の手帳から 芝居:第七病棟旗揚げ公演「ハメルンの鼠」(唐十郎作・佐藤信演出)、映画:「眠れ蜜」(岩佐寿弥監督・佐々木幹郎脚本)、詩集:吉岡実『サフラン摘み』、清水哲男『野に、球』、清水昶『夜の椅子』。
◯86/12の手帳から 芝居:転形劇場「風の駅」(太田省吾作・演出)、コンサート:ムーンライダーズ、パール兄弟、詩集:『氷見敦子詩集』。
「このホームページができるまで」(96/12/7)
本棚を見ると95年1月に出たマックの入門書があったから、ずいぶん前からマックを買おうと思っていたことがわかるけれど、家のスペースの問題などがあって買わずじまいになっていた。それが去年の暮れくらいから、長年仕事のことを相談しあったり、同人誌の制作を手伝ってもらったりとか、何かにつけて会ってきた友人が、会社の新社長に目をつけられて半ばほされるということをきっかけに、心身症のような状態になって連絡が取れなくなったり、その他、人間関係のもつれとか、家族の健康のこととか、仕事の行き詰まりとかが立て続けに襲ってきて、欝状態になってしまい、とにかく気分転換にマックを買おうと思ったのとほぼ同時に、ワープロにこのホームページのライブラリーのためのデータを打ち込み始めていた。それが4月のことで、とにかくつらい気分を抜けようと闇雲に作っていったから、先に触れた友人と、以前、高校の国語の教科書を編集して、面白かった、その続きをやってみたいとか、筑摩書房で高校生のために出して、大人社会でもベストセラーになった国語の副読本の私家版のようなものを作ってみたいという意識はあったものの、無我夢中でひと月くらい毎晩ワープロに向かって作ったせいで、変に整理しすぎたり狙いすぎたりでないものができたと思う。
それから5月にマックを買って、パソコンショップでプロバイダーの3ヵ月無料券というのをもらったので、しばらくは借り住まいのアドレスで遊ぶことにした。と言っても、いきなりリダイヤルを解除しないままマックを切ってシステム・フォルダーを入れ直す羽目になったり、フリーズ時のショック(?)で、モニターが立ち上がらなくなってリセットしたり、冷や汗たらたらの出来事が続いた。それでもそこを何とかクリアーすると不思議なもので、何かをやりとげたような気分になるのだった。友人と笑いながら話したことだが、ハードにしてもソフトにしても、それを考えて作った人間たちの手の内にあるのに、ユーザーの方はこの小さな機械に言うことを聞かせるべく、一種の男性-性(女性のユーザーでも)、権力-性とでもいったものを行使したつもりになっているのじゃないか。それがストレス解消や達成感につながるというくらいの内はかわいいものの、所詮はパソコン、ということを忘れると怖いかもしれない。
10月に出版する辞書の仕事も目処がたった9月始め、正規のプロバイダーと契約したり、マックにバンドルされていたネットスケープ1.1JやPPP(1時間で切れるというデモ版)を取り替えたりしたものの、今度は入手したエキスパンド・ブックのツールのソフトに夢中になってしまった。ホームページを作ることともう一つ、マックを買った時の目標として、以前、本にしようとして果たせなかった鈴木志郎康さんの評論集の原稿から、映像作品「15日間」の原稿を電子本にしたいということがあった。これも打ち込みと校正でひと月かかってしまい、志郎康さんから送ってもらった画像ファイルを取り込んでできたのは11月、そのアップと平行して、このホームページを固め始めた。初めてのイラストレーターでいきなりロゴを作って、そのファイルがフォトショップを通さないとGIFに変換できないのではと言われた時はまた冷や汗がでたが、半年分の知恵がついたせいか、試している内、クラリスの2.0を通せば、グラフィック・コンバーターにかけられることがわかり、クリアーできた。一応文章もそろえて妻が出かけ子供が昼寝している内にアップしてしまおうとしたのが11月24日の日曜日、ところが自分で見ると和文が文字化けしている! 本当にこの時は胃が痛くなってしまったが、翌日の月曜日に「ユニックス・サーバーとマックの間の問題かもしれないからテキストもRAWでアップしてみな」と会社の人間に言われ、何とかこのように見られるものになった。
自分でページを持とうという気のない人には全然どうでもいい話だろうが、同好の向きもあると思って、ページ自体の自己紹介も兼ねてアップした。
「エキスパンド・ブック『15日間』の無償配布について」(96/12/8)
このコーナーで紹介してきたエキスパンド・ブック版『15日間』(鈴木志郎康作)を無償配布します。今のところマック版しかありません。ウィンドウズ版を今から作るとすると、参照ファイルで組み込んだ図版の処理は何とかなるとして、リソースで組み込んだ本文テキストを一から校正しなおさなければならないためです。多謝。
内容は映像作品「15日間」の全スクリプトと映像の中で言及されている詩作品2編、作者自ら作品を振り返って新聞に発表したエッセー1編、鈴木志郎康さんの紹介と映像作品全リストです。「15日間」の本文には映像のイメージを伝えるために、作品から起こした約40点の画像を収めています。
なにぶんメモリーが重いため(約5MB)、通信で送るのは時間の問題やエラーによるストレスがありますので、ご希望の方はHDの空フロッピー3枚に190円切手をそえて、
135 東京都江東区白河4-9-15-505 渡辺洋
までお申し込みください。その際、専用のブラウザーやREAD MEも添付しますので、お手持ちのマックの68K、PowerPCの別もお書き添えください(共用のブラウザーもあるのですが、何かあるといけないので)。また、このブックは現在発売されているエキスパンド・ブックIIのバージョン1.5で作っており、ボイジャー・ジャパン社が現在ホームページなどで無償配布しているデモ版のブラウザー1.6.9.85では、欧文半角文字部分のレイアウトがくずれますので、こちらが添付するブラウザー1.5をお使いいただくよう、あらかじめお願いいたします(おそらくウィンドウズへの対応を強化するために自動書体の優先順位を変えたのではと思われます--この文章をアップしてから後日、その推測を確認するコメントを、ボイジャーの方からニフティのフォーラムでの質問の答えとしていただきました)。
宣伝でした。
「詩を誰に届けるのか」(96/12/14)
今年の夏に6年ぶりで詩集を出した。誰に頼まれもせず書きためた詩を、誰に頼まれもしないでまとめて本にする。今回の3冊目の詩集は書肆山田の大泉さんと鈴木さんと相談しながら本を作れたのがよかった。今までは、印刷屋さんの友達に頼んで、レイアウトからデザインやイラストの手配まで全部自分でやって作ってもらっていたんだものなあ。宛名をせっせと書き、献呈のしおりに短信と署名を書いて、家人に発送を手伝ってもらって、とりあえず百人近い友人や詩人に送り終えたのが8月初めくらいだろうか。
いろいろな手紙をいただいた。意を深く汲んでいただいた上で厳しい忠告をくれた手紙、作風が直接的な現実や風俗を離れていくことに懸念を表明した手紙、装丁は素敵です、でもあなたの詩はいつも抽象的で呼びかけもどこへ向かっているのかつかめませんという率直な手紙、でも10年ちょっと前、3号雑誌で終わってしまったけれど、いっしょに同人誌を出していた友人からの手紙はきつかったなあ。
封筒に真っ白いA4の紙で1枚、ブルーのインクで、「(前略)あの本の読者はおそらく1人おり、その1人以外に正しい読者はないだろうと思う。その1人とは、もちろんきみ自身です。(中略)「ひとが読む」ということをどこかで書く作業に浸潤させない限り、事態は変わらないのではないでしょうか。(後略)」簡潔な手紙すぎてもっと言うなら言ってほしい気もしたが、数年前から具体的な何のきっかけもなく電話の伝言の返事も来なくなってしまったという関係なので、話を聞くために連絡することもできないという気がしたし、彼の文面から感じられる不快感がそれはできないという答えを私に出させた。
いったい何がどうなってしまったんだろう、などと書くと村上ナントカさんの小説みたいに回顧的になってしまうけれど、現実は現実で、彼が詩を今も書いているのかまったくわからないが、とにかく彼はコピーライターというプロの物書きになり、その彼が何を決したかも皆目わからないが、その彼の目で見て、アマチュアの自己満足を本にして人にわざわざ送ってきた、と見えたのは事実なんだろう。
それぞれの詩人がそれぞれの自由な言葉を駆使して詩を書き、その書いたプロセスを読者なりにたどってそれぞれの感じを持って、自分でも書き始めたり、共感を広めたりして続いてきたのが、現代詩の空間かとも思ってきたし、それが仕事としてプロフェッショナルになるかどうかは別として、やはりその底にあるいい部分はアマチュアリズムではないかと思ってきた自分としては(谷川俊太郎さんのように、ほぼ初期からプロであった、というか、プロであることを強いられてきた人もいるわけですが、私は好きですが)、やはり彼の変化をどこかで時代の変化として受けとめてしまう気持ちがあるのだ。
彼からの手紙を受け取ってひと月くらいあとだったか、時々新書本をまとめて読んで中途半端な知識欲を満たしたいという願望にかられる傾向があって、永井均さんの『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)という本を読んだ。くわしいことは本を読んでいただくとして、永井さんは「哲学」なんて言葉を知る前に、自分が感じてしまった、存在に関する疑問についての答えを学校の与える「哲学」が解消してくれなかったという体験をふまえて、ちょっと言葉は私流にまとめすぎるかもしれないが、学校の与えてくれる「哲学」は実は、哲学者として歴史に残った人の書物の解説にすぎなくて、本当に大切なのは、哲学者として世に残ったかどうかは別として、その人が自分の疑問に立ち向かって思考していくそのプロセスなのだ、だから極端な話、古典の解読よりも自分の疑問を自分で解いていく、もちろん先人の作を参照して思考のレベルを確定しながら、自分の疑問に向かっていくプロセスだけが哲学なのであって、それが本になって残るかどうかは現世的な幸福論の範疇の問題なのだという意味のことを語っている。
私は、永井さんの言葉にうなずきながら、でも、うなずいてしまうのは、今、共通の土俵で交感しあうという体験がどんどん希薄になり、個々は結局ばらばらな存在にすぎないんだという実感がある状況(それが「真実」だとしても、「真実」だけでは人は生きられない)を受け入れざるをえない、ということとパラレルなのじゃないかなと思う。
そしてそのことが、現代詩の空間でも、一種の不機嫌さのぶつけあいみたいなかたちでひろがっているのではないか。先の手紙の友人に、馬鹿言うなよ、この空間で頑張るってことはこんなに素敵なんだぜと、わざわざ電話をかけて言ってやれない現実がある。
そこを考えてくぐり抜けていかない限り、私は次の詩集を出すことはないだろう。
「詩『すみれ通信草稿』そのほか」(96/12/17)
最近いきなりマンションの下に住んでいるおやじさんから、番号も教えてないのに電話がかかってきて、要するに子供の足音がうるさいということなのだが、普段付き合いもなく顔もお互いに思い浮かばないような関係なのに、「気が狂っちゃう」「加害者のくせに」「相手がウチだからこんな程度ですんでいるんだ」などと穏やかでない言葉をぶつけられるということが続き、まあ、パートナーと併せて三度ばかりあいさつに行って、自分たちの上の部屋が代々「気が狂っちゃう」くらいうるさくて、特にお相撲の親方が借り住まいしてたときなんか、大人の足音もはげしいし、子供は走るわ、夜遅くまでサッカーするわで、話に行っても改善されないということがあったり、家によっては話に行ってもうるさいということさえ認めてもらえず、それ以来、外で会ってもシカトされるばかりか、ウチのことを御近所で聞き回ったりという対応をされたとか、他の家ではどんな感じなのか聞き知った範囲で話をして、なにぶん6歳と2歳の姉弟だが、走らない、飛び降りはしない、ボール遊びはしない、夜は早く寝る(父親が帰るまで子供を起こしておいてひと騒ぎしないとすまないという家風の家も少なくないようだ)などのルールを作って、常識の範囲で頑張って子供を育てていることを説明して、やっと小康状態に入ったが、ちょっとまいってしまった。電車の中でのけんかも最近多いし、何か世間の相場をまもって人に迷惑かけないようにしてきたつもりだけど、がっくりくるなあ、殺伐としちゃうなあ(おお、長いセンテンス)。
で、こんな詩をゆうべ書いた。同人誌(『壘』と言います)に載せるかどうかも決めてないし、載せるにしても書き換えるだろうけど、なま物ということで御一読いただければ幸いです。ちなみにタイトル中の「草稿」はタイトルの一部です。念のため。
すみれ通信草稿
どんなふうに言葉をかわしたか思い出せないくらいきみは遠くなって
どんなふうに心を開いたかも思い出せないくらい歌が遠くなって
楽器の音になって空にきざまれていった心も記録されたかたちになってぶらさがっている
歌を聞きながら歌うあなたにいつも変身できたのはなぜか
自転車をすいっと漕ぎ出す運動神経にも似た心の働きが
どうしてまだ歌ってるんだと話しかける椅子になってしまって
家族が寝静まった運河沿いのマンションの五階で
共同性は心が選択するかたちであるはずなのに
あらかじめ用意されたメディアでありシステムでしかないと誤解された不機嫌な時代の食卓で
もうこの心も目がさめて四半世紀生きてしまったんだなあとつぶやきながら
なつかしいものをすべて奪われてしまった四十男が書き続ける
冗談じゃないぞ
朝と夜の地下鉄で毎日のようにけんかに出くわす
書斎にこもって原爆のことを書き続ける作家を乗せてやりたいよ
若い男と女が痴話げんかでもあるまいし
朝から飛び蹴りを無言でかわしあっているぜ
「表に出ろ」「いやーだ」なんて生ぬるい会話で
眼鏡をかけた青年同士がはげしくすれちがっていく同じ車両で
夜の隅田川を潜り抜けながらカップルが
BGMなしでキスしたまま自分たちの巣を運び続けている
おーい、そんなものなのかい、この時代は
一言のののしりもなく蹴りあう自己愛人間たちが
十五階建てのマンションのように積み重ねられた蛍の光になって
あかるい収容所を乗り越えられない
むしろ、子供を殺せ、子供はうるさいと
幼稚園児が親子連れで目の前に立っただけで怒り出すおじさんに言ってほしかったぜ
本当はボクがいつまでもお母さんの子供でいたかったんだよう
権力には縁のない不機嫌な大衆(おお、なつかしい言葉だ)を乗せた時代の地下鉄が
オレにこんなぼろぼろの手紙を書かせる
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