2004.3
2004年3月
◯84/3の手帳から 実家を出る準備あれこれ。書類とか買い物とか。やっと家を離れられるという思い。
◯94/3の手帳から ローザスの公演を観ている。この後、しばしヌーヴェル・ダンスにはまる。
「書評再録−−『私たちはなぜアメリカ人なのか』」(2004/3/6)
書評のメルマガに発表直前の、米国国務省国際情報プログラム局 編『私たちはなぜアメリカ人なのか』の感想を以下に掲載します。
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−−今回は米国国務省国際情報プログラム局が編集刊行した『私たちはなぜアメリカ人なのか』(青山南訳・ゆまに書房)ですね。
−−この本は、国務省が海外向け配布用に2002年に作った本の翻訳ですが、15人の作家や詩人らに合州国で作家や詩人であることはどういうことか、というテーマで依頼したエッセイをまとめたものです。
ドミニカ共和国出身の作家フーリア・アルヴァレスさんのような移民、2世、あるいは有色人種を中心にした人選がなされていて、中にはもちろん自分はホイットマンの国の詩人だとか、リンカーンの国の歴史家だとか、合州国のインテリの自負(ヨーロッパに対するコンプレックス?)を打ち出してくる人もいるわけですが、そういうことも含めてこうした本が、ブッシュ政権の中枢から出されたことに救いとうらやましさを感じました。
−−合州国にしてみれば、国内の民族・宗教による対立を配慮しているという姿勢を海外に向けて示すという必要性があるんじゃないですか?
−−それはそうなんでしょうけど、中味がけして官製の無味乾燥なものになっていないところが、さすが理念でできた国、理念でできているからこそ理屈が通る国の風通しの良さだなと思ったんです。
国が金を出して海外に配る文書に、民族の違いでいじめられたとか、メディアが押し付ける「良き合州国人像」に自分が当てはまらなくてアイデンティティの問題で苦労したとか、みんながんがん書いてますし。元々好きで合州国の文学を読みかじってきた人間として、最近のあの国とどう向き合ったらいいのか、悩んでいたんですが、この本に会えてホッとしました(原文はこちらで全文無料で読めます)。
−−個別の文章はどうなんですか?
−−実は、一人ひとりの文章は短くて物足りなかったんで、作品を読んだことのない2人の作家の本を原書を買って読んでしまったんです。ナオミ・シーハブ・ナイさんの10代向けの小説『ハビビ』("Habibi," Simon Pulse)とスヴェン・バーカーツさんの自伝的エッセイ『空のように青いぼくの取引』("My Sky Blue Trades," Penguin Books)ですが、どちらもすごく良かった。
−−はいはいはい、順を追ってどうぞ。
−−まず『ハビビ』ですが、パレスチナ人の父と合州国生まれの母の元に生まれた少女リヤナが、家族で合州国を離れて父の故国に戻り、難民キャンプの子どもたちと出会ったり、村に住んでいる祖母や一族の人々、その文化と接するが、やがて彼女はユダヤ人のフランクで聡明な少年と仲良くなってしまう。1997年初版だし、若向けということもあって、自爆テロの激化といった厳しい状況は書き込まれていませんが、テロ事件、イスラエルの軍隊による家屋の破壊や銃撃、ユダヤ人市民からの「けだものを信用するな」といった差別的言葉の浴びせかけといった状況は書き抜かれています。作者の両親をモデルにしたと思われる、少女の両親の因襲にとらわれない明るさと、少女と弟のユーモラスな姿勢が救いになっているものの、物語はけして甘くありません。99年にペーパーバックになって、私が入手したのは12刷です。どうです、読んでみたくなりませんか? だめ? 白人しか出てこないノイローゼ小説とか、「何とか帝国」とか枕にでもなりそうな「思想書」じゃないと手が出ない?
−−まあまあまあ、スヴェンさんの方は? 彼の『グーテンベルグへの挽歌』は青土社から訳が出てますね。
−−スヴェンさんはラトヴィアから合州国へ渡ってきた、ヨーロッパ人であることを誇る建築家の父を持つ、それなりに名士の子なんですが、「アメリカン」ぽくない自分に悩んで成長する。本は自分の両親、祖父母たちの人生を辿ることから始めて、自伝的な記述を起こしていくんですが、もう絵に描いたような合州国の全共闘世代ですね。60年代のヒッピー・ムーブメントにはまって、偶然知り合った筋金入りのヒッピーたち(ケン・キージーさんらのバス・ツアーの残党)とウッドストックのコンサートの準備を手伝ったりした後、ヘンリー・ミラーさんらにかぶれてヨーロッパへ貧乏旅行に行って自分の無力感を感じて挫折するわ、経営を任された大型古書店も辞めて、借りた部屋に何ヶ月もこもって小説を書き上げ、自分で読んでも失敗作だったことに落ち込むわ、何度も同棲しては破綻するわで、ま、最後にはスーザン・ソンタグさんばりの評論家になるわけで、何かこんな人生を自分でも送りたい、送れていたらという気持ちになってしまいました。いやあ、2冊とも読めて良かったあ。
−−翻訳は出ないんですかね。
−−わかりません。翻訳ものの現代児童文学では福音館を越えた徳間書店とか、評論のみすず書房あたりで出して何とかという世界でしょうか。基本的に、日本人の読者は他者に興味ないし。自分で編集したい気もありますが、リスク大きすぎという感じかな。サルマン・ラシュディさんでさえ最近の大「傑作」小説群は日本では出ないようですし。ま、このメルマガを読んでいる人はともかく、多くの日本人は「号泣するやさしい私」とか「『世界の中心で愛を叫んだけもの』は読んだことないけど」とか、心地よく自分の弱さをごまかしてくれる本を読んでいればいいやということなんじゃないですか?
−−いいんですか、そんなこと言って。
−−どうせ、誰も読んでないんだからー(フォーク・クルセダーズの再結成コンサートで、持ってるベース・ギターを全然弾いていなかった北山修さんのせりふ「どうせ聞こえてないんだからー」の真似)。
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