2003.12



2003年12月
◯83/12の手帳から 小川プロの映画「ニッポン国 古屋敷村」、如月小春さんの制作した舞台「光の時代」、ねじめ正一さんの詩集『これからのねじめ民芸店ヒント』など。まだ手触りのある文化の時代。
◯93/12の手帳から 年の瀬に翻訳のゲラが出て、年末年始で急いでみてくれなんて言われてあせっている。休み前に著訳者に仕事をふるのは編集者の常かもしれないが……。

「書評再録−−J.M. クッツェー『恥辱』」(2003/12/6)

 書評のメルマガに発表直前の、J.M. クッツェーさんの小説『恥辱』の感想を以下に掲載します。

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−−今回はノーベル賞受賞の決まった南アの作家J.M. クッツェーさんの小説『恥辱(Disgrace)』ですね(1999年発表、私の読んだのはPenguin版、翻訳は早川書房)。
−−クッツェーさんの存在は、作品の翻訳もけっこう出ているのですが、今回のノーベル賞で初めて知りました。1940年南アの生まれ。ボーア人(オランダ系の移住者)とイギリス人の血を引いています。昨2002年にオーストラリアに移ったとのことですが詳しい事情は何も知らないままで読みました。
−−南アと言えば黒人に対する徹底的な差別政策アパルトヘイト(1991年廃止。ちなみに日本人は経済力その他から「名誉白人」として優遇された)で有名な国ですが、そのくらいの予備知識で読んでどうでした?

−−きつい話です。主人公のデビッドはプレイボーイでならした初老の大学教授。英文学が専門(バイロンとか)だが、今は時代の流れに押されてか(日本同様?)、改編されてできたコミュニケーション学部とかに配属され、やる気のない生徒に講義しながら若手の教授陣からは過去の遺物としてうさんくさがられて生きている。
−−プ、プレイボーイって?
−−いい男でもてたんでしょうね。今は50代初めだけれど、2回離婚して娘が1人、会員制の契約売春で「情熱なしの欲望」を充たしていたのだけれど、街で子どもを連れた相手の女性に気づき追っかけてしまって以来、彼女は姿を現さなくなってしまう。悶悶としているところで教え子に手を出し、1回でやめておけばいいのにアパートを調べて押しかけてやってしまったり、というあたりで彼女が退学すると言い出して驚いた実家の両親に告発されて、もう大学もつまらないし、ロクな弁明もせずに大学を辞職してしまう。
−−プレイボーイだから、生徒を「情熱のままにやった」けれど「悪いことをした」と謝る必要もないと突っ張った訳ですね。

−−で、地方で一人で犬を預かったり花や野菜を育てて売ったりして暮らしている娘の元に身を寄せたのですが、黒人のグループに襲われ、彼は毛髪や耳を焼かれ、娘は犯されてしまう。そのことを彼は警察に訴えて犯人を捕まえ法の裁きを受けさせることで乗り越えようと主張するのだけれど、娘はそんな保険会社に訴えるようなやり方では解決しない、父親である彼は何も分かっていないと、お互いの溝を強調する。
−−もともと白人エリートだった父親にしてみれば娘のこだわりが理解できない。暇つぶしに手伝った獣医院では、犬がとにかく増えすぎたせいと、ちゃんとした獣医が週に1回くらいしか来ない、きちんとした薬品も整っていないという事情から、ちょっとした不具を抱えた犬たちを薬で殺すのがメインの仕事になっている、もともと娘の手伝いくらいの感じで隣に住んでいたはずの黒人家族がどんどん勢いをつけてきているといった状況が、白人優位の南アの都会で暮らしてきた彼には、何もかもが貧しくて馬鹿馬鹿しいとしか見えない。

−−でも彼は、傷を負った娘のそばを離れられずに、獣医院に通って犬を殺す手伝いを続けます。
−−彼は殺した犬を袋詰めして、都市の病院に運んで焼却係に渡せばそれですむのに、彼らが袋詰めされた殺された犬たちが炉の入り口とかで引っかからないように死後硬直を袋の上からシャベルで叩きつぶすのを見て、出っ張った袋が無事焼却炉に入るまで自分で何度でも機械を操作することに良心の救いを見出すようになったりしていくのですが、娘が、自分の愛する地方の土地で安全に生き続けていくために隣人の黒人の(名目だけとしても)2号さんか3号さんだったかになるということにはやはり激しく抵抗します。
−−黒人からしてみれば、地方の農村で1人でロクな武装もせずに暮らしている白人なんて取りあえずは暴力の対象でしかない。彼と娘を襲ったグループも隣に住んでいる黒人の知り合いなんだけれども、やっと人間なみの暮らしが送れると元気づいている黒人社会から見れば犯人をむしろ保護して不問に付してしまう事件にすぎない。
−−で、デビッドの娘ルーシーは名前だけでも隣人の黒人の男性の何人目かの妻となってでも、この地方で安全に暮らせることを選ぶ。

−−肝心のデビッドはどうなるかというと、都市で特権的な白人インテリに戻ることを選ばずに、南アの地方で黒人の論理に飲み込まれるように身をゆだねていくことを選ぶのかなと思います。結末あたりについてはここでは書けないのでボカした書き方になりますが、南アの地方で黒人たちが作り出している「現実」に身を委ねないと(恥辱?)、その先には行けないんだという表現かなと思います。最後には救いが訪れているなんて評している人もいるようですが、そんなに甘くないと思いました。南アでも彼の作品を嫌っている白人たちがいるとか。
−−これから読む方はちょっと構えてしまうかもしれませんが、作品によってかなり違った表情を見せる作家と聞いていますので、その辺はご自分で判断してくださいということですね。

[掲載にあたっての追記]南アの白人社会が、かつて抑えつけてきた黒人社会に飲み込まれていくというような状況に、中東の未来を重ねてみる見方が出てきています。パレスチナ人やイスラム教徒の人々を抑え略奪しながら、彼らに現業をやらせて豊かさを誇ろうとするユダヤ人社会に見られる恐怖感(その辺りを隠蔽するために、軍隊や警察を使って盛んに挑発し--検問や尋問、住居の破壊など--、「テロ」を誘発して、相手を悪人視する宣伝を繰り返す)。すでに悪夢の出発点だったはずのヨーロッパに戻ろうとしているユダヤ人も増えているようです。そういうことも考え合わせると、ただの南アの物語ではないということが見えてきます。


「とにかく読みつづけながら−−11・12月に読んだ本」(2003/12/29)

 とにかく本ばかり読んでいる。そんなメモの今年最終版です。

11月

J. M. Coetzee "Disgrace" (Penguin) Amazon.co.jp
妹尾河童+野坂昭如『少年Hと少年A』(講談社文庫)家人の蔵書
サム・シェパード『ローリング・サンダー航海日誌--ディランが街にやってきた』(河出文庫)以前より所有。再読
Raymond Carver "Call If You Need Me" (Vintage) Amazon.co.jp
広瀬隆『地球の落とし穴』(文春文庫)Amazon.co.jp
アティーク・ラヒーミー『灰と土』(インスクリプト)神保町・岩波ブックセンター
川上弘美『溺レる』(文藝春秋)江東区立図書館
フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(上)』(新潮文庫)家人の蔵書
大庭萱朗編『田中小実昌エッセイ・コレクション5 コトバ』(ちくま文庫)神保町・日本特価書籍
現代詩手帖特集版『高橋源一郎』(思潮社)江東区立図書館
[続き物]
佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく 6〜7』(講談社)地元の玉善書店

12月

レイ・ブラッドベリ『火の柱』(大和書房)会社にあったのを借りてきた
高橋源一郎『ゴヂラ』(新潮社)江東区立図書館
田中小実昌『アメン父』(講談社文芸文庫)Amazon.co.jp
植草甚一『ぼくのニューヨーク地図ができるまで』(晶文社)九段下・駅構内の露店の古本屋さん・400円・美本
高橋源一郎『あ・だ・る・と』(集英社文庫)門前仲町・ブックオフ・300円・美本
フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(中)』(新潮文庫)家人の蔵書
関川夏央+谷口ジロー『かの蒼空に』(双葉社)江東区立図書館
関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』(文春文庫)神保町・廣文館書店
フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(下)』(新潮文庫)家人の蔵書
関川夏央+谷口ジロー『明治流星雨』(双葉社)江東区立図書館
小林信彦『時代観察者の冒険』(新潮文庫)両国・ブックオフ・100円・美本
関川夏央+谷口ジロー『不機嫌亭漱石』(双葉社)江東区立図書館
大庭萱朗編『田中小実昌エッセイ・コレクション6 自伝』(ちくま文庫)神保町・日本特価書籍
小林信彦『和菓子屋の息子』(新潮文庫)神保町・岩波ブックセンター

 何かと仕事に追われた1年でした。ぎりぎりまで、結局後は年越しとあきらめるまで火を吹くように辞書の校正その他の作業に漬かって、やっと休みに入りましたが、まだ朝の目が覚めるときに、あれこれと仕事について心配したり、まあ、その辺が少し吹っ切れて気持ちが静まる頃、もう新年の休みが終わっているという感じになるのでしょう、例年のことですが。
 今年は結構、長いもの、古典と言われるものを読んだ年でした。中里介山さんの『大菩薩峠』文庫版全20冊、バルザックさんの『娼婦の栄光と悲惨』、ドストエフスキーさんの『カラマーゾフの兄弟』など、それに読みかけの二葉亭四迷さんの「浮雲」などを含む選集、ヘッセさんの『ガラス玉演戯』などなど。もともとは、辞書の細切れの内容をずっと読んでいる生活なので、流行の細切れ単行本ではない、じっくりしたものを読みたいという気分から、あれこれ気分的に選んで読んでいただけなのですが、何か共通して見えてくるものもありました。飯島耕一さんが新訳したバルザック作品の後に、やっぱり読んでおこうとドストエフスキーさんの作品を読み始めたのですが、ドストエフスキーさんはバルザックさんの小説のロシア語翻訳者だったり、二葉亭さんはドストエフスキーさんの影響を受けて小説を書いたと自分でも語っていたり。
 あと、たまたま田中小実昌さんのエッセイや小説を久しぶりに読んで、とくに、牧師だった父親のことをまとめた『アメン父』を読むと、神の問題が今度は『カラマーゾフの兄弟』や、現在の状況と響き合って感じられるようになったりしました。『アメン父』は田中さんの父親を通して、偶像ではない神の問題を淡々と書いている作品ですが、私としてはここに描かれた、自分にぶつかってくる、自分にぶつかってきてとらえて離さない神イエスを通して、江代充さんの詩を読み直せるなと思ったり、宗派にとらわれずに、自分なりの神を感じてみようなどと思ったことでした。


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