2002.6
2002年6月
◯82/6の手帳から 手帳を見ていてふと、この頃の著者の原稿は全部手書きだったと思い出す。『徐兄弟 獄中からの手紙』を読んでいる。
◯92/6の手帳から 同人詩誌「飾粽」の解散を受けて、新しい詩誌の準備。辞典の編集の追い込みで社員旅行も行かず。
「ブローティガン再訪(その6)」(2002/6/2)
ブローティガンさんの未読の詩集『東京日記』(思潮社)と、以前人に借りて読んだ記憶のある『東京モンタナ急行』(晶文社)を図書館で借りて読んだ。『東京日記』は70年代半ばに日本に滞在したときに書かれたもの。日本に気持ちを引かれつつ、言葉も通じず、酔っ払っては数少ない友人に八つ当たりしたり、孤独感に充ちていて、あまり楽しいとは言えない内容だ。日本に引きつけられる気持ちに、あまり具体性が伴っていなかったということかもしれない。
『東京モンタナ急行』は80年に発表された、生前最後から2番目の小説、より正確には短編集ということになる。翻訳を初めて読んだときは、何か面白いような、散漫なようなという曖昧な印象だったが、今、生前未発表の最後の小説『不運な女--ある旅』を読んだ頭で読むと、晩年の文体への移行が感じられる。1冊の作品として集中していくスタイルから解放されて、「語り」を楽しんで書いているところがある。もちろん初期作品にもそうした部分はあったが、たとえば「アメリカの鱒釣り」という言葉が一種の人格、象徴のように一人歩きするといった技巧はなりをひそめ、ひたすら体験からすくってきたものをさらっと語るというスタイル。ただ、書いた掌編を全部入れてみましたという感じの編集のゆるさが気になる。たぶんブローティガンさん自身が自分のスタイルの変化を把握しきれていなかったのだろうと思う。
いいなあと思うのは、たとえば「いま、日本人の烏賊釣り漁師たちは眠っている」という翻訳で2ページちょっとの掌編で、夜見た烏賊釣りの漁火のことを考えていて、日本に来る前にサンフランシスコのバーでみんながメッセージを入れた瓶を、日本に持ってきて海に投げるという約束のその瓶を、いざ舟に乗って海に出るというときに旅館に忘れてきてしまったという、ただそれだけの話なのだが、作家独特の茶目っ気が感じられる。「390枚のクリスマスツリー写真をどうする?」は、1964年の正月に(前年の11月にケネディの暗殺があった)、2人の友人とサンフランシスコの街じゅうに捨てられたクリスマスツリーの写真を撮りまくり、暗殺事件で暗い影を落とされたクリスマスのために働いたツリーの末路を見届けることで、道義心を満足させたなんて話。ほかに、モンタナの家の電球を取り替えるという延々と続く話なども彼ならではのもの。もちろん話によっては暗いエピソードもあるのだが、この本にはブローティガンさんが「物語」をまとめることから解放されて「語る」ことを楽しんでいる明るさが感じられる。ただその「解放」や「明るさ」は、長年の酒癖や疲労感によって彼の言葉が辿りついたものなのかもしれないのだが。
PS 『東京モンタナ急行』は英語でも日本語でも品切れで、今回は藤本和子さんによる翻訳を借りて読んだのだが、やはりブローティガンさんの作品の場合は特に、言葉の圧縮力がいかに名訳と言えども翻訳では再現されないものだと思わされた。日本語で読むと、あまりにわかりやすい雑談めいた話でも、原語では言葉の触感を生かした表現になっているはずだと思う。詩的な作家の作品だけに、そのずれは、「いつまでもだらだらと書きたいこと書いてるなあ」といった、日本でのブローティガン評価の低さにつながっているのではと想像する。
「ブローティガン再訪(その7)」(2002/6/6)
ブローティガンさんの生前最後に発表された『ハンバーガー殺人事件』のイギリス版が届いたので読んだ。晶文社版の翻訳は品切れ。このイギリスで出たリバイバル版はアマゾンのデータではデニス・ホッパーさんの序文がついているはずだったが、何かの間違いらしく、別人のあちらでは評価の高いらしい作家が序文を寄せている。ちなみに原題は"So the Wind Won't Blow It All Away"で、藤本和子さんは『リチャード・ブローティガン』(新潮社)のなかで「風がそれを吹きとばしてしまわないうちに」と訳しているが、私のつたない英語力では「それは風にけっして吹きとばされたりしない」とも取れる。それとも何かネタ元のある表現なのか。そして「それ」とは合州国にとっては塵に過ぎないかもしれないが(話題の切れ目ごとに "So the Wind Won't Blow It All Away / Dust ... American ... Dust" という歌のような2行が入る)、語り手の「わたし」には拭い去ることのできない傷の記憶だった。
貧しかった戦争直後の少年時代、福祉を頼って暮らす、ラジオも壊れたままの母子家庭の長男である「わたし」は、当時の「わたし」には老人のように見えた製材所の番人からビールの空き壜をもらって店に返しに行ったり(それも買い物を手伝った老婆にもらった乳母車に乗せたりして!)、釣り餌になる大ミミズを集めて売ったりした金を小遣いにしていた。見るからに貧しい「わたし」は学校でも浮きまくっていた。ただし、学校じゅうの人気者で恵まれた家庭の子弟であるデイヴィッドは、「わたし」のちょっと変わったものの感じ方に興味を持ち、2人は2人だけの付き合いをひそかに持つようになる。しかし、「わたし」が良家の放蕩息子から手に入れたライフルの弾丸を、ハンバーガーを食べればよかった金で手に入れ、2人で街はずれの果樹園に腐った林檎を撃ちに行ったとき、「わたし」はまったくの過失でデイヴィッドの足を撃ってしまい、その傷がもとで彼は死ぬ。「わたし」は無罪になるが、その後30年以上も、その傷に苦しみ続ける。あのとき、弾丸など買わずに、ハンバーガーを買って食べていればと……。
自伝的な内容なのだろうか、伝記的にはっきりと断定されたわけではないが、ただの作り話ではないなと思わされる語り口。夜ごと沼のほとりに車に家具を乗せてやってきて、長椅子やテーブルを広げて夕食を作って食べ、長椅子にすわったまま釣りをする夫婦の話や、事件後、あのときハンバーガーを買って食べてさえいればという後悔から、ハンバーガーのことなら何でも知りたいという強迫観念にとりつかれた中学生の「わたし」が、高校新聞の記者になりすましてコックさんたちにハンバーガーのことを取材する話など(これはあまりに出来すぎなので「創作」?)、貧しい時代へのノスタルジアや作家特有のユーモアに充ちた話もあるが、この「事件」は事実だったようにしか読めない。しかし、それはもはや確かめるすべも必要もないことだ。作品全体は淡々とした文体で、しゃれた私小説のように読ませきる。この、作家が辿りついた文体の語り口は魅力的だ。しかし同時に、ブローティガンさんはこの作品で語るべきことを使い果たしてしまったのかもしれないなとも思う。生前は発表されなかった次作『不運な女--ある旅』は、思いついたネタを日録ふうに書きつぐ、というスタイルで、それがこちらには面白く思えたとしても、書いている本人には自己評価しかねるという気分も伝わってくる作品だった。この『ハンバーガー殺人事件』も私は「いいな」と思うが、往時の彼の作風に引きずられた読者には、力をなくしただけの作品と受け止められたかもしれない。自分でも、今、読んでよかったと思う。
「ブローティガン再訪(その8)」(2002/6/12)
書評のメルマガに発表した藤本和子さんの評論『リチャード・ブローティガン』(新潮社)の感想を再録します(若干加筆)。このシリーズはたぶん今回で終わりです。以下本文です。
−−なつかしいですねえ、ブローティガン。名前を聞いただけで時代を飛び越えてしまうというか。ああ、『西瓜糖の日々』を貸してくれて、私に彼の存在を教えてくれた、あの元婚約者は今何をしているんだろう。
−−その初めて読んだのは何年前の話ですか。
−−手帳をひもといてみたら76年だから、ざっと四半世紀前ですね。ついでにブローティガンさんの翻訳が新刊でどれだけ手に入るか調べたら『アメリカの鱒釣り』(晶文社)と90年代に遅ればせに出た3冊の詩集(思潮社)だけです。古本はネット上ではまあまあの在庫状況ですが店によっては1冊1万円以上の値段がついていたり、神保町の古本屋さんは回ってみたものの1冊も出くわしませんでした。
−−周囲の30歳前後の編集者に聞いてみたら、名前も知らないって。そんな彼についての評論を今出すってのは結構大胆かもしれない。
−−ひとつには英米での再評価の動きがバックに考えられますね。旧作がどんどん再刊され、未発表作品も2冊出たり、娘のアイアンシさんによるメモワールも出たりとか。その未発表の中編『不運な女--ある旅』を、彼の小説の名翻訳者として知られる藤本さんが訳すことになった(近刊予定)、そんなことがきっかけかもしれない。
−−ざっとおさらいしておくと、リチャード・ブローティガンさんは1935年生まれ、不況の合州国で貧しく不安定な家庭環境で育ったあと、サンフランシスコに行き、詩作を経て発表した小説『ビッグ・サーの南軍将軍』『アメリカの鱒釣り』などで60年代末以降のカウンター・カルチャーのヒーロー的な存在に。生前発表した小説は11冊、その他詩集多数。84年に死亡、自殺と言われていますね。
−−今回、この評論を読むのと併せて、旧作も何冊か読み直したんだけど、日本で紹介が始まった70年代半ばには、もう彼の作品のピークは過ぎていたという印象を受けましたね。やはり代表作は初期の『アメリカの鱒釣り』『西瓜糖の日々』『芝生の復讐』というあたりでしょうか。その後の作品は、今見ると物語を作ろうと無理している感じがするんです。
−−藤本さんは生前最後の小説『ハンバーガー殺人事件』も好きな作品としてあげていますね。
−−じつはそれだけ読んでないんです。翻訳が出た頃失業していたから、バタバタしてて見落としてしまったのか、翻訳の書名でコケてしまったのか(笑)。イギリスで新版が出ていることがわかったので注文しました(PS 読んで感想もすでに書きました。案外、今が読み頃かもと思いました)。
−−藤本さんの、この評論についてはどうなんですか?
−−娘さんに直接取材したりと、作家の伝記的な部分にも結構踏み込んでいたり、チェーホフさんやバーベリさんなど、旧ロシアの短編作家の作品との比較、おもな小説に即しての分析など、多岐に渡っています。『愛のゆくえ』についてのきびしい評価など、ブローティガンさんとの親しい交友に溺れていないところはさすがだと思いましたが、小説についての分析はやはり元本を読んでいない人にはきついでしょうね。
−−あと、晶文社、黒テントに関わってきた藤本さんの思い出もふれられていますね。
−−元々、藤本さんは黒テント(当時は「演劇センター」だったかな?)を拠点に世界に向けた演劇通信みたいな仕事をしていたと思うんで、その辺の愛着は感じますね。
−−亡くなった、私も敬愛する作家長谷川四郎さんや誰が見ても善人の音楽評論家の田川律さんが出てきたり、それに何と言っても、藤本さんの初めての翻訳本である『アメリカの鱒釣り』が、テキストの「発見者」が彼女の夫の日本の演劇などの研究者であるデイヴィッド・グッドマンさん、編集者が津野海太郎さん、装幀が平野甲賀さんという、何か晶文社黄金時代とでも言うか。
−−今で言えば『本とコンピュータ』と言うか。
−−ま、冗談はさておき、今回この藤本さんの本とブローティガンさんの旧作や未発表作を読んであらためて感じたのは、ブローティガンさんの文章の詩的な凝縮力、「アメリカの鱒釣り」という言葉が一種の人格になって一人歩きするといった、散文としてはぎりぎりのところで書きつつ、しかもそれが高踏的ではない伝わりやすさを持っていたということです。藤本さんによれば、それは彼の貧しい出自、合州国の地を這うようなさまざまな旅、体験に裏打ちされたものだということになるんですが。
−−その文章の破壊力が、一種のユーモアともとられる分かりやすさをともなっていたということですね。
−−そう、だから日本では学生運動の冷えていく70年代半ば以降に、特に『西瓜糖の日々』とか、どこか「癒し」の文学として受け止められた印象があるんですが、その辺がちょっとずれていたのではと思うんですね。
−−アナーキーな笑いを「癒し」ととってしまった。
−−そう、藤本さんの訳がよかったということと裏腹に、訳してしまうと分かりやすくなりすぎてしまって、そこに読者が甘えて、ちょっとずれると「期待はずれ」みたいな受け止め方をされて、だんだん忘れられていったところがあると思う。
−−英語で読むと、もちろん作品にもよるけれど、かりっとした、あるいはざらざらした手応えがありますからね。
−−だから、この評論を機に、作品が読み直されるといいなと思います。今度翻訳が出るという『不運な女--ある旅』も、「物語」を脱いで「語り」に徹したとでも言うような、地味なんだけど、作者が読者をじろっと見ているような迫力のある作品なんで読んでほしいです。
−−あと、代表作の翻訳だけでも再刊されるとかね。まあ、原書ではほとんどの作品が手に入るようになってますので、今の日本の状況では誰からも存在を忘れられた湖のように、場所を見つけられない夢のように、彼の作品を大切に思う人々の心のなかでもうしばらく静かに輝き続けてもらうという道筋もありますが……。みなさん、だまされたと思って読んでみてください、『ハンバーガー殺人事件』と『不運な女--ある旅』。
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