2002.3
2002年3月
◯82/3の手帳から 忙しいのはいいとして、この頃の自分や、自分に迷惑をかけられた人々のことを思うと胸が痛みます。まだまだいきがっていた……。
◯92/3の手帳から 延び延びになっていたケルアックさんの小説『ビッグ・サー』の翻訳了。今でも『ビッグ・サーの夏--最後の路上』(新宿書房)という新装改題版で出ています。
「書評再録−−ロバート・ウェストール『弟の戦争』」(2002/3/11)
書評のメルマガに発表したロバート・ウェストールさんの小説『弟の戦争』(原田勝訳・徳間書店)の感想を再録します。去年の秋、環境テロリストの冒険小説であるエドワード・アビーさんの『爆破−−モンキーレンチギャング』(片岡夏実訳・築地書館)についての感想が同メルマガに発表される直前の9月11日に合州国の諸施設への同時攻撃があったり、つい先日もインドでダム乱開発に反対してペンを振るう作家アルンダティ・ロイさんのルポ『パワー・ポリティクス』(サウス・エンド・プレス)の感想をひつじ書房主宰の「書評ホームページ」に書いたまさにその日の朝刊に、ロイさんが法廷侮辱罪で有罪を宣告されたという記事が載っていたりと、私が本の感想を書くと何かが起こるということが続きましたが、今度はそういうことのないことを祈ります。以下本文です。
−−今回は亡くなったイギリスのヤングアダルト作家ロバート・ウェストールさん(1929〜93)の作品ですね。
−−本当は同じウェストールさんの『かかし』を取り上げようかと思ったんですが、版元の福武/ベネッセの一般書籍からの撤退のせいもあってか翻訳は品切れなんでやめときました(ついでに言うと編集者は福武から徳間に移ったらしい同じ人)。
−−でも、『かかし』もすごいですよね。再婚した母親が新しい夫と寝室でセックスしながら話すのを盗み聞きしてしまう主人公の少年。しかも母親が話すのは、代々軍人の家系で人を殺すために育てられたかのような死んだ夫との間に愛はなかったなんて、少年の大好きだった父親を裏切る悪口だった。そんなねじれたヤングアダルト小説ぎりぎりの設定を通じて、じわーっと伝わってくる厭戦の気分。この死んだ父親はイエメンでの覇権を失うまいとする、60年代の言わばイギリス版ベトナム戦争で戦死したようで、イギリスって合州国のでかさに隠れて目立たないけれど、小規模の戦争はけっこう大戦後もやってるんですよね。ブレアも完全にその延長上にいます。とにかくこの本も図書館などで見つけたら読んでみてほしいです。
−−一昨年亡くなった合州国のヤングアダルト小説の鬼才ロバート・コーミアさん(『チョコレート・ウォー』扶桑社ミステリー文庫--ほか。どこの会社かは知りませんが、私が翻訳編集出版したいと思ったコーミアさんの未訳作品の版権を取得している会社は早く出しなさい!)も、少年たちや彼らを取り囲む大人たちのねじれた感情を描写する名手でしたが、こういう社会派的な面よりやはりメンタルな面で書き抜いていく傾向が強かったですね。
−−だからかもしれませんが、ウェストールさんは数々の賞を受けるなど評価は高いんですが、英米のネット書店とかで見ると思ったほどは読まれてはいない感じがします。とくに合州国では。で、長い前置きでしたが、物語を紹介しましょう。
−−まず、語り手の「ぼく」は弟が生まれる前にさびしさから「フィギス」という、空想上の友達を考え出していっしょに遊んでいた。弟のアンドリューが生まれてからは、「ぼく」はアンドリューを「フィギス」と呼んで遊ぶようになった。それも原因になったのか、「フィギス」は憑依とでもいうべき不思議な力を持っていた。
−−新聞に写真だけ載っていたナイジェリアのまじない師の名前を言い当てて、住所を調べて手紙を書くと、アンディと署名して手紙を書いたのに、フィギス宛で返事がくるとか、エチオピアの飢えた母子の写真を見ただけで、その子の名前がわかったり、その子の苦しさを体で感じることができたり。
−−そして、ある8月の朝、フィギスは家の裏で車の上に立って、どこの言葉か分からない言葉で叫びながら木の枝を振り回し始めた。それはイラクのクウェート侵攻の始まった日だった。
−−最初のうちは夢の中であるいは入眠のような形でだけ間欠的に「むこう側」へ行っていたフィギスから「ぼく」は、「夢」の醒め際に、フィギスが乗り移っているのが「ラティーフ」というイラクの少年兵だということを聞き出す。でも、フィギスの不思議な力への嫉妬や遊び心から両親に内緒にしているうちに、フィギスはどんどん「ラティーフ」の世界にのめり込んでいき、精神病院に入れられてしまう。そしてとうとう湾岸戦争が始まった……。
−−ここから先は読んでもらうしかないとして、要約してしまうと薄っペらなSFっぽい作品ととられかねない設定を細部のしっかりした描写が支えている作品です。
−−やさしくてたくましいんだけど単純な父親とリベラルな母親が戦争のことでけんかしたり(「あなたはイラク兵にも母親がいるってことは考えないの? あの人たちはロボットみたいに鉄かなんかでできてるわけ?」)、それでも家族の情愛は大切にしていたりとか。精神科の医師がアラブ系で、「ぼく」の学校の生徒から「アラブのホモ野郎」と面前で馬鹿にされるとか。「ラティーフ」との出会いを通して、「ぼく」にとって多国籍軍のスポークスマンよりサダム・フセインのほうが普通の人間に見えてくるとか。
−−もちろんイラク軍のほうも、戦火のなかで脱走兵を銃殺したりしていたといったポイントもおさえていますね。イギリスももちろん参戦していたわけで(紛争はまだ解決していませんが)、その記憶が生々しいなか、これだけ心の問題として湾岸戦争と向き合った作品が書かれて発表されたということに頭が下がりますね。
−−今度の合州国での同時多発テロとその後のアフガニスタンへの一方的と言える攻撃からは、新たな作品が生まれてくるんでしょうか?
−−わかりません。インドの作家アルンダティ・ロイさんあたりが書き抜いてくるんではないかという予感はありますが。日本では論説の世界では動きはありますけれど、作品にまで持っていける力と気持ちがあるかどうか。もう事態に対して過去のことと見る風潮も感じられますし、復興支援と言ったって、その前に何をしたのか、ほとんど問われていないでしょう?
−−そういうあなたも詩人なんだから、他人事じゃないですよね……
[ジャーナル目次]
[このまま読み続ける]
[トップ・ページ]
[リンク]
[ライブラリー]