2001.3
2001年3月
◯81/3の手帳から 黒テントのブレヒト芝居を見て、片岡義男さん原作の映画「スローなブギにしてくれ」(藤田敏八監督)を見、ボルヘスさんのアメリカ文学講義を読んでいる。面白いもの手当たり次第という感じか。
◯91/3の手帳から 映像作家で詩人のジョナス・メカスさんを秋に日本に招待する準備開始。メンバーがフリーの人ばかりで平日の昼間にミーティングをやるのにまいった記憶。
「うまく書けない手紙」(2001/3/20)
今、ジャマイカ出身の合州国作家ミッシェル・クリフさん(1940-- )の『天国に通じる電話はない』(No Telephone To Heaven, 1987) を読みかけてちょっと疲れたので、マシンをつけて書きはじめています。数年前ジャメイカ・キンケイドさんの作品を読み始めた頃、彼女と同じカリブ海出身の作家だというだけの予備知識で買ったままになっていた本ですが、これが読むのが大変。ジャマイカを舞台に、構文は英語なのですが、クレオール(現地語化した、この場合、英語との混成語)の語彙が頻出し、そのたびに巻末についている単語集を参照しないと意味がとれない。しかも章と章との飛躍・断絶が激しく、やっと2章読んだところで物語の全貌がまだ全然見えないといった調子です。
しかし、読みにくいのはたぶん語彙のせいだけではないようです。先日、中国系合州国人(2世)の作家マキシーン・ホン・キングストンさん(1939頃-- )の代表作『チャイナタウンの女武者』(The Woman Warrior, 1975) を原書と翻訳(藤本和子訳・晶文社)を付き合わせながらひいひい言って読んだときに感じたことなのですが、作品に込めているものが多岐に渡っている、従来英語の作品に登場しなかった要素(中国の文化、中国の家族・女性のあり方、民話、歴史、移民、またクリフさんの作品であれば観光客である合州国人からは見えないジャマイカの貧しく厳しい現実など)を、英語で表そうとするときの葛藤、伝えるための語りの脱線・飛躍などが、表現をより複雑にしているところがあるのです。キングストンさんの作品は原書も翻訳もじつに20年以上前に入手して何度も挑戦しながら通読できていなかったものなのですが、そうした複雑さを読み手としてうまく引き受けられなかったために(要するに単純な物語でもなければエッセイでもない)読めなかったのだとやっとわかるようになりました。
キングストンさんの作品も、クリフさんの作品のジャマイカの現地語ではないけれど、両親から伝え聞いた民話などに出てくる名前などをすべて英音表記で書きこんでいますが、これなども他言語に対する勘を働かせることのできる読者でなければかなり読みにくいところがあるのではと思います。しかし、クリフさんの本もペーパーバック化され、キングストンさんの作品も英語圏では半ば古典として読みつがれるなど、英語圏の読者(もちろんその中には数多くの移民が含まれているのでしょうが)の受容力の深さを感じさせられますし、同時に作家の側の表現したいことのために言語の限界を突き破って、その言語をこじ開けるようにして膨らませていく執念も感じます。
それは言い方を変えれば、言葉への信頼でもあるのかと思います。表現したい、伝えたいことがあり、そうするために、ある言語が語彙などで貧しい力しか持ち合わせていなくても、その限界を越えて言葉を駆使することができるはずだという。そうした緊張した場で表現された言葉を辞書を引き引き読んでいる日々です(彼らの後続世代であるジャメイカ・キンケイドさん--作家としての出発は研究者的なところもあるクリフさんより早いとも言えますが--や、日本人と中国人の血を引くゲイル・ツキヤマさんらの作品は、先人がいる分、若干表現する呼吸が楽になっているようにも思えます)。
この間、本を作るということ、本を作る集団ということで、あれこれ頭を悩ませてもきました。そのことを書きたいとは思うのですが、まだ生々しすぎたり、自分の不満にすぎないところもあるのではと書けないできました。また書けたら書きます。この手紙が届いたら久しぶりに返事でもください。
「詩についてちょっとおせっかい」(2001/3/22)
清水鱗造さんの主宰する掲示板で、鮎川信夫さんの詩「病院船室」について議論がかわされていて、その流れには乗れなかったものの、思うところがあったので、鮎川さんの詩を自分なりに読んだ解釈をリライト詩にしてみました。
病院船室
戦地から傷病人を乗せて帰る船はとても重かったり、軽かったりして、
つまりは、とても曖昧で、過程であることにひたれる(あるいは「過程でしかない」)場所なのだが
人間の遠い未知の故郷、故郷と呼ぶことさえ
私にとっては不確かな、ただひたすらに遠く感じられる場所へと走っていた。
船長は羅針盤さえ壊れなければ帰れるのだと言うが、
だが何処へ? ヨーロッパでもアジアでもない
つまり私がそこから出発したという確信さえない
曖昧なあの国、確かに私たちはそこから出発したのだが
そこから何らかの確信、たとえば国を守るためにという
確信を持って出発しえたのかどうかさえ曖昧な幻の島国だ……
厚いガラスの窓からは
まるく小さな海と空が見える、それだけだ、私が今いる場所のリアリティは。
「この男の顔色は……」
「黄色さ」と医師は事もなげに言う。
もともと「黄色」であるはずのない私たちの肌の色を
「黄色」と呼んだのはキリスト教の文化なのだが、
この土気色の私たちの肌を「黄色」だと事もなげに呼べる医師、
日本人なんだから仕方がないとでも言うかのように。
もともと日本という国が病んでいるのだから仕方ないのか、
日本に生まれてしまった以上仕方ないのか。
見ろ!
午後四時の黄いろい太陽
こういうのが「黄色」と言うのだ(ランボーじゃないが)、「黄色」と
呼ばれたから「黄色」だと思っているだけの日本人よ、病人の私よ
海が発熱しながら船酔いする体内の液体のように燃えたぎっている、
すうっと引いていったりかあっとせり上がったり
この閉じ込められた場所の内と外のはげしい波!
「あ ハンカチを」以下の2行は
自分でもしらけるので後に削除した
なまぐさい葡萄酒を口から喀血のように吐き、
ベッドに倒れこんで、死んだ真似をして
ヨーロッパの文学を気取って神様をだまそう、日本は何かが始まることのない幻の祖国なのだから。
確かに日本のために人殺しもしたが
目が覚めるまで眠ったふりをしていよう。
私のデスマスク、
それはどうせいつになろうと「黄色」なのだ。何の誇りもない「魂」から生まれた。
まったく新たに生きるための
開くべきドアの取っ手はあるのか、ない、
チューブのように血を流して死んでいくかという投げやりな気分にもなるが
そんなことを今さら言えた私だろうか。
「誰かが覗いている」
こんな日本に生まれてこんなざまになるはずではなかった自分を
私は意識している……
本当に私はただ「黄色」なだけの日本人なのか。
「ラ・メール」と発語してまったく違う人生も送れたのではないか。
その私を見ている私。
見つめている鍵穴のような小さな存在になって、なお私を見つめている私。
追記:
歴史家によれば、日本人は本当に民族問題を戦ったことはないそうだ。
元寇も「神風」で勝ったなどと言っているが、
確かに台風はあったが、実際は元と高麗の軍の不和(二度めは宋も加わって)で
攻撃の乱れが退却という選択につながったらしいと言う。そして
高麗が元に飲みこまれる前に最後の最後まで反抗したのが
朝鮮民族の自立のアイデンティティのひとつの源になっているのに対し
日本はそれ以前から嘘つきの国だったと言う。
「日本書紀」は中国の歴史に対抗するための嘘が多い、
聖徳太子の偉業もほぼすべて偽史とのことだ。
せいぜい私はこれから始まる冷戦下の言論に冷めた言葉で付き合っていくことにしよう。
国家間の補償だけではなく、個人への補償もなどという、
歴史の大展開が起こるまでは生きているはずもない私だ。
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