2000.11
2000年11月
◯80/11の手帳から つかこうへい事務所「蒲田行進曲」、早稲田小劇場「絶対値」、状況劇場「鉛の心臓」、芝居がまだ元気だった。
◯90/11の手帳から 長女薫生まれる。病院に行ってすぐ生まれたので、看護婦さんに名前を呼ばれても、どこの渡辺だよとしばらく思っていた記憶。
「1人漫談」(2000/11/17)
−−1人なのに対話ですか。
−−うん、文芸雑誌とかで原稿が書けない筆者がよく使う手だけど、何か1回やってみたくて。
−−最近、更新の間が空きましたね。
−−これといった理由はなくて、実際に書き出しても、まとまらなかったなんてこともありまして。
−−ふうん。最近はどんな調子ですか?
−−そうですね。先月、小さな辞書の編集作業が終わって、今は来年出す辞書の原稿整理です。今はとりあえず3人でやってるんだけど、ざっと原稿の量を計算してみたら400字の原稿用紙で1万3千枚くらいだった。
−−ちょっとぴんと来ない数字ですが。ついでに言うと400字でって数え方も古びた感じがしますね。
−−確かに、テキストファイルで何メガとか言った方が今は分かりやすいかもしれない。まあ、普通の単行本で4、50冊ってところでしょうか。その原稿を統一を持たせてひたすら整理する単調な日々です。家族は元気です。
−−最近の話題とかは?
−−何か、日本の本を読むのにあきてしまって、ここひと月半くらい、雑誌を1冊買っただけ。最後に日本の本を読んだのはひと月前ってことかな。
−−でも、何かは読んでるわけでしょ。
−−仕事の原稿はもちろん読んでるし、新聞や会社で購読してる雑誌もぱらぱら読んでます。でも、本という形では、もっぱら英語の本ですね。
−−たとえば?
−−先日亡くなったロバート・コーミアさんの青春サイコ・サスペンス『テンダネス』、日本を捨てて合州国で英語の作家として成功したキョウコ・モリさんの『ストーン・フィールド、トゥルー・アロー』とか、このページの屋号をいただいているレイ・ブラッドベリさんの『華氏451度』『火星年代記』、そして今は『たんぽぽのお酒』、もっぱら小説ですね。英詩は楽しんで読むには難しいし、評論はまだ本を選ぶ勘がなくて。
−−失礼ですが、そんなに英語ができましたっけ?
−−まあ、仕事で英語関連の情報をずっと扱って、表現や文法に対する勘は日々鍛えられてますが、聞く話すは相変わらずぱっとしません。読むということで言えば、やはりネットで本が買えるようになったことが大きい。ここで選択肢がぱっと広がった。日本の洋書店だと、大学相手の商売で店員も個人客を馬鹿にしてるし、注文しても半年以上来ないなんてこともざらですから、本が手に入りにくかった。それがネットで表紙も見られるし、概略や評価も分かるということで、すごく自由度が増したなと思います。
−−日本の本はだめということ?
−−うーん、今までで言えば、本の世界が、好きな人が読む本とか、ただ通勤の時間つぶしに読む本とか、それなりに住みわけができていたと思うんだけど、ここに来てそれが崩れ始めたと体で感じますね。売れればどんなことをしてもいい、「多数」を獲得するための、甘口の手の内が透けて見えるものばかりになってきた。文芸書もそれに飲み込まれた、というか、今は書き手の側もイベントを仕掛けて自分を市場の中で目立たせることがいいんだという発想が広がって来ているでしょう? だから、今の文化のとりあえずの枠組の中では、文芸は偉いみたいな顔をしているけれど、内実は同じで、完全に商業の論理に組み込まれていると思います。
−−英語圏ならそこから逃れられるんですか?
−−いや、事情はたいして変わらないと思いますが、やはり日本の本だけでなく英語の本も選択肢に入れると、選択の余地が広がるということがあるんですね。特に合州国は文化コンプレックスがすごくて、財団が作家に執筆中の生活費を奨学金として出したり、大学が作家を教授として迎えたり、それがすべてうまくいくわけはないとしても、そういう環境から激しい競争をくぐり抜けていいものが浮上してくる可能性があるし、評価する側のレベルやモラルもしっかりしているから、日本ほどは腐敗が進行していないという印象がある。ほんと、若い頃は語学書じゃなくて文芸編集者になりたいと思ってましたが、ほんとにならなくてよかったと思う今日この頃です。つまらないものを面白いと言ったり、予算に合わせて企画をそろえるために馬鹿な作者に頭下げたりしたくないもの。
−−でも、あんまり唐突じゃない? この間まであんなに日本の本を読んでいたのに。
−−うーん、理屈で考えたわけじゃなくて、体でそう思ってしまっているということですね。たとえば、本屋に行くのは、自分にとって、現実のいやなこととかへの思いを整理しながら、忘れていた自分を見つけるように本を見つけるため、ということがあったと思うんだけど、今は本の向こうに人がいなくて、算盤はじいてる人々がいるだけという気がどうしてもしてしまうんです。これは漠然と思っていることなんですが、日本の戦後は冷戦が終わったことで、めっきが剥がれてポリシーのない口先社会だということが露呈してしまったとも言えるんじゃないかな?
−−これから先はどうするの?
−−分かりません。頭の中を入れ替える時期なのかもしれない。詩を書くこともちょっと考え直してみたい。だから、Sさん、書くと言ったけど、書けないかもしれません。
−−こんなところで、メールの返事書いてどうするんですか。
−−ごめんなさい。じゃあ、ブラッドベリさんの本でも続きを読むことにします。でも彼の英語って本当に難しいんだ。時々、翻訳を引っ張り出してカンニングしてます。
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