2000.8



2000年8月
◯80/8の手帳から 鈴木清順監督の映画「ツィゴイネルワイゼン」も見たが(於・渋谷西武劇場)、何と言ってもすごいのが全電通ホール(お茶の水だったと思う)での「金大中氏を殺すなと願う市民の集い」、時代ですね。
◯90/8の手帳から 妻のある身で(笑)、ガールフレンドと侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「悲情城市」を見、翌日は友人とライブを見、その翌日は身重の妻と同人誌「飾粽」の合宿へ。まだまだ若い。

「あっと言う間に終わっていく夏」(2000/8/28)

 まだ日曜日の8時だというのに、真木(5歳)は、子ども向けテレビ雑誌の懸賞で当たったカーロボットのおもちゃと格闘して父の助けを求めている。全長60センチくらいのロボットをロボット基地に変形させたりして遊ぶおもちゃなのだが、知力・腕力ともに5歳児の手に余る代物で、大人の私でも途中でいやになってしまって「もう、朝から何だよー」と声を荒げてしまう。私はこれから炊事・洗濯・掃除・ゴミ出し・買い物エトセトラというフルメニューをこなさなきゃならないので、もっと寝ていたいのに起きて、せめて麦茶でも飲んでからと思っていたところなのだ。「何だよー、こんなの、自分で遊べないならやめちゃえよー」とまた声を出したら真木はメソメソしてしまい、起き出してきた彼女が「朝ご飯は作るからやってあげて」と真木の味方をする(念のため書いておきますと、こういう場合、うちの子どもたちはすぐに立ち直って後を引かないタイプです)。

 先週の火曜日(22日)、4週間の入院を終えて彼女はやっと家に帰ってきた。ずっと点滴を続けていたせいで手足が痛く(最後の頃には打つところがなくなって、局部麻酔の上で首に点滴針を刺したりしていた)、パワーも落ちていてまだ今のところ家の中で寝たり起きたりだ。心臓の炎症の方はまた診察に行く必要があるとはいうものの、いちおう一段落したようだ。医師の説明では、この炎症を起こした菌がなぜ体内に入ったのかは分からない、よって何に気をつければもうならないだろうということは言えない、心臓そのものの機能の弱さについては、50代くらいになったら、心臓の負担の度合いによって肥大化する怖れがあるので、その時には手術が必要になるだろうとのことだ。ウーン、爆弾を抱えているようなものだけれど仕方ない、その時その時を大切にしながら生きていくしかないよね、とりあえず退院できたのだからよしとしよう。

 そんなこんなで4日ばかり夫婦2人で暮らし、土曜日、それまで彼女の実家に預けていた子どもたちを引き取った。母子ひと月ぶりの感動の再会! と思ったのは束の間で後は再び元の生活、うるさい、散らかす、家が狭い、洗濯物も洗い物も生ゴミも一挙に増えるしで、今日、月曜日、父こと私は眠くて夏バテも出かかって、しかも子どもたちがラジオ体操に行くので6時半に起きて、子どもたちを起こして着替えさせ、こんな調子で会社に行って、辞書編集の大詰めのコラムや索引の細かいレイアウトを考えたりする日々が続くのかと思うと気が遠くなるけれど、亭主元気で(必要な時以外は)留守がいいということで、今日もできるだけのことをする。

「長い夏の思い出のために(途中経過)」(2000/8/7)

 土曜日(5日)、久しぶりに家に帰ってきた子どもたちは特に変わったこともなかった。迎えに行って帰ってくる間じゅう、薫(小4)がやけにていねいなしゃべり方をするなと思ったけれど、それは2週間うちの奥さんの実家に姉弟で預けられていた間のことを説明するために、ちゃんと文章になったしゃべり方をしていたまでのことで、いっしょにいてしばらくすると、弟の真木(5歳)との間にしか通用しないような省略体(?)の話し方に戻ってしまった。この日はうちのマンションを中心にした、かなりスケールの大きい恒例の夏祭りがあるので子どもたちを引き取ったのだ。

 薫は入院したままの母親のことはひとつも口にしない。ただ、子ども御輿に参加して、他の子がだいたい母親連れなのを見て感じるところがあったのか、「帰る」と言い出し、家に帰るとベッドで泣き出してしまった。真木は「お姉ちゃん、なんで泣いているのかー」と相変わらず能天気に騒いでいたが、薫はしばらく泣きやまなかった。少し経ってから、宿題の自由研究のためのノートを探しがてら散歩しようと誘って、泣きやんだ薫と、そして真木と散歩に出た。

   *

 7月の8日(土曜日)に奥さんが急に高い熱を出し、最初は夏風邪かということで、近所の診療所で抗生物質を処方され、それで熱が下がって胸をなで下ろしたのも束の間、薬が切れた途端また発熱、これは結婚前に彼女が患った心内膜炎ではないかということになり、病院に行き、検査のため投薬を中止して結果の出るまで高熱のままさらに1週間待ち、症状次第では通院かとも言われたが結局、24日の月曜日、心内膜炎に間違いないということで、入院した。

 私たちが知り合う以前に同じ病気を患ったときに分かったことだが、彼女は元々、心臓の「ポンプ」としての機能が弱く、そのために菌が心臓の中に留まったまま、内壁に付着して炎症を引き起こしながら高熱を発生させる。それが心内膜炎で最低2週間から通常4週間の連続的な点滴治療が必要になる。ちょうど子どもたちが夏休みに入ったこと、私の両親が不調を訴えているのに対し、彼女のご両親がまだ元気ということもあって、とにかく子どもたちを預け、私は会社と病院を行ったり来たりという暑い夏になった。

 今、彼女が入院して2週間、点滴の針で両腕が腫れ上がり熱を持ち、さっき電話で話したら、もう打つところがないので、足首に打っているが、その痛みのせいで歩くのもやっととのことだ。医師も「かわいそうだが、ここで情けをかけるわけにはいかない」と言っているとのこと。たぶん少なくとも後2週間はこんなきつい状況が続くのだろう(そう申し渡されている)。子どもたちはお祭りの翌日、新宿で映画を見せたり、私の実家に1泊させて、また彼女の実家に預けてきた。こんなに家族ばらばらというのは結婚以来初めてで、さすがにもううろたえてはいないが、何かと起こる悪い想像(副作用とか)を抑えてまた臨時ひとり暮らしに戻ったというところ。

   *

 この間、辞書の入稿作業を経て諸問題を解決しながらの校正作業も始まり、何かと神経を奮い起こして集中させている。そんな時にたまたまなのだが、合州国の亡くなった短編作家・詩人のレイモンド・カーヴァーさんの作品に出会えたことはよかった。カーヴァーさんの作品は80年代始めに村上春樹さんによって日本でも翻訳紹介が始まり、現在では村上さん個人訳による全集が中央公論新社から出ているが、私は紹介され始めた頃に何かピンと来ないと思ったまま、その後読まずじまいだったのだ。ふっと思い出して、Vintage社から出ている"Short Cuts"(ロバート・アルトマン監督が93年に発表した同名の映画のためにセレクトした短編や詩を収録したもの。アルトマン監督はそれらの作品を綴れ織のように再構成して傑作映画を撮った)を買ってきて、あっと言う間にはまってしまった。その後、今は絶版になっている村上さん訳の文庫や、原書、さらには講談社から出ている英語文庫(大人向けに注のついたリーダー)なども買ってきて読んだ。

 カーヴァーさんの作品は、心に傷を持った合州国の庶民の世界を、会話だけでなく地の文も彼らのシンプルな言葉でカリっと簡潔に書き抜いているところに特徴がある(その点で言うと村上さんの訳は愛情過多で装飾が原文に比べ多すぎるとも言える)。彼女の病室に何冊か置いてきてしまったので、ちょっと不正確だが"What We Talk About When We Talk About Love"という作品では、まあまあのクラスの2組の夫婦が休日の酒を片一方の家で楽しんでいる。彼らは離婚体験もあったりするのだが、最初のうちは愛って大切だねなんて話をしている。そのうちホストの亭主が酒が回ってくる。彼は、結婚生活がうまくいっている間はパートナーをかけがえのない存在だと思っていた愛は、別れて再婚した時どうなってしまったのか、といった話を皮切りに、相手の女房と本当はやりたいとか、前の女房が養育費ほしさに男がいるのに結婚しないとか、どんどん本音をぶちまけ始める、そして日は暮れてきて……というような話なのだが、読んでいてヒリヒリする。このヒリヒリは、やはり若い頃に読んでもぴんと来なかったはずだと自分では思う。そしてヒリヒリを通して慰めというか励ましというかを静かに受け取る。

 そんな読書を経て、今はカズオ・イシグロさんの今年出た新作"When We Were Orphans"(Faber and Faber社)を読み始めている。英語の本を読む、すぐには意味がとれない部分を読み返しながら。そんな行為を繰り返して、この長い夏が過ぎるのを待っているというところか。


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