「ある習作−−静のフラナリー、動のゾラ(その2)」(98/2/15)

 以下の作品は、フラナリー・オコナーさん(1925−1964)の、作家デビュー前の習作の試訳です。作品の執筆時期は1946年2月以前、フラナリーさんが20歳ころの作品と推定されています。死後、1971年に「マドモアゼル」誌に発表されました。作家デビュー後の作品に比べて、人間の暴力性に対する洞察はまだ前面に出ていませんが、作家をモチーフにした一種のユーモア小説として、才能の片鱗を感じさせる好篇だと思います。今回の翻訳の底本にしたテキストは『全短編集』("The Complete Stories", 1971初版)です。あくまで試訳・初稿(プリンターなし)ですので、著作権についての配慮は行っていませんし、統一のとれていないところがあると思います。不都合、また誤訳、誤植、疑問などありましたらご連絡ください。


収穫 (The Crop)

 ミス・ウィラートンはいつもテーブルのパンくずを片付けた。それが彼女流の家事の仕上げであり、彼女はいつも徹底的にそれをやるのだった。ルシアとバーサは食器を洗い、ガーナーは客間に行って「モーニングプレス」のクロスワードパズルをやった。ミス・ウィラートンは食堂にひとり残されたが、それはミス・ウィラートンにとっては好都合だった。ふうっ! その家の朝食はいつもひとつの試練だった。ルシアはほかの食事のときのように朝食も決まった時間にとるべきだと言った。ルシアによれば規則正しく朝食をとればほかの生活習慣も規則正しくなるというのだった。そしてガーナーがお腹をこわしやすいから、自分たちの食事に何らかの秩序を確立しなければいけないのだと。彼女は彼が小麦がゆに寒天をのせることについてもこの見方で考えることができた。まるで彼は、とミス・ウィラートンは思った。そうするのに五十年かかって、やっとほかのことに取りかかれるというようね。朝食の議論はいつも彼の小麦がゆのことに始まり、彼女のスプーン三口分のパイナップルジュースのことで終わるのだった。「胃がよくないんでしょ、ウィリー」と、ミス・ルシアはいつも言うのだった。「胃がよくないんでしょ」 するとガーナーが目を丸くして何か吐き気をもよおさせるようなことを言い、バーサが飛び上がり、ルシアは悲しそうな顔をし、ミス・ウィラートンはすでに飲んでしまったパイナップルジュースの味を確かめるのだった。
 テーブルのくずを片付けるのは心が休まる。テーブルのくずを片付けていると考える時間ができる。そしてもしミス・ウィラートンが小説をこれから書こうとしているのであれば、彼女はまずそれについて考えなくてはいけない。タイプライターの前にすわったときが一番うまく考えられるのだが、当座はこの状態で何とかいける。まず、小説に書く題材を考えなくてはいけない。小説に書くべき題材はあまりにたくさんあるので、ミス・ウィラートンはひとつにしぼれない。小説を書く上で一番むずかしいところね、と彼女はいつも言った。実際に小説を書くよりも、小説に書くべき何かを考えている時間のほうが長かった。題材を次々に取りやめにして、やっと書くべきものをしぼるのにいつも一、二週間かかった。ミス・ウィラートンは銀のパンくず掃きとパンくず用のちりとりを出してきてテーブルを掃きはじめる。彼女は思いをめぐらせる。パン屋がいい題材になるんじゃないかしら? 外国人のパン屋はすごく絵になるわ、と彼女は思った。マーティル・フィルマー叔母が彼女にマッシュルームみたいな帽子をかぶったフランスのパン屋の彩色画を四枚彼女に残してくれていた。大きな背の高い人たち−−ブロンドで……
 「ウィリー!」 ミス・ルシアが塩用の皿を持ったまま声をあげて食堂に入ってきた。「お願いだからパンくず掃きの下にちりとりをちゃんと持っていて。そうしないとじゅうたんにこぼすでしょ。先週四回片付け直したのよ、もう言わないわよ」
 「片付け直してなんかないわよ、私がこぼしたパンくずのせいで」とミス・ウィラートンはきっぱり言った。「いつもこぼしたパンくずは拾ってます」と言ってから言い足した。「こぼすのはほんの少しよ」
 「それと今日はしまう前にパンくず掃きを洗ってね」と言って、ミス・ルシアは戻っていった。
 ミス・ウィラートンはパンくずを手に集めて窓の外に捨てた。それからちりとりとパンくず掃きを台所に持っていって冷水の蛇口の下で流した。それを乾かしてから引出しにしまった。それで終わった。今やタイプライターのところに行ける。夕食までそこにいることができるのだ。
 ミス・ウィラートンはタイプライターに向かってすわり、息を吐いた。さあ! 何について考えていたっけ? そう。パン屋。ふうむ。パン屋。いや、パン屋じゃだめ。あまりおもしろくない。パン屋じゃ緊張関係が生まれない。ミス・ウィラートンはすわってタイプライターをじっと見つめた。A S D F G−−目がキーの上をさまよった。ふうむ。教師? ミス・ウィラートンは考えた。だめ。絶対だめ。教師のことを考えるとミス・ウィラートンはいつも変な気持ちになった。ウィロウプール神学校の彼女の教師たちに問題はなかったが、女だった。ウィロウプール女子神学校、ミス・ウィラートンは思いをめぐらせた。彼女はその名前が好きではなかった、柳(ウィロウ)のプールの女子の神学校−−生物学の話に聞こえる。彼女はいつもウィロウプールの卒業ですとだけ言った。男性教師というと彼女は何か発音ミスをしているような気分になるのだった。どのみち教師は時流に合わない。教師は社会的問題でさえない。
 社会的問題。社会的問題。ふうむ。小作人! ミス・ウィラートンは今まで小作人と親しく付き合ったことがなかった。しかし、と彼女は考えた。これは何より芸術的な題材になる、それに社会的関心を持っているという雰囲気を私に与えてくれる。私が行きたい世界では社会的関心を持つことが本当に大切なのよ! 彼女はつぶやいた。「いつだって私は本の虫をあっと言わせられるわ」 今それが彼女に訪れてきているのだ! まさに! 指がうずうずしてキーの上で打つまねをした。それからいきなり猛スピードで彼女はタイプを打ちはじめた。
 「ロット・モタンは」タイプライターが打ち出した、「犬を呼んだ」 「犬」の後いきなり間があいた。ミス・ウィラートンはいつも最初の一文が一番うまいのだ。「最初の文は」と彼女はいつも言った、「あっと言う間にやってきたの! あっと言う間に!」彼女はよくそう言って指を鳴らした。「あっと言う間に!」そしてそこから彼女は小説を築きあげていった。「ロット・モタンは犬を呼んだ」はミス・ウィラートンには無意識的なものだった。その文を読みなおして、「ロット・モタン」が小作人にふさわしい名前であるだけでなく、犬を呼ばせるのは小作人にさせる素晴しい思いつきだと彼女は結論を出した。「犬は耳を立ててロットにしずかに歩みよった」 この文を書いてからミズ・ウィラートンは自分のミスに気付いた−−一節に「ロット」が二つ。響きがよくなかった。タイプライターはきしって引き返し、ミス・ウィラートンは「ロット(Lot)」の三文字の上にxを打った。その上に彼女は鉛筆で「彼」と書いた。これでまた書く準備ができた。「ロット・モタンは犬を呼んだ。犬は耳を立てて彼にしずかに歩みよった」 犬も二つ、とミス・ウィラートンは考えた。ふうむ。でも、「ロット」が二つほどは耳ざわりじゃない、と彼女は結論を出した。
 ミス・ウィラートンは彼女言うところの「音声芸術」の熱烈な信奉者だった。聞くことが見ること同様に大切な読者なのだと言っていた。彼女はそれをこんなふうに説明するのが好きだった。「見ることが形づくるのは絵です」とコロニーズ女子の会でみんなに話したことがある。「絵は抽象的に描くこともできます。そして文学の冒険が成功するかどうかは」(ミス・ウィラートンは「文学の冒険」という言い回しが気に入っていた)「心のなかに創造されるその抽象性にかかっています。そして全体の質感は」(ミス・ウィラートンは「全体の質感」もお気に入りだった)「聞くことのなかにあらわれるのです」と。「ロット・モタンは犬を呼んだ」に「犬は耳を立てて彼にしずかに歩みよった」と続けると、鋭い感じがある。これで段落の必要な滑り出しができた。
 「彼は犬の短くて薄い耳をつかんで、犬と泥のなかを転がった」 たぶん、とミス・ウィラートンは思った。これでは大げさになってしまう。しかし、小作人なら泥のなかを転がってもおかしいとは思われないだろうということもわかっていた。こうした人々が出てくる小説を一度読んだことがあった。その本のなかでは彼らはこれくらいひどいことは無論のこと、物語の四分の三を通してもっとひどいことをやってのけていた。ルシアはミス・ウィラートンのたんすの引出しを片付けているときにその本を見つけ、ぱらぱら何ページか見てから親指と人さし指ではさんで暖炉まで持っていって放りこんだ。「ウィリー、今朝あなたのたんすを片付けてたら本があったのよ。ガーナーがいたずらで入れたに違いないわ」と後になってミス・ルシアは彼女に言った。「ひどい代物だったわ。まったくガーナーときたら。私、燃やしたわ」 そう言ってからくすくす笑って付け加えた。「あなたの本なわけないわよね」 ミス・ウィラートンは自分の本のことに違いないとわかっていたが、そう言い立てることはできなかった。彼女は図書館でその本を請求したくなかったので、出版社に注文して取り寄せたのだった。郵送料込みで三ドル七十五セントかかったが、まだ最後の四章を読んでいなかった。しかし、ロット・モタンが自分の犬と泥のなかを転がってもおかしくないと言えるくらいのものは、その本からすでに学んでいた。彼にそうさせれば、本の虫に対しても点をかせげることになる。彼女は決断した。「ロット・モタンは犬を呼んだ。犬は耳を立てて彼にしずかに歩みよった。彼は犬の短くて薄い耳をつかんで、犬と泥のなかを転がった」
 ミス・ウィラートンはふたたび取りかかった。いい導入だ。さて展開を考えるときだ。当然、女が出てくる必要がある。多分、ロットは彼女を殺すかもしれない。その種の女はいつでももめごとを起こすのだ。彼女はそのみだらさで彼を駆り立て、彼女を殺させるところまで行ってしまう。そしてその後で彼はおそらく良心に苦しめられる。
 事がそうなるからには彼には信念がなければならない。しかし彼に信念をさずけるのはまったく簡単なことだ。今はなくてはならない愛の問題をどう扱っていくかだ、と彼女は思った。何かとても暴力的な、自然主義的な場面が必要だ。あの階級と人が結びつけて考えるサディスティックなたぐいのものが。問題だ。しかし、ミス・ウィラートンはそうした問題を楽しんだ。彼女は情熱的な場面を考え出すのが一番好きなのだ。しかしそれを書く段になると、いつも変な気持ちがして、ここの家族が読んだら何と言うだろうと思いはじめるのだった。ガーナーは指を鳴らして、事あるたびに彼女にウィンクするだろう。バーサは彼女のことをひどい人間だと思うだろう。そしてルシアはあの馬鹿げた声をあげて「何を私たちから隠してきたの、ウィリー? 何を私たちから隠してきたの?」 そしていつものようにくすくす笑う。しかしミス・ウィラートンは今はそのことを考えてはいられない。彼女は登場人物を考え出さなければならない。
 ロットは背が高くて猫背で毛深い。しかし悲しげな目が彼の日焼けした首や大きな不器用な手つきにもかかわらず、彼を紳士ふうに見せている。出っ歯で、気迫が満ちていることを示すために赤毛だ。服はきつきつだが、彼は気にしないで皮膚の一部みたいにして着ている。多分、と彼女は考えた。彼は犬と泥のなかを転がったりしないほうがいい。女のほうはまあまあきれいで、髪は黄色、くるぶしは太くて、目は泥のような色だ。
 彼女は小屋で彼に食事を作り、彼はすわって彼女が塩を入れ忘れた、固まりの多い穀粒の粗びきを食べ、何か大きいこと、ありえそうもないことを考えている。牛をもう一頭とか、きれいな色の家とか、清潔な井戸とか、さらには自分自身の畑とか。女は彼に焜炉のための木を切ってくれないと愚痴を言い、背中が痛いとこぼす。彼女はすわって、彼がまずい粗びきを食べるのを見つめ、食べ物を盗んでくる度胸もないのねと言う。「しようもない黒ん坊と同じね」と彼女は馬鹿にしたように言う。すると彼は彼女に静かにしろと言う。「黙れっ!」と彼は声をあらげる。「俺はほしいものは全部手に入れてきたんだ」 彼女は目をむいて、彼を馬鹿にして笑う。「あんたなんて怖くないわよ」 すると彼は椅子を引いて彼女に向かっていく。彼女はテーブルのナイフをつかむ−−何て馬鹿な女なんだとミス・ウィラートンは思った−−そしてナイフをかまえて後じさる。彼は飛びかかっていくが、彼女は野性馬のように飛んでかわす。それから彼らはまた向き合う、憎しみに満ちた目で。そして前へ後ろへと身を揺らす。外のブリキの屋根で一秒一秒が音を立てるのがミス・ウィラートンには聞こえる。彼はもう一度彼女に飛びかかるが、彼女はナイフをかまえ直していて、瞬時に彼に突き立てる。ミス・ウィラートンはもう耐えられなくなった。彼女は背後から女の頭をぶちのめした。女の手からナイフが落ち、霧がかかって彼女の姿を部屋から消した。ミス・ウィラートンはロットのほうを向いた。「私が何か温かい粗びき料理を作ってあげるわ」と彼女は言った。彼女は焜炉に行って、口あたりのいい白い粗びきを一皿作って、バターを一片添えた。
 「こいつはありがとう」とロットは言って、きれいな歯を見せて彼女に笑いかけた。「おまえはいつも料理がうまいよ。なあ」と彼は言った。「ずっと考えてるんだ。この小作の畑を出て行けるって。ちゃんとした土地を手に入れられるって。今年がうまく終わったら、牛を一頭手に入れてやりはじめるんだ。どういう意味か考えろ。ウィリー、考えてみるんだ」
 彼女は彼の隣りにすわって彼の肩に手をおいた。「私たちはそうするわ」と彼女は言った。「今年は今までよりうまくいくわ。春までにその牛を手に入れなくちゃね」
 「おまえはいつも俺の気持ちがわかるんだな、ウィリー」と彼は言った。「いつもわかってくれた」
 彼らは何とお互いを理解していることかと考えながら、すっとそこにすわっていた。「食べちゃいなさいよ」と、しばらくして彼女は言った。
 彼は食べ終え、彼女を手伝って焜炉の灰を片付けた。それから、暑い七月の夜、彼らは畑の道を入り江のほうに歩いていった。いつか手に入れるだろう土地のことを話した。
 三月も末となり、雨期がすぐそこまで来ていた。彼らは信じられないくらいの仕事をこなしていた。このひと月、彼は毎朝五時に起き、ウィリーは一時間早く起きて、天気のいい間にできるだけ作物を取り入れようとしていた。来週、多分雨が降り出すだろう、とロットは言った。それまでに収穫を取り入れなければ、彼らはそれを、何か月にもわたって育ててきたものすべてを失うことになる。それが何を意味するか、彼らはわかっていた−−この1年とまったく同じことをもう1年やるということ。その上、この1年には牛ではなく子どもが生まれる予定だ。それでもロットは牛がほしかった。「子どもを食わせるのはそんなにかからないさ」と彼は言った。「それに牛を飼えば子どもを食わせる足しになる」と。しかしウィリーの気持ちははっきり決まっていた。牛は後回しよ、子どもは幸先いいスタートを切らなくてはいけないわ。ロットは結局「多分、両方うまくやれるだけ稼ぐさ」と言った。そして彼は今度耕した土地を見に行った。まるで畝を見ればどれだけ取れるかわかるというように。
 たとえ得たものがわずかでも、いい一年だった。ウィリーは小屋をきれいにし、ロットは煙突を直した。戸口のわきにはペチュニアが豊かな花をつけ、窓の下にはキンギョソウが咲き乱れた。静かな一年だった。しかし今、彼らは収穫が心配になりだした。雨が来る前に取り入れなくてはならない。「もう一週間いるな」と、ロットはその晩帰ってきてつぶやいた。「もう一週間あれば取り入れられる。おまえ、取り入れをやるか? おまえにやらせちゃいけないんだが」と彼はため息をついた。「助けを雇えないからな」
 「私は大丈夫よ」と彼女はふるえる手を背中に隠して言った。「私も取り入れをやるわ」
 「今夜はくもってるな」とロットは暗い声で言った。
 次の日、彼らは日が暮れるまで働いた。これ以上働けなくなるまで働いて、よろけながら小屋に戻りベッドに倒れこんだ。
 ウィリーは夜中に痛みを感じて目をさました。静かな、緑色の痛みで、その中を紫の光が走っていた。本当に目がさめているのかしらと彼女は思った。頭を回すと、何かがうなりながら頭の中で石をすりつぶしていた。
 ロットが起き上がった。「具合が悪いのか?」と彼は聞いて、身震いした。
 彼女は肘をついて起きたがまた倒れこんだ。「入り江まで行ってアナに知らせて」と彼女はあえぎながら言った。
 そのうなりが次第に大きくなり、その形は灰色になっていった。痛みは初めのうち、そのうなる何かと混ざりあって、それから止まらなくなった。何度もやってきた。うなる音がだんだんはっきりとしてきて、朝になる頃、彼女はそれが雨だとわかった。後になって彼女はしわがれた声で聞いた。「どれくらい降っているの?」
 「ほとんど丸二日だ」とロットは答えた。
 「じゃあ駄目なのね」 ウィリーはぼんやり窓の外の濡れそぼった木を見ていた。「おしまいね」
 「おしまいじゃないさ」と彼はやさしく言った。「女の子が生まれたんだ」 
 「男の子がほしかったんでしょ」
 「いや、俺はほしいものを手に入れたのさ。ウィリーが一人じゃなくて二人になったんだ。牛よりもいいもんだぞ」と彼はにっこり笑った。「ウィリー、手に入ったものに見合うには俺には何ができるかな?」 彼はかがみこんで彼女の額にキスした。
 「私は何ができるかしら?」と彼女はゆっくり言った。「あなたを助けるために何ができるかしら?」
 「ウィリー、お店に行ってきて」
 ミス・ウィラートンはロットを相手に見えないように押しやった。「な、何て言ったの、ルシア」と彼女はどもった。
 「今日はあなたがお店に行ってって言ったのよ。今週は私が毎朝行ってたし、今忙しいのよ」
 ミス・ウィラートンはタイプライターから身体を起こして「いいわよ」とはっきり言った。「何を買ってくるの?」
 「卵を一ダースとトマトを二ポンド、熟したトマトよ、それとその風邪すぐ治しなさい。目はもううるんでるし、声もがらがらよ。バスルームにエンピリンがあるわ。お店ではうちのつけにしてね。コートを着てね。寒いから」
 ミス・ウィラートンは目をむいた。「私は四十四よ。自分のことは自分でできます」と言った。
 「トマトは熟したやつね」と言ってミス・ルシアは戻っていった。
 ミス・ウィラートンはコートのボタンをちぐはぐにかけたまま、ブロード通りをてくてく歩いてスーパーマーケットに行った。「何だっけ?」と彼女はつぶやいた。「そう、卵を二ダースとトマトを一ポンドだわ」 彼女は野菜の缶詰やクラッカーが並んでいる前を通りすぎて、卵が入っている箱のところに来た。しかし卵はなかった。「卵はどこ?」と、彼女はインゲンマメを量っている少年に聞いた。
 「若いメンドリの卵しかないよ」と、彼はマメをまた手ですくいながら言った。
 「じゃ、それはどこ、どう違うの?」と、ミス・ウィラートンは聞いた。
 彼はマメをいくつか箱に戻して、卵の箱のほうにかがみこんで、彼女に一パック渡した。「違いなんて全然ないよ」と、ガムを前歯に押しつけながら彼は言った。「ティーンエイジのニワトリだか何だか、知らないけど。買うのかい?」
 「ええ、それとトマトを二ポンドよ。熟したトマトね」とミス・ウィラートンは付け加えた。彼女は買い物が好きではなかった。理由もなく店員たちはいばるのだった。その少年もルシア相手だったらぐずぐずしなかったろう。彼女は卵とトマトの金を払って足早に立ち去った。そこは彼女を少しいやな気持ちにした。
 店が人をいやな気持ちにさせるなんて馬鹿げてるわ。つまらない日常用品しかないくせに、女たちがマメを買って、子どもをショッピング・カートに乗せて、八ポンドかそこらのカボチャを値切ったりして、何が手に入るって言うのかしら? ミス・ウィラートンは考えた。店のどこに自己表現や創造や芸術のための機会があるのかしら? 回りを見回しても同じことだった。人々が手を小さな包みでいっぱいにして、心を小さな包みでいっぱいにして、歩道をいっぱいにして急ぎ足で歩いている。子どもを紐でつないだ女が、ハロウィーンの堤灯が飾ってあるウィンドウから子どもを引っぱり、ぐいと引き、引きずって引き離していく。多分、彼女はこれからの人生、彼を引っぱり、ぐいぐい引いて行くだろう。あっちには買い物袋を落として通りじゅうにぶちまけた女がいる。子どもの鼻をふいている女がいる。通りの向こうからは年取った女が三人の孫に飛びつかれながらやって来る。その向こうにはくっつきすぎてお上品とは言えないカップルが歩いている。
 ミス・ウィラートンはそのカップルが近づいてすれ違うまでとげのある目つきで見ていた。女は黄色い髪で太っていて、くるぶしが太く目は泥のような色だった。かかとの高いパンプスを履き青いアンクレットをして、短すぎる木綿のワンピースに格子縞のジャケットを着ていた。肌はしみが浮かんでいて首は前に突き出ていて、まるで目の前からつねに持ち去られていくものを嗅ぎ分けるために突き出しているというようだった。顔にはうつろな笑いが張りついていた。男は背が高く疲れた感じで毛深かった。猫背で日に焼けた太い首の横には黄色いこぶが並んでいた。前かがみに歩きながら、彼の手は彼女の手とじゃれあっていた。女に向かって一、二度嫌気を起こさせるような笑いを浮かべた。ミス・ウィラートンは彼が出っ歯で、目は悲しげで、額に吹き出物があるのに気づいた。
 「ああ」と彼女は身震いした。
 ミス・ウィラートンは食料を台所のテーブルに置いて、自分のタイプライターのところに戻った。彼女はタイプライターにささっている紙を見た。「ロット・モタンは犬を呼んだ。犬は耳を立てて彼にしずかに歩みよった。彼は犬の短くて薄い耳をつかんで、犬と泥のなかを転がった」と書いてあった。
 「音がなってないわ!」 ミス・ウィラートンはつぶやいた。「どっちにしてもいい題材ではないわ」と彼女は決断した。もっと面白くて、そしてもっと芸術的な何かが必要だ。ミス・ウィラートンはしばらくタイプライターを見つめていた。それから突然こぶしで机を叩いた。こぶしは興奮したように何度か小さくはね上がった。「アイルランド人!」と彼女は高い声で言った。「アイルランド人!」 ミス・ウィラートンはいつもアイルランド人には感嘆させられていた。彼らのなまりは音楽に満ちていると彼女は考えた。そして彼らの歴史−−素晴しい! そして人々、と彼女は考えた。アイルランドの人々! 彼らは気迫に満ちている−−赤毛で、肩幅が広くて大きくて、口髭をたらしている。 


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